Sunday, August 31, 2008

無罪確定にふと思ったこと

 福島県立大野病院の裁判、加藤先生の無罪確定を聞き、心からほっとした。2年6ヶ月もの長い期間を乗り越えられた加藤先生と、先生を直接・間接に支えるネットワークを作り上げ、支え続けた人たちに、心からの賛辞を送りたい。

 いっぽうで、亡くなられた患者さんの家族の方たちにとっては、この判決がclosureのステップのひとつになるといいと思う。残された方たちが、患者さんの死を受けとめ乗り越えていくために不可欠な、時間と静かな環境が得られるよう、心から祈る。

 判決要旨は、私にはひじょうにまっとうなものに思えた。本来そうあるべきものが、そのとおりに認定されたということをありがたく思う状況に、複雑な思いがする。刑事の対象となるはずのない件が訴追されたわけで、判決でようやく針が振り出しに戻っただけである。ここからどこへ向かうのか、決めるのは医師ではないと思う。

 誰も口にしないので、あえて書くが、この裁判にどれくらいの税金が投入されたのだろうか。コスト意識が高い国に長く住んでいると、視点が少し変わってしまうらしい。似たようなことがイギリスで起こったとしたら、メディアはまちがいなく費用を明らかにすると思う。

 お金の話をするなんて・・・と眉をひそめる向きもあろうが、私は、費用の検討もされてしかるべきであると思う。とくに、訴追をした検察側が自らの主張を立証することすらできなかった裁判に、多額の税金が使われのだから。

Monday, August 18, 2008

医療事故と警察の介入

 某所で話題になった「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」であるが、私の印象としては、この協定および指針が発行された背景には、NHSに対する信頼回復のため、関係機関との連携を改善し、監視機能(お上による調査も含めて)を透明化・迅速化させようとする意図があるように思える。こういった動きは、NHSに限らず、イギリスのすべての公的機関で現在進行中である。また、組織として、サービスの対象となる人や雇用者たちに対するHealth & Safetyを守る責任(日本語では「安全衛生推進」というようです)が明確に定められたため、組織の責任を明確にするためには警察や他機関とのリエゾンが必要になるという事情もある。あるいは反対に、組織が、自身の責任を限定するために、警察による調査を要求するという面もあり得る。

 したがって、文書そのものは、必要があったら警察を呼びましょうと促しているわけで、警察の介入が減るとは思えない。むしろ、増えるのではないだろうか。

 さらに、NHSがIncident Coordination Group(ICG)を編成・運営するように定められているものの、警察やHealth & Safety ExecutiveがICGを設置するように要求することもできるため、必ずしも警察介入のルートが「統一」されるわけではない。NHSから直接警察に介入を要請することもできるし、ほかにも、患者やその家族が「苦情(complaint)」の形で警察に申し立てるルート、監察医から警察に連絡されるルート等、いろいろ考えられる。

 刑事訴追について調べていて一番わかりにくかったのは、医療事故が起こった時に、どの時点で、どのように警察が介入するのかという点であった。臨床部長を長く務めた同僚や、仕事でたまたま一緒になった民事専門の弁護士(barrister)などにも聞いてみたのだが、誰も知らない。残念ながら、刑事専門のbarristerにお目にかかる機会など、ない。

 そこで窮余の策として、Medical Protection Societyのhelp lineに電話して、legal consultantに聞いてみた。実際の事例があるわけではないのに、なんでそんなことを知りたいのだと不思議そうだったが、日本では最近いろいろと議論があってと説明したら、きちんと対応してくれた。結局、上記にも書いたように、決まったルートがあるわけではなく、事例ごとに異なるということがわかっただけであったが。

 そこで、もうひとつ、気にかかってきたことを聞いてみた。「いろいろなルートで警察が介入する可能性があるなら、医師は、自分の診療行為が刑事訴追の対象にならないか、心配しなくていいのだろうか。」返ってきた答えは、「警察の介入は、あくまで調査・捜査が目的で、刑事訴追に直結するわけではない。故殺罪の訴追対象になるのは、過失がgrossでrecklessであるという条件を満たすケースだけで、ひじょうに稀である。」ということだった。

 Guidelineにもあるが、gross negligence manslaughterはfour-stage test(the Adomako test)を満たす必要がある。

  1. The existence of a duty of care to the deceased
  2. A breach of that duty of care
  3. Causing the death of the victim
  4. Whether that duty should be characterised as gross negligence and therefore a crime

