Tuesday, December 26, 2006

おいしいクリスマス

 早いもので、クリスマスの4連休も今日で終わりである。連日、お昼頃に起き、だらだらと本を読み、ちょっと散歩して、夜はDVDを見て2時過ぎに寝るという、のんびりとした日々だった。

 今年のクリスマス、私にとって画期的だったのは、4日続けて料理したことである。料理(だけでなく、家事一般)とはあまり縁のない私にとって、これは偉業である。

 イギリス料理がまずいのは有名である。外国人が集まると必ずと言っていいほど、イギリス料理がいかにまずいかという話になる。しかし実は、イギリス人の料理への関心はひじょうに高い。両方の手でも数えきれないほどのセレブ・シェフがいて、本屋には料理の本が山ほど並び、料理関係のテレビ番組も多い。「ちゃんとした味覚がないくせに、料理番組だけは山ほどあるのはおかしな話だ」と言ったのは、料理上手な知り合いのドイツ人だった。

 そんなイギリス人。それぞれお気に入りのシェフや料理評論家がいるようで、どこのキッチンにも、かならず数冊はレシピ本が並んでいる。私の知り合いのキッチンでよく見るのは、Nigel Slaterの「Real Fast Food」や「The 30-minute Cook」である。

 Nigel Slaterは、セレブ・シェフではなくFood Writerで、Observer Magazineの料理コラムを10年以上も担当している。ベストセラーになった「Real Fast Food」や「The 30-minute Cook」には、簡単に短時間で作れるレシピが詰まっている。いわゆる「伝統的な」イギリス料理だけでなく、ハーブや香辛料を使った、地中海風、アラブ風、インド風のレシピもが多い。

 イギリス人よりさらに料理が下手で、手間をかけるのが嫌いな私は、まともなキッチンがついた今のフラットに引っ越したとき、さっそく、Nigel Slaterの本を3冊買った。(Real Fast FoodThe 30-minute CookThe Kitchen Diaries

 これが、なかなかよろしいのである。なにしろ、面倒な下ごしらえがいらない。手際が悪いので、全部が30分以内とはいかないものの、1時間はかからずに、ちゃんと食べられるものができる。

 引っ越して数ヶ月の間は、けっこうはまって、そこそこ自炊していた。そのうちに忙しさにかまけて、またもとの外食生活に逆戻りしてしまったが。

 そしてクリスマス休暇。ふと、4日ともちゃんと家で作ろうと思い立った。名付けて、「おいしいクリスマス・プロジェクト」。

 さっそく、4日分のレシピを選んだ。

  • Pork and Pears(Real Fast Foodより)
  • The 30-minute Roast Chicken(The 30-minute Cookより)
  • Grilled Lamb with Onions and Spices(The 30-minute Cookより)
  • Pork Chops with Herb Butter(The Kitchen Diariesより)
 便利なことに、イギリスのスーパー・マーケットでは、何種類かのグリーンをあわせたReady-to-Eatのサラダが手に入る。また、オーブンで10分焼くだけのバゲットもある。(イギリスのパンは信じられないほどにまずいが、焼きたてだと、まあまあ食べられる。)メインを作り、焼きたてのバゲットとサラダを並べて、立派にクリスマス・ディナーとなった。

 DVDを見ながらのデザートは、Sainsbury'sの「Taste the difference」シリーズのヨーグルト(このシリーズのバニラやルバーブはおいしい。)や、Marks & Spencerのクレーム・キャラメルとアップル・クランブル。ちゃんと選べば、イギリスでもおいしいものは食べられるものである。

 ぎっしり詰まっていた冷蔵庫も、かなり空っぽになってきた。明日からは、食べきれなかったチキンや、まだまだたくさんあるポテトなどで、残り物生活である。

Friday, December 22, 2006

クリスマス休暇前夜

 明日からクリスマスの4連休になる。

 イギリスでは、23日まではどこも通常営業、24日のクリスマス・イブは早じまい、25日のクリスマスと26日のボクシング・デーがバンク・ホリデー(国民の休日)になる。今年は23日が土曜日にあたるため、4連休になるというわけだ。

 先週までの2週間は、クリスマス・ショッピングに出かける人で、街はどこもひどい混雑だった。恐ろしくて、オックスフォード通りには足を向けなかった。職場では、次から次へといろいろな問題が目の前に現れて、気ぜわしいし気は休まらないしで、なんとなくつんつんとしていた。

 それが、今週に入ったとたん、がらっと変わった。街は込んでいるものの、殺気立った感じは消えた。週の頭から、地元の人はぼちぼち帰省し始め、通りには観光客のほうが目立つようになった。(霧でキャンセルが続出した空港では、きっと殺気立っていたと思う。)

 仕事は、かなりの人が休暇を取っているため、メールのやり取りも少ないし、なにしろ、仕事にならない。患者さんたちも静かで、急を要することもない。ひとりだけ少し具合の悪い人がいたのだが、私が何かするまでもなく、落ち着いてしまった。

 先週までの慌ただしさが、クリスマス前の駆け込み操業のせいだと気がついたのは、今週に入ってから。わかっていたらもう少し気分が楽だったのに、と苦々しく思うのもいつものことである。この時期のイギリスは、日本の年末年始の休暇の前に似ている。年末が2週間前倒しになったようなものである。

 今日は、午後から仕事に行った。こういうことに限っては、うちのチーム・リーダーはやけに気が利くので、チームに残っているメンバーを午前組と午後組に分けて、9時に出てきた人は2時に上がり、午後出てきた人が5時まで留守番することにさっさと決めてしまった。医者は今週は1人しかいないので、私は勝手に午後組に入った。(どうせ何かあれば、携帯電話で呼ばれるのだし。)

 ぽかっと空いた午前中を有効に使うべく、私はスーパーに買い出しに行った。明日と明後日は店は開いているが、品薄になっているかもしれない。25日は、レストランはおろか、スーパーもほとんど閉まる。(おまけに、バスも地下鉄も止まる。)4日分の食材とデザートと飲み物を買い、入るだけナップ・サックに押し込んで、残りは手に持って、予想外の重さに、よたよたしながら帰宅した。

 仕事に出ても、昨日よりさらに仕事がない。先延ばしにしていた手紙を書きあげた後は、いくつかメールを書いたり調べものをしたりしただけ。午後組の数人は、Merry Christmas!と言いながら、4時55分にさっさと引き揚げた。

 帰り道のトラファルガー広場には、ノルウェーから贈られたクリスマス・ツリーがどんと構えている。写真の正面左手がナショナル・ギャラリー。右手奥がSt Martin-in-the-Field教会。ツリーの反対側では、St Giles教会のコーラス隊がクリスマス・キャロルを歌っていた。

 我が家のクリスマス・ツリーも飾りつけをした。先日、ケンブリッジのマーケットで買ったもの。高さが25センチしかないが、クリスマス・ツリーにはかわりない。

 さあ、これから4日間、読書とDVD鑑賞に明け暮れることにする。

Wednesday, December 20, 2006

採血屋さん

 日本の医療現場で当たり前なことがイギリスでは当たり前でないという経験はよくある。「採血専門家(phlebotomist、フレボトミスト)」もそのひとつである。

 イギリスの一般看護業務には筋肉注射は含まれているが、静脈穿刺(venepuncture)や静脈注射・留置(cannulation)といった、血管を穿刺する施術は、専門の講習を修了した人のみがおこなうことができる。

 反対に、講習さえ受けていれば、医療職の資格がなくても採血専門の医療補助技術者として仕事をすることができる。これがフレボトミストである。

 フレボトミスト協会(National Association of Phlebotomists)によると、GCSE(General Certificate of Secondary Education、中等教育修了資格)を2科目以上パスしていることに加えて、社会人としての基本的条件やコミュニケーション・スキル、手先の器用さがあれば、フレボトミストのコースを受講できる。

 実際、精神科の外来では、医療事務や医療秘書の人たちがフレボトミストとして仕事をしている。精神科の外来で陪席を始めた頃は、「フレボトミスト」なるものの存在を知らず、採血のオーダーを出したら、タイプ仕事をしていた秘書さんがいきなり立ち上がって採血の準備を始めたので、面食らったおぼえがある。

 すでに看護師の資格を持っている場合、venepunctureの1日講習を受ける。午前中に血管走行の解剖、器具の扱い方や滅菌操作、感染予防についての講義を受ける。午後は、病院の血液検査部で実際の患者さんに採血させてもらって練習する。受講証書を受け取れば、晴れて、採血の仕事ができるようになる。

 医療事務の人たちがフレボトミストを兼ねていることが多い背景には、手当の問題がある。フレボトミストとして仕事をすれば、秘書さんたちはその分収入が増える。いっぽう、看護師が採血する場合、下手をすると仕事が増えるだけで給料に反映されない可能性があり、看護師は講習を受けたがらないという。

 さて、地域精神保健サービスの患者の場合、基本的に、抗精神病薬の処方も含め、医学的検査や管理は家庭医が担当しているので、私たちが採血をしなければいけない場面はほとんどない。唯一の例外は、クロザピンのモニターのための定期採血である。家庭医が採血を担当している患者もいるが、ほとんどの場合、地域精神保健サービスのクロザピン・クリニックが採血をしている。

 どこのチームも、最低1人、採血ができる看護師をチームに確保しており、彼らがクリニックを運営している。チームによっては、派遣会社から週に半日だけフレボトミストに来てもらっていたところもあったが、最近の経費削減のもと、これもなかなか難しくなっている。

 うちのチームは、チーム発足の直前になってようやく、採血ができる看護師Cを説き伏せた。Cが毎週クロザピン・クリニックを運営しており、彼女が休暇の場合は、スタッフ・グレードの医師Hがカバーしてきた。

 ところが、1ヶ月前、Cが体調を崩した。2週間で復帰できるはずだったのだが、長引いてしまい、さらに2週間病欠を延長するという診断書が届いた。

 スタッフ・グレードのHが、文句もいわずによくカバーしてくれたのだが、運悪く、今週は彼女が休暇でいない。さて困った。採血できる人がいない。派遣会社やSLaMのナースバンクは、あてにできないし。

 チーム・リーダーと頭をひねった挙げ句、リハビリテーションの同僚のコンサルタントから研修医を1人借りてきて、ことなきを得た。

 なぜ私が採血をしなかったかって? コンサルタントが身体診察や採血等の最前線の業務をするかどうかは、それぞれのコンサルタントやチームによって温度差がある。前のチームにいたときは、前任者が何でもやる人だったので、後を引き継いだ私も、緊急の血液検査に何度も駆り出された。今のチームは誰も、コンサルタントを使おうという発想はないらしい。採血役を自分から買って出てもよかったのだが、クリニックに来る面々を見ると、これで駆血帯を巻けるのだろうかと思うほどの腕の持ち主が時々いるので、自分の採血技術を過大評価するべきではないと、自制した。

 本音を言えば、あてにされなくて、ちょっとばかり淋しかったのだが。

 下の写真は、うちのクリニック・ルームの「採血椅子」である。患者はこの椅子に座り、肘掛けに腕をのせ、リラックスした状態で採血してもらう。ほんとうにリラックスできるかどうかは、試したことがないのでわからない。

Friday, December 15, 2006

ベッドの不公平配分

 先日来、ベッドが空くのを待っていた患者Dは、2週間待って、ようやく女子急性期病棟に入院できた。

 この数ヶ月、よくなったり悪くなったりの繰り返しで、何度か入院も考慮した。しかしその度に持ちなおし、入院しなくてもと思い直した矢先にまた悪くなるというのが、彼女の最近のパターンだった。このパターンを繰り返しながら、全体的にはどんどん悪くなってきている。一般的な治療ではうまく症状がコントロールできないのがはっきりしてきたため、クロザピンをできるだけ早く始める必要があると考えていた。しかし、施設にいたままでは、彼女も、入所している施設のスタッフも、薬を変更・調整する間のやや不安定な時期をとても乗り切れないだろうと思われ、本人が入院に同意したこともあり、クロザピン導入のための入院を決めた。つまり、入院しないと薬の調整は始められないというわけだ。

 Dが2週間待っていた間、ベッドがまったく回転していなかったわけではない。やむを得ず入院が長期化する患者を含めても、平均在院日数が3週間なので、当然、ベッドは回転している。しかし、緊急に強制入院が必要な患者や、救急外来から緊急転送される患者がしょっちゅう出てくる。このようなケースが、本人に入院の意思があり、地域にサポートする精神保健医療チームがあるDのようなケースを次々と飛び越えて、空いたベッドにおさまっていく。

 ベッドの配分は公平じゃないと、愚痴のひとつもこぼしたくなるような気分でいた矢先、皮肉なことに、私自身が別の患者の緊急入院を勧めることになった。

 Fは、境界型人格障害の男性。女性問題の破綻をきっかけに、飲酒量が増え、自傷行為や脅迫的な言動が増えていた。今回は、ためていた抗うつ薬をまとめて飲んだと施設のスタッフに自己申告し、救急車で総合病院の救急外来に運ばれた。

 自殺企図や大量服薬等の患者が救急外来に運ばれると、精神科の当番・宿直の医者が診察する。今回は夜間だったため、宿直のSenior House Officer(SHO)が診察し、「うつ病の重度抑うつ状態、自殺企図・既遂に至る危険が高い」と診断し、緊急入院が必要という判断を下し、転院の依頼がなされた。

 これまでのFの自傷行為の経過から、入院は、危機を一時的に回避するのみで、長期的には治療的効果はないことは、チーム内、病棟のコンサルタント、施設の職員とも確認しあっていた。そのため、今回の救急受診に至る前のいくつかの事件の際、入院はまったく考慮されなかった。

 また、Fを何度か診ている私のチームのスタッフ・グレードの精神科医が大量服薬の2日前にFを診察しており、まったく抑うつ症状はなかった。反対に、重度の抑うつ状態で緊急入院が必要と判断したSHOは、Fにそれ以前に会ったこともなく、手元にカルテのない状況での1回きりの診察により判断を下している。

 これらの矛盾する情報を手に、転送依頼を受けたベッド・マネジメント チームは判断に迷い、私に意見を求めてきた。

 私もチームも9割方、Fのいつもの自傷行為と同様、数日すればおさまり、その間、再度自傷行為に及んだり、他害行為に及ぶ可能性は少ないと考えていた。また、最後の診察からたった2日で急に重症の抑うつ状態をきたしたという可能性は、ひじょうに低いと思われた。

 しかし、残りの10%で、万が一という不安もあった。自傷行為の間隔が短くなっておりエスカレートしていること、ふだんなら酒に酔った状態でしか出てこない脅迫的言動が、素面の状態であったこと、脅迫的言動の対象が施設の他の入居者におよんでいること等、リスク因子がいくつかあり、偶発的に事件・事故につながることがないともかぎらない。おまけに、 SHOが「重度の抑うつ状態」と言い切ってしまった。実際に患者を診ていない私たちが「そんなことはない」とSHOの診断を切って捨てるには、なかなか勇気がいる。おまけに、今は金曜日の午後。

 入院を待っている患者が多数おり、Fが割り込むことで、入院が先延ばしになる人が出てくる。しかし、本人との治療契約がうまく機能していないなか、今の施設やチームの状況で、ましてや週末を目前にして、この10%のリスクを管理できるかどうかを考えた末、このリスクはとれないと判断し、危機介入のための短期入院を勧めた。

 治療のためのベッドがなかなか確保できない一方で、危機介入のために、「治療的ではない」と承知しながらも、ベッドを使わざるをえない。結論を出した後も、なんとなくすっきりしない気分が続いた。

 (患者さんの個人情報は、脚色してあります。)

Monday, December 11, 2006

Nitin Sawhney

 昨日は久しぶりにJazz Cafeに行った。去年のRay Barrettoのライブ以来である。(彼は今年亡くなったので、最後のUKライブだった。)

 Nitin Sawhney(ニティン・ソーニー)のアコースティック・ライブの最終日。6日間連続のライブが全部売り切れという人気だった。

 ご存じない方のために、紹介しよう。Nitin Sawhneyというのは、イギリス系アジア人のプロデューサー/アーティスト/DJ/作曲家。クラシック・ピアノ、ジャズ・ピアノ、フラメンコ・ギターの名手でもある。彼の作品は、ワールド・テクノ・ジャズ・ヒップポップ等、多岐にわたり、ひとつの分野に当てはめることができない。最近では、クラシック音楽の作曲にも手を出している。(公式サイトはこちら。英語版Wikipediaはこちら。)

 アーティトであると同時に、アクティヴィストとして、多文化尊重、移民、貧困等、さまざまな面で発言をしている。歌詞にはこれらの政治的なメッセージが込められたものも多く、大きなハコでのコンサートでは、メッセージ性の強いテーマの画像がバックのスクリーンに映し出される。

 生Nitinはこれが4回目。個人的には、電気の使用量がとっても多いコンサートよりも、アコースティックのほうがお気に入りである。(アコースティックとはいっても、2年前の、オーケストラと一緒のコンサートはいまいちだった。)

 クリスマス・デコレーションと、正面の壁の「STFU (Shut the fxxx up) during the performance. (演奏中はお静かに)」の指示の前の舞台に、Nitinの他に固定メンバーが5人。短い曲の紹介をはさむだけで、3人の女性ヴォーカルが次々と入れ替わりながら、ライブはさくさくっと続いていく。途中、Natacha Atlas(アラブ系女性歌手の中ではたぶん一番有名な人)も出てきて、豪華である。

 今回は政治的なメッセージはなしかと思ったら、そこはNitinのこと、「Immigrant(移民)」という歌の紹介の際、「数日前、トニー・ブレアが、イギリスのマイノリティの人たちは、(イギリス社会の人種的)統合のためにもっと責任を持つべきだ言っていたが、この曲は、人間の相違を賞賛する歌です。」とぶったのが、唯一のメッセージだった。もちろん、ときにものすごく重い歌詞を除いてだが。

 この手のアクティヴィティは、こちらでは珍しくない。私自身、自分の政治信条的立場をはっきりさせているし、しっかりと発言もするほうである。しかし、あまりにみえみえのメッセージは、疲れるなと思うこともある。

 政治的なものと叙情的なもの、欧米的メロディと、ラテン、アラビック、アジアの曲が、一見無秩序に織り交ぜられて、英語にベンガル語、ポルトガル語、スペイン語、アラビア語が混ざって歌われる。ときに静かに、ときに熱狂して聴いている観客は、アジア系と、白人(イギリス人も他のヨーロッパ人もいる)が約半々。それ以外の人(アフロ・カリビアン等)が少々。全員が、それぞれのお気に入りの曲に盛り上がる。こういうコンサートそのものが、メッセージを発信しているのではないかというのは、ちょっと理想的すぎるであろうか。

 iTunes StoreでNitin Sawhneyで検索すると、音楽のカテゴリーが、エレクトリック・ワールド・ロックとまちまちになっているのが、なんだかおかしい。政治的なメッセージが嫌いな向きも大丈夫。歌詞は、いろいろな言葉が混ざっていて理解できないものも多いので、音楽だけを心ゆくまで堪能できる。興味のある方は、一度ご試聴あれ。

Sunday, December 03, 2006

カッコウする

 私のいるチームPAMS(Placement Assessment and Management Service)の前身であるPAMT(Placement Assessment and Monitoring Team)が、いったんGPに返した患者Nが出戻ってきた。

 PAMTもPAMSも、対象とする患者は、24時間スタッフが常駐する施設の入居者であることが受け入れ条件のひとつとなっている。担当する患者がサポート・レベルの低い施設に移った場合、3-6ヶ月間様子をみて、新しい環境でやっていけると判断した時点で、地域の精神保健医療チームやGP等、適切なチームにケアの責任を移す。

 Nは60歳代半ばの男性で、10年以上も施設に暮らしていた。若い頃、精神疾患の診断で治療を受けたことがある、長いこと未治療にもかかわらず、症状の増悪もなかった。(なんで精神疾患の「既往」しかない人が、精神疾患をもつ患者を専門とした施設に入所したのかは、また別の問題なので、ここでは触れない。)

 55歳になると、高齢者向けのExtra-care shelter schemeへ申請する資格ができる。このスキームでは、住人たちは各自が独立したフラットに住む。1つの建物あたりのフラットの数は様々だが、共用の食堂とラウンジがあり、管理人が常駐する。1日に1度調理した食事が提供され、必要に応じて、日常生活上の援助(入浴の介助や部屋の掃除)も受けられる。

 Nは運よくこのスキームに受け入れられ、晴れて、自分のフラットを借りることができた。転居後も何の問題もなく、本人も大満足で、PAMSが発足する前にPAMTからGPに卒業していった。

 それから1年ちょっと。以前担当者だったSがふと思い立って、管理人に様子うかがいの電話をした。あろうことか、あまりお行儀のよろしくない人たちが出入りしていて、他の住人から苦情が出ているという。このままではNはフラットの借用権を失うかもしれない。また、ものすごく若い女性の友人がよく出入りしているとも言われた。

 SはさっそくNを訪ねていった。久しぶりにSに会い、Nは喜び、一人暮らしの大変さ、孤独さをひとくさりこぼした。またNは、以前にいた施設のときに知り合った「友人」Dに借金をしており、そのことがまだ片付いていないと言う。借金は、主に大麻の購入代金だったようだ。Dが借金の取り立てに訪ねてくるかどうかについては、Nは言葉を濁してあまり話したがらなかった。

 しばらくして、またSが訪ねてみると、前回とはうってかわって、Nは何も問題がないと言うばかり。しかし、以前あったはずの家財道具の一部が消えている。冷蔵庫は空っぽ。部屋で何かを食べた形跡もない。

 管理人によれば、あいかわらず人の出入りは多く、今度は前とは違う若い女性が出入りしているそうである。

 何が起こっているのかはっきりしないものの、どうも怪しい。確実によからぬことが進行しているというのが、チームの印象であった。(Nの話は、一部変更してあります。)

 そんな折、ガーディアン紙に「邪悪の巣(Den of iniquity)」という記事が載った。

 近年、内務省、警察、地方自治体は、協力して、違法薬物取り締まりを強化している。とくに、クラスA薬物であるコカインやヘロイン売買の前線基地を徹底的につぶしにかかっている。これら売買拠点は、crack den(結晶状コカイン、crack cocainからきている)と呼ばれる。ロンドンのハックニー区では、2004年に14のcrack densを閉鎖に追い込んだそうである。

 売人たちはこれまで、空き家を不法占拠して売買拠点を作ってきた。ここにきて、売人たちは方針を変え、公営住宅のフラットの住人に近づき仲良くなることによって(befriending)、彼らのフラットを乗っ取り、新たなcrack denを作っている。「カッコウする(cuckooing、言うまでもないが、カッコウの托卵から来ている)」のである。高齢者や精神疾患を持つ人のような、弱者(vulnerable adults)が狙われている。

 ランベス区を含めた南東ロンドンを基盤とする、ホームレスのための慈善団体Teames Reachによると、毎年、1000人のクライアント(元ホームレスで、Teams Reachを通して公営住宅に入居した人)のうち30人が、こういった「カッコウ作戦」の標的になるという。

 都会で知り合いも親戚もなく、1人で暮らすのは大変である。精神疾患や薬物問題を抱える人は、仕事を続けることも難しいことが多い。日中行くところもすることもなく、孤独で時間を持て余している。売人たちは、こうしたところにつけこむ。

 フラットを手にすることは簡単ではない。たいていの人は、簡易住宅等に住みながら長い期間待った後、ようやく順番が回ってきて、フラットに入居できる。

 しかし、「カッコウ作戦」にいったん組み込まれると、本人が知らないうちにフラットはcrack denと化す。その過程で、金・女・薬のいずれかで、ディーラーたちは本人に借りを作らせ、本人が利用されていると気がついても逃げられないようにしておく。本人は自分のフラットのコントロールを失い、家財道具は勝手に売りさばかれる。社会福祉事務所が介入しようとしても、売人たちが「友人」と名乗り、本人がそれを確認すれば、なかなか介入しづらい。フラットが完全に乗っ取られ、本人は追い出されてホームレスに逆戻りしているケースもあるという。

 フラットがcrack denであることが住宅公社に見つかったり、警察の捜査が入ると、売人の一部は逮捕されるかもしれないが、根幹は残り、次の標的に移動するだけである。いっぽうで、本人はフラットの借用権を失い、また簡易住宅にもどる羽目になる。もっと悪ければ、「自分の意志でホームレスになった(intentionally homeless)」と判断され、簡易住宅にさえ入れない可能性すらある。

 Nのケースも、この状態に近いのではないかという気がする。さっそく、ランベス区のInter-agency Adult Protection(弱い立場にある成人を人権侵害から保護するための制度)の担当者に報告した。

 イングランドで最大の数の施設入所者を抱えるランベス区は、なんとかして入所者数を減らそうと躍起になっている。PAMSは、そのためのチームである。しかし、私たちが担当しているのは、このような「弱者」である。よりサポートの低い施設に移すのはいいが、移した後どうやってフォローしていくのかというのが、新たな問題である。

