Saturday, March 31, 2007

呉越同舟−迷走するMMC-4

 MMC/MTASの混乱に端を発し、政府の方針に反発した医者たちは、各方面から相次いで声明を発表し、12,000人の医師(とそのサポーターたち)がWhite Coat Marchに参加するという形で、医学界の団結を示した。

 しかし、この団結は必ずしも一枚岩ではない。主役たちにはそれぞれの事情がある。

 Marchを企画したのは、4人の研修医が立ち上げたRemedy UKというグループである。MarchはMTASの混乱の始まるずっと前に企画されたのだが、MTAS騒動に重なり、医師の意思表示の重大な場へと発展した。

 これに便乗したのが、British Medical Association(BMA、イギリス医師会)である。BMAはMMCに反対してきたらしいのだが、政府に相手にされなかったりして、力不足が指摘されていた。MTASの混乱に乗じ、BMAはMarch直前に新聞に一面広告を出した。Remedy UK主催によるMarchを告知すると同時に、自分たちは1年以上も前からMTASの準備不足を警告していた、と宣伝した。Marchでも、独自のプラカードを多数用意していた。

 BAPIO(British Association of Physicians of Indian Origin)は、イギリスで働くインド人医師たちの会である。彼らも、BAPIOの横断幕とプラカードを掲げてMarchに参加した。そこには、外国人医師(International Medical Graduates、IMGsーEU以外の外国出身の医師を指す)の権利を守れというメッセージが込められている。

 昨年の4月、移民法が変更され、EU外から英国に来る医師は労働許可証が必要とされるようになり、Permit-free training visaで研修の準備や実際の研修をすることができなくなった。イギリスの医学部の卒業者の増加とEUからの研修医の流入により、研修医が十分に確保できるようになったため、非EU国からの医師に対する優遇措置が不要になったのである。この時点で、多くのIMGsが帰国を余儀なくされた。主にインド亜大陸とアフリカからの医師である。

 IMGsのSHOの多くは、Highly Skilled Migrant Programme(HSMP、高度技術者移住プログラム)というヴィザ所有者である。これは、専門技術をもつ外国人の移住を促すためのヴィザで、当初1年有効のヴィザが発効され、実績によって延長が可能である。

 ところが、MMC新制度への移行に先立ち、DHは、IMGsは研修期間をすべてカバーするヴィザを持っていないかぎり、STポストへの応募資格なしとしたのである。HSMPを持ってSHOとして働いていた医師たちの多くがこの条件にひっかかり、応募できない状況になった。

 これに対し、BAPIOが、DHとHome Officeを相手に、Judicial Reviewを起こした。高等法院でのヒアリングはMTASの募集開始より少し遅れて始まり、判決は募集締め切り後に出された。かなりの混乱があったが、結局、MMCは、もしBAPIOの訴えが退けられた場合に応募資格がなしとされる医師たちにも、とりあえず応募することを認めた。

 判決では、BAPIO側の訴えは、一部を除いて退けられ、DHとHome Officeの勝訴であった。BAPIOは判決を不服として、上訴することを表明した。判決の翌日、DHは、上訴審の結論が出るまでは、対象となる医師たちにSTへの応募資格を与えることを発表した。

 これには哀しいサイド・ストーリーがある。判決が出る2ヶ月前、この訴訟の原告の1人であるインド人医師が、Home Officeからヴィザの更新拒否・国外退去の通知を受け取り、自殺している。

 HSMPヴィザ保持者が応募を認められたことで、MTASの混乱は大きくなった。HSMPヴィザ所有で今回応募した医師の数ははっきりしていないが、かなりの数にのぼると見られる。その上さらに、旧東欧のEU出身者が多数応募したと見られ、システムのオーバーロード、競争の激化に拍車をかけた。

 これに面白くないのは、イギリス出身者たちである。自分たちはイギリスで生まれ育ちイギリスの医学部を卒業したのに、自国で研修できないのはおかしい、IMGsは自分たちの国にもどり研修するべきだというわけである。

 さらに、Mums4Medicsである。これは、研修医の母親や家族たちが立ち上げたグループで、今回の騒動で影響を受けるのは、研修医たちだけでなく、彼らの家族も同様である、と主張し、積極的にロビー活動をしている。

 美しき家族愛と感動するのは、少し単純すぎる。家族愛の裏には、これまでに自分の子どもたちの教育に時間もお金もかけたのに、ここにきて、研修も終わらないうちに失業の危機というのはどういうことだ、という怒りがある。