 MPSのlegal consultantの話では、4番目の"gross"と"therefore a crime"という点が鍵となるような印象を受けた。

 翻って日本では、関係機関(とくにメディア)との間で、「duty of care」の定義の擦り合わせから始めなければいけないような気がする。

 Guidelineの中で私が一番感心したのは、media対応(Handling communications)についてきちんと明記されているところである。これこそ、日本の関連機関がまず参考にするべきことだと思うのだが。

Sunday, August 17, 2008

医療過誤と刑事訴追の是非

 以前のエントリーで述べたように、90年代に入ってから、gross negligence manslaughter(重大過失による故殺罪)により医師が起訴される例が増加している。この傾向に対し、Jon Holbrookというbarrister(法廷弁護士)がThe criminalisation of fatal medical mistakes (BMJ 2003;327:1118-1119)と題するeditorialをBMJに掲載し、重大な懸念を表明した。2003年11月のことである。

 この中でHolbrookは、刑事訴追の増加は、社会全体の医療過誤に対する意識の変化が根底にあると述べている。いかなる事故であっても「罪のない(innocent)事故」はあり得ず、必ず「責任者」がいるはずであるという不寛容(intolerant)である。また、訴訟そのものの増加にも触れている。

 Holbrookが例に挙げているのは、2001年にNottinghamで起きた医療過誤事件である。Nottingham Queen Mary Hospitalのspecialist registrar(後期研修医)であったDr Mulhemは、18歳のWayne Jowettに誤って抗がん剤のvincristineを脊髄に注入するようにsenior house officer(中期研修医)のDr Mortonに指示した。Dr MortonはDr Mulhemに2度確認した上で、指示に従い脊注した。その結果、Wayneは重篤な状態に陥り、1ヶ月後に亡くなった。Dr Mulhemは罪を認め、8ヶ月の禁固刑を言い渡されたが、すでに勾留された期間を相殺され、判決後釈放された。

 このeditorialに対して多くのreponseがつき、興味深い議論が繰り広げられた。多くはHolbrookの論調に同意し、明らかな医療過誤による死亡事例であっても、当事者の医師を刑事で処罰することに疑問を呈している。また、刑事罰は将来の医療過誤の防止効果はないと指摘している。

 似たような論調は、もっと最近のアメリカの事例に対する反応にもみられた。2006年7月に、WisconsinのSt Mary's Hospitalの産科看護師Julie Thaoが、麻酔薬のbupivacaineを誤って静注し、16歳の妊婦Jasmine Gantが亡くなったケースである。静注に至るまでにはいくつものプロトコール違反があり、Thaoの行為はat-risk behaviorで、責められるべきであることは疑いのないところである。

 しかし、Wisconsinの地区検事が彼女をneglectとgreat bodily harmで起訴したことで、blog界隈でこの件に関する議論がわき起こった。Dr Wachterも、過誤に対する専門職業人としての処罰(免許停止または剥奪、解雇等)は当然であるが、刑事訴追に対しては疑義を呈している。結果として、Thaoが2件のmisdemeanorに関して争わない姿勢を示したため、neglectとgreat bodily harmによる起訴は取り下げられた。

 強調しておきたいのは、ここで取りあげたケースは、近年日本で刑事罰の是非について議論されているケースとはまったく異なることである。Dr Mulhemの事例もThao看護師の事例も、日本の医療者は明らかな「医療過誤」と表現するであろうし、現在進行中の問題の前には、おそらく議論の対象にならないのではないだろうか。そういった「過誤」事例であっても、個々の医療者を刑事訴追しても何の解決にならないのではないかと、英米では専門家たちが議論しているのである。

Sunday, April 27, 2008

分家

 先日来、イギリスでの医師の刑事訴追の可能性について調べているのですが、なかなか資料が手に入らず手間取っていました。もたもたしている間に、他に書きたいことが出てきてしまいます。それがタンゴのことであったりすると、医学論文の引用記事の次に、突然タンゴの靴の写真が出てきてしまうことになり、刑事訴追の記事のつづきを期待してくださった人にとってみれば、あれっ?ということになります。反対に、Gyrotonicやタンゴを通じて知り合った人たちにとっては、medical manslaughterは、必ずしも身近な話題ではないはずです。