Monday, November 27, 2006

ケンブリッジ

 昨日、初めてケンブリッジを訪れた。ロンドンに6年半も住んでいるというのに、これまで行ったことがなかった。

 ふらっと電車に乗って、ロンドンから日帰りで出かけるのにちょうどよい距離。ぶらぶらと街の中を歩いて、ケンブリッジ大学のあちこちのカレッジをのぞいて、マーケットをひやかすだけの、なんてことない日曜だったけれど、なんとも心地よく楽しかった。

 たまたまAdvent(降臨節)にぶつかっていて、教会が閉まっていたり、特別行事で入れなかったりしたのは残念だった。キングス・カレッジの聖歌隊を聴こうと張り切っていたのに、こちらも、降臨節の特別コンサートのリハーサルのために、通常の日曜のコンサートはキャンセルされ、教会の中にも入れなかった。重ね重ね、残念。

 お天気には恵まれたのだけれど、とにかく寒くて、ボートに乗っての川下りもおあずけ。春になってもう少し暖かくなったら、あらためて来なくてはと思った。

 街の中を歩いていて気がついたこと。観光客も含めて、とにかく白人が多い。みんな、ポッシュ(上品)な英語を話している。ロンドンにいるとしょっちゅう見かけるような、病的な肥満の人がまったくいない。反対に、明らかに摂食障害の若い女の子がちらほらと目についた。見てくれがなかなかいい若い男性が目に入る確率は、気のせいなのか事実なのかはともかく、ロンドンより高かったように思う。なかなかの目の保養であった。残念ながら女性にまでは目がいかなかったので、女性の見てくれがいいのかどうかは、不明である。

 明らかな路上生活者と思わしき人は、たった1人見かけただけ。普段私が仕事をしているランベス区と比べると、まったく別の国のようである。(ケンブリッジでもオックスフォードでも、アルコールや薬物、精神疾患等の問題がある人のための宿泊施設は、わざわざ市の中心から離れたところに作っているという話を、イギリス人の同僚から聞いた。)

 2001年の国勢調査によると、ケンブリッジ・シティ(ケンブリッジ大学のある市)の人口は約10.9万人で、白人が89.5%を占める。ケンブリッジ大学の学生を入れてもこの数である。ちなみに、ランベス区の人口は26.6万人で、白人の割合が62.5%である。おまけで調べてみると、ブリクストンの中心部では、白人の割合は57.3%まで下がる。

 構成人口にこれだけ差があって、かたやケンブリッジ大学を抱える市、かたやブリクストンとその近辺の物騒な地域を含む区。住民の教育・資格のレベルにもかなり差があるのだろうと思ったら、そうでもない。資格をまったくとっていない人(日本で言えば高校卒業の資格がない人)がランベス区で20.1%、ケンブリッジ・シティで16.2%。レベル4または5(教師や医療職などの専門職、シニア・レベルの管理職)の割合がともに41%程度。ブリクストンのデータはランベス区のデータとほぼ同じであった。(この分類では、ケンブリッジ大学の教授と資格を取ったばかりの専門技術者が同じカテゴリーに入ってしまうのだが、これ以上細かく分けても実利上の利益はあまりないのであろう。)

 また、ケンブリッジは自転車が多い。休日でも多いと感じたので、平日はもっと多いのであろう。しかし、みんな、のんびりと自転車をこいでいる。ロンドンの街中にいるような、aggressiveでcompetitiveなサイクリストは見かけなかった。ロンドンの大きな通りを自転車で走っていると、常に緊張を強いられるし、いつの間にか攻撃的な気分になってくる。(1ヶ月自転車に乗って、私もすでにタクシーやバスの運転手と競争するようになった。)ケンブリッジのサイクリストが穏やかなのは、単に交通量の違いによるせいなのか、それとも、ストレスの総量が少ないせいなのか、知りたいところである。

 そのようなことをつらつらと考えながら、そぞろ歩きを楽しんだ。

 ケンブリッジのお土産とクリスマス・ショッピングを兼ねて、National Trustのお店で、キュートなトナカイを、マーケットでは、小さなクリスマス・ツリーを買った。

Thursday, November 23, 2006

Arrogance Pill

 早いもので、コンサルタントのポストの面接を受けた日から1年が経った。

 チームが軌道に乗ってきたのにつれて、私自身も、少しではあるが、自信もついてきた。チームの中では、いっぱしのリーダーのふりができるようになってきた。思いやりのある同僚たちが、なにかにつけて持ち上げてくれるおかげである。

 しかし、チームから外に出ると、その保護もなくなる。他のコンサルタントやマネージャーたちと、議論や交渉をしなくてはならない。時には、丁々発止のやり取りをし、またある時は、にっこり笑いながら、「そっちが妥協するなら私も考えるわ」みたいなことを、婉曲的に言ったりする。これがしんどい。中には嫌な奴もいて、ちょっとやり取りをしただけで、ものすごく疲れる。相手の言葉に不快になり、それに反応した自分に、もっと不愉快になる。

 昨日、ミーティングに出かける前にチームの部屋に顔を出した。登校拒否の子どものように見えたのかもしれない。同僚のJが、「コンサルタントなんだから、憎たらしい態度で、影響力をフルに使わなきゃ」とけしかけてくる。「それができれば苦労しない」と私。するとSが、「Arrogance Pill(直訳すると「タカビー(死語でしょうか)薬」)が必要だね。もう既にコンサルタントで、それだけじゃ足りないんだから、傲慢な(arrogant)コンサルタントにならなきゃね」と言う。

 Arrogance Pill。ものすごく尊大で嫌味で、そのことを苦にもしなくなるような薬。おまけに私の交渉力が上がるなら、喜んで飲んでやろう。

Saturday, November 18, 2006

ベッドがない

 先週末、私の患者の1人が急に具合が悪くなった。この半年来、何度か軽い症状再燃をきたし、その度に、Home Treatment Team(HTT)に2-3週間訪問治療してもらって乗り切ってきた。先々週末がGuy Forks Nightで、近所で夜通し花火が上げられていたためにまったく眠れず、一気に悪化したらしい。

 今回もなんとか乗り切れないかと様子を見ていたのだが、木曜日になって事態が一転深刻になてしまった。彼女が自身の加害妄想のために警察に行ったあとで、ほぼ丸1日行方不明になってしまった。幸い、翌日彼女はホームに戻り(彼女は24時間職員が常駐する施設に暮らしている)、少し落ち着いたのだが、本人が同意したこともあり、任意による入院治療は避けられないという結論に至った。

 で、週が明けた月曜日。ベッド・マネージャーに電話をして入院の依頼をした。「女性のベッドはすでに5人待機しているので、彼女は待機リストの6番目になる。」

 ランベス区SLaMでは、地域のチームが入院が必要と判断した場合、まずHTTと一緒に患者を診察し、HTTの介入でも入院が回避できないという判断をして初めて、ベッド・マネージャーに連絡して入院を依頼する。

 ランベス区SLaMには、急性期用の病棟が6棟ある。男性専用2、女性専用1、男女混合1、早期介入用1、精神科救急用(PICU)1である。入院は各病棟持ち回りで受け入れる。ランベス区SLaMが対象とするのは区民26万人なので、人口1万人あたり精神科急性期ベッド4.3床の計算になる。(ちなみに、ランベス区は、ロンドンの中でもエスニック・マイノリティや貧困層の割合が高い区のひとつで、精神科治療を要する患者の割合はイングランドの平均よりもずっと高い。)

 入院経路としては、今回のように地域のチームが任意入院、または、精神保健法に基づいた強制入院を依頼するケースに加えて、警察官に保護されて精神保健法のSection 136に基づいた診察を経て入院になるケース、刑務所で受刑中あるいは釈放時に治療が必要なために移送されてくるケース等がある。これら全部を、ベッド・マネージャーが一元的に管理する。

 入院が本当に緊急の場合、待機リストの順番を飛ばして入院させることもある。緊急の場合、どうしてもベッドが用意できなければ、SLaMの他の区のベッドに空きがあればそれを借りる。それでも対応できない場合、プライベートの精神科病院のベッドを「買う」ことになる。

 さて、私の患者は月曜日に入院待機リストに載った。チームのスタッフは、連日、本人の状態をチェックし、ホームのスタッフが対応できるか確認するとともに、ベッド・マネージャーに待機リストの状況をしつこく聞いていた。時節柄か、具合が悪い患者が多く、ベッドはまったく空かず、待機リストはいっこうに動かない。

 金曜日のお昼過ぎ。ベッド・マネージャーと話をした。「女性専用の病棟がまったく入院を受けられない。今日のコンサルタントの回診が終わったら何人か退院できると思うが、6人は入院できない。」というわけで、私の患者はまだ入院できず、ベッドが空くのを待っている。

 リエゾン精神科や急性期病棟で仕事をしていた頃、よく、チーム・リーダーがベッド・マネージャーと電話でベッドを巡ってやりあっているのを目撃した。なんとかしてベッドを回転させようとするマネジメント側と、無理して入院あるいは退院させた場合に生じるリスクを背負わなければならない臨床側の攻防である。

 ベッド・マネジャーは、週に1-2度、ベッド状況のデータを、マネージャーやコンサルタント宛にメールで送ってくる。

 先週のある1日のベッド状況を見てみよう。

 急性期113床のうち、入院可能なのはPICUの1床のみで、あとは全部埋まっている。それどころか、実際に入院リストに載っている患者は実際のベッド数の130%超。これは、許可を得ずに病院を離れ戻ってこない人(AWOL、Absense without leave)が数人と、退院を前にした試験外泊をしている人がかなりいるためである。外泊中の人のベッドをあけっ放しにしておくような贅沢は許されないということだ。外泊期間も含めて、平均入院期間は約3週間となっている。

 他の区のベッドを借りて入院している女性患者2人。自宅で入院を待っている患者が男性2人、女性4人。精神保健法による診察が予定されていて、診察後強制入院になる可能性がひじょうに高い患者が男性4人、女性1人。

 これは、ごくごく普通のベッド状況である。こんな綱渡りをしながらも、地域のチームと、HTT、Assertive Outreach Serviceなどを使いながら、患者の治療と危機管理をおこなっているのだから、たいしたものである。

 精神科病床34万床を抱える日本で研修を受けた私にとっては、当初は驚きの連続であった。(さすがに、もう驚かなくなったが。)こちらのシステムがたくさん問題を抱えているのは否定しないが、こうした状況で仕事をしていると、とくに危機管理や医療経済の面で勉強になることが多い。

 ベッドを待っている私の患者が、週末をなんとか乗り切ってくれることを祈っている。

Saturday, November 04, 2006

スマップ−その2

 SMAPと命名されたデータベースができるまでの経緯を、少し書いておこうと思う。

 私のチームPAMS(Placement Assessment and Management Service)は、ランベス区の一次ケア・トラスト、SLaMと社会福祉事務所が、「施設」に関する諸々の問題を改善するために、予算を割いて「コミッション(委託)」したサービスである。どこもかしこも財政難、経費削減のご時世、新しく立ち上げたチームにきちんと機能してもらわなければ、投資した甲斐がないと思うのは、コミッショナーとしては当然のことであろう。PAMSの「仕事ぶり」は、厳しい監視のもとにある(ことになっている)。

 と、導入はかっこいいのであるが、PAMS発足時、その「監視」を「誰」が「どのように」していくのか、なんの具体的な計画もなく、計画を立てられる人もいなかった。チームには「Information Support Assistant(ISA)」という職名のスタッフが1人いて、社会福祉事務所のBuisiness UnitのマネージャーVがスーパーバイズしている。しかし、ISAといっても特殊な技術があるわけではなく、Microsoft WordやExcelが基本レベルで使える程度である。

 さかのぼること今年の3月、関係者が一同に集まって、「PAMS Tracker Meeting」なるものを開いた。PAMSのPerformance(仕事ぶり)を追いかけるので、「Tracker(追跡者)」である。しょうもなかった会議での議論は省くが、その席で、私が中心になって、財政面・臨床面両方のデータを管理して、月例レポートを作成するためのデータベースを作ることに決まった。社会福祉事務所のIT部門のDに手伝ってもらえるという見込みもあった。Dは社会福祉事務所の他のデータベースを立ち上げ維持しているので、快く引き受けてくれるだろうという読みであった。

 4月初旬、Dに会い、こういうものを作りたいと相談した。Dは、「ボスと話してみるけど、たぶん、自分の6月のスケジュールに組み込めると思う」という返事をくれた。

 ところが、間の悪いことに、同じ頃、社会福祉事務所では、各チームごとのデータベースを作ることは今後一切まかりならぬというお達しが出ていたのである。この10月からFrameworkという電子システムを全部署に導入するためである。

 SLaMでも、すでに電子カルテを導入していて、以前から、チームごとのデータベースはいっさいサポートしないという方針が出されていた。

 IT部門からサポートしてもらうという計画は、露と消えた。

 私がこうして壁にぶつかっている頃、何のデータもあがってこないことに業を煮やしたボスのAは、財政面のデータだけでもと、マネージャーVにデータを集めるように指示した。当然、私は反対した。財政面のデータだけコミッショナーが見たら、経費削減を果たしていないというネガティブな面ばかり取りあげられて、臨床面でどれだけ改善しているかとか、PAMSだけで解決できない問題が山積しているという、別の側面を無視される恐れがある。それではデータを出す意味がない。

 私の反対もむなしく、VはExcelでデータシートを作り、チームのメンバーに送り、毎月記入して提出するように要請した。しかし、メンバーからの反応は鈍い。誰も書類仕事なんかしているほど暇ではないし、仮に暇であったとしてもやりたくない。本来の患者に関する仕事に関係のない書類仕事が必要なときは、私が毎日嫌がらせすれすれのレベルで発破をかけてデータを集めて回っていることを、Vは知らなかったのだろう。それに、私がVの仕事を快く思っていないのもチームの面々は知っており、彼らの非協力ぶりに拍車をかけたようだった。(職権乱用かって? これがマネジメント技術というものです。)

 そうこうしているうちに、7月になってしまった。何の打開策もないまま時間が過ぎていく。「コミッショナー」の思惑とはまったく別の次元で、私もリハビリテーション精神医学的興味とチームの発展のために、臨床データを取りたいと思っていた。そこで、私は自分でデータベースを書くことにした。

 数年前、前のボスのデータ集めのために、Accessを使って小さなデータベースを立ち上げたことがあったので、まったくの素人ではなかった。途中、ファイルが丸ごとネットワーク・ドライブから消えて行方不明になるという事故にも見舞われたが、1ヶ月半ほどかけて、大体の形ができあがった。

 この時点で、再度「PAMS Tracker Meeting」があり、私のデータベースを紹介した。必要なデータがすぐに取り出せるというところが魅力的だったのか、このデータベースはめでたく、唯一の「PAMS Tracker」用データベースに格上げされた。Vのデータシートは、ゴミ箱行きとなった。

 その後、少しずつチューン・アップをし、だんだん完成に近づいていった。(なんたって、私はフル・タイムの精神科コンサルタントで、プログラマーではないので、データベースばかりに関わっているわけにはいかない。)そして昨日の午後、ようやく、もうこれでいいかな、というところまで完成し、命名に至ったわけである。

 さて、今後の目標は、データ集めをこつこつと続けることと、データの範囲をさらに広げていくことである。チームの同僚たちが顔をしかめるのが、目に見えるようだ。

Friday, November 03, 2006

スマップ−その1

 あのスマップではない。PAMS(Placement Assesement and Management Service)のデータベースの名前である。

 7月から、Microsoft Accessを使ってチーム用のデータベースを作っていたのだが、今日ようやく、本体が完成した。これまでは、プロジェクトの名前として「PAMS Tracker」とか「PAMS database」と呼んでいたのだが、やはり、もっとキャッチーな名前(社会福祉事務所のボスのAの言葉であって、私が言ったのではない。)をつけたかった。チームやサービスからプロジェクトまで、なんでもかんでも聞こえのいい略語を使うのが、ここでのお作法らしいから。

 Move-on(異なる施設への移動)やPerformance(仕事ぶり)に関係するから、「MAP」というのをひねり出した。「Move-on And Performance」である。その前にTrackerやDatabaseをつけて、「tMAP(ティー・マップ)」とか「dMAP(ディー・マップ)」はどうだろうか。どちらもなんだか冴えない。うーん。

 その時、ふと気がついた。PAMSは反対から読むとSMAPである。なんでこれまで気がつかなかったのだろう。よし、これでいこう。Sは、えーい、Systemでいいかな。「System for Move-on And Performance」、略してSMAP。「裏PAMS(reverse PAMSと訳していいのかしら?)」である。

 というわけで、来週からSMAPは本格稼働する。

Wednesday, November 01, 2006

50番目

 South London & Maudsley NHS Trust (SLaM)は、本日から、 South London & Maudsley NHS Foundation Trustになった。50番目のFoundation Trust(ファウンデーション・トラスト)だそうである。

 Foundation Trustは、2003年に Health and Social Care (Community Health and Standards) Act 2003のもとに創設された、新しいタイプのNHSトラストを指す。政府のNHS改革の一部で、当初、急性期病院トラストから始まり、2005年から精神保健トラストも申請できるようになった。

 申請するかしないか、あるいはできるかできないかは、各トラスト次第である。財政、クリニカル・ガバナンス(臨床面における統治)、医療サービス等の項目ごとに設けられた基準を満たすと、申請する資格が得られる。申請は、Monitorという、Foundation Trustの管理のためだけに設けられた独立組織によって審査され、Foundation Trustにめでたく認定されると、普通のNHSトラストと異なり、政府のコントロールを受けずに、独自に経営ができることになる。認定後もMonitorが運営状況を定期的にモニターし、一定の基準を満たさないと、認定を取り消されることもあり得る。

 「政府のコントロール」について、もう少し具体的に説明しよう。従前のNHSトラストの場合、たとえばランベス区SLaMの運営費は、ランベス区一次ケア・トラスト(Primary Care Trust、PCT)がSLaMのサービスを「購入」した代金が大部分を占め、これを使って、ランベス区の地域住民のための精神保健医療サービスを担当してきた。PCTがサービスの購入者であるため、SLaMのサービスの内容について、PCTの発言権は小さくなかった。また、ほぼ独占状態であるため、PCTの財政事情がSLaMの予算に直結してしまう。2006/7年度の経費削減がいい例である。ランベス区PCTには、その上のStrategic Health Authorities(SHA、戦略的保健機構)、さらに保健省の計画のもとに予算が配分されるため、直接的ではないにせよ、SLaMの運営は政府のコントロール下にあった。(NHSの仕組みについでは、こちらにまとめてあります。)

 Foundation Trustになると、トラストが主体的に財政計画を立て、サービスを運営できる。Founduation TrustとなってもNHSの一部なので、地元に医療サービスを提供するのが一番の仕事だが、サービスの質・量・内容に関して、地元のPCTと「Activity based contract(サービス内容に基づいた契約)」を結ぶことができる。また、地元以外のPCTと別個に契約してサービスを提供することも可能になる。

 これだけ見てみると、格上げされて、普通のトラストにはない「自由」を与えられたように見えなくもない。ところが実際は、もし運営がうまくいかなくなった場合、これまでのように政府の救済は期待できない。ちょっと聞こえのいい名前を餌に、これまでと同等あるいはそれ以下の運営費を与えられ、多大な「自己責任」を要求されているにすぎないというシニカルな見方もある。

 SLaMのチーフ・エグゼクティブのStewart Bellは、早い時期からFoundation Trustを意識した活動をしていた。トラストを成す4つの区のうち、予算規模が大きい2つの区(ランベスとサザック)が大幅な経費削減をしなくてはいけないこの時期に、初心貫徹でFoundation Trust認定にまでこぎ着けたわけで、その政治的手腕を賞賛する向きもある。

 現場の反応はといえば、様子眺めというのが一番近い状況だろう。Foundation Trustの運営には、サービス利用者やその家族、職員、チャリティ団体や患者団体等の「地元の人たち」が参加する。これを「メンバー」といい、メンバーは選挙で選んだ代表者を運営会議に送り込む。「地元密着」、「いろいろな背景を持つ人たちの参加」を強調するには、メンバーが多いにこしたことはない。これまでに約2,500人のメンバーが集まったが、エグゼクティブたちの再三の呼びかけにも関わらず、4,000人超のSLaM職員のうち、これまでにメンバーになったのは400人程度という。エグゼクティブたちと現場との距離を表しているのかもしれない。

 さて、Foundation Trustは「優良トラスト」の代名詞なのだろうか。これまでに、173の急性期病院トラストのうち47トラスト、74の精神保健トラストのうち5トラストが認定を受けている。この調子だと、そのうちに全部がFoundation Trustになってしまうではないか。そうしたら、政府は次の新しい名前と仕組みをひねり出して、差別化を図るのだろうか。もっとも、その頃どの政党が政党にいて、どんな「NHS改革」を打ち出しているかわからないけれど。

Sunday, October 29, 2006

冬時間

 今日の朝、時計が変わった。正確に言えば、冬時間になったのではなくて夏時間が終わっただけなのであるが、気分としては「冬」時間が来たのである。

 10月最後の日曜日の午前1時に、1時間時計が後戻りし、英国夏時間(British Summer Time、BST)からグリニッジ標準時(Greenwich Mean Time、GMT)に戻る。3月最後の日曜日に夏時間に変わるまではGMTとなり、日本との時差は9時間になる。

 時計が1時間後ろに進むので、この日曜は1時間得をする。日曜日のおまけの1時間、大事に使いたいといつも思うのだが、実際には毎年なかなかうまくいかない。この時期は急に寒くなるので、たいてい風邪をひいている。今年もそうで、先週の半ばに始まった風邪がひどくなり、昨日(土曜日)は熱っぽくて体がだるくて動けず、丸1日ベッドにもぐり、日本から持ってきた荒井由実と沢田研二と中森明菜のベストを聴いて、「20世紀少年」(コミックです)を読んで、ひたすら70年・80年代の気分に浸って過ごした。(わからない方、すみません。20世紀少年には、70年・80年代の社会・風俗がたくさん出てくるのです。)10巻でやめておくはずが止まらず、手持ちの19巻まで一気に読み終わったら朝の4時近かった。そのため、今日のおまけの1時間は、睡眠時間の補充となった。

 8月最後の月曜日のバンク・ホリデー(国民の休日)が終わると、ロンドンの気温は日に日に低くなり、日照時間も1日ごとに短くなるのがわかる。最近では、5時過ぎに職場から出るとかなり薄暗くなっていた。じきに、職場から出ると外は真っ暗になっていることだろう。

 ロンドンの冬が始まる。

Thursday, October 26, 2006

サイクリスト

 月曜日から、自転車で通勤している。

 先週金曜日、JCEG(Joint Commissioning Executive Group)でのトークがうまくいってほっとし、突然思い立った。自転車買おう!

