Monday, May 29, 2006

コンサルタント

 私の職名は、Consultant Psychiatrisit(精神科コンサルタント)である。日本には存在しないものなので、初めて聞いた人からはいつも、「なにそれ?」という反応が返ってくる。

 コンサルタントというのは、イギリスの医療システム(NHS、プライベート・セクターとも)の中で、専門医として独立して仕事ができるシニアの医師たちのための職である。

 イギリスでは、医師は家庭医(General Practitioner、GP)と各科専門医(Specialist)とに分かれ、卒業後の研修制度が異なる。(家庭医の研修制度については、私はまったく知らない。)

 専門医になるためには、初期・中期・後期の卒後研修を経て、General Medical Council(GMC)の一般本登録(Full registration)に加えて、専門医登録リスト(Specialist register)に登録される必要がある。ちなみに、イギリスには医師国家試験がなく、医師の登録・資格審査はGMCがおこなう。Department of Health(DoH、保健省)は医師の管理には関わっていない。GMCに登録しないかぎり、イギリスで医師として仕事をすることはできない。

 現在の卒後研修制度では、医学部を卒業すると、まず、GMCに仮登録(Provisional registration)をし、1年間、Pre-registration House Officer(PRHO)として研修する。これが修了すると、仮登録から本登録(Full registration)に変更できる。そして、自分の選択した専門分野のSenior House Officer (SHO)として研修を積み、専門分野の王立学会の会員試験(Membership exam)を受ける。精神科の場合、 SHOは3年間である。

 SHOの研修を修了し、会員試験に合格すると、Specialist Registrar(SpR)として、後期研修に移る。精神科では、一般成人精神科専門医のSpR研修が3年間である。一般成人精神科専門医以外にも、Sub-specialityとして、小児・青年期精神科、老年期精神科、学習障害に関する精神科、司法精神科、精神療法があり、Sub-specialityの組み合わせによって、研修内容・期間が異なる。

 SpRを修了すると、専門医研修修了証明(Certificate of Completion of Specialist Training、CCST)が交付され、GMCに専門医登録できる。この時点で、初めて、コンサルタントのポストに応募する資格ができる。

 2005年から卒後研修制度が変わって、現在は、新旧制度の移行期で、新制度の第1期生がこの夏から専門医研修に入る。新制度では、PRHOがFoundation Yearという名前になり、2年間の初期・一般研修になり、SHOとSpRがひと続きのSpecialist Traineeとなり、後期・専門研修になる。Specialist Trainee終了後は、CCSTのかわりにCCT(Certificate of Completion of Training、研修修了証明)が出される。

 研修医の数は、各専門分野の現在のコンサルタントの数、将来の予測されるコンサルタントの数に応じて、厳密に決められている。1対1の指導医を確保するためと、将来、専門医研修を終了した医師の数がコンサルタントのポストの数を大きく上回らないようにするためである。また、王立学会の会員試験の合格率も抑えられている。(精神科は50%程度。)したがって、専門医研修を修了するまでに、何段階かの選抜を勝ち抜かなくてはならない。

 いっぽう、医療現場では、研修医の数が限られているため、コンサルタント以外の医師のポストをすべて研修医で埋めることはできない。そこで、キャリア・グレードと呼ばれる立場の医師たちが、その隙間を埋めている。キャリア・グレードのポストは卒後研修制度外にあるため、何年間、どのような内容の仕事をしても、研修期間に含められず、キャリア・グレードからSHOやSpRに横滑りすることはできず、CCSTも得られない。(もちろん、受験資格を満たし、選考に受かれば、途中で、SHOやSpRになることはできる。)

 専門医登録され、コンサルタントのポストに応募し、選考に勝ち抜くと、晴れてコンサルタントになる。コンサルタントは、医師のキャリア中唯一、誰からの「指導(supervision)」も受けず、独自の判断を頼りに仕事をすることが許されている。通常、コンサルタントは研修医やキャリア・グレードといった、ジュニアの医師たちとチームで仕事をしており、ジュニアの医師たちは、コンサルタントの指導を仰ぐ権利と義務があり、コンサルタントは、ジュニアの医師を指導する義務がある。