 保守党党首のDavid Cameronも、騒動を大いに利用している。Marchを前に、Cameronは自身のサイトWebCameronのvideo talkでまずこの問題を取りあげ、Marchの際には演説した。同じ日の午後に駆けつけた党大会では、演説と、その前後に自身が研修医たちと語らうvideoを流し、医師たちを人間らしく扱え、とぶち上げた。この背景には、医学生や研修医を子どもに持つ中産階級・保守層の両親たちからの圧力があるという話もある。

 各王立学会も、それまでは一貫して政府やMMCに協力する姿勢だったのに、MTAS以降は、次々にMTAS/MMCを批判する声明を発表した。一部ではさらに批判の度を強め、MMCの見直しまで踏み込んだ声明を出した学会もある。学会にとっては、政府に完全掌握されそうになった研修制度を、少しでも学会の手にとりもどす絶好の機会である。

 このように、それぞれの思惑はかなり食い違っている。唯一、根底に共通するのは、「このままでは医師という職業に対する信頼性を維持できない」という危機感である。(Cameronがこの危機感を理解・共有しているとは思えないが。)ここで医師たちが仲間割れしたら政府の思うままで、何も達成できないので、違いは違いとして受け止めながらも、一致している部分によって団結を維持するべきだというのが、今のところの雰囲気であろうか。

優秀な研修医を選ぶとは–迷走するMMC-3

 今回のMMC/MTASによる研修医の選考をめぐるごたごたは、8,000人の研修医が競争に敗れて職を失う可能性がある、などという単純な問題ではない。

 DHは当初、研修医たちからの批判に対して、「競争なのだから選に漏れる人が出るのもやむを得ない」と反論していた。新聞の投書欄でも、「医学部を出たからといって、職が保証されていると思うのはまちがいだ」というような、非医療者からの意見もあった。

 しかし、これらは的外れである。今回もっとも大きく影響を受けたのは、すでにSHOとして働いている中期の研修医たちである。彼らは旧制度での競争を勝ち抜いて研修ポストを手に入れ、何年も研修を積んできた。この世代の研修医たちの4分の1が、当初の選考で2次選考に残らなかったといわれている。ロンドンのSt Thomas'病院のICUでは、6人のSHOのうちひとりも1次試験に通らなかった。SLaMの一部のMaudsley病院でもGuy's & St Thomas'病院でも、精神科研修医の4分の1以下しか、ロンドンの研修ポストの面接に呼ばれなかった。

 特定の世代の医師の4分の1が研修を続けられないならば、ポストの配分や選考方法自体がまちがっていると言わざるをえない。

 今回の選考には、Medical Training Application Service(MTAS)という、全国一律のコンピュータ・システムが使われた。応募する研修医たちは、このシステムに、個人の研修歴等の基本情報、Discrimination Questionnaireへの解答(コミュニケーション技術、ストレス対処力、チーム・ワークといった「人間性」をはかるための質問に対し、それぞれ150字以内のエッセイを要求される)、レフェリーとなるコンサルタントの名前等を打ち込み、応募する。

 レフェリーを依頼されたコンサルタントたちは、MTASのレファレンス用の画面で、研修医の資質に関して与えられた質問にyesかnoで答える。通常の推薦状のような、コンサルタントの自由な意見を述べる場は与えらなかった。

 これらの応募書類は、コンサルタントや非医療従事者から成る採点チームにより、応募者を匿名化し、標準化された採点方法により採点された。個人の履歴とDiscrimination Questionnaireはそれぞれ独立して採点され、相互に参照することはできなかった。つまり、採点者は、ある研修医のストレス対処法について、これまでの研修歴やスーパーバイザーからの評価を知ることなく、評価せざるを得なかったわけである。

 また、応募者の履歴の内容に比して、Discrimination Questionnaireの得点が相対的に高く重み付けされた。たとえば、PhDを持っていても1点加算されるだけだが、Discrimination Questionnaireでは、それぞれの質問で最大4点加算される。

 採点はコンサルタントに非医療従事者が混ざって行われ、採点の標準化の準備が不十分だったと言われている。また、採点の地域差も多く、さらには、一部の地域では、採点基準が締め切り前にリークされた。