 もちろん、思い立つまでに多少の伏線もあった。いくら私でも、唐突にゼロから思いついたわけではない。

 ロンドン市長のKen Livingstoneが混雑税を導入して以来、サイクリストの数が増えている。ロンドン市自体も、サイクリストを増やして「環境に優しい都市」にするべく、徐々にではあるが、自転車専用レーンを増やしている。

 SLaMでも自転車通勤を奨励している。先日は、ランベス病院でCyclist's Breakfastというイベントがあり、自転車で来た人には、病院の食堂で朝食を無料で提供していた。

 悪名高いロンドンの公共交通機関には、これまでさんざん悩まされてきた。2年前、職場がもう少し家から近かった時には、ローラーブレードで通勤しようかと、真剣に考えた。試走してみたら、家から職場までほとんどが観光地のためものすごく混雑していて、スケートでその間を縫って走るのは危険だということがわかり、残念ながら断念した。

 コンサルタントの同僚にもチームの同僚にも、自転車で通勤している人が何人かいて、自転車もいいなと前々から思っていた。また、自宅からオフィスのあるチーム・ベースに行くのはバスで一本なのだが、もうひとつのオフィスがあるランベス病院や、SLaM内外の他の施設に行くことも多く、交通の便が悪いので、困っていた。

 自宅の外に駐輪スペースがないため、折りたたみ自転車が唯一の選択肢である。思い立ったら止まらない。週末に自転車屋さんを4件まわり、ようやく、Bromptonの折りたたみ自転車を手に入れた。一番丈夫なロックはもちろんのこと、ヘルメット、反射テープがついたジャケット、手袋、防水ズボン、反射テープ付きの裾用ストッパーと、上から下まで一式そろえた。

 そして月曜日。Transport for LondonのJourney Plannerからダウンロードしたサイクリング・マップを頼りに、初乗りをした。自転車で比較的長い距離を走るのは、学生の時以来である。自転車の乗り方は忘れないっていうからいいよね、と、初乗りでそのまま出勤してしまうところが、無謀と言えば無謀である。

 サイクリングマップは、サイクリストに優しいルートを選んでいるようで、大通りをできるだけ避けて住宅地の中を通っている。何度も止まって地図を確認しながら、ようやく職場に着いた。緊張したのと、達成感のせいか、あまり疲れは感じなかった。

 イギリスでは、自転車は「車」なので、歩道を走るのは法律違反であり、車や二輪車と一緒に車道を走ることになる。日本と同じに車は左側通行で、自転車は車道の左端を走る。信号ではたいていの場合、交差点と車の停止線の間に自転車専用レーンが車道全幅にわたって設けられており、信号で止まったときは自転車は車の前に出て待つことができる。この自転車専用レーンに車が止まることは法律違反になる。

 問題はラウンドアバウトである。ラウンドアバウトというのは、何本もの道路が交差する真ん中に大きなサークルがあり、このサークルにまず合流し、そこから目的の道路に抜けていく交差点である。信号はなく、ラウンドアバウトに沿って走っている車が優先で、ラウンドアバウトに入る車は、ラウンドアバウト上の車が切れるのを待って合流する。慣れれば問題ないと聞くが、出たり入ったりするタイミングを計るのがなかなか難しい。ましてや、車と一緒である。かなり怖い。(私の友人は、イギリスでレンタカーで旅行したとき、ラウンドアバウトから抜けられず、何度もぐるぐる回る羽目になったそうである。)

 大きな交差点の右折も、ひじょうに怖い。たくさんレーンがあって、右折、直進、左折とわかれているときは、交差点のかなり手前で、走る車の間を縫って右折のレーンまで入っていかなければならない。また、曲がるときも、あまり左側に寄りすぎると、側溝の溝やふたに引っかかるため、道路の中央寄りを走る。そうすると、すぐわきや後ろに車が迫ってくる中を大きく右に曲がるので、これまた、怖い。

 行きはよいよい帰りはこわい、ということで、初日の帰りは、なんと土砂降りの雨であった。防水ズボンをはき、自転車に乗った。ビギナーズ・ラックなのであろう。あまり苦労もせず、疲労も感じず、無事に帰り着いた。もっとも、ラウンドアバウトも右折もうまくこなせず、歩行者と一緒に歩行者用の信号をひとつひとつ渡ってごまかした。

 火曜日は、夜出かける予定があり自転車はパスしたので、水曜日が自転車通勤2日目であった。行きはたいした問題もなく、無事に職場に着いた。ところが帰り道、また土砂降りの雨に見舞われた。おまけに、途中で1ブロック手前で曲がってしまい、迷子になった。折悪しく、雨足が一番強い時に道がわからなくなり、さすがに途方に暮れた。とはいえ、まったく土地勘がない場所ではなかったので、なんとか本来のルートにたどり着いて、へろへろになって家に帰り着いた。

 汗をかく上に、2回もずぶぬれになると、風邪もひく。その夜から、なんとなく喉が痛く、だるい。10月下旬というのは、ロンドンで自転車通勤を始めるのに適した時期とはいいがたい。

 それでも、自転車は買ってしまったし、自転車通勤するって宣言したし。しかたなく、今日も自転車で出かけていった。走っているときは、超極太ロックを体に斜めに掛けている。これが、ずしりと重い。

 それでも3日目にして初めて、行きも帰りも雨が降らなかった。また、これも3日目にして初めて、全経路を、「歩行者」にならずに走りきった。

 果たしてこの自転車通勤、いつまで続くだろうか。

Monday, October 23, 2006

ご無沙汰

 なんと、9月・10月と、ブログをすっかりほったらかしにしてしまった。当たり前すぎるいいわけだが、忙しかったのである。仕事も忙しかったし、夏休みで日本に帰っていたし。

 まず、PAMS(Placement Assessment and Management Service)の「出資者」にあたるいくつかの組織のお偉いさんたちからなる、JCEG(Joint Commissioning Executive Group)の10月の月例会で、PAMSの発足から9ヶ月間の成果について、話をした。必要なデータを集めて解析するために、データベースをプログラムしたり、チームのメンバーたちに発破をかけたり追いかけ回したりした。

 9月半ばには、King's Fundという独立シンクタンクが主宰する「Management and Leadership for Clinicians」という、5日間のマネジメントのコースに行ってきた。ロンドン中心部のKing's Fundの本部でのコースだったため自宅から通えて楽だったが、連日朝9時から夕方5時半まで、普段の仕事とまったく毛色の違うマネジメントに関する講義やらディスカッション形式の実習やらが盛りだくさんで、とにかく疲れた。

 3日間の短い休暇をとって、南西フランスのスペイン国境沿いにあるバイヨンヌにも行ってきた。こんな忙しい時期に休暇をとらなくてもいいようなものだが、なにせ、年間32日(プラス持ち越した5日)の休暇があり、カバーしてもらう同僚のスケジュールとの兼ね合いもあって、この時期に休むことになった。

 2週間半ほど、日本にも帰ってきた。夏休みだったのだが、前半には学会のために金沢に行ってきた。私はある学会の認定医なので、学会に出席しないと、認定医の更新ができないのである。

 日本から戻って早々、製薬会社がサポートしているマスタークラスという、2日間の講習会にも行ってきた。初めてマンチェスターに行った。

 スケジュールを立てるのが下手なのか、たまたま重なってしまったのか、たぶん両方の理由で、9月と10月は、忙しい、忙しいと思っているうちに、あっという間に過ぎてしまった。

 大変だったのだけれど、新しいことずくめで、楽しかった。

 最大イベントのJCEGでのトークが先週無事に終わったので、少し気分が楽になった。これから追々、この2ヶ月の面白かったことについて、書いていこうと思っている。

Tuesday, September 12, 2006

Lunar Houseのお得意さん−Legal Alienの由来

 9月1日金曜日、クロイドンにある内務省のPublic Enquiry Office(通称Lunar House)に行って、滞在許可を延長した(Further Leave to Remain)。

 去年、研究職から臨床職へと仕事をかわったことと、今年の4月に内務省が永住権の申請条件を変更したため、この1年半弱の間に、これが3回目のLunar House詣でであった。

 申請条件が変わっていなければ、今回の更新時に、無期限滞在許可(通称永住権、Indefinite Leave to Remain)を申請する予定だった。余談だが、このルール変更、告知期間も短く、あまりに突然であり、移行措置期間もなかったため、私は腹が立ってたまらず、自宅と職場それぞれの地区選出の国会議員にメールを送り、不公平だと訴えた。どちらの議員からも、金字でHouse of Commonsとエンボスで印字された封筒に入った返事が来た上、政府の移民担当官からの返事も来た。後者の内容はあまりに杓子定規かつ的外れで、噴飯ものではあったけれど。

 さて、話を戻す。滞在許可の申請は、郵送でももちろん可能である。しかし、今回に限らず、私の滞在許可の更新の時期は、必ず前後に学会や一時帰国等で国外に出る予定が入っており、何ヶ月かかるか予測できない郵送申請はなかなかしずらく、Lunar Houseでの直接申請に頼らざるを得なかった。

 この直接申請、プレミアム料金で、1回あたり500ポンドかかる。そのかわり、申請当日に滞在許可を発行してもらえる。郵送申請の通常料金が335ポンドなので、手元にパスポートがない状態で3-4ヶ月待つことを考えれば、差額の165ポンドも許容範囲だと思う。そうはいっても、1年半の間に国に1500ポンドも払ったことを思うと、ため息が出るが。

 2000年の4月にAcademic Visitorとして初めて英国に来た時は、空港の入国審査カウンターで書類を見せて、滞在許可を出してもらった。パスポートにスタンプが押され、手書きで許可期限の日付を書き込むだけで、費用はかからなかった。

 それから6年。難民申請者や不法滞在者の増加と、その対策にかかる費用捻出のため、滞在許可やエントリー・クリアランスの審査に申請料がかかるようになった。(おまけに、申請料導入後1年も立たないうちに値上がりした。)また、許可証も、単なるスタンプから、偽造防止加工された、顔写真入りシールに変わった。

 世界情勢の変化に合わせ、EU新規加盟国からの移民が増えたことにより、EU以外の国からの移民に対する入国審査基準は、どんどん厳しくなっている。

 私は入国後、今回が5回目の更新であった。2002年の3回目の更新と、去年の4回目の更新は、どちらもすべり込みで労働許可証や滞在許可が発行されたため、結果が出るまでの間はストレスと不安とで、胃がきりきりする日々を送る羽目になった。たまたま、世界情勢が変化したのと時を同じくするのだが、私の苦難はそんな大局の変化とはほとんど関係なく、私の勤務する大学や病院の人事の職員があまりにも無責任で、役に立たないせいであった。

 大変だったと言いながらも、6年半もこの国に合法的に居座っているので、今から振り返ってみると、たいした問題ではなかったのかもしれない。とはいっても、滞在許可が切れる2日前に労働許可証が発行され、その翌日(つまり、滞在許可が切れる前日)にようやく滞在許可を更新したというのは、いつ電車が止まるかわからず、いつ職員が病欠するかもしれないこの国では、綱渡り的な出来事なのである。

 このブログのページを始める準備をしていたのは、2005年5月。ちょうど、4回目の更新の手続きのさなかだった。労働許可証の申請が時間切れになりそうで、「不法在留外国人(Illegal immigrant)になるかもしれない」などと、友人たちと言いあっていた。

 そんな時期、Stingの「Englishman in New York(ニューヨークのイギリス人)」の歌詞がふと浮かんだ。

 もともと、外国に住むひとりとして、歌詞には共感するところが多かった。半分冗談、半分本気で、「I'm an alien, I'm an illegal alien, I'm a Japanese woman in London.(私は外国人、不法在留外国人、ロンドンにいる日本人)」などと替え歌を歌っていた。(実際の歌詞は「I'm an alien, I'm a legal alien, I'm an Englishman in New York.」)

 その後まもなく滞在許可が延長できたので、このブログはめでたくも、「Legal Alien in London」となった。

 「Legal Alien」は合法的在留外国人を指すアメリカ英語で、イギリス英語は「Legal immigrant」という。したがって厳密にいえば、このブログは「Legal Immigrant in London」となるべきなのだろうけれど、やはりここは、語感からも、意味からも「Alien」でなければいけないので、そこはご愛嬌で。

Saturday, August 26, 2006

Caldicott Guardian

 カルディコット・ガーディアン(Caldicott Guardian)は、読んで字のごとく、守護者である。たいそうなものを守っているような名前であるが、そのとおり。カルディコット・ガーディアンが守っているのは、個人情報である。

 先日、悪質な連続女性暴行・家宅侵入・窃盗の捜査にからんで、スコットランド・ヤードから、私の患者についての問い合わせを受けた。この捜査、れっきとした作戦名がついた、スコットランド・ヤード始まって以来の大規模な捜査である。1998年に作戦が始まって以来、DNAスクリーニングを駆使し、すでに2万人以上を調査したそうだが、まだ犯人は捕まっていない。私の患者の身体的特徴の一部が、たまたま犯人のものと合致していたため、捜査線上にのったらしい。(患者の名誉のために付け加えれば、彼が犯人である可能性は、万にひとつもない。)

 1990年代に入り、NHSにITが導入され、Eメールが連絡の手段になり、電子カルテが導入されるにつれて、個人情報保護に対する危機感が募った。1996年、「患者の個人情報の保護と使用(The protection & use of patient information)」という政府の指針が公布され、NHSも、この交付を現場で徹底する必要に迫られた。

 そこで、Oxford大学Somervilleカレッジの学長であり、精神科医・精神療法家であるDame Fiona Caldicottを委員長とする専門委員会が発足した。これは、カルディコット委員会と呼ばれ、患者個人が同定できる情報に関して、患者の医療ケア、医学研究、その他の用途において、どのように個人情報を保護するか、また、どのような目的のためなら個人情報の秘匿原則を侵害することが正当化できるか、について、検討された。

 1997年、委員会は、16の勧告からなるカルディコット報告を発表した。さらに、個人情報保護・開示に関する6原則を作成した。6原則の簡略版は、覚えやすいように、委員長の名前を取って、FIONA Cの文字で始まるようになっている。(これは、単なる親切心や遊び心か、はたまた、後世に名を残そうという名誉欲や権勢欲によるものか・・・。)

  • Formal justification of purpose(目的が公正なものである)
  • Information transferred only when absolutely necessary(絶対必要な場合に限る)
  • Only the minimum required(最小限必要なものにとどめる)
  • Need to know access controls(アクセスを規制する必要がある)
  • All to understand their responsibilities(全員が責任を自覚する)
  • Comply with and understand the law(法律を理解し遵守する)
 勧告3で、すべての医療保健機関は、患者の個人情報保護のため、シニア・スタッフ(医療関係者が望ましい)を監視責任者として任命するよう推奨されている。これがカルディコット・ガーディアンである。カルディコット・ガーディアンは、患者の個人情報保護・開示に関する助言をし、トラストの内規を作る等の役割を担う。

 カルディコット報告以降、情報保護や本人同意に関して、いくつもの法律が改訂・制定された。(Data Protection Act 1998、Human Rights Act 1998、Public Interest Disclosure Act 1998、Audit Commission Act 1998、Terrorism Act 2000、Health and Social Care Act 2001 Section 60、Investigatory Powers Act 2000/2005、Freedom of Information Act 2000)法律の変更にともない、NHS内でも、ITを含む情報管理制度(Information Governance)の整備が進み、カルディコット・ガーディアンの役割と責任範囲も広がった。

 SLaMには、個人情報の扱いに関しては、秘匿情報に関する内規(Confidentiality Policy)と情報管理に関する内規(Information Governance Policy)がある。

 Confidentiality Policyには、情報開示先と開示目的、本人の同意の有無によって、3つのフロー・チャートがあり、それぞれのフローに従って対応することになっている。たいていの個人情報開示は、医療倫理の常識内で判断可能で、専用の依頼・報告用紙も常備されている。

 初めに触れた、私が関わった情報開示の要請に関しては、やや事情が複雑だった。

 スコットランド・ヤードは、初めにトラストの利用者対応窓口に問い合わせをした。窓口担当者が、私が患者の担当医であることを調べ、私に連絡してきた。詳しい要請内容を知るため、私が直接スコットランド・ヤードの担当者に連絡を取ろうとしているところで、SLaMのカルディコット・ガーディアンであるDr Hからストップがかかった。

 今回の件は、情報開示先が医療保健機関ではなくスコットランド・ヤードであり、目的が公衆の保護で、捜査の性格上、本人には同意を得ることはおろか、開示することそのものも伝えないという意味で、フローチャート中では特例になる。そのため、Dr Hが初めから関わったわけである。

 私にストップをかけた後、Dr Hがスコットランド・ヤードに、情報保護法(Data Protection Act)に基づき、書面での開示要請を要求した。要請の手紙がDr Hに届いた時点で、私とDr Hが電話で話し合い、開示要請に応じることに合意した。次いで、Dr Hから、情報保護法に基づき、個人情報開示を許可するという手紙を受け取り、私から、スコットランド・ヤードにあてて、書面で回答した。トラスト内規に従って、情報管理委員長(Information Governance Manager)である、Dr Gにも報告した。

 これらすべてを、電子カルテにきちんと記載したことは言うまでもない。

Friday, August 18, 2006

医師登録証明書

 今日、General Medical Council (GMC) から、年間登録証明書(Annual Registration Certificate)が届いた。これがあれば、この先1年、また医師として仕事ができる。と言えば聞こえはいいが、登録料290ポンドの領収書でもある。

 GMCに登録しているかぎり、65歳の誕生日まで、この年間登録料を払い続けることになる。65歳以降は、登録料は免除になる。これは、定年の65歳以降は医師賠償保険の加入基準が厳しくなり、臨床を続ける人がものすごく少なくなるためである。また、医師の年収が19,700ポンド以下の場合は、登録料が半額免除になる。

 いずれにしても、イギリスで医者として仕事をするのは、いろいろと物入りなのである。

 この証明書には、A4サイズのポスターが同封されていた。「医師の義務(The Duties of a Doctor)」のポスターである。少し長くなるが、全訳してみる。(原文はGMCのウェブサイトに載っています。)


「GMCに登録している医師の義務」

 患者は自分たちの生命や福祉について、医師を信頼することができなければいけない。その信頼を正当なものとするために、医師は高い臨床およびケアの水準を維持し、人命に対する尊敬を示す義務がある。

 とりわけ、医師たちは

  • 患者のケアを第一に考えなければいけない。
  • どの患者にも、礼儀正しく思いやりをもって接しなければならない。
  • 患者の尊厳とプライヴァシーを尊重しなければならない。
  • 患者の訴えを聞き、彼らの意見を尊重しなくてはいけない。
  • 患者が理解できるような方法で、情報を提供しなくればならない。
  • 患者には、自らのケアを決めるにあたり、十分に関わる権利があることを尊重しなければならない。
  • 医師は最新の専門知識と技術を保たなければならない。
  • 医師自身の専門技量の限界を認識しなければならない。
  • 正直かつ誠実であらなければならない。
  • 個人の秘匿情報を尊重し保護しなければならない。
  • 医師の個人としての信念が、患者の治療に不利益となるようなことが絶対にあってはならない。
  • もし医師自身あるいは同僚が臨床にふさわしくないと思われる場合、患者がリスクにさらされることがないよう、迅速に行動しなければならない。
  • 医師としての立場を悪用することを避けなければならない。
  • 患者のために最善となるよう、同僚と協力して働かなくてはならない。
 これらすべての点において、医師は、患者や同僚を不等に差別することがあってはならない。そして、医師は、常に、自身の行為を弁明できるような心構えがなくてはならない。


 この14項目の義務、医師の責務全般に渡っている。一部は精神論に聞こえなくもないのだが、GMCのFit To Practice Panel(FPP、医師適性評価委員会)で、適性審査の判断基準として機能している。

 中でも一番精神論的なのは「正直かつ誠実」の項目だと思うのだが、これもFPPによく出てくる。

 たとえば、Dr Nのケース。マレーシア出身の男性で、イギリスの医学部を卒業後、イギリスで研修をしていた。研修医のポストに応募するにあたり、彼は、履歴書で成績を実際よりもずっとよかったように偽造した。業績も偽り、他人の論文を自分のものとして引用したり、添付の別刷りPDFを改竄し、自分の名前を入れたりした。このように、改竄の内容や方法が悪質なうえ、履歴書の改竄が発覚しそうになった際に嘘を並べたたこと、その後も偽造した履歴書を使い続けたこと、上司に事情を聞かれた際に、ことの重要さへの洞察が甘く、反省の色がなかったことも委員会で証言された。これらは、職業上の違法行為(Professional misconduct)にあたるとされ、「職業人として不適切(unprofessional)」で「誤解を誘導(misleading)」し、かつ「不正直(dishonest)」であると判断された。

 とくに、手口の悪質さや洞察・反省のなさから、Dr Nの「不正直さ」が医師の義務に反すると強調されている。Dr Nは、履歴書の改竄は、なかなかポストがとれず、精神的に追いつめられた上でのことだと弁明したが、これに対して委員会は、「ストレスがあるから不正直になるというのであれば、医師としての今後のキャリアの上で、ストレスにさらされた場合、同様の不正直な行為を繰り返す危険が高い。」と断じている。結果として、Dr Nの名前はGMC登録から抹消された。

 ポスターが同封されてきたということは、これをオフィスに貼って、毎日眺めて、医師としての心構えを忘れないようにしなさいってことなんだろうか。それとも、少なくとも年に一度くらいはおさらいしてね、ということかしら。

Sunday, August 13, 2006

オン・コールその3−初オン・コール顛末記

 当初のオン・コール予定表では、私の初めてのオン・コールは11月の予定だった。しかし、リハビリテーション部門の同僚のTが、急遽旅行の予定が入ったとかで、交替した。Tの都合で交替したので、Tが交換台に連絡してくれた。(オン・コール予定表と各自の連絡先は、交換台が把握している。)

 臨床部長のAに、初めてのオン・コールの前には一度連絡するように言われていたので、10日ほど前にメールを送り、何か気をつけることがあるかどうか聞いてみたところ、「普通はものすごく静かで、オン・コールのSHOが出てこないという時くらいしか呼ばれない」という、そっけない返事が返ってきた。SHOが出てこないってどういう意味かしら、とやや引っかかるものを感じたが、「ものすごく静か」というところが印象に残ったせいか、それ以外はすぐに忘れてしまった。

 7月11日月曜日、オン・コールの週が始まった。月曜の夜は、ベッドの脇に携帯電話が手の届く範囲にあるのを何度も確認してから電気を消した。火曜の夜は、多少不安を感じながらも、映画を見に行ったのだが(!?)、通路側の席をとり、消音にした携帯電話を握りしめながら映画を見ていた。

 でも、電話は来ない。

 水曜日の朝。SHOからではなく、Tから電話が来た。「オン・コール交替したよね。」

 なんと、前日の夜、Tがオペラに行く途中に電話があったという。Tが連絡したにもかかわらず、交換台の不備で、当直表は変更されていなかったという。どうりで私の電話が鳴らないわけである。幸い、電話の内容はたいした用事ではなく、Tは無事にオペラを聴くことができたのだが、ちょっと気の毒だった。

 丸2日間、得をしてしまったのだが、気分を新たに、水曜日からオン・コール本番。ひきつづき、漠然とした不安と緊張を感じながら過ごしていたが、電話は来ない。

 金曜の夕方5時15分。オフィスでそろそろ帰ろうかと片付けをはじめたところに携帯が鳴った。St Thomas'病院の日勤のDuty SHOからで、「オン・コールのコンサルタントと話したい」という。どこかにオン・コール表があるんだろうから、名前で呼んでほしいとふと思ったが、そんなことは口にせず、用件を尋ねると、Extended HourのSHOが来ないという。聞けば、偶然が重なって、St Thomas’病院のExtended hourを担当するSHOが、同じ日にLambeth病院の夜勤をしなくてはいけなくなってしまった。交替できる人を探したものの結局どうにもならず、そのSHOが両方とも掛けもちをすることになった。昼間に電話で確認したときは、大丈夫と言っていたにもかかわらず、まだ現れない。自分は用事があって、あと15分ほどしか待てない。オン・コールのSpRの携帯電話にもつながらないという。

 ふいに、Aからのメールを思い出した。SHOが出てこないってこういうことなのか、と気がついたが、今さら遅い。出てこなかったら どうするかは聞いていなかった。

 数秒で最初のショックから回復し、言葉を探す。わからなければ聞くしかない。「こんなの初めてなんだけど(オン・コール自体初めてだから、当然なんだけどね。)、こんなとき、普段はどうしてるの?」と尋ねると、「臨時でカバーしてくれる人を探すか、医師派遣会社に連絡して誰かよこしてもらうか、オン・コールのコンサルタントが決めます。」あっそう。また言葉に詰まる。気の利くことに、SHOのほうが「誰か残っているかみてみましょうか。」と助け舟を出してくれ、そうしてもらうことにして、いったん電話を切った。

 頭の中はパニック状態で、最悪の事態が頭をよぎる。派遣会社に連絡するたって、連絡先知らないし。

 問題が大きくなる前に情報収集したほうがよさそうと判断し、迷わずAに電話する。「SHOの携帯と自宅に電話した?交換台が連絡先を持っているはずだから、あなた自身で電話してみて。それでつかまらなかったら、誰か残ってもいいという人を見つけて、その分の残業代を払うことにするから。もしかしたら(SHOは)移動の最中で、地下鉄の中で携帯がつながらないだけかもしれない。」と、なんだかのんびりした返事が返ってきた。

 Aとの電話が終わりかけの頃、私の携帯電話がまた鳴った。さきほどのSHO。「当のSHOがやっと到着しました!」やれやれ、一件落着。

 この電話が私の初めてのオン・コールでの唯一の仕事だった。

 コンサルタントのオン・コール手当は、週約400ポンドほどである。いっぽう、通常の頻度でオン・コールをすると、SHOもSpRも、基本給が40%増しになる。そのため、3-4年目のSpRのほうが1年目のコンサルタントの給料よりも高いという、逆転現象がおこるそうである。こんなに静かなんだから、文句もいえないか。

Saturday, August 12, 2006

オン・コールその2−9時・5時の医者

 オン・コールその1の続きである。

 日勤・夜勤帯とも、SHO、SpR、コンサルタントがそれぞれ1人ずつ、オン・コールとして名を連ねている。呼び出しの順序としては、まずSHOが呼ばれ、SHOの手に余る場合、SpRが呼ばれ、さらに必要であればコンサルタントに連絡がいく。

 日勤帯の場合は、基本的にどの病棟やチームにも必ず医師(休暇中の場合は代理)がいるため、Duty SHOがSHOの代理や雑務をする以外、SpRやコンサルタントのオン・コールが呼ばれることはほとんどない。