 来てくださる方が読みやすく、私自身が書き続けやすい環境を作るにはどうしたらいいだろうと考えて、ブログを棲み分けするのがよさそうだと思うにいたり、ふたつめのブログを立ち上げました。今後は、医療関係の記事をこちらの「a legal alien in london」に、Gyrotonicとタンゴに関しては新しいブログ「twisting and turning」に載せていくことにします。それ以外の記事は、まあ、適当にどちらかに載せます。これまでの記事は、こちらにそのまま残しておきます。

 右側のプロファイルの下にも、リンクを載せておきます。よろしかったら、一度お立ち寄りください。

Tuesday, April 22, 2008

killer shoes

 昨日、新しいタンゴ・シューズの履き初めをした。

 ブエノスアイレスにあるタンゴシューズ専門店のcomme il fautのもので、黒のベルベット地に淡いピンクのリボンがついた、9cmのピンヒール。

 まだミロンガ(タンゴのサロン)デビューを果たせるほど上達していないので、これはもちろんお稽古用である。こんな素敵な靴をもったいないと思うが、サイズが小さいために7種類しか選択肢のない中で、ぴったり合うのがこれしかなかったのだ。

 9cmもあるピンヒールで果たしてまっすぐ立てるのかどうか、ひじょうに不安だった。しかし、さすがcomme il faut。ピンヒールと思えないほど重心が安定している。足底もしっかり支えてくれるので、今朝起きた時、足の裏が痛むこともなかった。

 あとは、練習に励むのみ!いい靴を履いて練習すると上達が早いだろうし。

Thursday, April 17, 2008

医師の刑事訴追

 イギリスでは、医療関連死亡事故の当事者であった医師が刑事罰に問われることがあるか。答えはイエスである。

 日本でいう「業務上過失致死」と同義のイギリスの法律用語は見つからないのだが、私のあやふやな法律の知識とにわか勉強によると、gross negligence manslaughterが同じような意味合いになる。また、医療関連死という面を強調して「medical manslaughter」と呼ばれることもあるようである。

 1970年代と80年代には、4人の医師がmanslaughter(故殺罪)で起訴されている。90年代にはこれが一気に17人に増加した(Ferner 2000)。2001-2002年の2年間で、さらに6人の医師が起訴された(Dyer 2002)。1990年に、Crown Prosecution Serviceが職務上のnegligenceによる死亡例をmanslaughterで訴追することを決定したため、主に医師が影響を受け、訴追数が増加したという(Dyer 2002)。

 しかし、起訴数が増えても、有罪になる医師の割合はあまり変わっていない。1795年から2005年までの間に、故殺罪で起訴された医師は85人(75件)いた(Ferner & McDowell, 2006)。有罪となったのは、1795-1899年は28%、1900-2005年は30%であった。これは、一般の故殺罪の有罪率と比べると、圧倒的に低い。2001年には、故殺罪による起訴278件のうち238件(86%)が有罪になっている。(Dyer 2002)。(まだ、つづく)

  • Dyer C. Doctors face trial for manslaughter as criminal charges against doctors continue to rise. BMJ 2002; 325: 63.
  • Ferner RE. Medication errors that have led to manslaughter charges. BMJ 2000; 321: 1212-1216.
  • Ferner & McDowell. Doctors charged with manslaughter in the course of medical practice, 1795-2005: a literature review. J R Soc Med 2006; 99: 309-314.

Wednesday, April 16, 2008

医療事故の原因究明と罰則

 ここのところ、法律に頭を悩ませることが多い。また、事故調第三次試案に関するあちこちのブログを読んでいて、医師もlegal mind(またはlegal literacy)が必要だとつくづく感じる。ふと、イギリスの事故調と刑事訴追とはどういう風につながっているのだろうかと思い、検索してみた。

 原因究明に関する制度に関しては、以前に「NHS苦情処理制度」、「失敗から学ぼう」の記事に書いている。記事を書いてから2年近く経っているが、大きな制度改訂はないので、今でもこのような流れで調査がなされているはずである。

 明らかなミスによる事故と判断された場合、当事者である医師は、研修や再教育、資格停止または剥奪等の専門職業人としてのペナルティや、停職または解雇等の雇用上のペナルティを受ける。さらに、外国籍の医師で、仕事のポストと滞在資格がリンクしている場合は、国外退去というペナルティもあり得る。

 それでも、医療事故で刑事責任を問われることは、Harold Shipmanなどの悪質な場合をのぞけばありえない、と思っていた。実際に、以前にも「誠実な医療行為の結果をもとに刑事告訴されることはありえない環境」と書いた。