 人間性豊かで臨床能力の高いコンサルタントに育つような研修医を選考するという目的には、何の文句もない。選考にコンサルタントだけでなく、非医療者も参加するべきだというのもうなづける。問題は、その方法である。アカデミック面での評価が桁違いに低いのも気になる。たしかに、研究一筋で臨床能力の低い医師というのもいるが、一般的には、アカデミックな面での達成度は、能力を測る有力な尺度であることは否定のしようがない。

 研修医を選考するにあたり、どの面をどうやって評価するのが一番いいのか、難しい問題である。旧来の方法では、公平性、透明性、地域差等のさまざまな弊害があったことは事実であろう。しかし、そんな中でも、優秀な研修医を得るべく、積み重ねられてきた方法というものが確かにあったのだと思う。

 私の経験では、研修の履歴はかなり正確な判断材料となる。履歴の中身を実際に面接に来た本人の言動と照らし合わせると、かなりの情報が得られる。(もっともこれは、書類選考に残った人の情報だけで、書類選考に残らなかった人の情報は得られないため、バイアスがかかっている。)

 いっぽう、応募用紙の一部にある本人のフリー・ライティングは、あまり役に立たない。本人が「意欲あふれ、チーム・ワークが得意な医師」かどうかは、こちらが面接で判断することであって、わざわざ本人に自己申告してもらうことではない。唯一役に立つのは、作文の内容が、応募している仕事の内容に合致しているかという点である。違うポストへの応募書類からコピー&ペーストして作ったのが明らかな応募書類を見ることがある。応募するポストによって、内容をよりふさわしいものに変えるくらいの気の利かない人が、仕事で気が利くことは、まず期待できまい。

 推薦状にしても、二者択一式では微妙なニュアンスを伝えることができない。推薦状を書く側は、よほどのことがないかぎり、悪いことを書くことはできない。(negativeな評価を書く場合は、確固とした理由と証拠も書くよう求められる。)そのかわり、コンサルタントたちは、文章のニュアンスや推薦状の長さによって、自分がどれだけ熱意を持って推薦状を書いているかを示すことにより、研修医がどれだけ優秀か伝えるのである。

 こういった「アナログ情報」をまったく利用する余地がないように、MTASは設定された。これが果たして公平で透明な選考方法なのだろうか。応募者の履歴や評価者の知恵よりも、コンピュータ画面に現れた150字の作文を重視し、作文の内容が表しているはずの「人間性」を評価することなど、できるのだろうか。

Friday, March 30, 2007

政治的「裏」事情−迷走するMMC-2

 MMCおよびMTASは、医師の研修を全国一律化・標準化し、公正・透明な選考・評価を行ういう目的のために導入された。

 旧来の研修制度における専門医研修の選考・評価は、公平ではない。ひとつのポストを巡って数十から百人を超える応募があり、選考する側の負担が大きく、その方法は標準化されておらず、不透明である。専門医試験は、現場での臨床能力や、コミュニケーションやチーム・ワークといった人間性を適性に評価するシステムが、不十分である。研修内容はといえば、地域差があり、とくに後期専門医研修では臨床よりも研究面での達成度が重要視されすぎている。現代の医療現場で必要とされる、人間性豊かで臨床能力の高い専門医を育てるためには、その選考・評価方法も現代化しなければいけない、というのが政府の主張である。

 しかし、政府の実際の思惑は、もっと違うところにある。以下、常に内輪では話題にのぼることである。関連する情報が時折リークされたりするが、もちろん、政府は表立って認めたことはない。(よって、下記の情報をバックアップできる資料はきちんと提示できません。引用する場合、あくまで、伝聞に基づいた情報、私の個人的見解であることを銘記してください。)

 New Labour(Tony Blair率いる労働党)のもと、医学部の定員は増え、研修医の数も増えてきた。しかし、まだ専門医が足りず、地域・専門科による医療格差は縮まっていない。政府は、研修期間を短縮し、専門医の数を早く増やしたい。

 しかし、やみくもに専門医の数を増やしてコンサルタントのポストを増やすと、NHSの予算がパンクする。そこで、研修期間を短縮し、コンサルタントのなかでさらにグレード分けし、給与を押さえたい。