 夜勤帯と週末は、オン・コールの医師が担当するのは、主に2つの病院(St Thomas’病院とLambeth病院)の病棟での仕事である。St Thomas’病院の救急外来にはリエゾン精神科看護師室(Psychiatry Liaison Nurse -PLN- Office)があり、看護師が24時間常駐している。地域精神保健チームの患者や家族からの問い合わせ等や、救急外来で精神科の関与が必要とされる患者は、まず看護師が対応する。

 それ以外のすべての業務(2つの病院の精神科病棟とSt Thomas'病院の一般科のリエゾン)は、SHOが最初の窓口になる。たとえば、緊急入院があったり、予定入院でも、患者が病棟に到着するのが17時以降になれば、入院受けも指示出しも、Duty SHOの仕事である。地域精神保健チームや救急外来のケースでも、PLN Officeの看護師の判断によっては、SHOにまわされることがある。

 多くはないが、夜間・週末に強制入院の有無を判断するための診察(Mental Health Act Assessment)が必要になる場合がある。SHOはSection 12(2) approval(日本の精神保健指定医のような資格。これがないと、強制入院等の診察ができない。)を持っていないため、必然的に、SpRが呼び出されることになる。

 SHOもSpRも研修医なので、必要に応じて上級医の助言・指導を得る権利があり、また、指導を求めたり報告する義務がある。

 臨床行為に関するオン・コールとは別に、管理業務のオン・コールもある。医師に関する管理業務はすべてコンサルタントの責任で、SpRやSHOが関わることはない。

 幸いなことに、コンサルタントの管理業務には、ベッドの管理は含まれない。たとえば、夜中に一般の救急外来に来た患者が精神科病棟に緊急入院の必要があると判断されたとしても、ベッドを探すのはコンサルタントの仕事ではない。ベッド・マネジメント・チームのオン・コール担当者の仕事である。

 このオン・コール体制、仕事を始めた頃はひじょうに戸惑った。5時になったら、仕事が残っていてもDuty SHOに引き継いで帰るなんて、日本で仕事をしていた頃は考えられなかった。

 去年の春、リエゾン精神科で仕事を始めてまもなくの頃、ロンドンに仕事のために滞在中に精神病状態になった外国人の患者を担当した。指示出しや記録、外国の家族との連絡等に手間取り、7時過ぎまでかかってようやく全部仕事が終わった。やれやれと帰る途中、病院の出口で、肝心の患者さんが、セキュリティ2人に左右を挟まれて、外から病棟に誘導されるところに出くわした。離院しようとしたらしい。指示の出し直しかと思い、とぼとぼとPLN Officeに行ったら、宿直のSHOと看護師さん両方に、あとは任せてさっさと帰りなさい、と追い出されてしまった。

 すっかりこちらのシステムに慣れた今となっては、これも思い出話である。

Friday, August 11, 2006

オン・コールその1−SHOシフト制

 ヘルシンキから戻って次の週は、コンサルタントになって初めてのオン・コールだった。コンサルタントになる前は、スタッフ・グレードだったためにオン・コールはなかったから、正確に言えば、イギリスでの初めてのオン・コールだった。

 ランベス区SLaMのコンサルタントのオン・コールは、フル・タイムの場合、1年間で計2週間(1週間のオン・コールを2回)あり、年に1度、オン・コール予定表が作られる。予定表といっても、フル・タイム・コンサルタント16人とパート・タイム用のダミー数人の名前を機械的に並べ、1週間ごとに順番に割り振っていっただけである。(パート・タイムの週は、勤務時間に応じて、12人のパート・タイムコンサルタントに日単位で割りあてられる。)なにせ1年分を一度に作るので、個人の希望を聞いたりはしない。3月に、7月からの1年分の予定表が臨床部長の秘書から送られてきただけである。都合が悪ければ、各自交渉して変更することになっている。

 コンサルタントとは別に、研修医のオン・コールもある。

 Senior House Officer(SHO、中期研修医)の場合、日勤(Duty)と宿直(Night Duty)の2交代シフト制をとる。2つの病院(St Thomas’病院とLambeth病院)に各勤務帯1人ずつDuty SHO(単に「Duty」と呼ばれる。)がいる。Dutyは専用ポケベル(Duty Bleep)を携帯し、呼ばれたらすぐに対応しなくてはならない。

 日勤DutyのSHOは、通常の業務のかたわら、欠勤している他のSHOの代理や、臨時処方書きや採血等の雑務を一手に引き受ける。日勤は9時から17時までである。17時から夜勤帯の始まる21時までの4時間は「延長時間(Extended Hour)」と呼ばれ、Duty以外のSHOが4時間残業する。そして、21時から翌朝9時までを、宿直のSHOが引き継ぐ。宿直SHOは、宿直入り前と明け後の日勤帯は、休みになる。

 Specialist Registrar(SpR、後期研修医)のオン・コールは、朝9時から翌朝9時までの日単位である。日中は通常勤務、夜は自宅待機となる。

 コンサルタントもSpR同様、待機体制をとるが、週単位でまわしている。

 以前は、日本の当直システムのように、SHOも、宿直に入る前と宿直あけの日も、通常業務をこなしていた。しかし、2004年8月、EU Working Time Directive(EWTD、EU労働時間に関する指令)が研修医にも適用されて以降、今のようなシフト制になった。EWTDにより、週の勤務時間が58時間以内と規定され、宿直がある場合、1日に平均8時間以上勤務することが禁止されたためである。

 私と同世代のある精神科医は、SHOの時に金曜の夜から月曜の朝までDutyが続くことが時々あり、週明けには疲労と睡眠不足で頭がまったく働かなり、視界が黄色くなった(!?)と言っていた。心身の健康のためには、当然、今の制度のほうがずっと好ましい。

 しかし、問題もある。シフト制のため、平日にSHOが病棟にいない状況が生じ、病棟運営に支障を来すようになった。また、個々のSHOの勤務時間が減った反面、日勤Dutyの仕事量が増え、本来の研修にしわ寄せが出るようにもなった。さらに、Dutyの仕事は応急処置・つなぎの仕事で、その後のフォロー・アップに関わることはない。こうしたつなぎ仕事をするために、本来の研修のための時間が減るのは物足りない、と不満を漏らすSHOもいる。

 ランベス区SLaMでは、病棟運営への影響を最小限に留め、日勤Dutyの負担を減らし、SHOが本来の研修に割く時間を増やすため、Float Locum SHO(あえて訳すと「漂流している非常勤SHO」)と呼ばれる医師を数人雇っている。彼らは、一応病棟やチームに所属しているものの、日勤帯にSHOがいない病棟やチームがあると随時応援に行く。ほとんどが外国から来た医師で、イギリスの研修システムにもぐりこむための第一段階として利用している。

 British Medical Association(BMA、英国医師会)は、今のところ、シフト制を使ってEWTDを遵守する方針でいる。しかし、今後、研修制度の変更とともに、オン・コール制度も変わっていくかもしれない。

Sunday, August 06, 2006

熱波と生産性

 このところ、すっかり怠惰な生活を送っている。

 7月半ばの熱波は2週間ちょっと続いた。毎日暑く、真夜中にならないと耐えうるレベルまで気温が下がらなかった。私の部屋は、夕方以降はフラットの中で一番暑くなるので、やや涼しいキッチン兼食堂に避難する時間が日に日に長くなり、机やコンピュータに向かう時間が減ってしまった。

 熱波第2週目になると、暑さと睡眠不足と上がりに上がった不快指数のため、とてもフラットの中にはいられず、2日続けて映画のレイトーショーに行って涼をとった。

 で、8月に入ったら、今度は寒いのである。空はどんよりと曇っており、時々雨が降る。気温も急激に下がり、半袖では朝夕寒くていられないほどである。この極端な温度差に体はついていけず、熱波で蓄積された疲労も重なり、何となく体調が優れない。さらに、熱波で崩れた生活のリズムは、なかなか元に戻らない。

 ビジネス・経済のリサーチ機関のCentre for Economics and Business Research (CEBR)によると、気温が30度を超えると生産性が約3分の1下がるそうである。一番暑かった7月第3週は、1日あたりの経済的損失が1億6800万ポンド(約340億円)と推定されている。直接的な損失が1億5400万ポンド、交通の乱れや、遅刻によるための損失が390万ポンドだとか(でも、このままでは計算が合わない!)。また、産業衛生の専門機関であるActive Health Partners(AHP)によると、7月19日(観測史上における7月の最高気温を記録した日)は、欠勤のため、イギリス経済は1億1900万ポンドの損失を出したという。(これらの数字はあちこちのニュースでとりあげられていたのだが、CEBRやAHPのウェブサイトにはニュース・ソースが載っていない。孫引きになるが、Personneltoday.comを引用しておく。)

 いろいろな事象の影響をこのように数字や金額で評価するのは、英国のお家芸であるが、金額を示されても、はっきりいって、あっ、そう、なのである。せいぜい、金額が大きいから影響が大きいのね、と思う程度である。

 けれど、ここ3週間の私自身の活動性の低下を振り返ると、熱波の最中の生産性の低下だけに注目するのは、影響評価として不完全なような気もする。それとも、こんなバテバテの怠け者になっているのは、基礎体力のない私だけなのだろうか。

Friday, July 21, 2006

熱波ふたたび

 暑い。また熱波である。今週の始めから、最高気温が30度を超える日が続いている。19日には、サリー州のWisleyで36.5度まで上がり、観測史上、7月の最高気温を記録した。

 17日、週明け早々に熱波が「レベル3」になったため、さっそく、患者のケアに注意を呼びかけるe-mailがまわってきた。

 2003年のパリの熱波でたくさんの高齢者が亡くなったことを教訓に、イギリスの保健省は「熱波・健康保健監視制度('Heat-Health watch' system)」を始めた。熱波に対する注意を喚起し、熱波のレベルに応じて、熱波による影響を受けやすいハイ・リスク群の人たちのケアにあたる保健医療や社会福祉のサービスに関わる人たちに警告が出され、対策が立てられることになっている。

 ハイ・リスク群とは下記の人たちをさす。

  • 高齢者、特に75歳以上、または/かつ、単身で暮らす、あるいはケア・ホームで暮らす高齢の人たち
  • 精神疾患や認知症の人たち、日常生活を他の人たちのケアやサポートに頼っている人たち
  • 寝たきりの人たち
  • ある種の治療を受けている人たち
  • 乳児や小児、特に4歳以下の子どもたち
 「熱波・健康保健監視制度」は、イングランドでは6月1日から9月15日まで運用される。天気予報による日中と夜間の最高気温(閾値)により、4段階の警告が出される。警告が出される気温は地域によって少しずつ異なるが、ロンドンの場合、日中が32度、夜間が18度である。イングランド北東部の設定温度が一番低く、日中が28度、夜間が15度である。

 警告は、下記の4段階に分かれる。

  • レベル1 - 注意(Awareness)
  • レベル2 - 警戒(Alert)

     予報で、3日続けて、1カ所でも閾値を超える場合、または、2日続けて健康に影響を与える程度の気温が80%の確率で続く場合。

  • レベル3 - 熱波(Heatwave)

     1カ所以上で閾値を超える気温が確認された場合。

  • レベル4 - 緊急事態(Emergency)

     熱波が深刻かつ/または長期化し、健康保健や社会福祉以外の分野(電力や水の不足等)に影響が及んだり、かつ/または、健康保健や社会福祉の運営が脅かされる場合。

 東京で、これから亜熱帯の夏を迎える人たちにはお叱りを受けそうな設定の閾値なのであるが、実際にロンドンで暮らしていると、これでもけっこう深刻なのである。

 イギリスは、ヨーロッパ大陸に比べると湿度が高いため、気温が上がると蒸し暑くなり、ひじょうに不快で過ごしにくくなる。道路が溶けたり、火災の可能性が高まったりというのは、防ぐのは難しいのかもしれない。しかし、暑さに対する対策、とくに冷房設備がまったく整っていないために生じる問題は、もう少しどうにかならないものかと思う。

 去年の夏も暑く、一般家庭でエアコンの売り上げが記録的に伸びたそうだが、それでも、企業はともかく、大きな病院をのぞいては、公共の施設にはエアコンがないところが多い。(ロンドンよりも最高気温が低いヘルシンキですら、たいていの建物の中には冷房があったというのに。)

 当然、地域精神医療サービスの事務所には、エアコンなど、夢のまた夢である。私のオフィスの窓には、ブラインドがついていないため、日光がもろに差し込み、気温がさらに上昇する。30度を超える気温の中、扇風機が生温い空気をかき回すオフィスで仕事をしていると、体の芯からぐったりしてくる。

 暑いと頭がぼんやりして仕事にならないので、私は水曜から、服装規定(一応あるらしいのだが、詳しい内容は誰も知らない。)を無視して、オフィスではシャツを脱いでタンクトップ1枚になって仕事をしていた。(タンクトップ姿のコンサルタントというのもどうかと思うが、幸い、患者さんやその家族に会う予定はなかったので、仕事の能率を優先することにした。)

 お昼過ぎの地下鉄に乗ったりすると、悲劇である。とにかく暑い。7月17日のEvening Standardには、16日のCentral Lineの地下鉄車内で47度を記録したと書いてあった。地下鉄の駅では、立て看板やポスター、放送で、地下鉄に乗るときはペットボトル入りの水を持参するよう繰り返し呼びかけている。47度の地下鉄がトンネルの中に立ち往生したりしたら、ほんとうに笑い事ではなくなる。これが「もしも」の話でないところが、ロンドンの困ったところなのである。

 学校では、冷房設備がなく、校内が耐え難い環境になるため、臨時休校やお昼で終了にするところが相次いでいる。家に帰っても、家が暑くては状況は変わらないと思うのだが。

 「熱波・健康保健監視制度」の指針によると、環境によっては熱波の影響は増強される。対象になる環境の中には、最上階のフラットや冷房設備の欠如が挙げられている。私のフラットは、5階建てのビルの最上階の屋根裏にあたる階にあり、冷房設備はおろか、扇風機すらない。(やっぱり扇風機くらいは買ったほうがいいかしら。)

 1時間ほど前、下のフラットの住人が我が家のドアをノックした。突然電気が消えて、フラットの入り口近くの火災報知パネルがずっと点滅しているという。控えてあった電力会社の緊急連絡先を教えてあげた。しばらくして様子を見に行ったら、なんとかエンジニアと連絡がとれて、明日の朝一番で修理に来てくれることになったという。やれやれと思っていたら、突然、聞き慣れない警報の音が聞こえてきた。1階まで降りてみると、同じ建物の地下と1・2階を占めるパブの電力が一部落ちたという。これも、連日の暑さのせいかもしれない。(もちろん、単なる故障かもしれないけれどね。)電気が落ちて冷蔵庫と冷凍庫が使えなくなったら、もう、泣くしかない。

Sunday, July 09, 2006

Snus mumrik

 ヨーロッパてんかん学会のため、ヘルシンキに行ってきた。

 ポスター演題を出して、参加費も払ったものの、ぎりぎりまで気が乗らず、出発の10日前に飛行機とホテルを予約し、6日前になってようやく重い腰を上げてポスターを作った。

 Study leave(「仕事上必要な学習」のための休暇で、年休とは別枠で、3年間で計30日の休暇が認められている。)の手配もしてあるし、Continuing Professional Development(CPD、医師としての生涯学習)のための点数も稼がなくてはならないので、行かなくてはいけないことにはかわりはないのだが、ぎりぎりにならないと手を付けないというのは、昔からの悪い癖のひとつである。

 行きたくないと文句たらたらで出かけるのもいつものことながら、行ったら行ったで、懐かしい人たちに会い、知り合いが少し増え、いくつか新しいことを覚えたりして、すっかり上機嫌になり、ああ楽しかったと思いながら帰途につくというのも、いつものことであった。

 学会の合間の観光も、国際学会の楽しみである。

 ヘルシンキはあまり見るものもなくて、つまらない街だよと聞かされていたので、さほど期待はしておらず、ムーミン・グッズを手に入れられればいいと思っていた。(実際には、思っていたよりもずっと楽しめた。)

 ムーミンは、子どもの頃の大好きな話のひとつだった。なかでもスナフキンは大のお気に入りだった。残念ながら、テーマパークのムーミン・ワールドはヘルシンキから日帰りするにはちょっと遠いところにあったので、諦めざるをえなかった。かわりに、せめて原語のムーミンの本を手に入れようと思い、本屋さんに行った。

 そこで発見したこと。スナフキンの名前はスナフキンではなかった!!!

 もともと、ムーミンの話は、フィンランド人のトーヴェ・ヤンソンがスウェーデン語で書き、フィンランド語をはじめとして、いろいろな国の言葉に翻訳された。スナフキンの名前はスウェーデン語で「Snus mumrik(スヌス・ムムリク)」、フィンランド語で「Nuuskamuikkunen(ヌースカムイックネン)」と言う。スナフキンは、英訳に使われた名前がそのまま日本語に転用されたそうである。(詳しくは、Wikipediaのムーミンスナフキンを参照してください。)

 スヌス・ムムリクにヌースカムイックネンね。いやあ、学会に行くといろいろと勉強になる。

 英訳版のムーミン本も買ってきたので、北欧の夏の余韻を感じながら、ロンドンでムーミン・ワールドを楽しむつもりである。

Friday, July 07, 2006

One year on

 あれから1年が経った。

 昨年の7月7日、私は国際神経心理学会のため、ダブリンにいた。前日の夜の飛行機で着き、トリニティ・カレッジの学生寮に泊まっていた。シングルベッドと机とユニット・バスしかない、小さな部屋だった。

 7日は、午後に口頭発表があったので、午前中は部屋にこもり、スライドの手直しや発表の練習をして過ごした。部屋には当然テレビも新聞もなく、テロのニュースなど、まったく知らなかった。

 お昼近くになってようやく、学会場のホテルに出かけた。ホテルの入り口のすぐ右手に、大きなパブ・レストランがあり、大小さまざまのスクリーンがたくさんあった。何やら騒がしく、人が集まっているのに誘われて入ってみると、全部のスクリーンで、ケーブルTVのスカイ・ニュースを流していた。まだ事件の全貌が明らかになる前で、ニュースも断片的で、ロンドンの数カ所で爆発があったこと以外、よくわからなかった。

 ロンドンの友人に携帯から電話をかけると、すぐにつながった。いくつかの地下鉄とバスでほぼ同時刻に爆発があり、テロによるものらしいが、情報が錯綜しており、爆発の数も場所もはっきりしないと言う。

 この時点で、私は、大変なことに思いいたった。日本にいる両親に、ダブリンに来ることを伝えていない!ほんの数日のことだし、ロンドンからダブリンなんて国内旅行に毛の生えたようなものなので、出発前の忙しさにかまけて、連絡するのを忘れていたのだ。

 あわてて携帯から直接国際電話をした。母は、夜7時のニュースで一報を知り、携帯がつながらないと聞き、私あてに無事かどうかを尋ねるメールを送り、コンピュータの前で返事が来るのをいまかいまかと待っていたという。なんて親不孝な娘だろう。

 ダブリンにいる間、私はいささか興奮気味で、また、無事にイギリスに入国できるかどうか、心配したりもしていた。しかし、学会に来ていたロンドンからの知り合いたちはみな、普段とあまり変わらず、たぶん大丈夫だよ、と落ち着いていた。

 実際、3日後の7月10日にロンドンのガトウィック空港に着いたときは、セキュリティも普段どおりで、何の問題もなく入国できた。電車も地下鉄もバスも、爆発のために不通になった一部区間をのぞいて通常に運行されていて、いささか気が抜けた。

 幸いなことに、私の直接の知り合いは、誰も爆発に巻き込まれなかった。しかし、知り合いの知り合いまで範囲を広げると、巻き込まれて亡くなった人や、重傷をおって後遺症が残った人がいる。

 「We are not afraid」のもと、ロンドンはすぐに平常心を取り戻し、少なくとも一般市民のレベルでは、パニックはいっさい起こらなかった。イスラム教の信者に対する嫌がらせは、初めの時期に多少増えたものの、以後は、テロリストとイスラム教信者とは別という姿勢は守られている。(もっとも、普段からいろいろな組み合わせの人種間の緊張による衝突は絶えないのであるが。)公共の交通機関を使うのを控えた人もいたが、私も含め、ほとんどの人が、前と変わらず地下鉄やバスを利用していた。

 この、ロンドン市民たちの冷静さは、外国人である私にとっては、かなり不思議に映り、イギリスはIRAなどでテロには慣れているからかしらなどと、思ったりした。タブロイド紙は、センセーショナルな写真を使った特集を繰り返したが、しばらくすると、いつの間にか消えていった。知り合いの日本料理屋の店主は、日本の雑誌のほうがよっぽどテロ関連の情報にあふれていると言っていた。

 それでも、それまで潜在的な危機感でしかなかったテロの脅威は、はっきりと目に見えるものになった。1年前と比べると、街をパトロールする警察官の数が驚くほどに増えた。そんなに宣伝はされないものの、セキュリティ・アラームは準危険域くらいのレベル2に時々上がるらしい。警察は時に過剰反応し、テロとはまったく無関係のブラジル人を間違って射殺したりした。私の身近なところでは、レベル2のせいで警察官がセキュリティに手を取られるらしく(あるいは、警察のいいわけなのかもしれないが)、強制入院のための訪問診察(Mental Health Act Assessment)のために警察官を派遣してもらうのが以前より難しくなっており、警察が直前にドタキャンをして、診察を中止せざるをえないことが時々あるようになった。

 たまたま今年も、私は7月2日から学会のためにロンドンを離れており、7日の夜に帰国して、ヒースロー空港から自宅まで、地下鉄に乗った。

 地下鉄は、いつもとかわらず、雑多な人種や外見、さまざまな言葉を話す人が乗っていた。レスター・スクエアに着くと、おしゃれをしてパーティや観劇に繰り出した人で、混み合っていた。いつもとかわらないロンドンの金曜の夜の風景である。

 私は家に着いて、インターネットでニュース記事を読み、いくつかの1周年に関する記事に胸が熱くなったり、涙がこぼれそうになったりしながら、私なりに追悼の意を表した。

 1周年の記念日は、哀しみに包まれながらも、平和なうちに過ぎていった。ロンドンは、テロになんか負けない。さらにメトロポリタン都市になり、しなやかに、たくましく、前進していくのである。

Saturday, June 24, 2006

枯草熱(こそうねつ)

 イギリスでは、今の時期がHay feverのピークである。Hayはいわゆる干し草として使われる牧草のことで、Hay feverは「枯草熱」と訳されるが、早い話が花粉症(Pollinosis)である。

 花粉症のルーツをたどると、1819年、イギリスのJohn Bostockによる、Hay feverと呼ばれる夏風邪様症状(牧草の干し草と接触する人に起こる、春・秋の鼻症状、喘息、流涙など)の報告が、初めての臨床報告であるそうだ。1873年には、同じくイギリスのCharles H Blackleyが、「枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実験的研究」を著し、枯草熱がイネ科植物(牧草)の花粉により生じることを実証した。以後、枯草熱は花粉症と呼ばれ、Blackleyは「花粉症の父」と呼ばれるようになった。(詳しくはWikipedia3443通信をどうぞ。)

 幸運なことに、私は、日本にいる間はスギ花粉症とは無縁だったのだが、ここ数年、この時期(5月から7月)になると、目のかゆみや流涙に悩まされる。

 イギリスの花粉症は、90%がgrass(イネ科植物である牧草)の花粉が原因で、25%がbirch(カバ)によるそうである。花粉飛来のピークは、grassが6-7月、birchが4-5月である。

 私の場合は、いい天気が続くと、ほぼ毎日のように、起床時に涙が流れてきて、目がしょぼしょぼする。あまり重症ではないので、大抵の場合は、朝起きてすぐに抗ヒスタミン剤を1錠飲めば、そのうちに症状は治まり、仕事をしているうちに次第に忘れてしまう。めんどくさがり屋なので、暑ければ花粉など気にしないで窓を開ける。(エアコンがないので、そうしないとやってられない。)具合が悪くなったら、午後に抗ヒスタミン剤をもう1錠飲めば、なんとかなる。花粉予報などもあるようだが、まったく見たことがない。

 3月にもなると、薬屋さんの店頭には、抗ヒスタミン剤がずらりと並ぶ。これらは俗に「Hay fever tablets」と呼ばれ、塩酸セチリジンやロラタジンなどの第二世代抗ヒスタミン剤で、7錠入りのものが1箱2ポンド程度で買える。ブーツやスーパードラッグのようなチェーン店では、時々「2 for 1 / Buy 1 & get 1 free (1箱の値段で2箱買える)」のセールをしているので、私はここぞとばかりに買いだめをする。他にも、目薬や点鼻薬も売っている。なぜか、マスクはお目にかかったことがない。

 うちのチーム・リーダーのJは、今年は特に重症のようで、家庭医に行ってステロイドの注射をしてきたと言っていた。チーム秘書のJも、このところ花粉症のせいでぱっとしない、とこぼしていた。ピークはせいぜいあと1ヶ月。もうちょっとの辛抱である。