 しかし、本当にそうなのだろうかと考えてみたらよくわからなくなってきたので、調べてみることにした。(つづく)

Monday, April 14, 2008

Mental Capacity Act 2005

 今日は、丸1日缶詰で、Mental Capacity Act 2005(MCA、成年後見法)の講習を受けてきた。MCAは昨年の10月からすでに施行されているのだが、細かい用語の変更等があり、なかなか頭の中が整理できず、実践上、立ち往生することが多々あった。今日の講習でようやく、これまでの種々の疑問が解決され、臨床で正しく運用できそうな自信がついてきた。

 精神科の日常臨床では、法律とのつき合いは切っても切れない。Mental Health Act(精神保健法)がまず頭に浮かぶが、MCAが必要な場面にもしょっちゅう遭遇する。とくに、リエゾンやリハビリテーションの分野では、必要になることが多いと思う。

 MCAの施行以前は、財産に関する後見制度はあったが、社会福祉や医療に関する自己決定権については、common lawに基づいておこなわれていた。MCAのもとに、意思決定能力の定義やその(司法的な)評価の方法、適応範囲などが包括的に明文化された。また、Mental Health Actとの使い分けについても、はっきりと示された。

 MCAの基本5原則は下記のとおりである。

  • Presumption of capacity(意思決定能力は、否定されないかぎり、存在すると推定する)
  • Maximising decision-making capacity(自己決定ができるよう可能なかぎりサポートする)
  • The freedom to make unwise decisions(非合理的な決定をする自由を有する)
  • Best interests(受益者の最大限の利益にかなう決定をおこなう)
  • The least restrictive alternative(受益者の権利や自由の制約が最小限にとどまる方法を選択する)

 common lawとgood medical practice、基本的人権を念頭におけば常識と思われる事柄が並んでいるが、実際の医療や福祉、財産の保護等の面ではなかなかそのとおりの保護がおこなわれてこなかったことを考えると、こうして並べることに意味があるということはうなづける。

 施行後半年もたっているのに自信がないとはけしからんと言われそうだが、新しい法律ができても、現場でのアセスメントや対応は、これまでおこなってきたことと基本的に変わらないため、多少頭の中が混乱していてもあまり不自由しなかったとも言える。

 それにしても、法律用語はほんとうに厄介である。なにしろイギリスの法体系についての知識が怪しい上に、法律用語は苦手なので、あわててコンピュータに向かって基本的知識の復習をしなければいけないことなど、しょっちゅうである。(インターネットがなかったら、この検索ひとつとっても、 私の生活は、ものすごく大変なものになっていたに違いない。)

 ちなみに、10月に新しいMental Health Act 2007(精神保健法)の施行が控えており、こちらのほうは大幅なシステムの変更があるため、頭の切り替えだけでなく、精神科コンサルタントは再講習が必要になる。

Monday, April 07, 2008

宣伝活動

 私が勤務する、South London & Maudsley NHS Foundation Trust(略してSLaM)が、広報用のショート・フィルム「Maudsley's Mission - The Future in Mind」をYouTubeにアップした。

 ひじょうにprofessionalに作られたフィルムで、研究と臨床をうまくリンクさせて、最先端の治療をおこなっている、素晴らしい病院に見える。

 政府が、患者に「選択」の自由を与える政策をとり、Foundation Trustとして、Trust独自で収入を得る道を探ることが可能なcorporate NHSにとっては、こういった広報も、大切な「企業」活動のひとつになっていくのであろう。

 SLaMでは、今後もこういったマルチ・メディアの広報をすすめていく方針だそうである。SLaMのフィルム・カタログはこちらからどうぞ。

Tuesday, April 01, 2008

エープリル・フール前日

 昨日の夜8時頃、1通のメールが届いた。

…we are pleased to inform you that we have accepted it for publication in Journal of xxx…

 そう、先日論文を再々投稿した学術雑誌の編集長から、論文を受理しましたというメールであった。

 やった!と喜んだが、すぐに「まだ4月1日になってないよね」と思ってしまったのは、この論文のここまでの道のりを振り返れば、無理もないことなのだ。側頭葉てんかん患者における記憶検査と脳画像検査に関する研究の論文なのだが、最初の原稿を書き始めてから足掛け5年、あちこちの雑誌に嫌われ続けてきた。不受理の返事を受け取るたび、この仕事は日の目を見ないのではないかと思うことがしばしばであった。それでもここまでしぶとく粘ってきたのではあるが。