 コンサルタントのポストを現状の水準に抑えるためには、コンサルタント予備軍の研修ポストを増やしたくない。そこで、新しい制度では、正規の研修ポスト(Run-through training)の数は、これまでのSHO/SpRのポスト数よりも少なく押さえられている。しかし、それではNHSのサービスを回転させる労働力が不足するため、期間限定の研修ポスト(Fixed-term specialist training)や、正規の研修期間にはカウントされないポスト(Career post)が用意されている。相互のポスト間の移動は可能であり、また、Career postで働いた場合、別ルートでの評価を経てCCT(Certificate of Completion of Training、専門研修修了証明)を得ることは不可能ではない。しかし、現実には、Run-throughポストがとれないかぎり、CCTをとれる見込みは限りなく少ない。また、正規のルートによるCCTは、別ルートによるCCTよりも「格」が上になる。一方、NHSは、労働力そのものが減るわけではないので、コンサルタント予備軍の増加を心配することなくリクルートできるというわけである。

 また、これまで医師が担ってきた役割(薬の処方や処置)を、専門看護師(Specialist Nurse)に任せる動きも加速している。優秀な看護師の活用、サービスの向上のためと謳ってはいる。しかし実情を見ると、専門医を養成するよりも専門看護師を養成するほうがずっと早い、コンサルタントによるサービスよりも専門看護師によるサービスのほうが運営費用も安い、という運営側の論理がある。

 現在のコンサルタントたちは、この動きを必ずしも歓迎していない。(既得権の保持が理由ではなく、研修内容や医療レベルの維持、責任の所在という問題のためである。)政府や一部の学会は、「新しい医師像・医師の働き方」というキャッチ・コピーで、これまで医師の責任であった役割を専門看護師や他の職種のプロフェッショナルに譲り、コンサルタントは困難な事例のケアに専念するよう誘導している。こういった流れを抵抗なく受け入れ、多職種によるチームで、チームのトップではなくチームの一員として仕事ができる、「話のわかる」コンサルタント予備軍を養成したいと、政府は考えている。

 これらは、この国で仕事をしていれば、普段からよく聞くことである。王立学会はこの流れを「憂慮する」声明を時折出すものの、積極的に政府に反対することはなく、むしろ改革に協力してきた。これは、90年代に数々の医療スキャンダル(Shipman事件や、Bristolでの小児の心臓外科手術事件等)が相次いで明るみに出たため、医学界としては積極的に「改革」に反対できない雰囲気があり、政府が改革に着手しやすかったためと言われている。

迷走するMMC-1

 Modernising Medical Career(MMC、医師のキャリアの近代化)による研修医の選考は、さらに混迷の度を深めている。(「白衣を着て街に出よう」もご覧ください。)

 MMCは、Department of Health(DH)主導による医師の卒後研修制度の改革で、研修医の選考・評価を各Royal College(各科の王立学会)からDHによる管理に移し、全国標準化するというのは、その目玉である。DHのエージェンシー組織であるMMCチームが、一連の改革を運営している。

 旧来の制度では、医学部入学から専門医研修の修了まで、最速でも11-14年かかっていた。新しい制度では、2年間の初期研修(Foundation Training、FT)と、それに続く中期・後期の専門医研修を4年間の一貫制専門医研修(Speciality Training、ST)で、医学部入学から11-12年で専門医研修が修了する。また、これまでの専門医研修に比べて研究面の研修を減らし、臨床面を重視する研修内容になる。

 FTは2年前に導入された。今年8月に初代のFT修了者が出るのと同時に、STが始まる予定である。すでにSpecialist Registrar(SpR、後期研修医)としての研修を始めている人たちはそのまま旧制度で研修を終えることができるが、Senior House Officer(SHO、中期研修医)は、8月からは、新しい研修制度下、現在のレベルと同等のSTレベルに移行して研修を続けることになる。

 

 今回の選考は、FT修了者がST1へ進むのと、現在のSHOがST2-4のポストに移るためのものである。1-4月にまず第1ラウンドの選考があり、そこで埋まらなかったポスト、新たに作られたポストについて、4月以降に第2次ラウンドの選考をすることになっている。

 応募には、Medical Training Application Service(MTAS)という、全国一律のコンピュータ・システムが使われた。ポストは、各専門科・グレード・地域ごとに割り振られ、1人の研修医は、専門科・グレード・地域の組み合わせを第1-4志望まで選択して応募する。

 審査は、応募条件を満たしているかどうかの予備選考(long list)を経て、標準化された方法によって採点された合計点により1次選考(short list)が行われる。short listされた人だけが、面接による第2次選考に進むことができる。

 MTASはすでにFTの募集・マッチングに使われているため、STの募集のための事前の十分なテストなしに導入されたらしい。実際、募集開始前より、MTASの信頼性や採点方法の適性度、公平性に対する疑問や不安の声があがっていた。