Thursday, June 22, 2006

皮肉な理由 − 経費削減その3

 さて、経費削減その3。なぜランベスSLaMが経費削減をしなければいけなくなったか、その理由である。

 ランベスSLaMはこの2-3年、連続して収支の帳尻を合わせたので、他の赤字トラストのように、今年度の予算を削られるというペナルティは受けない。したがって、今回の経費削減は、ランベスSLaMの経理事情とはまったく無縁のところで生じている。

 ランベスSLaMのサービスの多くは、ランベスPCT(Primary Care Trust、一次ケア・トラスト)が購入している。つまり、PCTがSLaMの財布を握っているのである。そのランベスPCTが経費削減をしなくてはならなくなり、その管轄下にあるSLaMや他のトラストから資金を引きあげる(disinvestment)ことをやむなくされたため、そのとばっちりがランベスSLaMに来たのである。

 それには、大きく分けて、2つの理由がある。

 まず、第1の理由。今年度、ロンドンのすべてのPCTは、収入の3%を使うことができない。この3%は言ってみればピンハネで、ロンドンのいくつかの赤字トラストを助けるために使われる。つまり、赤字トラストは臨時収入があるということになる。(これは、いずれ返さなければいけないので、赤字を積み重なるだけなのだが、一服つけるようになることは間違いない。)「皮肉」なことに、SLaMを含めて、ランベスPCTの管轄下にあるNHSトラストは赤字を出していないため、ランベスPCTはこの臨時収入を受けられない。

 2番目の理由。NHSは税金で運営されているため、毎年、地域の人口や医療保健上のニーズにより、Strategic Health Authorities(SHA、戦略的保健機構)を通して、年間予算が各PCTに割り当てられ、PCTから各トラストに分配される。この分配金は、いわゆる「丸め契約」で、各疾患や病態に対しての「治療単価」が地域ごとに決められているものの、何人の患者を診て、どのような治療・検査をしたかという、診療の「量」は反映されていない。(イギリスには、日本の保険医療制度のような診療報酬体系は、存在しない。)

 ところが、政府のNHS改革の最終段階として、「Payment by Results (PbR)」と呼ばれる新しい診療報酬制度が導入された。これは、イングランド全域で、各疾患や病態ごとに、患者1人あたり、または1検査・手術あたりの共通価格(National Tariff)を設定し、医療サービスの量と効率性を費用に反映させようとする試みである。(ここでいう「Results(結果)」は、提供されるサービスのことで、治療の結果を指すものではない。)この制度は、サービスの量(治療した患者数や手術件数等)に応じた費用を払うという「アメ」の側面と、一定の価格内でより効率的な医療をしなければトラストの持ち出しになるという「ムチ」の側面をもつ。2008年には、精神保健トラストを含む、すべてのNHSトラストに導入される予定だが、現在は旧制度から新制度への過渡期で、「Purchaser Parity Adjustment(購入者価格調整)」と呼ばれる移行措置がとられており、PbRは病院トラスト(acute hospital Trusts、総合病院を主体とした、急性疾患を主として扱うNHSのトラスト)のみに導入されている。

 歴史的に、ランベス区では、病院トラストの診療価格はイングランドの平均価格を下回っていた。しかし、PbRの導入によって共通価格を払わなければならなくなり、ランベスPCTは、これまでと同等の病院トラストのサービスを購入するために、これまでより多額の支出をせざるをえなくなった。

 さらに、これまで病院トラストの医療価格が安かったことに助けられて、ランベスPCTは、イングランドの平均よりも高い割合の資金を精神保健サービスにまわすことができた。聞いた話では、イングランドのPCTの精神保健サービスに対する平均支出割合は12-13%であるいっぽう、ランベスPCTは、約20%を精神保健サービスに当てていたという。(イングランドで1、2を争う高い精神疾患有病率を誇る地域を抱えているのだから、当たり前といえば当たり前である。ランベス区と地方の町や村を比べて、同等の精神保健サービスの需要があるとしたら、そちらのほうがおかしい。)

 つまり、ランベス区は、病院トラストの医療価格がPbRにより上昇し、他の分野への支出を減らさざるを得ない上に、これまでイングランド平均よりもずっと多額の資金を精神保健サービスにまわしていたために、減らせる部分が相対的に少なく、さらにやりくりを厳しくしているのである。その結果が、今年度・来年度の、ランベスSLaMの計400万ポンドの削減となったわけである。

 ともあれ、事情はわかった。でも、私の「なぜ」は消えない。なぜ、こんな急激に、新しい政策や制度を次々に導入するの? 導入するならするで、シミュレーションはしなかったの? シミュレーションをしたら、こうなることは予想できたでしょうに。それとも、政府のアドヴァイザーのシミュレーションでは、大成功間違いなしという予想だった?(これは、大いにあり得る。なんたって、政府のアドヴァイザーやコンサルタントは、ことごとく、とんでもない予想をする。たとえば、2004年のEU拡大に伴い、新EU加盟国から職を求めてイギリスに来た移民数は、政府アドヴァイザーの予測の約10倍にのぼり、移民局がパンク寸前になった。)

 現在、ランベスSLaMでは、PCTに対して、今後は3年単位でService Level Agreement(サービス内容合意)を結び、変更がある場合は、最低でも12ヶ月前に通告するように契約方法を変更するよう、交渉を進めている。また、PCTのふところ事情がSLaMへの支出の見直しに直結しないよう、できるだけ早くActivity based contract(PbRの一環で、サービスの質と量に応じた価格を設定し、支払いを受けるという契約方法)を結ぶよう、働きかけている。

 もっとも、病院トラスト以外のトラストの共通価格はまだ発表になっていない。また、Activity based contractを結ぶにしても、サービス価格をどのように決定するのかは、まったく白紙である。価格がわからないのに、どうやったら契約が結べるのだろうか・・・。

 NHSの不思議はまだまだ続く。(今回の「経費削減シリーズ」は、いったんおしまいです。)

Wednesday, June 21, 2006

こちらを立てればあちらが立たず − 経費削減その2

 さて、前回の「経費削減その1」の続き。

 ランベスSLaMの一般成人精神科には、次のようなサービスがある。(司法精神医学サービスを除く。)

  • 一般急性期病棟:5棟(男性専用1、女性専用1、混合2、隔離1:総ベッド数64床)
  • LEO(Lambeth Early Onset,)病棟:1棟 (男女混合:18床)
  • リハビリテーション病棟:4棟(男子専用1、男女混合3:46床)
  • Dove House:1棟(女性のみ:6床)
  • HTT(Home Treatment Team):2チーム
  • AOS(Assertive Outreach Service):1チーム
  • A&T(Assessment & Treatment Team):3チーム
  • R&S(Recovery & Support Team):3チーム
  • SRT(Specialist Rehabilitation Team):1チーム
  • PAMS(Placement Assessment & Management Service):1チーム
  • 精神科コンサルタントによる外来

     LEO:発症早期(2年以内)の患者を対象としたサービス
     Dove House:女性専用の治療共同体型入院施設
     HTT:intensiveな訪問治療(1日に1-3回の訪問)
     AOS:治療に乗ってくれない患者のための「突撃」訪問治療
     A&T:早期かつ短期間(12ヶ月以内)の精神科的問題に対応する
     R&S:慢性期にあり長期的サポートが必要な患者を担当する
     SRT:A&TやR&Sの担当する患者にリハビリテーション・プログラムを提供する
     PAMS:滞在型施設にいる患者を担当する(私のいるチーム

 今回のサービス削減第一弾の最終案は、次のようなものである。

  • 女性専用の治療共同体型入院施設のDove Houseを閉鎖し(6床減)、かわりに女性専用のデイ・センターをオープンする
  • 南と北の2チームあるHTTをランベス区全体を担当するひとつのチームにし、現在の1チーム分のスタッフで運営する(つまり、区全体ではサービス半減になる)
  • リハビリテーション入院施設のひとつを閉鎖する(13床減)
 上記の3つの案は、突貫工事のようなサービス再編成(削減)なので、ランベスSLaMのシステム全体に急激な影響を与えないようなサービスが選択されている。

 ランベスSLaMでは、常に入院ベッドが足りないので、他のサービスの見直しとセットでなければ急性期病棟は減らせない。地域精神保健医療チーム(A&TとR&S)は、一次医療の家庭医から二次医療にあたる精神保健医療サービスへの窓口であり、担当している患者のニーズもさまざまなので、簡単に再編成はできない。また、ちょこっと手直ししたくらいでは大幅な経費削減は望めないので、これまた手つかずである。AOS、LEO、SRTとPAMSは、他のチームとは多少毛色が違い、チームとしてやや特殊な技能が要求されているため、すぐには手をつけられない。

 というわけで、この案は、経済的課題(200万ポンド削減)を果たすため、臨床的課題(必要な精神保健サービスを提供し、患者および社会へのリスクを抑制する)への犠牲を最小限に抑えるという、綱渡りのような攻防の末に作られたものである。

 しかし、話は、そう簡単ではない。なぜなら、経済的・臨床的課題に加え、さらに政治的課題も考慮しなければならないからである。ずっと遡れば、ここ10年間のNHS改革は、ブレア政権の政治的動機に牽引されたものである。

 「経済的」にみれば、たとえば、Dove Houseを閉鎖してしまえば、スタッフの数も減らせるし、建物も売却またはリースでき、経費を削減できる。「臨床的」にみれば、デイ・センターが入院施設のかわりになるはずがないし、だいたい、女性専用のデイ・センターがどれだけ有効な治療を提供できるのか、検証すらされていない。しかし、女性専用の治療施設は、国の医療サービス指針上(「政治的」に)必要なため、なくすことはできない。そこで、病棟を閉鎖し、デイ・センターを開くという、折衷案に落ち着いた。

 HTTに関しては、2チームよりも1チームにしたほうが「経済的に」安上がりである。しかし、ランベス区は広いので、ひとつのチームでは、「臨床的」に満足できる訪問治療を、区全域に効率的に提供することはできない。それならば、一部の地域に限ったサービスをするか、いっそのこと、非効率的なチームなどなくしてしまうという方法もあるのだが、国の医療サービス指針上、HTTがあることが「政治的」に好ましいと規定されているので、非効率的で不十分なサービスであっても、ないよりはましということで、サービスを半減して1チームを存続させることになった。

 リハビリのベッド数は46床から33床に減り、13人の患者の退院先を探さなければならない。彼らは慢性・亜急性の精神疾患に加えて生活技能レベルの低下があるためにリハビリ病棟に入院していたのであり、退院してすぐにアパートで一人暮らし、というわけにはいかない。サポートのある滞在型施設に移るのが望ましいが、ランベス区はすでにイングランドで最多のレジデンシャル・ケア入居者数を誇って(?)おり、これは、精神障害者の自立を促すという「政治的」課題に反するため、問題視されている。また、滞在型施設にかかる支出額も、ランベス区はイングランドで一番であり、こちらも、今回のランベスSLaMの経費削減とは別の方向からの「経済的」圧力がかかっている。リハビリ病棟の全入院患者と、滞在型施設の全入居者の臨床評価をしなおし、移せる患者をところてん式に自立型施設に移してなんとか空床を作り、順送りに患者を転院させていくしかないであろう。この場合、「臨床的」な評価は、あくまで相対的なものとなる。

 また、リハビリ病棟とDove Houseのベッドが減ったので、急性期病棟からリハビリ病棟へ早期転院することが難しくなり、急性期病棟の滞在日数が延びることが予想される。しかし、平均滞在日数が延びるのは「政治的」に好ましくない上、コストがかかり「経済的」にも問題である。退院が滞れば、入院もできない。「臨床的」には、病床数が減ったからといって、入院が必要な人が減るわけではないから、具合が悪くなっても入院できない、あるいは入院を待たなければならない人が出てくる。入院できなければ、治療開始が遅れて、病状がさらに悪化する可能性がある。自殺・他害・事故等のリスクが高まることは当然考えられる。地域で治療するための切り札であるHTTは、スタッフが半減して、現在の受け入れ患者数を維持することすらできなくなるのだから、入院を待つ患者まで担当することは到底できない。しかし、入院待ちの間、または、早すぎる退院のために事故が起これば、「政治的」に大問題になり、当然「臨床」サイドの責任も問われることになるだろう。

 この削減案は、政治的動機によって主導され、経済的理由のために待ったなしの導入を余儀なくされた。しかし、あちらを立てればこちらが立たずで、政治的課題と経済的課題を同時に解決するのは不可能である。そこに臨床的課題が加われば、さらに複雑になり、3つの軸は相矛盾しあう。(もっとも、臨床的事情はまったく無視されているのだが。)どれかひとつを解決しようとすれば、他の2つの課題は達成できない。いずれの課題も、解決するのが絶対条件だというのに。

 いったい、どれが最優先されるんだろうか。臨床的課題でないことは、明らかである。

 このような、政府による相矛盾する課題設定というのは、なにもNHSにかぎったことではない。

 先日、Craig Sweeneyという前科のある小児性愛者が、3歳の女の子を誘拐して性的暴行を働いた罪で終身刑を宣告されたが、罪状認否で罪を認めたため、最短5年で仮釈放される可能性があると報道された。また、終身刑を宣告されたものの、6年以内に仮釈放になっている例が、2000年以降でも53人にのぼることが明らかになった。犯罪行為の深刻さに対して刑罰が軽すぎるという世論が起こり、ブレア首相は「(内務省改革の一環として)刑事罰の見直し案を、国会が夏期休会に入る前までに早急に作成する」と宣言した。

 これに対し、前主任刑務所監査官(ex-chief inspector of prisons)のLord Ramsbothamは、「正直に言って、ブレア首相には口を閉じてほしい」とコメントした。「ブレア首相は最近、次から次へ、あれもやるこれもやると言っている。首相は内務省改革に関して、犯罪者をもっと迅速に逮捕し、より長い懲役刑を与え、刑務所の混雑を緩和する、という3つの優先事項を掲げているが、これらは相矛盾する(mutually conflicting)。」「相次ぐ政策変更は、問題を解決するよりも、新たに問題をこしらえるばかりだ。」

 哀しいかな、「ブレアよ、現場で何が起こっているのか(あるいは、これから何が起こるのか)、考えて発言せよ!」と言ってくれるような医学関係者は、まだ出ていない。

Monday, June 19, 2006

嘘でしょう!? − 経費削減その1

 今年の初め、NHSの赤字や経費削減のニュースが出始めた頃は、よそのNHSトラストのこと、SLaM(South London & Maudsley NHS Trust)は赤字がないから大丈夫、などと呑気に構えていた。ところが4月になり、私の所属するランベスSLaMでも、経費削減の噂が聞こえてきた。4月12日のエントリーに、第一報の頃の感想を書いてある。(この感想は、今読んでみると、いささか的外れである。)

 それから2ヶ月あまり。徐々に経費削減策が具体化してくるにつれ、嘘でしょう、と思うようなことばかりである。

 まず驚いたのが、経費削減が「今年度に実施される」というところ。今年度って言ったって、もう始まってるのに・・・。年度が始まる前に立てるから「予算」と呼ぶのでしょうが。

 次に驚いたのが、削減の規模。ランベスSLaMは、今年度200万ポンド(約4億円)、来年度にさらに200万ポンド削減しなくてはならないのだ。単年度だけで、年間予算の5%である。

 さらに、もっと驚いたのが、予算が減るため、サービス内容を見直し、突貫工事でサービスを再編成しなければいけない。再編成って言ったって、つい4ヶ月前に、3年間の準備期間を経て、ランベスSLaM全体のサービス内容の見直しをして、大改革したばかりでしょうが・・・。

 ドラマ「24」も真っ青の、高速展開、ツイストである。「24」だって、1シリーズは24時間の出来事だけれども、実際に見るのには24週間かかる。サービス削減第一弾は10月1日に施行されるので、あと3ヶ月ちょっとしかないのだ。

 これまでの流れを、簡単に説明しよう。

 3月頭より、SLaMの各区の事務方は、それぞれの区のPrimary Care Trust(PCT、第一次ケアトラスト)と、2006/7年度の予算配分についての話し合いを始めた。これをService Level Agreement(SLA、サービス内容合意)という。PCTとSLaMがSLAに合意して初めて、予算が決定される。通常は、年度の始まる前、あるいは始まってすぐの時期に合意するものらしい。ところが、このSLAの最初の会議で、ランベス区とサザック区のPCTが、予算配分の減額(disinvestiment:投資減額)を通告してきた。PCTはサービスの購入者なので、サービス提供者のSLaMとしては、これしか出さないといわれれば、どうしようもない。(当然のことながら、ランベス区では、いまだにSLAの合意には至っていない。)

 当初、ランベスPCTは、直接の医療サービスに関わらないところ(インフラ設備等)をいじったり、サービスの効率をあげることで経費削減できれば、などという甘いことを考えていたらしいが、それだけで予算の5%も減らせるわけがない。数回の交渉の末、ランベスPCTは、「経費」削減ではなく、「サービス」削減であると認めざるを得なくなった。

 話し合いは、次いで、どのサービスをカットするかということに移った。ランベSLaMは、ついこないだ機構改革をしたばかりで、どのサービスも必要なものであるはずなのに、またサービス見直し・変更である。

 ここで、ランベスSLaMのエグゼクティブは、選択を迫られた。選択肢は2つ。PCTにサービス削減案をすべて委ねるか、SLaMが主導して案を作るか。

 前者を選ぶと、サービス削減の責任をすべてPCTに預けられるものの、とんでもないサービス削減案が出てこないとも限らない。いっぽう、後者をとると、SLaMがあたかもサービス削減に賛成しているかのようにとられかねない。(もともと、サービス削減はPCTが決めたことで、SLaMとしては、受け入れざるを得ないから受け入れるだけで、賛成しているわけではない。)意見は割れたが、結局、サービス削減に伴うリスクをPCTが担うという条件付きで、SLaMが、臨床への影響が最小限になるようなサービス削減案を作り、PCTに提案することになった。(もっとも、サービス削減に伴うリスクを誰が負うかという問題については、PCTが責任回避を続けているため、いまだ合意には至っていない。)

 とはいっても、「第一弾」のサービス削減案は、10月に施行しなければいけない。そこで、PCTが3月に出した第一案を叩き台にして、2ヶ月ちょっとの話し合いの末、最終案がまとまった。(最終案の内容については、次回に詳しく書きます。)来年度の「第二弾」については、SLaMが案を出すことになっている。

 精神保健サービス全体に対する影響を最小限に抑える案とはいえ、現実には、かなりの影響が出ることは避けられそうもない。それでも一般成人精神科では75万ポンドしか減らせない。

 四苦八苦したにもかかわらず、今年度200万ポンド削減するための妙案はひねり出せず、なんとかランベスSLaMで合わせて100万ポンドの削減をし、足りない100万ポンドを、他の区も含めたSLaM全体の資本金から補填することになった。この100万ポンドは来年度返却しなければならず、さらに、通常赤字の分を入れて、来年度は、ランベスSLaMは400万ポンド削減しなくてはならないことになってしまった。

 今のところ、PCTもSLaMも、人員削減をせずに経費削減を進める方針で一致している。空席になっていたポストをカットしたものの、実際の人員削減は、いまのところゼロである。10月のサービス再編成ではじき出されるスタッフは、空いているポストに配置転換されることになっている。

 しかし、来年度に関しては、まったく予断を許さない。サービス再編成・削減のみで400万ポンド削減できなければ、当然、人員削減を視野に入れなければいけなくなる。

 そんなわけで、4月以降、どこの会議でも、主たる話題は経費削減である。

 先日のコンサルタントとシニア・マネージャーの月例会議では、4つの小グループに分かれて、一般成人精神科の管轄の4部門(急性期病棟・Assessment & Treatment Team、Recovery & Support Team、リハビリテーション)でそれぞれ50万ポンド削減するための「革新的な」変革案を考える、というグループワークをした。

 さて、経費・サービス削減やむなしの状況なのだが、「なぜ」、このような多額の経費削減を、待ったなしで行わなければいけないのだろうか。

 これまでニュースで読んできたのは、総合病院を中心にした急性疾患を担当するNHSのacute hospital Trust(病院トラスト)が、累積した赤字を減らすために、経費削減するというものだった。

 SLaMは病院トラストではなく、精神保健トラストである。それに、この2-3年間は、SLaMは収支をとんとんにして赤字を出していない。もし、病院トラストの赤字の補填のために精神保健トラストの予算が犠牲にされるとしたら不公平な話だと、やや憤慨したりもした。

 経費削減、サービス削減の話を聞きながらも、この「なぜ」はいつもつきまとっていた。私が新参者だからわからないのかと思って周りに聞いても、みな、よくわからないようだった。わからないまま、経費削減ありきで話をしている。わからないことを不安に思わないように見えるのは、もっと不思議だった。

 それが、最近になってようやく、経費削減の裏事情が少し見えてきた。長くなるので、続きは次回に。

Sunday, June 18, 2006

ロンドンで見るW杯

 サッカーのW杯が盛りあがっている。多国籍都市ロンドンでは、毎試合、戦っているチームのサポーターたちが、チーム・カラーを身につけて、あちらこちらで応援を繰り広げている。ロンドンには、規模の差はあれ、参加する全チームの国の出身者のコミュニティがあるに違いない。

 今日、夜8時少し前にソーホーに出かけたところ、Frith Streetが車両通行止めになっていて、なにやら騒がしい。何ごとかと思ったら、騒ぎはBar Italiaの前だった。

 Bar Italiaは、ソーホーにあるイタリアン・カフェで、ここのエスプレッソとカフェ・ラテは、おいしい。広くもない店内に大きなスクリーンがあり、セリエAの試合を放映している。店の表にも、通りに面して小さなスクリーンがある。

 今日は、カフェの前の道路いっぱいに集まった人たちが、小さなスクリーンで、イタリア語で放映されているイタリア対アメリカの試合を見ながら、応援していた。店のウェイターは、その人ごみの中をかき分けながら、パニーニを売り歩いていた。警察官が数人警護に当たっていたが、もちろん、彼らも試合を見ていた。サッカー観戦のために通行止めにするなんて、警察も懐が深い。

 家の近所にかぎってみても、オランダの試合があると、中華街とShaftesbury Avenueの間にあるパブにオレンジの服を着た人たちがあふれる。(このパブは、オランダ・パブで、なにかあるとオランダ人が集まっている。なぜかは、よく知らない。)ブラジル戦になると、Charing Cross RoadにあるBar Salsaのまわりで、ブラジル人がサンバを演奏して踊っている。

 さて、日本の場合は、ある企画会社がスポンサーを集めて、ソーホーのスポーツ・パブを貸し切って、日本の出る試合のパブリック・ヴューイングを開催している。聞いた話では、先日のオーストラリア戦の時は、約600人の日本人が集まって応援していたらしい。私も行きたいという誘惑に駆られたものの、ややへそ曲がりの私は、スポンサー付きの企画なのに、入場者から前売り5ポンド、当日8ポンドの入場料をとるというやり方が気に入らず、かわりに、日本人が多く集まる、とあるパブに行った。家の近くのパブに行ってもよかったのだが、ロンドンではどこに行ってもオーストラリア人がいるし、たぶん(オーストラリア人でなくても)オーストラリアの応援のほうが多いだろうから、ちょっと気後れしてしまったのだ。

 明日は日本対クロアチア戦。おそらく、クロアチア人はオーストラリア人ほど多くないだろうし、前回のオーストラリア戦の結果がああだったので、今回は私自身、少し気楽に試合観戦できるだろうから、近くのパブに行く予定である。

 前回のW杯の時は、時差があったせいで、早朝または午前中という、スポーツ観戦にはいまいち盛りあがらない時間に、家でテレビを見ていた。今回は、時差が1時間しかないので「まっとうな」時間に試合を見られる。また、我が家にはテレビがないため、試合をちゃんと見るためにパブに通っているというのも、なんとなく特別な気分がする理由かもしれない。

 こんな楽しいお祭り騒ぎ、毎年あればいいのに。

Saturday, June 10, 2006

熱波と肥満

 5月の半ばから異様に寒い日が続き、いったん奥にしまったセーターを引っ張りだしたりしていたのだが、先週末、突然夏が来た。以来、最高気温27-8度のピーカン天気が続いている。昨日と一昨日はとくに暑く、扇風機が生温い空気をかき回しているだけのオフィスで、汗をかきかき仕事をしていた。

 イギリスの天気は変わりやすく、朝天気がよく暖かくても、夕方には寒くなることが多いので(または、その逆。)、私はいつも、用心深く、温度調節ができるように重ね着することが多い。今回の熱波の始まりの頃も、コートを着て家を出て、帰りには、暑くて、コートを腕にかけて持っているのもいやになった。

