NHS madness
表題は、23日のEvening Standard(ロンドンで唯一の夕刊紙)の一面のヘッドラインである。Royal Free Hospitalで、480人の医療スタッフを削減するいっぽうで、4人の(経営)リスク・マネジャーの募集広告を出していることを皮肉ったものである。4人分の給料164,000ポンドは、ベッド100床の維持費に相当するとか。
この2週間の間に、イングランド各地のNHSトラストであわせて4,000人以上の人員削減が発表された。会計年度末(イギリスの会計年度は4月5日が締めである。)にむけて、さらに同様の報告が相次ぎ、おそらく人員削減は15,000-20,000人にのぼると予想されている。NHSの相次ぐ人員削減のニュースに対し、BBCは"Flavour of Month"という表題をつけた。
NHSにまつわる赤字問題や諸々のスキャンダルはなにも目新しいニュースではないのだが、このところ、途切れることなく報道が続いている感がある。
一連の報道は、3月7日に、NHSのチーフ・エグゼクティブのSir Nigel Crispが54歳で早期引退を表明したニュースから始まった。早期引退は表向きで、実際は、今年度のNHSの大幅赤字の責任をとって、政府が引退の名を借りて辞任に追い込んだというのがもっぱらの説である。ちなみに、赤字の額は、12月の時点で推定6.2億ポンド。年度末までにまだまだ増え、7.5億ポンドに膨らむと予想されている。
続いて、22日に国会で今年度予算を発表したブラウン財務相は、演説でNHSについて触れなかったことで、「NHSを見捨てた(保守党)」、「NHSの赤字問題を否認している(自由民主党)」と批判を浴びた。看護師の給料を公務員の平均給与よりも2.25%高くするというのが、予算演説における唯一のNHSに関するコメントであったそうである。財務相自身は、批判に対して、この先2年間でのうちに計6億ポンドがNHSにいくことは既に発表済みなのだから重ねて触れる必要はないと弁明している。
時を前後して、先に述べた、人員削減のニュースがあちこちのトラストから発表された。問題は人員削減の規模で、たとえばUniversity Hospital of North Staffordshire NHS Trustは、1,700万ポンドの赤字をクリアするため、1,000人の人員削減を発表した。これは、7人に1人の職員を減らすことを意味する。
これらの報道に対して、ブレア首相は、「赤字の総額はNHS全体の予算の数%に過ぎず、それも、ごく一部の NHSトラストのためであり、大多数のトラストは健全な運営をしている。」と、火消しに躍起である。また、ヒューイット保健相は、「NHSはこれまでの(労働党政権下の)9年間で、20万人以上の増員をしてきた。今回の削減は、NHSをより効率よく運営するためのものである。人員削減を発表したトラストや赤字が多いトラストでさえも、サービスの質や、数的目標の達成率は上がっている。」と反論している。
日本の医療保険のシステムとは異なり、イギリスでは医療費はすべて税金でまかなわれている。各地区ごとに、一次医療を担当するPrimary Care Trust (PCT)と、二次医療担当のHospital Trustや、精神保健を担当するTrustがあり、それぞれの担当する人口や、地域の医療サービスの需要によって、毎年予算が決められ、必要経費がそれぞれのPCTやTrustに支払われる。イギリス国民または欧州連合の市民、および6ヶ月以上居住する外国人は、無料でNHSの医療を受けられる。また、旅行者が急病やけがをした場合、その治療に限って、無料で医療を受けられる。
1997年に労働党が政権を握った時、イギリスの医療レベルはヨーロッパの中で最低であった。医療スタッフは不足し、賃金は安く、士気は低下していた。サービス面では、長い待機時間(Waiting list、診療または治療を受けるまでの待ち時間)が年々さらに長くなっていた。ブレア政権は、NHS 10-Year Reform Programmeの名のもと、毎年7%ずつ増加する、記録的な額の予算を組んだ。ちなみに、1996/1997年度の支出は330億ポンドであったものが、2007/2008年度には920億ポンドにのぼる予定である。そして、スタッフや施設の拡充を図るいっぽうで、数的目標(専門医にかかるまでの待機時間12ヶ月未満、GPに電話をしてからの待機時間72時間以内、救急外来で受付をしてから診察を受けるまでの時間が4時間以内、などの具体的な数字)を掲げて、それを達成できないトラストは予算を削減する、というアメとムチ式の姿勢で、NHSの立て直しに取り組んできた。スタッフがNHSから民間に流れるのを防ぐために、給与水準も大幅に引き上げた。
これらの結果、統計的には、NHSの医療・サービス水準は向上した。待機時間は劇的に減少した。(専門医の診察を受けるのに1年半以上待たなければいけなかったのが、3ヶ月「しか」待たなくなったとか、GPに電話をしてから見てもらうのに3日「しか」かからなくなったのを向上と呼ぶのであれば、だが。)コンサルタントの給与は、以前はヨーロッパの中でも最も低かったのに、今では、先進国の水準に並んだ。
しかし、実態としては、GPは見かけ上の待機時間を短くするために、72時間先までの予約のみしか受け付けないとか、救急外来で、患者を救急隊から引き継ぐのを先延ばしにして、待機時間を短くするなどの操作がおこなわれていると聞く。スタッフの定着率も相変わらず悪い。
高騰する給与が結果としてNHSの赤字を増やし、今度は人員削減をしなくてはいけなくなったのは、皮肉である。一連の人員削減は、定員を埋めるための派遣スタッフの雇用をとりやめ、そのポストを「なかったことにする」という形をとるらしい。ほかにも、看護師を減らして看護補助職員を増やしたり、医師のかわりに、看護師が主体のサービスを増やしたりすることで、さらなる人件費削減をはかっている。
政府もトラストも、フィナンシャル・マネージャーや経済コンサルタントを雇って、なんとかNHSの経営状況を立て直そうとしてきたにもかかわらず、赤字は減るどころか、増えるいっぽうである。シンク・タンクKing's Fundの調査によると、人件費やサービスの拡大だけでは、この赤字を説明できないとされている。出所がわからないまま、赤字はさらに膨らみ続けている。
さて、当のイギリス人たちはこの状況をどう考えているのだろうか。湯水のように税金をつぎ込んでこの有様なのだから、NHSの仕組みそのものに問題があるのではないかと考え始めてもいいようなものなのだが、なにせ、イギリス人が世界に誇る医療費完全無料というシステム。民有化、民間との協力などというのは選択肢にはまったくなさそうである。もっとも、これほど税金をつぎ込んでいるんだから、「無料」ではないし、「ただ」ほど高いものはないとも言うではないか。
No comments:
Post a Comment