 案の定、MTASは期待されたようには機能しなかった。予想を大幅に越える応募者がアクセスしたため、システムはしょっちゅうクラッシュした。応募書類の内容の不備が数多くあり、応募を開始してから徐々に改善される始末であった。応募書類が行方不明になったりもしたらしい。そのため、応募締め切りは延長された。

 問題がさらに大きくなったのは、2月28日に結果が発表されてからである。22,000のポストに対して30,000人を超える応募があったため、8,000人が面接に呼ばれなかった。1次を通った人たちも、応募したのとは異なるグレードや専門科、地域のポストの面接に呼ばれるという事例があちこちで報告された。

 当然、選考に漏れた研修医たちは怒りの声を挙げた。この頃より、コンサルタントたちからも、遅まきながら、システムを非難し、研修医をサポートする声が上がり始めた。Daily Telegraph紙がBack Our Doctorsというキャンペーンを開始し、保守党党首のDavid Cameronが政府を非難し始めた。各王立学会や著名な医師・教授たちもMTASの正当性を疑問視する声明を次々に出した。

 保健相のPatricia Hewittは、これらの圧力の中、結果発表から1週間もたたないうちに、緊急の見直しのための委員会を設置せざるを得なくなった。委員会は設置からわずか3日後の最初の声明で、早々にMTASの不備を認めた。その後、合わせて3回の「緊急見直し案」が出された。当初は、1次選考に漏れた応募者の書類を見直すことを提案していたのだが、回を追うごとに委員会の妥協の範囲が広がり、3月22日に発表された最新の「見直し案」では、応募条件を満たしている応募者全員が第1志望のポストの面接を受けられることになった。

 混乱の中、2次面接は予定通り進められている。当初は、個々の履歴書はいっさい参考にせず、標準化された質問に対する解答のみしか採点しないとされていた。しかし、見直し委員会は早々に、履歴書と業績集を使うことを認めた。相次ぐ変更により、現場の面接担当者にかなりの混乱が見られるらしい。

 最新の見直し案は、いまだに「案」の段階で、実際にどのようにして応募者全員の第1志望の面接を実施するのかは、来週になるまで発表されない。すでに第1志望以外のポストの面接が終わった人も、希望すれば第1志望ポストの面接を再度受けられるのだが、これをどのようにしてピックアップするのかすら、まだ決まっていない。

 今日はついに、MMCのNational DirectorのProf Alan Crockardが辞任した。辞任の手紙の中で、彼は、MMCはうまく進んでおり、今回の混乱は、DHが導入したMTASの不備によるものだと釈明している。

 法的手段に出る人たちも出てきている。1次選考に漏れた研修医たちは、Data Protection Actに基づき、選考結果の開示を求めた。これに対し、MMCが第2ラウンドが終了するまでは結果を公表しないと回答したため、これがData Protection Actに反すると、法廷に持ち込もうとしているグループがいる。Mums4Medicsは、Prof Alan Crockardを医師倫理に反しているとして、GMCに調査を要求している。Remedy UKは、一連の選考の正当性を巡り、法廷で争う構えを見せている。

 この混乱により、第1ラウンドの遅延は必至である。8月までに第2ラウンドの選考が終わり、研修医がきちんと配置される可能性は、どんどん小さくなっている。8月以降、研修医の不足により、NHSのサービスが一時的に停止するのではないかという観測すら出てきている。

Thursday, March 29, 2007

イスタンブールで夏時間

 6日間のイスタンブール旅行から帰ってきた。ロンドンよりも寒かったというのは何となく面白くないが、2日目の日中に土砂降りに見舞われた以外は天気もまあまあで、楽しい旅行であった。

 イスタンブールには、猫がいたるところにいた。写真は順にHaghia Sofia、夜のSultanahmed、Efesの遺跡で出会った猫たち。観光客が頭をなでようがシャッターを焚こうが気にもせず、悠々と構えていた。ここでは彼らが主なのであろう。

 イスタンブールにいる間に、夏時間にかわった。イギリスでは、3月最終日曜の午前1時に時計が切り替わるのだが、トルコでは午前3時にかわるらしい。ホテルのエレベーターには、親切にも、時計のイラスト入りの注意書きが貼ってあった。休暇中に時計が1時間進むなんて、1時間損した気分がしたのは言うまでもない。