 イギリス人は、その点、決断・実行が早い。なぜか、熱波第1日目から、すぱっと夏服に変わる。夏服というのは、女性の場合、半袖やノースリーブのトップに、薄手のスカート・パンツ、足下はサンダルである。男性は、上着なし、ネクタイなしのシャツ1枚に、やはりサンダルを履いている人もいる。クールビズのかけ声など、まったく必要ない。

 仕事以外の服は、もっと露出度が高くなる。女性の場合、腕、デコルテ、お腹、背中、足が、全開になる。(全部をセットで全開にする人はさすがに少なく、いくつかの組み合わせで全開にしていることが多い。)男性は、Tシャツにショーツである。

 イギリス人(白人も黒人も)の女性は、概して、縦にも横にも大きい。胸も大きく、ウエストのくびれがなく、お腹がポッコリ出ている。けっこうスリムな人でも、例外ではない。それでも彼女たちは気にしない。暑ければ薄着になり、体型にかかわらず、着たいものを着る。へそ出しルックは当たり前なので、ポッコリ出たお腹が、ジーンズのウエストの上に乗っかる(そして、時にはそこから垂れ下がる)状態になる。

 男性は、さすがにおへその出た服を着ることはないが、暑い日は、Tシャツを脱いで、平気で上半身裸で歩いている。また、Tシャツの前面が、はち切れそうにせり出している。

 人の体型や着るものにとやかく言うつもりはなく、着たいものを着るという姿勢は好ましく、いつもあっぱれだと思っているが、目のやり場に困ったり、唖然としたりすることも多い。

 いまや、イギリスは世界第2位の肥満大国である。(1位はいうまでもなく、アメリカである。)イギリス人成人の22%(5人に1人!)が肥満、4分の3がオーバーウェイトであるといわれている。

 今日も、朝から暑い。このような日に、街を歩けば、上の数字が嘘でないのは、一目瞭然である。

 この熱波、最低あと1週間続くそうである。薄着の時期は、まだ始まったばかりである。

Saturday, June 03, 2006

Smoke-free policy

 6月1日より、ランベス区SLaM全部門で、Smoke-free policy(禁煙令 -「令」などと言うと、生類憐みの令のようなものを連想してしまう・・・)が施行された。建物内はこれまでも原則的に禁煙だったが、一部の施設内には喫煙所が設けられていた。今回の禁煙令では、禁煙の場所が建物の中だけでなく、戸外や、NHSの建物を離れた地域(コミュニティ)にも広げられた。

 イングランドでは、2007年夏より、すべての公共の場で喫煙が禁止される予定である(Smoking ban)。それに先がけて、政府機関とNHSでは、今年中に完全な禁煙令が実施されることになっている。ランベス区での禁煙令は、その一環である。

 ランベス区SLaMの建物内、および、建物の入り口から15メートル以内は、すべて禁煙となった。ランベス区SLaMが所有する車内も禁煙になる。対象は、NHS職員だけでなく、敷地内に入った他の会社の契約社員(工事やメンテナンスの人たち)や、訪問者、患者もすべて含まれる。

 建物の入り口から15メートル以上離れれば、規則上は喫煙してもいいのだが、戸外に設けられた、ドアのついた喫煙所(日本の駅にある喫煙所を小さくしたようなもの)で煙草を吸うのが望ましいとされている。この喫煙所は、「可能なかぎり魅力のないように(as unattractive as possible)」して、長居したくなくなるようにしなければならない。近い将来、喫煙所をのぞいて、NHSの所有する敷地内全域が禁煙になる可能性がかなり高い。

 この禁煙令の一番の目的は、NHSが喫煙および受動喫煙の害を認め、医療保健機関として、率先してその害を排除し、禁煙を促進することにある。スタッフは、NHSの姿勢を示すために、勤務時間内は、患者や訪問者が見える場所では喫煙しないように指導されている。また、勤務時間内に、ちょっと一服という「喫煙休憩(そんなもの、あったのかしら?)」はいっさい許されず、喫煙したければ、通常の休憩時間を割かなければいけないことになっている。

 私のチームには結構喫煙者がいる。彼らにとって幸運なことに、うちのチーム・ベースに患者が来るのは、クロザピンとデポのクリニックがある時に限られているし、建物の裏にある駐車場は、表からは見えず、外来者は入ってこない。運のいいことに、非常口を出るとすぐ駐車場である。そのため、彼らは、ドアから10数メートル余計に離れなければならないものの、これまでとほとんど変わらずに煙草を吸える。今のところは、だが。

 この禁煙令にも例外があって、精神科の入院患者や、(NHSが所有する)滞在型施設の入居者に限っては、建物内に設けられた喫煙室で喫煙してもいいことになっている。強制入院等で、戸外の喫煙所に自由に行けないというのが、その理由である。観察が必要な患者が喫煙する場合は、喫煙室の外から観察できるような方策がとられることになっている。喫煙室にいる時間は可能なかぎり短くし、喫煙以外の行為(!)はしてはいけない。

 地域精神医療の現場では、患者の家庭を訪問することが多い。もし、訪問するスタッフが非喫煙者で、患者が喫煙者の場合、スタッフは患者に対して、訪問の間は喫煙しないように依頼してもよい。もし患者がどうしても喫煙をやめてくれず、受動喫煙がひどくて健康被害の懸念がある場合、スタッフは訪問を切り上げていいことになっている。そして、すぐに上司に報告し、善後策を検討する必要がある。(善後策って何だろう、といつも思うのだが。患者が喫煙者の場合、担当するスタッフも喫煙者にするのかしら。)

 ちなみに、精神科の患者に対する喫煙の規制については、医療者にも賛否両論がある。規制に賛成する人たちは、精神科の患者を特別扱いして、禁煙を促進しないのは、他科の患者が得られる医療上の利益を与えないことになり、不公平であるという。いっぽう、反対する人たちは、管理上の問題を指摘する。患者が看護スタッフと衝突することが一番多いのは煙草の要求をめぐってであり、吸いたい時に煙草を吸えないと不満を持ち、スタッフに対する暴言・暴力につながることが多く、対応するのが大変になるからである。また、喫煙中は、患者はスタッフとリラックスした会話に応じることが多く、ラポールを作ることができるため、これを規制することにより、治療的な人間関係の構築を得る機会が失われる点も理由に挙げられている。

 この禁煙令の一番の目的は、喫煙による健康被害を食い止めることにあるので、禁煙令の実施と合わせて、患者やスタッフが禁煙するための援助策も導入されている。患者のための禁煙クリニックは、家庭医にも、SLaMにも以前からあったが、スタッフのための禁煙クリニックも始まっている。ニコチン依存の程度に応じて、禁煙カウンセリングや禁煙指導が勤務時間内に受けられる。もっとも、現在進行中の経費削減のあおりで、この禁煙クリニックの存続が危ないというのも、情けない話である。

Monday, May 29, 2006

コンサルタント

 私の職名は、Consultant Psychiatrisit(精神科コンサルタント)である。日本には存在しないものなので、初めて聞いた人からはいつも、「なにそれ?」という反応が返ってくる。

 コンサルタントというのは、イギリスの医療システム(NHS、プライベート・セクターとも)の中で、専門医として独立して仕事ができるシニアの医師たちのための職である。

 イギリスでは、医師は家庭医(General Practitioner、GP)と各科専門医(Specialist)とに分かれ、卒業後の研修制度が異なる。(家庭医の研修制度については、私はまったく知らない。)

 専門医になるためには、初期・中期・後期の卒後研修を経て、General Medical Council(GMC)の一般本登録(Full registration)に加えて、専門医登録リスト(Specialist register)に登録される必要がある。ちなみに、イギリスには医師国家試験がなく、医師の登録・資格審査はGMCがおこなう。Department of Health(DoH、保健省)は医師の管理には関わっていない。GMCに登録しないかぎり、イギリスで医師として仕事をすることはできない。

 現在の卒後研修制度では、医学部を卒業すると、まず、GMCに仮登録(Provisional registration)をし、1年間、Pre-registration House Officer(PRHO)として研修する。これが修了すると、仮登録から本登録(Full registration)に変更できる。そして、自分の選択した専門分野のSenior House Officer (SHO)として研修を積み、専門分野の王立学会の会員試験(Membership exam)を受ける。精神科の場合、 SHOは3年間である。

 SHOの研修を修了し、会員試験に合格すると、Specialist Registrar(SpR)として、後期研修に移る。精神科では、一般成人精神科専門医のSpR研修が3年間である。一般成人精神科専門医以外にも、Sub-specialityとして、小児・青年期精神科、老年期精神科、学習障害に関する精神科、司法精神科、精神療法があり、Sub-specialityの組み合わせによって、研修内容・期間が異なる。

 SpRを修了すると、専門医研修修了証明(Certificate of Completion of Specialist Training、CCST)が交付され、GMCに専門医登録できる。この時点で、初めて、コンサルタントのポストに応募する資格ができる。

 2005年から卒後研修制度が変わって、現在は、新旧制度の移行期で、新制度の第1期生がこの夏から専門医研修に入る。新制度では、PRHOがFoundation Yearという名前になり、2年間の初期・一般研修になり、SHOとSpRがひと続きのSpecialist Traineeとなり、後期・専門研修になる。Specialist Trainee終了後は、CCSTのかわりにCCT(Certificate of Completion of Training、研修修了証明)が出される。

 研修医の数は、各専門分野の現在のコンサルタントの数、将来の予測されるコンサルタントの数に応じて、厳密に決められている。1対1の指導医を確保するためと、将来、専門医研修を終了した医師の数がコンサルタントのポストの数を大きく上回らないようにするためである。また、王立学会の会員試験の合格率も抑えられている。(精神科は50%程度。)したがって、専門医研修を修了するまでに、何段階かの選抜を勝ち抜かなくてはならない。

 いっぽう、医療現場では、研修医の数が限られているため、コンサルタント以外の医師のポストをすべて研修医で埋めることはできない。そこで、キャリア・グレードと呼ばれる立場の医師たちが、その隙間を埋めている。キャリア・グレードのポストは卒後研修制度外にあるため、何年間、どのような内容の仕事をしても、研修期間に含められず、キャリア・グレードからSHOやSpRに横滑りすることはできず、CCSTも得られない。(もちろん、受験資格を満たし、選考に受かれば、途中で、SHOやSpRになることはできる。)

 専門医登録され、コンサルタントのポストに応募し、選考に勝ち抜くと、晴れてコンサルタントになる。コンサルタントは、医師のキャリア中唯一、誰からの「指導(supervision)」も受けず、独自の判断を頼りに仕事をすることが許されている。通常、コンサルタントは研修医やキャリア・グレードといった、ジュニアの医師たちとチームで仕事をしており、ジュニアの医師たちは、コンサルタントの指導を仰ぐ権利と義務があり、コンサルタントは、ジュニアの医師を指導する義務がある。

 チームが担当する患者の責任担当医(Responsible Medical Officer、RMO)は、常にコンサルタントである。すべての医療行為(薬の処方や投薬、検査、入退院等)は、コンサルタントの名前の下に行われる。たとえば、研修医でも処方箋や検査オーダー票を書くことができるが、伝票を書いた医師とは別に、コンサルタントの名前を記入する欄がある。研修医が単独で外来診察をおこなうこともあるが、その後、コンサルタントとの週1回の指導の場(Supervision session)で、それぞれの患者に関して指導を受ける。こうして、ジュニアの医師たちの臨床行為に関して、コンサルタントは最終的な責任を持つ。

 また、精神科の場合、精神保健法(Mental Health Act)に基づいた診察・入院等がある。これらの業務は、精神保健法の12条によって定められた条件を満たした医師(Section 12 Approved Doctor)であれば、コンサルタントでなくても行える。しかし、一部の業務(強制入院中の患者の外出や退院を許可する等)は、NHSトラストの内規として、コンサルタントしか行うことができないよう定められていることが多い。

 これらの臨床上の責任に加えて、コンサルタントは、自分の担当する医療サービスに関しては、マネージャーとしての役割も持つ。通常、チームの直接のマネージメント業務は、チーム・リーダーと呼ばれる人たちがおこなうが、コンサルタントは、チーム・リーダーと協力して、サービスの質を維持し、向上させる等の責任がある。

 このように、コンサルタントは、NHSの二次レベルの医療で、家庭医から紹介されてきた患者に、専門医療を提供する専門医としての臨床的責任があり、かつ、担当するチームの医療サービスについては、マネージャーとしての管理責任がある。臨床家であるだけでは足りないのである。

 コンサルタントを日本語で言い表す場合、「上級専門医」とか「顧問医」と訳されることが多いが、「管理者」としての面が強調されると、「部長医」などという不思議な日本語に訳されていることもあるようである。

Friday, May 26, 2006

Awayday

 24日の水曜日は、SLaMランベス区のリハビリテーション部門のアウェイデイ(Awayday)だった。朝9時半から夕方4時半まで、リハビリテーション部門の各施設(病棟、宿泊施設型のリハビリ・ユニット、地域のリハビリ・チーム等)のチーム・リーダーとコンサルタント、マネージャーたちが集まり、リハビリテーション・サービスの将来のあり方について話し合った。

 この「アウェイデイ」、日本では聞き慣れないが、こちらではしばしば使われる。会社や団体が、ある目的のために、通常の職場以外の場所(off-site)を会場として、全員が集まって1日がかりのミーティングをすることを指す。新しいチームやプロジェクトが発足した際のチームの初顔合わせのためのアウェイデイや、年に1度、親睦を深めるためのアウェイデイなどがある。「オフ・サイト(off-site)」と呼ばれることもある。

 Wikipediaによると、アウェイデイは、昔は、ブリティッシュ・レイル(国鉄)の日帰り割引切符を指す言葉だったものが、今では「職場を離れた場所での1日がかりのミーティング」を指すようになったという。

 私の初めてのアウェイデイ体験は、今年の2月の、SLaMランベス区のコンサルタント・アウェイデイだった。SLaMランベス区のコンサルタントが全員集まり、親睦を深め、招待演者の講義を聴く、年に1度の会である。今年は、テムズ川沿いにあるデザイン・ミュージアムの会議室でおこなわれた。製薬会社がスポンサーについていて、テムズ川を見渡すミュージアム内のレストランの3コースのランチと、ミュージアムの入場券付きだった。私にとっては、コンサルタントとして出席する初めての会だったので、行く前はものすごく緊張したのだが、行ってみたら、前のスーパーバイザーを含めて、結構知った顔があって、すぐに打ち解けられたし、講演も興味深く、食事はまあまあおいしく、会のあとに行ったミュージアムの展示もおもしろく、楽しいアウェイデイだった。

 今回のリハビリテーション・アウェイデイは、残念ながら、まったく正反対の会だった。会場は、私の職場から数件先にある、Social Servicesの古い建物の窓のない会議室で、昼食は、First Step Trustという、職業リハビリテーションの組織が経営しているレストランからのケータリングの立食だった。(レストランの名誉のために付け加えておくが、ここのケータリングは、メニューがいつも同じことをのぞけば、わりとおいしい。)出席者は、代わり映えのしない、知った顔であった。

 アウェイデイのテーマは、21世紀の精神医療サービスにおいて、リハビリテーション精神科は何ができるか、何をするべきかというものだった。リハビリテーションは、急性期病棟のように「どうしても欠かせない」サービスではないため、何かというとサービス削減の対象に名前が挙がる。今年に入ってからの、経費削減、病棟やサービスの閉鎖の流れの中、生き残れるかどうかは、深刻な問題なのである。ミーティングも、終始、ブラック・ジョークが飛びかい、いささか自虐的な雰囲気だった。

 長い1日の中には、有意義な議論もあり、すぐに実行に移せるサービス改革案も挙げられ、それなりに実りもあった。しかしながら、丸1日座っていたので、私の座骨神経痛は悪化した。おまけに、外に出たら、ひどい雨と強風で、ぐったりとした気分はさらに重くなってしまった。

 楽しい日帰り旅行もあれば、そうでないものもあるということである。

Wednesday, May 24, 2006

失敗から学ぼう

 私が会員になっている、Medical Protection Society (MPS)の会報「Casebook(事例集)」が届いた。

 MPSは、イギリスで一番利用者の多い、医療関係者向けの賠償責任機関である。保険会社ではなく、会員から徴収する年会費で運営される、非営利組織である。事例集は年に4回発行される。

 今回掲載されている9例は、さまざまな専門分野に渡り、その内容も、民事訴訟で被告の医師に責任がないと認められたものから、裁判の過程で医師側の過誤が明らかになり、MPSが法廷外での和解に応じ、多額の和解金を支払った例まで、いろいろである。

 事例の概要、訴訟・和解交渉の経過および結果に続き、それぞれの例で「学ぶべき点」が列挙される。「学ぶべき点」は、Good Practice(良質の医療)を提供するためのCode of Practiceの観点から書かれており、「こうすれば(あるいはしなければ)訴訟にならなかった」などという責任回避的な記載は、まったくない。編集長も、事例集は「貴重な教育的役割をもつ」と、はっきり書いている。他の医師の苦い経験から、なぜ過失が起こったのか、どうすれば防ぐことができたか、似たような状況でどうするべきか、等の教訓を引き出し、医療技術および安全性の向上に努めようというわけである。

 MPSは非営利組織で、会費で運営されているわけだから、会員である医師の安全性に対する意識が高まり、医療事故が減少すれば、賠償等の支出も減り、会の経済的体質も向上するのであるから、「教育的効果」はさらにあがる。(こんなことはどこにも書いていないが、相互扶助的な意味からも、必要な感覚であると思う。)

 医師が人間である以上、医療事故は起こりうるものである。事故に至らないものの、ヒヤリとするニアミスも入れれば、医療現場では稀ならず起こっているはずである。起こそうと思って事故を起こす医師はおらず、細心の注意を払っても、どこかでミスは生じる。哀しいかな、ニアミスに気がついて、心臓が止まるような思いをすることは、ほかのどのような経験や立派な志にも増して、急速かつ長期的に、学習意欲や安全に対する意識を向上させるように思う。失敗を通して、医師は成長するのである。

 医療事故を予防するための体系的なシステムを作ろうとする動きは、世界各国で徐々に進んでいると聞く。イギリスでは、2000年6月に発表された、「An Organisation with a Memory(記憶をもつ組織)」と題する報告書で、NHSの医療事故に対する透明性を高め、医療事故情報を収集・分析し、安全性の向上ならびに事故の予防をはかるための組織を早急につくるよう、提言された。これを受けて、2001年7月に、イングランドとウェールズで全国患者安全機構(National Patient Safety Agency、NPSA)が設立された。医療従事者は、NPSAの事故報告ページから、匿名で、患者の安全に関わる事故を報告できる。

 NPSAの活動と並行して、医師の卒後教育の新カリキュラムでは、患者の安全管理・事故予防の教育が組み込まれ、研修医に、医療事故を隠さず報告するよう奨励している。この一環として、昨年秋に刊行された小冊子がなかなか興味深い。

 「医療事故(Medical error)」は、イングランドの医学会の重鎮14人による、医療事故・ニアミス体験集である。14人ひとりひとりの、研修医の頃、またはコンサルタントになってからの失敗が、率直に語られている。(ほんとうはもっと大変な失敗もしてるでしょ、と突っ込みたくなる人もいるけれど。)

 「症例検討(Case studies)」では、研修医の関与した医療事故とその転帰を挙げ、なぜ事故が起こったのか、同様の事故を防ぐために何が必要なのかについて、シニアの医師の意見が述べられている。

 医療事故が起こるのは、残念なことである。被害を受ける患者やその家族の側にとってみれば、たまったものではない。しかし、事故が起こりうるものであり、いったん起こってしまったとしたら、失敗から最大限の教訓を得るしかない。失敗からも学べなければ、さらに悲劇である。

Monday, May 22, 2006

NHS苦情処理制度

 今年2月の、福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕された事件については、精神科医である日本の友人たちから、遅まきながら、4月になって初めて教えてもらった。(私は福島県出身です。)

 私は産婦人科医ではないし、現在日本で臨床に携わっていないので、手に入れられる情報は、主にインターネット上の医療情報やニュース、個人・グループのブログや掲示板を通してのものである。様々な立場からの情報・意見を目にしたが、手に入る情報をみるかぎり、なぜ、この件が刑事事件として取り上げられることになったのか、まったく理解できない。日本産科婦人科学会をはじめ、声明を出している関係機関が何度も繰り返している、医師たちが抱いている危機感を、私も共感する。

 公判前整理手続きが適用され、9月にも初公判が開かれる見通しであると聞く。裁判を通じて、当事者である医師の名誉が回復されることを期待する。また、ご本人・ご家族ともに、この大変な時期を、精神的・経済的なサポートが得られ、乗り越えられるよう願う。

 さらに、もう一方の当事者である、今回の件で亡くなられた女性のご家族と、残されたお子さんに、心から哀悼の意を捧げる。今回の逮捕・起訴により、事件の報道や反応が、当事者(警察・検察も含む)の予想を超えて広がったことに、当惑されていることと想像する。また、医師が抗議の声を上げていることによって、医療に対する不信の念をさらに深めることになっているかもしれない。度重なる報道によって、残された家族は、つらい喪失体験を何度も追体験せざるをえないであろう。医師たちが声を上げた理由をわかりやすく、中立的に説明できる人が側にいて、必要な精神的サポートも受けられるよう、願わずにはいられない。

 さて、前置きが長くなってしまったが、大野病院事件に関する一連の日本の報道を追いかけていて、イギリスではどのように医療に関する苦情(complaints)を解決するのだろう、と興味がわいたので、調べてみた。

 イングランドのNational Health Service(NHS、国営医療機構)を通した医療サービスにおいて、患者が満足できない場合、また、医療事故(医療過誤も含む)を疑った場合、「The National Health Service (Complaints) Regulations 2004」という制度に基づいて、苦情申し立て、解決を図ることができる。これは、「NHS complaints procedure(NHS苦情手続き)」とよばれる、2004年7月に始まった制度で、患者からの苦情をいくつかの異なる機関が調査・処理するよう定められている。(制度は2004年以降段階的に導入され、2006年に一部改良される予定である。)

 患者側にとって身近にある相談窓口は、NHSのPatient Advice and Liaison Service (PALS、患者への助言・協力サービス) である。PALS自体は「NHSお客様係」のようなもので、苦情処理のための機関ではないが、苦情の内容や種類によっては、もっとも早く助言・解決が得られる可能性がある。

 苦情申し立ての一番初めの窓口は、Independent Complaints Advocacy Services(ICAS、独立苦情擁護・代弁サービス)である。ICASは2003年9月に設立された、NHSに対する苦情を処理するための、独立した機関である。患者またはその代理人(介護者または弁護士等)は、医療サービスを受けたNHSのある地域のICASに苦情を申し立てることができる。ICASのサービスそのものは、Department of Health(保健省)が、実績のある(アドボカシーなどの)サービス提供団体と直接契約し、それらの団体を通じて提供される。(現在契約を請け負っているのは、Carers Federation、Citizens Advice、POhWER、South East Advocacy Projectsといった団体である。)イングランドを11の地域に分け、それぞれの地域にICAS地域事務所を置き「地域での問題解決(Local Resolution)」を目指す。苦情処理の方法については、苦情の対象(家庭医、病院、薬局等)や種類・内容によって、細かい指針が定められている。

 ICASの結論に満足できない場合、「地域での問題解決」は断念され、患者は、次に、当該のNHS機関(一次ケアの医療機関またはNHSトラスト)の責任者(トラストのチーフ・エグゼクティブ等)に直接苦情を申し立てることができる。NHS機関側は、苦情を受け取ってから20日以内に、苦情に対する初期回答をする義務がある。苦情の内容によっては、その後、NHS機関内で調査を進め、解決を図る場合もある。

 この回答・処理で問題が解決されない場合、患者は、保健サービス委員会(Healthcare Commission)に独立調査会(Independent Review)を開くよう、請求できる。保健サービス委員会は、保健医療サービス(NHSだけでなく、プライベート・セクターの医療機関も含む)を独立して監査するための機関であり、イングランド内に6つの事務所がある。苦情申し立てに対し、初期調査(Initial Review)をおこない、必要があると認められれば、独立調査会を開いたり、苦情の処理によりふさわしい機関(GMC、Health Service Ombusman等)に調査を依頼し、結論を出す。

 保健サービス委員会の結論に満足できない場合、苦情処理の最終の場は、保健サービス・オンブズマン(Health Service Ombudsman)である。これは正式には、Parliamentary and Health Service Ombudsman(議会ならびに保健サービス・オンブズマン)といい、(1) 政府ならびに国の機関、(2) NHSによる保健サービス、(3) 刑事事件の被害者、の3つの分野に関する苦情処理をする、独立機関である。(政府からも独立している。)

 保健サービス・オンブズマンは、苦情を調査し、もし苦情が事実であれば、それを正すための勧告を出す権限を有する。勧告に法的拘束力はないものの、大抵の場合、NHS側は勧告が出ればそれに従うそうである。また、必要と認められれば、医療機関側に「非を認め、患者に謝罪する」よう勧告することもできる。