 今回の雑誌も、すべり出しは最悪だった。投稿したのが昨年の4月下旬。途中、査読者の選定に手間取ったとかで、最初の査読結果が届いたのが5ヶ月後の9月。4年かかって初めて「不受理」と書いていない返事がきたと喜んだのも束の間、届いた査読者(2人)からのコメントを見て、言葉を失った。査読者1からのコメントが60点ある。(ちなみに、査読者2からは6点。)「こんなにコメント書いたら、これだけで総説が書けるでしょう」と突っ込みを入れながらも、頭をひねりにひねってコメントに応え、なんとか再投稿にこぎ着けた。ところが、さらにコメント付きで帰ってきて(査読者1からのコメントは合わせて64点になった)、追加の解析をやって再々投稿。

 もともと長い論文だったのが、コメントに添って改良を加えたらさらに長くなり、最終稿は引用文献が84にのぼる、59ページ(本文だけだと29ページ−原稿用紙ではありませんが)の大論文になってしまった。 改訂作業中、「こんな長い論文、誰が読むのだろうか」と共著者とぼやいたが、 64もコメントをくれた査読者は隅から隅まで読んでくれたのだから、最低1人はきちんと読んでくれたのはまちがいない。

 この「大」論文が5年がかりで受理にこぎ着けた一方で、去年の夏にあまり苦労もせずに書いた論文は、マイナーな訂正を加えただけで受理され、すでに雑誌のwebsite上で公開されている。論文のテーマも雑誌の種類もまったく異なるので、単純に比べられるものではないとはわかっているのだが。それでも、今年はこれで2つめの受理なので、ここまではなかなかいいペースできている。

 おっと、今日は4月1日なので、やたらなことは口にしないほうがいいのかもしれない。

Saturday, March 29, 2008

Gyrotonic® Apprentice Trainer

 最近、履歴書に新しい肩書きが増えた。「Gyrotonic Apprentice Trainer」という。ちなみに、Professional Qualificationsではなく、Personal Interestsの項目に入っている。

 Gyrotonicというワークアウトには以前から興味はあったのだが、ふと思いたって、家から一番近いスタジオに行ってみたのが去年の夏。あっという間にはまってしまい、以降、毎週2回、1時間のone-to-oneセッションに通いつめることになった。

 Gyrotonicというのは、Pulley Tower(滑車式のウェイトを使用したケーブルとストラップのついたタワー)とHandle Unit(コーヒー・ミルのような装置のついたベンチ)と呼ばれる器具を使ったエクササイズである。

私の先生のCherie (http://www.thethirdspace.com/bi/)

 一見、中世の拷問具に見えなくもない器具を使い、ダンス、水泳、器械体操、ヨガ、太極拳などの動きを取り入れた、立体的・回旋・らせん状の動きを行う。

 全身のストレッチ、ワークアウトとしてもすぐれものだが、それよりも、セッションが終わったときに、頭の中が空っぽになり、気分が軽やかになるところが気に入っている(勝手に、mental stretchingと呼んでいる。)

 セッションを重ねていくうちに、もっとGyrotonicについて知りたくなった。しかし、マニュアル本やDVDの類はいっさい門外不出。知識を深めるには、トレーナー養成コースに行くのが(ほぼ) 唯一の方法である。トレーナーになる気はないのだが、それしか方法がなければ仕方あるまい。

 というわけで、まずは1月にロンドンで、6日間の準備コースを受けた後、2月に東京で、12日間の養成コースを受けた 。このコース、途中に1日休みがあるだけで、連日5-6時間のトレーニング。こんな運動漬けの生活なんて、大学の部活の合宿以来、20年ぶりであった。半分くらいの年齢の人たちに混じってのトレーニングは厳しいものがあったが、ぎしぎしと叫びをあげる体をだましだまし、なんとかコースを無事に修了し、Apprentice Trainer(見習いトレーナー)のお免状をもらった。