 この夏時間(summer time)、正式には「daylight saving time」と言う。2007年は、イギリスで夏時間が初めて提案されてから100周年にあたるそうである。

 イギリス人は、いつから時計がかわるかなど、まったく気にしない。3月最終週の日曜と10月最終週の日曜がそれぞれ、夏時間と冬時間にかわる日なのだが、きちんと覚えている人などほとんどいないはずである。みんな、そろそろかなという意識はあるらしいのだが、ある週末、ニュースをつけると時刻がかわっているとか、コンピュータを立ち上げたら自動的に時刻が変わっていたとか、そんなことで気がついて時計をかえるのである。ロンドンに来たばかりの頃は、なんていい加減なんだろうと思っていたが、だんだんに私もいい加減な人たちの仲間入りをして、まったく意識しないようになってしまった。今回も、注意書きを見て、ああそういえばと思った次第である。これが日本だったら、メディアが1週間くらい前から告知したり、みんなが自分の手帳やカレンダーにきちんとメモしておくのではないかと思うのだが。

 たった1時間の違い、と侮ってはいけない。この1時間に体を慣らすのが結構大変なのだ。とくに夏時間にかわるときは、1時間早く起きなくてはならなくなるため、夜型の私にとっては苦痛である。今回は、トルコとイギリスの時差2時間がさらに加わっているので、「時差調整」に数日かかりそうである。

Saturday, March 17, 2007

白衣を着て街に出よう

 今日はWhite Coat Marchだった。Department of Health(DoH)主導の新しい研修制度に対する抗議のデモ行進のため、ロンドンの街に、12,000人の医師とそのサポーターたちが繰り出した。エジンバラでも同時進行のデモ行進があった。

 イギリスの研修制度はこの2ヶ月間、大揺れに揺れている。Modernising Medical Career(MMC、医師のキャリアの近代化)と呼ばれる新しい研修制度のもとでの研修医の選考が、大混乱を来しているためである。

 今年2月、専門研修(Speciality Training、ST)の募集が始まった。旧制度から新制度への移行期にあたるため、旧制度で中期専門研修をすでに始めている研修医たちも、新制度の該当するレベルにあらためて応募しなければいけない。22,000のポストを巡り、DoHの予想よりずっと多い30,000人が、MTAS(Medical Training Application System)という、全国一律のコンピュータ・システムによる第1次選考に応募した。ひとりの応募者は第1志望から第4志望まで、4つのポストしか応募できない。

 応募の時点で、MTASの度重なるクラッシュやシステムの不備などが連日報告され、締め切りは1度延期された。続く審査・選考も遅れ、発表も2度にわたり延期された。しかし、2月28日に結果が出てみたら、それまでの問題が些末なことに思えるほど、大変なことになった。

 もっとも影響を受けたのは、現在、中期研修の半ばにある研修医たちである。彼らはST2、ST3(専門研修の2、3年目)に応募したが、その4分の1が、第4志望までのうち、ひとつも第1次選考を通らなかったのである。選に漏れた半数以上は、指導医たちが自信を持って推薦できる、優秀な研修医だという。また運良く選考に通った研修医たちからも、専門科やポスト、グレードの取り違え等があちこちで報告された。

 MMCとMTASに対する批判は日に日に高まり、コンサルタントたちが面接をボイコットしたり、種々のグループ、学会や団体から制度を批判する声明が相次いで発表されるにいたった。当初は強気だったDoHも、発表から1週間のうちに、制度の緊急見直しのための委員会の設置を余儀なくされた。委員会はわずか3日で早々にMTASの不備を認め、選考結果を一部白紙にすることを発表した。それにも関わらず、研修医だけでなく、コンサルタントや医学研究者、研修医の家族たちからの非難の声は、むしろ強まるいっぽうである。

 そんな中でのデモであった。デモ自体は、数人の研修医たちが立ち上げたグループRemedy UKが、MTASの問題が表面化する以前から企画していた。リージェント・パークの近くのRoyal College of Physiciansの本部を11時に出発し、Briish Medical Association、London Deanery、Royal College of Anaesthetistsの本部の前を通過し、ホーボン近くのRoyal College of Surgeonsの本部までという、約1時間のルートである。

 私はコンサルタントであるが、せめて研修医たちへのサポートの気持ちを表したいと思い、同僚のDと一緒に参加した。途中、子どもを連れて参加していたうちの臨床部長に会った。ほかにも、コンサルタントやGPたちが多数参加していたようである。