 このように、「NHS苦情手続き」は、司法の手を介さずに、患者側・NHS側ともに法的費用を抑え、迅速に問題を解決するためのものである。NHSの公費負担による医療サービスのみを対象にしており、NHSに所属する医師から受けた私費医療に対する苦情は受けつけない。また、患者が、民事裁判を起こしている(または準備している)場合、この制度が使えないこともある。

 苦情の内容が、医師個人の臨床行為や、医師としての資質に起因する場合、上記のNHSに対する苦情と同時または別個に、医師評議会(General Medical Council、GMC)に、医師に対する苦情として申し立てることもできる。GMCは、医師法(Medical Act 1983)に基づき、医師の資格審査・登録を管理している団体である。

 GMCは、苦情を受けると、まず担当の調査官が調査し、必要と判断されれば、医師ならびに一般人(司法関係者や医学以外の分野の専門家)を委員(panelists)とする適性評価委員会(Fit to Practice Panel)を招集し、医師に対する処分を決める。処分は、研修や再教育を命じるものから、資格停止・資格剥奪まで様々である。医師の適性を評価する過程において、医療行為が過誤であったかどうかの判断をする場合もあり得る。しかし、患者への賠償問題には関与せず、これは民事事件として、法廷内外での交渉が必要となる。また、過誤があったと認定しても、GMCは医師に対して、患者への説明・謝罪を命じることはできない。

 医師個人の臨床行為に関しては、その資格認定から登録、懲戒まで、GMCが一括して管理しているため、臨床行為に関する過失・過誤が疑われるケースは、まず、GMCにおける調査が警察による調査に優先されるようである。GMCの調査過程で、刑事事件としての調査が必要と考えられる場合は、GMCの処分決定後に、GMCから警察に告発する形がとられる。

 例外は、医師の処置や裁量を超える明らかな刑事犯罪が疑われる場合で、たとえば、Dr Harold Shipmanの連続殺人事件などである。この場合、GMCは、警察の調査や裁判が終わるまで、関与しない。ちなみに、Dr Shipmanの場合は、有罪が確定し、刑務所に収監された時点で、彼の医師登録はまだ有効であった。

 また、刑事事件で有罪になったからと言って、即資格停止・剥奪にはならず、適性評価委員会を通して、個々に処分内容が決定される。

 以上、イギリスのNHSおよびGMCにおける苦情処理制度を概観してみた。恥ずかしながら、今回こうして調べてみるまで、このような制度があることなど、ほとんど知らなかった。制度が存在することと、それがきちんと機能していることは、まったく別問題であるが、少なくとも、苦情処理のシステムが作られていて、各機関の役割と裁量の範囲が明記されていることは、患者側、医療側双方にとって、いいことだと思う。

 最後に、「日本の医療事故の現状と課題」(国立国会図書館・調査と情報 Issue Brief 433号)という小論文が、日本ならびに諸外国(アメリカ・イギリス・ドイツ)の医療事故に対する現状と制度、課題について簡単にまとめてあり、わかりやすい。

Sunday, May 14, 2006

National Health Service

 National Health Service (NHS、国営医療機構)は、1948年に創設された、貧富の差(医療費を払えるかどうか)に関わらず、そのニーズに応じて、万人が公平に医療ケアへアクセスできる医療制度である。その費用はすべて税金でまかなわれている。

 1948年以前は、慈善団体やヴォランティア団体が運営する病院はあったが、利用者は医療費を払わなければならなかった。低賃金で働く労働者は無料で医療を受けられたが、彼らの家族または、少しでも生活水準の高い労働者には、無料の医療サービスは適用されなかった。無料といっても、あとから払い戻しをする場合もあり、受診時は費用を自分で負担しなくてはならず、その費用が用意できなければ、結局病院にはかかれなかった。

 慈善家や社会改革家が、無料で医療サービスを提供することがなかったわけではない。有名なのはWilliam Marsdenという外科医で、彼は1828年にLondon General Instituteion for the Gratuitous Cure of Malignant Diseases(1844年にRoyal Free Hospitalと名前を変えた。)という施設を作り、貧しい人々を対象に、治療や薬を無料で提供するサービスを始めた。費用は、遺産、寄付、義援金などでまかなわれた。しかし、無料の医療サービスを求める患者があふれ、1920年には破産の危機に追い込まれ、以降、他の病院と同様に、患者に治療費を請求せざるをえなくなった。

 公立の病院はあったが、主に周産期、感染症、精神疾患や精神遅滞、高齢者のための医療サービスを提供していたようである。

 そんな状況のもと、1948年7月5日、NHSが産声をあげた。病院での医療サービス、家庭医(医師、薬剤師、眼鏡技師、歯科医師を含む)による医療サービス、地域での医療サービスをひとつの組織のもとに統合し、すべて無料で公平に提供するという、画期的な制度であった。

 しかし、開始早々、NHSは大きくつまずく。初めての試みのため、実際のコストの予測が難しかったことに加え、組織が大きいために管理コストが膨らんだ。さらに、医療技術の進歩と新しい薬物療法の導入、国民の期待と需要の増加のために、実際のコストは予測を大きく上回った。

 開始の翌年には、処方料を導入することが決められ、1952年、1シリング(=5ペンス)の処方料と、1ポンドの歯科治療費が導入された。(処方料はその後もずっと有料で、現在は1アイテムにつき6.4ポンドである。歯科治療費も完全無料ではなく、一部負担する必要がある。)

 NHSは、イギリスの4つの地域(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)により、運営のしかたが多少違う(らしいが、どのように違うのかはよく知らない)。イングランドのNHSがどのように機能しているのか、ホームページに載っている図をもとに、簡単に説明しよう。

 NHSの医療サービスは、Primary care(一次ケア、円の青い部分)とSecondary care(二次ケア、円の赤い部分)から成る。

 一次ケアは、専門医の知識・技術を必要としない、一般の病気やけがに対する治療、予防医学、患者教育などが、主に家庭医(General Practitioner, GP)を通じて提供される。居住する住所によって登録できる家庭医が決められており、1人の家庭医にしか登録できない。登録するとNHS登録カードなるものが発行され、医療に関するすべての個人情報はその家庭医のもとに保存される。イギリスならびにEU加盟国の市民は無条件で登録する権利がある。また、6ヶ月以上の正規の滞在査証をもつ外国人も、登録する資格がある。外国人旅行者は登録できない。

 NHS Directは、24時間アクセス可能な、電話による情報提供または医療相談のサービスである。NHS Walk-in Centreでは、登録・予約が不要で、比較的軽度の病気やけがに対する処置が受けられる。ともに医師はおらず、看護師が主体のサービスである。

 二次ケアは、より専門的な医療サービスである。通常、いろいろな専門科のある病院(NHSトラスト)を通じて提供される。また、病院や地域による精神保健、学習障害や高齢者を対象にした医療サービスもある。患者が直接二次ケアに行くことはできず、家庭医からの紹介が必要である。Accident and Emergencey (A&E)における救急医療も二次ケアに含まれる。急な病気・けがの場合、家庭医の紹介は不要で、直接A&Eに行ってもいいし、救急車を呼んでもいい。外国人旅行者の急病やけがの場合は、A&E経由で、その病気やけがの治療に関してのみ、無料で治療を受けることができる。

 NHSがどのように医療サービスを提供するかという、国レベルでの政策をたてるのは、Department of Health(保健省)である。1998年以降、NHS Reform Programme(NHS改革プラン)のもと、重点分野や、数的・質的目標(待機時間の減少など)を設定し、予算配分を決定している。

 これらの政策は、イングランド各地域にある28のStrategic Health Authorities(SHA、戦略的保健機構)が、中央政府や保健大臣にかわって、担当地域のPCT(下記)や二次ケアの提供者が、地域のニーズに基づき、どのようなサービスを提供するかという「戦略的」政策をたて、PCTに指示し、その成果をモニター・評価する。いってみれば、保健省とPCTの橋渡し役である。

 さらに小さく分けられた地域ごとの医療サービスの種類や量を決定し、管理するのは、Primary Care Trust(PCT、一次ケアトラスト)である。イングランド全域に300以上のPCTがあり、約80%のNHS予算がPCTによって管理されている。PCTは、担当地域の医療・社会福祉のニーズを評価し、そのニーズに見合うサービスを提供する役目をになう。一次ケアはPCTが直接管理・運営している。二次ケアに関しては、PCTは二次ケアを提供するトラスト(提供者、provider)と契約を結び、サービスを「購入」する(購買者、purchaser)。ニーズの変化に応じて契約を毎年見直すことにより、PCTは二次ケアのサービス内容や財政を間接的に管理している。

 以上が、ブレア政権で「改革」された、NHSの現在の概要である。さらに詳しく知りたい方は、NHSイングランドのホームページの「About the NHS - How the NHS Works」に、各項目ごとの解説があるので、そちらをどうぞ。変化のペースが早いので、1年後にはまた少し変わっているかもしれない。

 NHSの、創設から現在までの歩みについては、NHSのホームページに、1948年以降10年単位でまとめてある。簡潔にまとまっているが、労働党が政権を握った1997年以降の記述については、自画自賛の感があるので、多少斜に構えて読んだほうがいいと思う。

 また、日医総研の森宏一郎氏が、これらの情報をもとにさらに肉付けし「NHSの歴史」と題して、日本語でのエッセイを書かれていて、ひじょうにわかりやすい。

Monday, May 08, 2006

Metroは天下のまわりもの

 私は地下鉄とバスを使って通勤している。自宅から職場まで、約30分ほどかかる。地下鉄に乗っている時間は20分弱なので、読書をするにはやや短い。バスと違って、景色を眺めるわけにもいかず、中途半端な時間である。

 そんな朝の通勤の友は、「Metro」である。これは、月曜から金曜まで発行されるフリーペーパーで、ロンドンでは地下鉄の駅に置いてある。

 Metroは、1999年にまずロンドンで創刊された。20分で読めるほどの新聞ということでデザインされており、タブロイド・サイズで、折り目のところはホチキスで閉じられている。創刊後、発行部数・発行都市ともに拡大し、今では、イギリスとアイルランドの12都市であわせて100万部を超える発行部数を誇り、実際の読者数は170万人と言われる。これは、日曜版をのぞく新聞発行部数で、The Sun、Daily Mail、Daily Mirrorに次いで4位である。(Wikipediaより。)

 フリーペーパーとはいえ、国内ニュースに加えて、国際ニュースや地方のニュースもカバーしている。エンターテイメント(芸術・映画・シアター)の情報はとくに充実している。映画評に関しては、私は、日刊紙の中では Metroが一番信頼できると思っている。

 困ったことに、私が使っている地下鉄の入り口には、Metro専用ラックが置かれていない。そのため、Metroを手に入れるのは、地下鉄に乗ってからになる。電車がホームに入ってくる時に、Metroが捨ててある座席がある車両を注意深く選ばなくてはならない。

 ロンドンでは、人が読んで捨てていった新聞を拾って読むのは、別に恥ずかしいことではない。とくに、Metroの場合は、そうである。(だからこそ、読者数が発行部数の1.7倍になるのだと思う。)よって、Metroを車内で手に入れようと考えている人は他にもいるので、競争が生じることもある。恥ずかしくはないとはいえ、電車のドアが開くなり、Metroめざしてダッシュするのはさすがに気が引ける。周りの人の様子を横目で見て、さりげない風をよそおいながらも、抜け目なく、窓際や座席に置いてあるMetroを手に取り、席に着かなくてはならない。

 8時半前後に電車に乗ると、山ほどMetroが捨ててあり、不自由しないのだが、それより早かったり、遅かったりすると、供給量が減り、Metroを読めないこともある。朝の通勤は、Metroが手に入ることが条件付けになっているため、たまたま手に入らないと、約20分間、気分が落ち着かないまま、電車に乗っているはめになる。

 Metroに関して、いつも不思議に思うことがふたつある。

 Metroは、Associated Newspapersという会社が発行しているのだが、この会社は、Daily Mail(日刊のタブロイド紙)とEvening Standard(ロンドンの夕刊紙)も発行している。ひとつの会社が3つも新聞を発行していて、それぞれ足を引っ張って売り上げに影響しないのだろうか。

 もう一点は、朝の地下鉄に山ほど放置されるMetroは誰が片付けるのだろうかという疑問である。もちろん、地下鉄の清掃の人なのだろうけど、Associated Newspapersは、この清掃に何らかの費用負担をしているのだろうか。それとも、Transport for London(ロンドンの地下鉄を管理している団体)が、ロンドン市民に20分とはいえ活字に触れる機会を作ってくれてありがとう、とか、Metroを読んでいる間は乗客がとりあえず静かにしているから助かる、などという理由で、逆にAssociated Newspapersに感謝しているのだろうか。

 まあ、私の小さな疑問など、毎日ちゃんとMetroが読めさえすればどうでもいいのだけれど。ちなみに、私は、週に1回くらいは、他の新聞を買って読んでいる。日系のフリーペーパー(日本語で書いてあり、日本のニュースも読めるフリーペーパーが4つある。)も、手に入る時は必ず読んでいる。

Sunday, May 07, 2006

Prefix & Suffix

 イギリスで手紙や書類を見ていると、人の名前のあとに、たくさん、訳の分からない略語がくっついているのを目にすることがある。また、人の名前の前にはタイトルがついている。たとえば、こういうふうになる。

  Dr David Beckham, BSc(Hons), MB BS, MSc, PhD
  Prof Sir Elton John, MB BCh, MD
 前につく(prefix)のは、タイトルで、Mr、Mrs、Ms、Miss、Dr、Profなどである。イギリスは爵位制度があるため、時にSirもある。Sirのついている人は、他のタイトル(ProfやDr)のあとにSirをつける。

 余談であるが、イギリスではアメリカほどMsは普及していない。いまだに、MissとMrsしか選べない場合がある。ヨーロッパ大陸ではさらにこの傾向は顕著で、Msって何?と聞かれたことが何度もある。

 内科系の医師はDrを使うが、外科系はMr、Mrs、Missを使う。(Msは見たことがない。)ある看護師が、せっかくドクターになるために研修して、またミスターに戻るなんて、と笑っていたことがある。

 私自身は、仕事と直接関係しない部分では、Drと呼ばれなくても気にならないので、普段はとくに聞かれないかぎりMsを選んでいた。(MissとMrsしかないほうがよっぽど腹が立つ。)そのため、私のところに届く文書はMsとDrとが混在している。ところが、先日、Ms Akanuma宛の文書ではDr Akanumaの身分証明ができないという、ばかばかしい「事件」がおこり、それ以来Drで通すことにした。

 さて、話がややこしくなるのは、名前のあとの略語(suffix)である。なかには、これでもかというように、それまで取得したすべての資格の略語をくっつける人がいるのだ。私が今まで見た中で一番たくさんついていたのは、7つである。だいたい、そんなにたくさんついていても、門外漢には、どれが何の資格の略語なのかちんぷんかんぷんで、ありがたくもなにもない。

 Wikipediaの「Academic degree」には、6項目、90あまりの学位の略語が出ている。これ以外にも、diplomaなどもあるので、実際には100以上あるのだろう。

 日本にいる頃読んだ英文の書き方の参考書には、prefixかsuffixかどちらか一方を書き、両方一緒に記載するものではないと書いてあったのだが、これはアメリカ式で、イギリス式でないのはまちがいない。

 一番高位の資格だけ書けばいいだろうにと思うのだが、お金と時間をかけてとった資格なのだろうから、そうもいかないのだろうか。

 GMC(General Medical Council)のホームページでは、登録している医師の卒業大学、GMC登録年次、登録の詳細を、オンラインで検索できる。私の学位は、「Igakushi(医学士)」と登録されている。実際は、私の医学部の卒業証書には「学位記」と一番上に書いてあり、文中に「医学の学位を授与する」とあるだけで、医学士の言葉はどこにもでてこない。GMCに登録している他の日本人医師のDegreeも医学士だったので、おそらく、GMCの手元にある、日本の厚生省の公式書類かなにかに、そのように記載されているのだろうと想像している。

 しかし、Igakushiと名前のあとにくっつけても、こちらの人には意味不明なので、私はMB BSを使っている。これは、内科系および外科系両方の医学を修めました、という資格(Medical Bachelor degree)の表記方法の「ひとつ」である。

 それでは、内科系または外科系の片方の学位しかとれない場合があるのかというと、あるのである。University of Southamptonでは、Bachelor of Medicine (BM)の学位が授与される。

 「ひとつ」と書いたのは、他にも異なる表記方法があるからである。医学部(内科系および外科系)卒業の学位は(Medica Bachelor degree)は、ラテン語では、「Medicinæ Baccleureus, Chirugiæ Baccleureus」または「Baccalaureus in Medicina et in Chirurgia」といい、前者がMB ChB、後者がMB BChirと略される。英語では「Bachelor of Medicine, Bachelor of Surgery」で、略語はBM BSとなる。ラテン語と英語が混合され、BM BChとかMB BSと表記されることもある。大学によって表記方法が異なるようである。

 同じ資格なのに表記法が違うと混乱するから統一したら、などというのは、アメリカ的、日本的な考え方で、イギリスではおそらく通用しないのだろう。

 私の英文の卒業証明書には、「Doctor of Medicine」とあるのだが、イギリスでは、Doctor of Medicine(MD)というのは、医療従事者が、主に臨床医学の分野の研究で得る学位であるため、私はあえて使っていない。

 アメリカでは、Doctor of Medicine (MD)が医学部卒業の資格である。これは、アメリカの医学部は、他の4年制学部を卒業しないと入学資格がない、大学院にあたるためである。一般に、イギリスのMB BSがアメリカのMDと同等であるという説明されることが多いが、これは必ずしも正しくないと思う。

 いずれにせよ、フル・コースの場合、私は、prefixひとつ、suffix2つとなるのだが、よっぽど偉そうに見せたり、かっこつけなければならない場合を除き、名前の前にDrをつけるだけですませている。

Saturday, May 06, 2006

Membership

 昨日は、私のチームのスタッフ・グレードの精神科医であるHの、王立精神科学会の会員資格(Membership of the Royal College of Psychiatrists, MRCPsyc)の授与式だった。昨年の秋の会員資格試験(membership examination)に合格した数百人が出席し、数人の学会役員などからのスピーチに続いて、学会の偉い人からひとりひとり会員証を渡され、写真を撮り、そのあと、合格者がいくつかのグループに分かれてさらに集合写真を撮ったそうである。

 Royal College of Psychiatrists (RCPsych)は、イギリスおよびアイルランドの精神科医を対象とした学会である。前身であるAssociation of Medical Officers of Asylums and Hospitals for the Insane(なんという名前!)は1841年に創設され、Medico Psychological Associationと名前を変えた後、1926年に王室の認可を受け、Royal Medico Psychological Associationとなり、1971年より現在の名称となっている。

 RCPsychは、会員資格試験を運営し、研修病院の監査・承認をするほか、精神科医の生涯学習(continuing professional development, CPD)のためのさまざまな活動を企画・運営したり、学会や講演会を開いたりしている。一般への精神保健・精神疾患に関する啓蒙活動もしている。British Journal of Psychiatry、Psychiatric Bulletin、Advances in Psychiatric Treatmentは学会が発行している雑誌で、それ以外にもいろいろな出版物を発行している(そうである)。

 MRCPsychというのは、いってみれば「精神科専門医になるための前期精神科研修修了証明」とほぼ同義語である。会員試験は二段階に分かれ、一次試験(Part 1)と二次試験(Part 2)があり、それぞれ年に2回行われる。Part 1は、精神科前期研修を12ヶ月間修了した時点で、Part 2は、Part 1に合格し、かつ、前期研修を30ヶ月間修了した時点で受験資格が与えられる。最近の合格率は、Part 1・Part 2とも、複数受験者の合格を含めて、50%程度だと聞いている。会員になって初めて「精神科医」と名乗れるようになり、後期研修のSpecialist Registrarのポストに応募することができるようになる。

 さて、私の場合、日本での研修・臨床歴がイギリスの後期研修修了と同等にあたるとみなされて、こちらでの研修なしで精神科専門医となったため、MRCPsychの試験は受けていない。よって、RCPsychの会員ではない。会員でないと、仕事に支障が出るほどではないものの、時に不便なことがある。たとえば、コンサルタントは CPDの活動を記録するために学会の運営するCPDシステムに登録するよう求められているが、会員の場合、無料で学会の電子CPDシステムに登録できるのに、非会員は年間150ポンド払わなければいけない。また、会員でないと参加できない学会や研究会がいくつかある。

 学会費は高いけれど、ことあるごとに入会するよう勧められるので、会員になるのもやむなしかと思い、RCPsychに入る方法があるかどうか調べてみた。

 まず、正規の会員はもちろん試験を受けなければいけないので、無理である。

 ほかに、Affiliateship(あえて訳せば、準会員となるのだろうか。)とInternational Associate(国際会員)がある。Affiliateshipは、MRCPsychは持っていないが、イギリスまたはアイルランドで、精神科研修医やコンサルタント以外のポスト(Staff GradeやAssociate Specialistなど)についている精神科医が対象である。International Associateは、MRCPsychは持っていないが、5年以上の精神科経験があり、精神科専門医の資格を持つ、イギリスまたはアイルランド以外に住む精神科医が対象になる。

 私は、MRCPsychは持っていないが、精神科専門医資格を持ち、イギリスに住んでいて、コンサルタントのポストについているので、どちらにも該当しない。つまり、どうやっても学会には入れてもらえないのである。

 私のように、学会に適当な会員資格がないために入れない精神科医は年々増えているようである。たとえば、EU加盟国出身者は、自国での研修が自動的に認められるため、イギリスまたはアイルランドに行ってSpecialist Registrarまたはコンサルタントになれば、結果として私と同じような立場になる。

 この問題に対処すべく、学会では、外国で研修したためにMRCPsychを持っていないSpecialist Registrarまたはコンサルタントを対象とした、新しい会員資格をつくる準備をしているようである。新しい資格の仮称はAssociate Member of the Royal College of Psychiatrsits (AMRCPsych)という。

 ちなみに、このMRCPsych、登録料が141ポンド、年会費が334ポンドである。AMRCPsychも、年会費は同じになる予定である。税金の控除対象になるとはいえ、高い!