 ひとつ達成すると、欲が出るものである。ロンドンに戻り、筋肉痛から開放されたら、せっかくここまでやったのだからトレーナーの資格をとろうと、急に気が変わった。

 Certified Trainer(認定トレーナー)になるためには、1年以内に60レッスンをこなし、さらにもう2つのコースに行く必要がある。

 本当に最後までたどり着けるかどうかは心もとないが、見習いトレーナーとして、週末に細々とレッスンを始めたところである。

Monday, February 18, 2008

2.18

我々は福島大野病院事件で逮捕された産婦人科医の無罪を信じ支援します。

 昨年に続き今年も、Yoshan先生が「新小児科医のつぶやき」で2.18企画を立てられている。ちなみに、昨年の2月18日に際しては、私はこんなことを書いていた。読み返してみると、隔世の感がある。

 「福島大野病院事件」の裁判の記録は、毎月の公判の傍聴記がネット上にアップされるごとに、目を通している。証人たちの陳述やマスコミの報道を読むと、時に、検察側と弁護側との間の溝の深さに愕然とし、やりきれない思いを感じることがある。それと同時に、 日本を離れ、海外で医療に携わる身としては、誠実な医療行為の結果をもとに刑事告訴されることはありえない環境の中で仕事ができることのありがたさを、再認識することもある。

Tuesday, January 01, 2008

新年のごあいさつ

 まったくお正月気分を感じないまま、2008年が始まってしまいました。

 2007年は、私にとって、しんどいながらも我慢して、ようやく次へのステップのための光が見えかかってきたという年でした。

 コンサルタントとして2年目を迎え、日々のルーティンに埋没せずに、チャレンジを続けなければ と気負っていたのですが、1年が過ぎてみたら、チャレンジのほうが寄ってきてくれて、心配は杞憂でした。メインの仕事のPAMSというチームは2年目に入り、マネージメントサイドとの蜜月時代は終わり、厳しい数的目標をクリアすることが求められるようになりました。いかにサービスの質を下げずにマネージャーたちの要求に応えるか、チーム・リーダーとともに頭を絞る毎日でした。また、12月からは、Assertive Outreach Serviceというチームに週1日関わっています。サービスの対象となる患者さんがPAMSとは異なるため、仕事のスタイルを変えなくてはいけなくなりました。

 NHSの財政難は悪化するいっぽうで、私の所属するNHSトラストでも「サービス再編計画」が着々と進行中です。計画は猫の目のようにくるくると変わり、いろいろな噂が飛び交う中で仕事をするのは、精神的に落ち着かないものでした。しかしいっぽうで、こういった厳しい状況の中でも、 優先順位をつけて、意味のある新しいモデルを作るべく知恵を絞る同僚たちの中に、これまでに新しいものを生み出してきたイギリスの伝統を見る思いがしました。もっともこれは裏返すと、作っても改良せずにすぐに捨ててしまうという悪い伝統でもあるので、 もったいないとも思いましたが。

 メインの仕事が落ち着かない中で、サブの仕事として、ロンドン在住の日本人を対象にした外来と、てんかんの精神科的問題を主に診る外来を始めました。私がずっと興味を持ち続けてきた、あるいは私だからこそできるテーマの外来を持つことができたのは、仕事への意欲を高めてくれるだけでなく、仕事の内容のバランスを保つ上でも、本当によかったと思います。始めたばかりで大変なことも多いですが、今年はこれらを軌道に乗せていきたいと思っています。

 もちろん、仕事ばかりしていたわけではありません。イギリスに来てしばらくは、サルサに凝り、よく踊りに行っていたのですが、 ここ数年、踊ることへの情熱はすっかり冷めていました。昨年秋に、Tango fireというパフォーマンスを見て、タンゴに魅せられて、タンゴのレッスンを始めました。 ダイナミックで自由なサルサに比べると、タンゴの動きはひじょうに 繊細かつ厳格で 、初めの頃はただ前に進むのにも苦労するというありさまでした。初心者向けのコースが終わり、ようやくフォローのしかたが少しわかるようになったところです。今年はミロンガにデビューするのが目標です。

 ロンドンに来てから、もうすぐ丸8年になります。日本に一時帰国するたびに、浦島太郎のような気分になります。臨床の仕事を始めてからは特に、英語が少し上達し、英語的な論理で動くことが増えたせいか、自分自身の一部が少しずつ「英国人化」していくように感じ、複雑な思いがすることがあります。けれど、ここに住んで仕事をしていく以上、これは止められないことなので、多民族・多文化都市ロンドンで、World citizenとしての生き方を模索していこうと開き直っています。

 みなさまにとって、かけがえのない、素晴らしい年になりますよう、心からお祈りします。

 2008年元旦