 私とDは白衣は着ていなかったが(なにしろ、持っていない!)、まわりの研修医たちは白衣や手術着を着て、プラカードを持って歩いていた。時々、シュプレヒコールがあがる。

25K to train, where's it going, down the drain
no ifs, no buts, no doctor training cuts
 写真を撮ったが、ゆっくりとはいえ歩きながらで、おまけに私は背が低いので、あまりうまく撮れなかった。雰囲気だけでも伝わるだろうか。

 これは、信号待ちをしている時に振り向いて撮ったもの。MMCはMassive Medical Cull(医師の大量虐殺)と揶揄されているが、MTASはMedical Training Absolutely Screwed、Medical Turmoil All will Sufferなどと言い換えられていた。

 プラカードのスローガンもいろいろあった。

Protect Our Training, Protect Your NHS
My Training, Your Healthcare, Their Mistake
Jobs 4 Junior Doctors
Demand the Best Doctors
 下の写真はデモの先頭が、最終目的地のLincoln's Inn Fieldsに入ったところ。

 この後、主催者や、政治家たちがスピーチをした。保守党党首のDavid Cameronは、党大会の初日だというのに、この演説のために出発を遅らせたという。

 Dr Grumbleのブログにたくさん写真が載っている。

 このデモ、これで終わってしまってはいけない。政府がきちんと医師たちの声に耳を傾け、研修医たちがきちんと研修を続けられるように動いていくよう、願っている。

Saturday, March 10, 2007

Leaving to be a Mum

 私ではない!

 うちのチームで働いているスタッフ・グレードのHが、予定日を1ヶ月後に控え、産休に入った。PAMSで初めての赤ちゃんである。タイトルは、チームから彼女に贈ったカードの文句である。

 Hは南アフリカ出身で30歳代前半。去年の冬にランベス区の施設をメインとするローテーションで精神科中期研修を終え、Royal College of Psychiatristsのメンバーシップ試験に合格した。イギリスで精神科の研修を始める前に、イギリスと南アフリカの両方で、あわせて4年ほど、総合診療の仕事をした経験がある。

 彼女は、実際のグレード以上の知識・能力のある優秀な医師である上に、チームのメンバーの誰とでもうまくやれ、チーム・ワークに徹した仕事ができるという、得がたい存在である。実際、彼女の仕事ぶりを知る同僚のコンサルタントたちからは、よく、うらやましがられる。PAMSの揺籃期に彼女がチームで果たしてくれた役割は、測りきれないほど大きい。

 私は彼女の指導医なので、週に1回のスーパーヴィジョン・セッションをしている。セッションでは、1週間のアセスメントや治療の内容を聞いたり、医療面でチームをどうやってサポートするか、彼女自身の今後のキャリアについて話しあったりする。

 彼女が優秀なのは一緒に仕事を初めてすぐにわかった。優秀な医師はきちんとトレーニングを続けて、コンサルタントになってもらわなければいけない。私には、私自身とチームの利益を諦めてでも、彼女を送り出す責任がある。そんな義務感にかられて、初めの頃は、来年度は後期研修のポストに応募するようにと、ことあるごとに彼女に発破をかけた。彼女自身も、スタッフ・グレードとして1年ほど働いたらSpecialist Registrarのポストに応募すると言っていた。

 夏のある日、スーパーヴィジョンの初めに、彼女は妊娠していることを話してくれた。そして、研修を続けるように(私が)いつも励ましてくれることは感謝しているし、自分自身もいずれは研修のルートに戻る予定だが、今は家族のことを優先したい、と続けた。

 突然だったので一瞬言葉に詰まった。が、そのすぐあとに私の口から出たのは、自分でも予想外の台詞だった。

 医師としてこの先30年以上働くことができる。仮に10年間、家庭を優先して仕事をスローダウンしたとしても、まだそのあと20年以上残っている。志があれば、研修は続けられる。そのための協力は惜しまない。

 こんな台詞は、日本で仕事をしていた時は言えなかったと思う。自分ではまったく意識していなかったが、イギリス生活が長くなるにつれ、いつの間にか私自身の中にしみ込んできたのだろう。

 たしかに、女性は妊娠や出産で職場を離れる期間がある。当然、職場はその間の対応を迫られる。不便も生じる。しかし、ここではそれが誰にとっても当たり前の権利であり、義務なのだという雰囲気がある。