Thursday, May 04, 2006

PAMSその弐

 私のいるチームPAMS(Placement Assessment & Management Service)は、今年の1月に、ランベス区の精神保健医療サービスの組織改編(Lambeth 10-Year Review)によって生まれた新しいサービスである。

 昨日のInterface Meeting(月に1度、ランベス区の成人精神保健医療部門のコンサルタント、シニア・マネージャーたちが集まり、成人精神保健と他の分野ー司法精神医学等ーとのinterfaceについて話しあうミーティング。)は、成人精神保健とリハビリテーション精神医療のinterfaceについてがテーマだった。リハビリテーション部門に与えられた時間が90分。私も、「Placement Assessment & Management Service: The First 3 months」と題し、チームの概略と、3ヶ月の間にわかったこと、今後の課題について、20分ほど話した。

 約2ヶ月前に「PAMSその壱」を書いたときは、チームがフル稼働する前で、なにもかもが手探りの状態だったので、チームの実際の役割について、私自身もよくわからなかった。今回、トークのために突っ込んで考えざるをえなくなり、頭の中が少し整理されてきた。

 そんなわけで、PAMSその弐では、PAMSが発足するまでに至る歴史に触れることにする。

 成人の地域精神保健には大きく分けて医療ケア(clinical care)と社会福祉ケア(social care)がある。社会福祉ケアは、ベネフィット(公的扶助)や、利用者のニーズに応じた入居施設(レジデンシャル・ケアやナーシング・ホームなど)の選定・費用負担を含む。従来、医療ケアは、一次医療は家庭医が、二次医療は地域精神保健医療チームが担ってきた。いっぽう、社会福祉ケアは、社会福祉事務所内の成人精神保健部門が担当してきた。地域精神保健医療チームには、医師と看護師、作業療法士といった、医療従事者しかおらず、社会福祉事務所の成人精神保健部門は別にオフィスを構え、必要に応じて協力する体制をとっていた。

 しかし、精神保健では、医療と社会福祉は複雑に関連しており、時に線引きをすることが難しい。たとえば、慢性の精神疾患の患者で、疾患の経過または後遺症として日常生活機能が低下し、地域で単独で暮らすのが難しくなることがある。レジデンシャル・ケア施設に入所し、治療と社会福祉ケアを受けることになるが、どこまでが医療単独の問題で、どこからが社会福祉単独の問題なのかは、はっきりしない。

 また、組織が分かれていると、連携がとりにくく、必要なケアを提供するのに不必要に時間がかかることがままある。

 そのため、精神保健医療と社会福祉事務所の精神保健部門を統合する動きがおこり、ランベス区でも2001年に、Integrated Mental Health and Social Care Serviceとして統合され、すべての地域精神保健医療チームにソーシャル・ワーカーがチームの一員として配属されるようになった。ランベス区の5つの地域それぞれに、Assessment and Treatment TeamとCase Management Teamの2つのチームがあり、それぞれにチーム・リーダーがいるが、どちらかは看護師出身者で、もう一方はソーシャル・ワーカー出身者とすることも決められた。この結果、社会福祉ケアが地域精神保健医療チームの仕事の一部となり、チームとしてより総合的なケアを提供できるようになった。

 しかし、問題は残った。ランベス区のストレッタム(Streatham)地域には、歴史的に、レジデンシャル・ケア施設が固まっていた。また、ランベス区は、イングランドの中でも、もっとも多いレジデンシャル・ケアの入居者数を抱えていた。しかし、忙しい地域精神保健医療チームの日常業務の中で、施設に入居している患者は、とりあえずケアをする人間がいるという安心感からか、優先されることが少なかった。また、ランベス区内では施設が足りず、区外の施設に頼らざるをえない場合が多い。患者がランベス区外の施設に入居した場合、医療ケアは家庭医または施設のある地域の地域精神保健医療チームに移るが、社会福祉ケアおよび費用負担はランベス区のままである。しかし、物理的な距離のために、患者の変化や、施設のケアの適切さをモニターするのは至難の業であった。

 さらに、レジデンシャル・ケア施設は決して終の住処ではなく、患者の回復やリハビリが進み、日常生活機能が向上したら、よりサポートの低い施設、または、単独での生活に移るのが望ましい。近年のリハビリテーションに対する考え方の変化や、社会福祉ケアにかかる費用負担の増加に伴い、患者に自立を促す動きが強まってきている。より自立度の高い環境へ移ることをmove-onというが、患者個々のmove-onの可能性を評価し、move-onを実現させるには、時間も人的資源も必要で、従来の地域精神保健医療チームにこの役割を担えないことが次第にはっきりしてきた。

 こういった問題を解決するために、2003年に、Streatham Hostel Teamという、レジデンシャル・ケア施設入居者を専門に担当する小さなチームが、南西チームの中に作られた。南西チームのCase Management Teamの看護師が2人兼任し、Specialist Registrarが週に1日、医療面のサポートをした。

 また、社会福祉事務所内に、Palcement Assessment and Monitoring Team (PAMT)というチームが同じく2003年に作られた。これは、ソーシャル・ワーカーと作業療法士からなり、レジデンシャル・ケア施設の監視や、入居者のmove-onを促すためのチームであった。

 折しも、ランベス区のレジデンシャル・ケア施設入居者がひじょうに多いことが、外部の監査機構からも指摘された。また、苦しい財政下、当然ながら、この費用は、社会福祉事務所に大きく負担となっており、コスト削減も火急の目標となった。

 そんな流れの中で、Lambeth 10-Year Reviewを機に、Streatham Hostel TeamとPAMTが合体し、発展する形で、PAMSが作られた。チームはSLaM(South London & Maudsley NHS Trust Lambeth Directorate)の一部であるが、マネージメント体系としては、SLaMのリハビリテーション部門と社会福祉事務所成人精神保健部門の社会福祉ケア部門の両方の管轄下にある。チームの運営予算は多くが社会福祉事務所から出ている(らしいが、本当のところ、よく知らない。)

 PAMSの主な役割は、次のようなものである。

  • レジデンシャル・ケア施設入居者のニーズがきちんと評価され、ニーズに見合った精神医療および社会福祉ケアが受けられるようにすること
  • 施設が、入居者のニーズおよび費用に見合ったサービスを提供しているか(value for money)を監視し、必要であれば改善の手助けをすること
  • 可能であれば、患者がより自立した環境へ移っていくmove-onをサポートすること
 社会福祉事務所が主導して作られたチームであり、コスト削減は、昨年度の予算の時点ですでに織り込み済みだったため、チーム発足前は、PAMSができ次第、患者のケアのレベルが落ちるのではないかとか、施設入居者をすぐに減らす方向に動くのではないかという憶測を呼び、リハビリテーション部門のコンサルタントたちは、憂慮していたそうである。

 また、move-onの言葉ばかり一人歩きし、PAMSが活動を始めれば、PAMSが患者を自立した環境へ移していってくれる、そして結果としてレジデンシャル・ケアにかかる費用を減らすことができるといった、医療・社会福祉両面からの期待も、一部にはあるようである。

 ようやくチームとして機能し始めたばかりだからまだ何とも・・・、などと外交的なコメントを繰り返しているものの、3ヶ月間たってみて、憂慮も期待もやや的外れであるというのが、私の正直な感想である。

 どのように「的外れ」であるかは、昨日のトークで「Current Issues」という副題で触れたので、次回、PAMSその参で書くことにする。

Saturday, April 29, 2006

半隠居祝

 今日は久しぶりに二日酔いである。ゆうべ、遅くまで飲んでいたせいだ。

 ゆうべは、ソーシャル・ワーカーTの「semi-retirement party(半隠居祝)」だった。Tは、40代後半(たぶん)の男性ソーシャル・ワーカーで、ランベス区で22年働いてきて、今は、南西チームのAssessment & Treatment Teamにいる。5月からは、週に2.5日のパートタイムで働くことになるので、彼自身と、ソーシャル・ワーカー仲間たちから、ほぼ同時に、「フルタイムからの引退」を祝う飲み会が提案された。

 Tは、同僚からの信頼も厚い、優秀なソーシャル・ワーカーである。製薬会社がスポンサーになるチームの飲み会には、「非倫理的だ」と、頑として出席せず、Mental Health Act Assessmentのための医師を、患者への態度の善し悪しによって選り好みするという、信念の人でもある。

 Tとは、一度だけ一緒に仕事をしたことがある。私が前のチームで仕事をしていたとき、病欠だった彼のチームのコンサルタントのピンチヒッターで、緊急の家庭訪問に行った。患者は60代の女性で、教科書に出てくるような典型的な躁症状を、丸ごとセットで示していた。未治療の躁エピソードで、患者はほとんど寝ておらず、重度の身体疾患のある、ほとんど動けない夫が、きちんと世話も受けられないまま、彼女の傍らに横たわっていた。家には7匹の猫がいて、彼女が躁状態になってから招き入れたホームレスが2人、同居していた。臨床的にも、社会福祉の面でも深刻な状況だったが、患者は底抜けに明るく、楽しそうで、Tも私も、何度も思わず笑わってずしまうような、おかしな診察だった。これは、その後もTと顔を会わすたびに話題にのぼる、忘れられない、興味深い事例となった。

 この家庭訪問、予定外で、私にしてみれば、他に医者がいないからとTに泣きつかれ、びっしりのスケジュールのなか、なんとか時間をやりくりしたのだった。Tもそれを知っていて、恩に感じてくれているのか、その後もことあるごとに、私に褒め言葉をくれる。

 飲み会は盛会で、5時半頃から、会場のパブに人が集まり始め、いくつかのテーブルにわかれて、ひたすらみんな、飲んで、しゃべって、笑った。(ちなみに、イギリスの飲み会の常で、人はみな、ひたすら飲むだけで、食べるものと言えば、ポテトチップスやナッツくらいである。)

 8時過ぎになって、ようやくTと話すことができた。5月から彼は、ソーシャル・ワーカーとして仕事をした残りの週2日半を、ゲシュタルト療法のプラクティスに使うそうである。ゲシュタルト療法ではそんなに稼げないので、家のローンが払えなくなるかもしれないなどと言いながら、笑っていた。もう、毎日仕事のことでストレスを感じるのは十分だ、これからは、歩いていて、道端の薔薇の香りに気がつけるような生活をしたい、このままこの仕事を続ければ、燃え尽きてしまうかもしれないから、ちょうどいい時なんだ、と言っていた。もしうまくいかなかったら、またフルタイムに戻るという選択肢もあるし、とさらに笑った。

 他のソーシャル・ワーカーに教えてもらったのだが、ランベス区では、勤務時間について、かなり、融通が利く。Tのように、週2-3日のパートタイムで働くこともできるし、フルタイムの週35時間分を、週5日ではなく4日に振り分けて働くこともできる。有給休暇をすべて学校の休暇期間にまわし、子供が学校に通っている期間のみフルタイムで働き、休暇中はいっさい働かない、そのかわり有給休暇はなく、休んだ場合は給料からその分差し引かれる、という制度もある。

 チームの立場からすると、誰かがパートタイムにうつれば、チーム全体としての人員は減る。減った分がすぐに補充されるのは稀だし、だからといって、チームとしての仕事の全体量が減るわけではない。では、どうなるかというと、チームとしてできる範囲ではカバーするが、カバーしきれない時はしきれないので、しかたがないのである。仕事に優先順位をつけて、優先順位の低い仕事は、後回しにされるだけである。

 誰も、他人の選択についてとやかく言わない。粛々として、そういうものと受け止め、自分に与えられた仕事だけに励む。そして、人が足りなかろうと、誰もが、きちんと有給休暇を消化する。また、風邪のひきかけであっても、病休をとることも忘れない。

こんな環境の中、30日の年休と、10日の研究休暇が保証されているというのに、チームが立ち上がったばかりだから心配で休めない、などとほざきながら、もう5月になるというのにまだ1日も休んでいない私は、みんなに「ちゃんと休暇を取らなきゃだめ」と叱られるはめになるのだ。

 それでも、ほんのちょっとだけ無理をして他人の分の仕事をして、興味深い経験ができて、そのあとも、ことあるごとに褒め言葉をもらえるというのは、悪い話ではないと、私は思っている。まだ1年しか働いていないのだし。

 ともあれ、 Tの半隠居生活が、ハッピーなものになるよう、心から祈る。

Wednesday, April 26, 2006

分数?

 下の3つの数字、どういう意味かおわかりになるだろうか。

  1/7
  1/52
  1/12
 それぞれ、1日、1週、1ヶ月の簡略表記である。カルテの記録や、処方箋の処方期間などに、頻繁に用いられる。

 1週間や1ヶ月は、分母が1年の週数、月数なので、わかりやすい。しかし、1日の分母がなぜ365ではないのだろう、とちゃちゃを入れたくなる。1週間は7日で、曜日の数は7しかないし、3桁よりも1桁の数字のほうが早く書けて、見やすいからなのだろうと、私は勝手に解釈している。

 この表記法、一見なんてことなく使いこなせそうに見えるが、意識せずに読んだり書いたりできるようになるのに、数ヶ月かかった。いったん慣れると便利である。

Friday, April 21, 2006

実力行使

 臨界点はある夜突然やってきた。昨夜、布団の中でなかなか寝つけずにいたとき、突然、もうこれ以上我慢できないという気持ちが、ほんとうに唐突にわき起こったのだ。

 私のオフィスのことである。2月27日に今のチームベースに引っ越してから2ヶ月もたとうというのに、私のオフィスはいまだに片付いていなかった。いくつかのこわれた本棚や机は運び出してもらったが、いまだに6つのファイルキャビネットが、入り口と私の机の間に壁のように立ちふさがっていた。また、カルテの入った段ボールの箱が約20箱、入り口に積んであった。電気のスイッチのすぐ上の、天井からの水漏れはいまだにそのままで、オフィスの電気は使えない。

 もちろん、2ヶ月間、私が何もせずにいたわけではない。チームが担当する患者のカルテは、全部自分たちで片付けた。チームのマネージャーや、リハビリ部門のマネージャーに、何度も修理や家具の移動を頼んだ。カルテの箱の責任者のマネージャーCにも、やんわりと、なんとかしてほしいと申し入れた。みんな、申し訳なさそうな顔をしたり、慰め合ったりはするものの、それで終わりで、なんの解決にもならなかった。

 本来、オフィスやチーム・ルームのある建物全体を管理するのは、Centre Coordinatorと呼ばれる人の役目なのだが、うちの建物にはまだこのポストがない。そのため、秘書さんたちを管理・指導するビジネスマネージャーVが、当面、この役を担うはずだった。ところが、彼女はどこで何をしているやら、ちっとも顔を見せず、たまに顔を出すと、仲のいい秘書さんとおしゃべりしているだけであった。一度、水漏れの修理の手配を頼んだら、私が自分で担当者にメールを送るようにいわれ、それ以来、あきれて頼むこともやめてしまっていた。彼女の上司には、苦情を申し立ててはおいたが。

 問題は、私の親切心にもあった。カルテの箱は、私や私のチームには何の関係もない。カルテをすべて電子化するための最初の段階として、臨時の職員が、患者名とカルテの種類・数を照合し、記録する作業をしている。部屋もコンピュータもないまま、あいているコンピュータを求めて、あちこちの部屋で仕事をしていた彼を見かねて、私が「1週間ほどのつもりで」救いの手を差し伸べてしまったのがはじまりであった。本来ならば、マネージャーCが、彼のためのデスクやコンピュータ、箱の保存場所を手配するべきなのだが、いったん保存場所を確保したら、ちっとも動かない。

 ともあれ、もう2ヶ月経った。このオフィスには、もう、我慢できない。このままでは、出勤拒否症になってしまう。自分で解決するしかない。

 今朝、職場に着くなり、私は実力行使に出た。まず、6つのファイルキャビネットのうち4つを、同僚に手伝ってもらって、部屋の外に運び出した。私のオフィスは2階にあって、とても下まで運べないので、しかたなく、階段に一番近い、秘書室の前に置いた。建物の安全責任者が見たら渋い顔をするだろうけと、幸か不幸か、この建物にはまだ安全責任者もいないし、建物の安全評価もされていないのだから、大丈夫。(だいたい、安全責任者がいたら、オフィスの水漏れをそのままにはしておかないだろう。)

 カルテの箱は、改装したあとで、新しいマネージャーのオフィスになる予定の部屋に全部移した。この部屋は、持ち主が決まっているとはいえ、改装しないかぎり物置同然の部屋なので、いまさら箱が多少増えても、たいした影響はない。

 いらないものを全部出して、残った家具を移動し、ようやく私のオフィスは、まだまだ殺風景ながらも、オフィスらしくなった。もやもやしていた気分も、嘘のように晴れた。

 一息ついた後、「今日、私のオフィスを少し片付けました。不要の家具は秘書室の前に置いて、カルテの箱は使われていない部屋に移しました。当面、誰の仕事にも影響しないと思います。」というメールを、関係するすべての人あてに送った。

 そうしたら、すぐに、ビジネスマネージャーVと、マネージャーCから返事がきた。Vは、月曜日に様子を見に来るそうである。キャビネットが不要ならば、移動の手配も考えると言っていた。Cは、たぶんあと2週間くらいで、臨時職員の作業が終わるだろう、自分は、どうせあと2週間なんだから、箱は廊下に置いておけばいいと言っていたんだ、などと言い訳していた。もし、作業が終わる前に改装工事が始まったら、箱の保存場所を探すのは彼の役目である。

 私の実力行使は、それ以外の人たちからは賞賛された。私の同僚は、私のオフィスがようやく落ち着いたことを喜んでくれた。とくに彼らは、普段からビジネスマネージャーVの無責任さを不快に思っているので、私がキャビネットで、「彼女の」秘書室の入り口と、その前に置いてある「彼女の」棚を塞いだことに、拍手喝采していた。(自己弁護するなら、私は他に置き場所がないからそうしただけで、決してわざとしたわけではないのだが。)

 誰も、他の人の部屋に物を勝手に動かしたり、廊下にキャビネットを放置したなどと言って、私を責めたりしなかった。あるマネージャーからは、我慢しすぎだ、もっと早くそうするべきだったのにと言われた。後ろ指さされるのを覚悟での実力行使であったが、みんなに賞賛されて、やや気合い抜けした。

 無責任さが「英国式」であると言うわけではない。イギリスにだって、ちゃんと責任を持って仕事をしている人たちはいるし、「困った時にはお互い様」という感覚もある。ちょっと親切が倍になって返ってくることも、もちろんある。ただ、一般的に、こちらの人は日本人ほど他人の目を気にしないので、無責任な人が無責任なままでのさばっていられる、という面は大いにある。そんな人でも、いったんことが自分の身に及べば、何かせざるを得なくなる。相手がどちらのタイプか見極めて、無責任な人の場合は、親切は徒になるだけ、実力行使が唯一の解決手段と心得ることが、精神衛生上よさそうである。

Wednesday, April 19, 2006

クロザピン

 PAMSは、今週からようやく自前のクロザピン・クリニックとデポ・クリニックを始めた。チームが立ち上がった1月23日から約3ヶ月。これまでは、クロザピン・クリニックは、他のチームのクリニックに丸ごとおまかせしており、デポ・クリニックは、南西チームに間借りして、PAMSの看護師が出張してクリニックを開いていた。PAMSの引っ越し騒ぎはまだ収拾がつかず、クリニック用の部屋ははまだ改装されていないのだが、自分たちで壁に固定された棚を外し、掃除をして、とりあえず患者さんが入っても大丈夫な部屋にして、クリニックを始めた。それまで他のチームに間借りして、肩身の狭い思いをしていた看護師たちは、とても嬉しそうであった。

 地域精神医療チームと、精神科病院の外来の多くは、看護師が中心になってクロザピン・クリニックを運営している。クロザピンは、「No blood, no tablets(血液検査の結果がなければ薬は出せない)」の方針で処方・調剤がおこなわれているため、クリニックは、定期的な血液検査、患者のモニター、処方・調剤を効率的に、もれなくおこなうためのシステムの一部である。

 クロザピンは非定型抗精神病薬のひとつで、治療抵抗性統合失調症とパーキンソン病に伴う精神病状態にかぎって使用が認められている。イギリスでは1990年に臨床使用が認可され、ノヴァルティス社がクロザリルの商品名で発売している。

 ヨーロッパでクロザピンが初めて導入されたのは1975年であったが、副作用の無顆粒球症と二次性感染のために死亡例が続き、使用が中止された。しかし、1980年代後半になって、クロザピンが治療抵抗性統合失調症に有効であることが報告され(Kane et al, 1998)、また、定期的な血球数のモニター下で使用すれば、無顆粒球症の頻度を抑制できることもわかり、市場に再導入された。

 2002年6月に発表されたNational Institute for Clinical Excellence (NICE)による「統合失調症治療における非定型抗精神病薬に関する指針」によると、2種類の抗精神病薬(うち1種類は非定型抗精神病薬)をそれぞれ6-8週間、十分量で用いて治療しても有意な治療効果がみられない場合、治療抵抗性統合失調症(Treatment Resistant Schizophrenia, TRS)と定義し、その場合、できるだけ早期にクロザピンを導入するよう提言している。この提言は、2006年1月に改訂されたNICEの「統合失調症の治療およびマネジメントの総合的指針」でも、ほぼそのまま用いられている。

 イギリスでのクロザリルのシステムをざっと紹介しよう。

 クロザリルを使うためには、病院または地域精神保健医療チーム(Centre)、処方する医師(prescribing medical officer)および調剤する薬剤師(dispensing pharmacist)が、ノヴァルティス社の運営するClozapine Patient Monitoring Service (CPMS)に登録されている必要がある。この場合の医師は精神科コンサルタント、薬剤師は、病院内の薬局に勤務する薬剤師である。家庭医や地域の薬局は、クロザリルを長期服用している患者で、血液検査が4週間隔であり、精神症状が落ち着いている場合にかぎって、精神科コンサルタントとの合意の上で処方・調剤できるが、例外的なようである。

 治療抵抗性統合失調症の患者で、服薬および血液検査のスケジュールを遵守できる場合、クロザピンによる治療を考慮する。

 まず、患者の血液検査をおこなう。必須項目は、分画を含めた血球数だけである。白血球数 >3.5 x 109/Lまたは顆粒球数 >2.0 x 109/Lであれば「green」、白血球数 <3.0 x 109/Lまたは顆粒球数 <1.5 x 109/Lであれば「red」、その間が「amber」である。血球数がgreen領域にないかぎり、クロザピンを開始できない。

 血球数以外のベースライン検査としては、肝機能、脂質、血糖値、HbA1c、および、体重、血圧、心電図をチェックするよう奨められている。

 血液検査がgreenであった場合、患者をCPMSに登録する。すぐにCMPS登録番号が割り振られ、患者のクロザリル・フォルダー(赤いので、red folderと呼ばれている。)が送られてくる。red folderの中には、血液検査の検体に用いる、患者の名前と登録番号、バーコードのついたシールや、患者や医療者への情報パンフレット、血液検査の結果を保存する台紙などが入っている。このファイルは、通常クリニックルームに保管される。

 患者を登録し、greenの血液検査の日から10日以内に治療を開始しなくてはいけない。治療初期量(12.5mg/日)から治療維持量(平均450mg/日)まで増量するのに、通常3-4週間かかる。この間、1日2回の観察(血圧、全身状態)をしながら増量する必要がある。ランベス区では、外来患者の場合、Home Treatment Teamが毎日患者を訪問し、維持量に達するまでの間、服薬を指導し、観察をおこなう。

 なんらかの事情で48時間以上服薬間隔があいた場合、維持量をそのまま再開することはできず、初期量にもどって、徐々に維持量まで増量しなければならない。

 治療開始後18週間は、毎週1回の血球数測定が義務づけられている。CPMSが採血用キットを送ってくれるので、チューブに1本採血するだけである。。採血したチューブは、キットに含まれているプラスティックのボトルに入れ、パッド入りの紙の封筒に入れて封をした上で、プラスチックの封筒に入れて、そのまま郵便ポストに投函するだけである。

 通常、発送した翌日にはCPMSに検体が届き、すぐに検査にまわされる。結果は当該の薬局に通知され、greenの場合は問題なく、次回分のクロザピンが最長4週間分まで許可される。amberの場合、処方・調剤は続けられるが、血球数がgreen領域に戻るまで、週2回の血液検査が必要である。redの場合は、即、服薬の中止が必要となる。クロザリル服用中にredとなった患者は、Central Non Re-challenge Database (CNRD)に登録され、以後、二度とクロザリルを服用することはできない。

 維持量に達し、血液検査がずっとgreenであれば、18週以後は、血液検査の頻度は2週に1度に減り、52週以降は4週に1度になる。

 血液検査の結果が予定日を過ぎてもCPMSに届かないと、CPMSから「○日まで(猶予期間は患者の血液検査の頻度によって異なる。)に血液検査の結果が届かないかぎり、クロザリルを提供できない。」という通知が、担当の精神科コンサルタントと薬局にFaxで届く。この期限以内にCPMSに検査結果が届かないと、患者は「クロザリル禁止(Clozaril Prohibited)」に分類され、クロザリルの供給が中止される。

 このように、とにかく血液検査のスケジュールを守らなくてはいけないので、患者が予定の検査日に来てくれないと、医療スタッフは、なんとか検査をしなければ、と躍起になることになる。患者の家や施設まで押し掛けていって血液検査をすることも珍しくない。

 クロザピンは日本では未発売である。15年以上も前(私が医者になる前です。)に治験がおこなわれたが、無顆粒球症による死亡例を受けて、打ち切られたと聞いている。ノヴァルティス・ファーマのホームページには、現在も「申請中」とある。(治験申請中なのか、承認申請中なのか、わかりません。)また、日本臨床精神神経薬理学会のクロザピン検討委員会が、クロザピンの早期導入に向けて、厚生労働省に働きかけているそうである。

 家庭医制度がなく、患者に医師や医療の場の選択権のある日本の医療保険制度のもと、どのように担当医師と調剤薬局を固定し、併用薬も合わせてモニターするかという点は、クリアしなくてはいけないであろう。

 さらに、患者情報および検査・調剤状況を一括管理するためのシステムの構築が必須であろう。おそらくノヴァルティス・ファーマがイギリスのCPMSやアメリカのClozaril National Registry (CNR)のようなデータベースをつくることになるのであろう。

 忘れてはいけないのは、クロザピンがものすごく高価であることである。NICEの指針によると、患者1人あたり1年間にかかる平均薬価は、定型抗精神病薬が70ポンド(今日のレートは1ポンド=209円)、クロザピン以外の非定型抗精神病薬が平均1,220ポンド(700-1,900ポンド)、クロザピンが2,990ポンドである。また、血液検査が1回20ポンドなので、初年度は検査だけで最低700ポンドかかる。この薬価をそのまま患者負担に反映させれば、高い薬価および検査費用ゆえに患者がクロザピンによる治療を望まないということも当然予想される。しかし、クロザピンによって治療抵抗性統合失調症の患者が軽快し、より費用のかかる入院治療を受けずにすみ、地域で自立した生活を続けることができれば、高い薬価・検査費用が相殺され、むしろ経済的であるとされる。長期的見地に立って、患者負担を抑える方策が必要と思われる。

 副作用はあるものの、早期発見のシステムはすでに世界各国で確立されているのだから、世界でも有数のすぐれた医療制度を誇る日本でも、さっさと導入すればいいと思うのだが、なかなかそうもいかないのであろうか。