 産休や育休をとるのは女性だけではない。昨年は、ランベス区の男性コンサルタントが2人、2-3週間のpaternity leave(育休)をとった。この間のコンサルタント業務は、同僚たちがカバーした。(そのうちの1人は、私がカバーした。)maternity leave(産休)の場合は、ローカム(非常勤)のコンサルタントをアレンジしてもらえる。これらのローカムのための予算は、各区の臨床部長の裁量に任されている。

 Hのニュースを聞いた頃は、まだこの辺の事情がよくわかっていなかったので、6ヶ月間私1人で仕事をしなくてはならないのだろうかと不安になったが、これは杞憂だった。Hが留守の間は、ローカムのスタッフ・グレードの医師が来てくれる。

 妊娠に限らず、家庭や個人の事情により、スタッフのパフォーマンスが維持できないことはありうる。そのレベルはさまざまで、時には「ちょっとした不便」ではすまないようなこともある。さすがにイギリスでも、こういった不便を声高に糾弾するのははばかられるようで、不満を胸に秘めたままで、チーム全体がその穴埋めに走り回るということもある。

 Hは経過が順調で、産休前の最後の日まで、以前とほとんど変わらないペースで仕事をしていた。チーム・リーダーが、産休に関わることや、妊娠後期の職場の内外でのリスク・アセスメントなど、実務的なことを全部やってくれた。例によって私はあまりに気が利かないので、最近になっても、彼女に具合の悪い患者の診察を頼んで快い返事をもらった後で、大丈夫だろうかとあとから不安になるという、間の抜けたことをしていた。

 たとえば、数週間前、彼女は、看護師のC(彼女も妊娠中)と一緒に、服薬を拒んでいる女性患者の診察と説得に出かけた。患者さんは、思いつくかぎりの罵詈雑言(F-word、C-word等)を、声のかぎりに2人に浴びせ続けたらしい。2人はそれでも、まったく動じず平静を保ち、彼女に叫ばせ続けた。約1時間後、ついに患者さんは根負けし、2人の診察を受けることに同意し、薬を飲んでくれた。

 「1時間のF-wordとC-wordの嵐は、胎教にあまりよくないね」と言って、みんなで大笑いした。

 HもCも、優秀なだけでなく、たくましいし、患者さんとのつきあいが上手である。チームの有力なメンバーである。彼女たちの妊娠にまつわる「不便」など、彼女たちがチームにいるメリットに比べればたいしたことはない、と思わされる。

 最後の日、Hはチームのみんなに、「辞める(leaving)んじゃなくて、秋には戻ってくるから」と言ってまわっていた。予定日は4月10日。ほんとうに楽しみである。

Sunday, March 04, 2007

休暇とアトロピン

 週の後半の2日間、年休をとった。年度末を前に残りの年休を使わなければならないので、少しずつ消化している。今回は本を読んだり映画を見たりして、のんびり過ごそうと計画していた。

 年休は、しかし、まぶしさに悩まされる2日間になってしまった。左目の瞳孔が散瞳したまま戻らないのである。

 先日、右目の炎症が悪化して、アトロピンとステロイドの点眼薬を処方された。点眼を始めてひどい症状はすぐに治まった。やれやれと安心した翌日水曜日の夜、明日からは休暇だからと夜ふかしし、ベッドに入る直前に、眠い目をこすりながらアトロピンを点眼した。ところが初めの1滴はうまく右目に入らず、外れた点眼薬が流れて左目に入ってしまった。まあいいか、とそのまま寝たのが運の尽き。翌朝起きると瞳孔が散大していたというわけである。

 数時間で治まるだろうと期待していたのに、全然かわらない。調べてみると、アトロピン1%点眼薬1滴は、散瞳を1−2週間持続させるのに十分な量だという。

 この散瞳、見事なまでに大きい。やぶれかぶれでせめて記念にと、写真を撮ってみた。

 それにしても、不便でしかたがない。せっかくのいいお天気だというのに、まぶしすぎて、外に出たくない。眼鏡をかけたりコンタクトレンズをいれると焦点が合わず、小さなものはまったく判読ず、気分が悪くなり、頭が痛くなってくる。当然、読書も映画も楽しめなかった。コンピュータは、文字を4−8倍に大きくするとなんとか文字が読めたので、かろうじて、読書と映画のかわりのネタ探しに使うことができた。読書と映画の休暇は、急遽、ロンドンのスパ初体験等、リラックス休暇に変更となった。

 3日たった今日も、あいかわらず私の瞳孔は散大したままである。