 チームが担当する患者の責任担当医(Responsible Medical Officer、RMO)は、常にコンサルタントである。すべての医療行為(薬の処方や投薬、検査、入退院等)は、コンサルタントの名前の下に行われる。たとえば、研修医でも処方箋や検査オーダー票を書くことができるが、伝票を書いた医師とは別に、コンサルタントの名前を記入する欄がある。研修医が単独で外来診察をおこなうこともあるが、その後、コンサルタントとの週1回の指導の場(Supervision session)で、それぞれの患者に関して指導を受ける。こうして、ジュニアの医師たちの臨床行為に関して、コンサルタントは最終的な責任を持つ。

 また、精神科の場合、精神保健法(Mental Health Act)に基づいた診察・入院等がある。これらの業務は、精神保健法の12条によって定められた条件を満たした医師(Section 12 Approved Doctor)であれば、コンサルタントでなくても行える。しかし、一部の業務(強制入院中の患者の外出や退院を許可する等)は、NHSトラストの内規として、コンサルタントしか行うことができないよう定められていることが多い。

 これらの臨床上の責任に加えて、コンサルタントは、自分の担当する医療サービスに関しては、マネージャーとしての役割も持つ。通常、チームの直接のマネージメント業務は、チーム・リーダーと呼ばれる人たちがおこなうが、コンサルタントは、チーム・リーダーと協力して、サービスの質を維持し、向上させる等の責任がある。

 このように、コンサルタントは、NHSの二次レベルの医療で、家庭医から紹介されてきた患者に、専門医療を提供する専門医としての臨床的責任があり、かつ、担当するチームの医療サービスについては、マネージャーとしての管理責任がある。臨床家であるだけでは足りないのである。

 コンサルタントを日本語で言い表す場合、「上級専門医」とか「顧問医」と訳されることが多いが、「管理者」としての面が強調されると、「部長医」などという不思議な日本語に訳されていることもあるようである。

Friday, May 26, 2006

Awayday

 24日の水曜日は、SLaMランベス区のリハビリテーション部門のアウェイデイ(Awayday)だった。朝9時半から夕方4時半まで、リハビリテーション部門の各施設(病棟、宿泊施設型のリハビリ・ユニット、地域のリハビリ・チーム等)のチーム・リーダーとコンサルタント、マネージャーたちが集まり、リハビリテーション・サービスの将来のあり方について話し合った。

 この「アウェイデイ」、日本では聞き慣れないが、こちらではしばしば使われる。会社や団体が、ある目的のために、通常の職場以外の場所(off-site)を会場として、全員が集まって1日がかりのミーティングをすることを指す。新しいチームやプロジェクトが発足した際のチームの初顔合わせのためのアウェイデイや、年に1度、親睦を深めるためのアウェイデイなどがある。「オフ・サイト(off-site)」と呼ばれることもある。

 Wikipediaによると、アウェイデイは、昔は、ブリティッシュ・レイル(国鉄)の日帰り割引切符を指す言葉だったものが、今では「職場を離れた場所での1日がかりのミーティング」を指すようになったという。

 私の初めてのアウェイデイ体験は、今年の2月の、SLaMランベス区のコンサルタント・アウェイデイだった。SLaMランベス区のコンサルタントが全員集まり、親睦を深め、招待演者の講義を聴く、年に1度の会である。今年は、テムズ川沿いにあるデザイン・ミュージアムの会議室でおこなわれた。製薬会社がスポンサーについていて、テムズ川を見渡すミュージアム内のレストランの3コースのランチと、ミュージアムの入場券付きだった。私にとっては、コンサルタントとして出席する初めての会だったので、行く前はものすごく緊張したのだが、行ってみたら、前のスーパーバイザーを含めて、結構知った顔があって、すぐに打ち解けられたし、講演も興味深く、食事はまあまあおいしく、会のあとに行ったミュージアムの展示もおもしろく、楽しいアウェイデイだった。

 今回のリハビリテーション・アウェイデイは、残念ながら、まったく正反対の会だった。会場は、私の職場から数件先にある、Social Servicesの古い建物の窓のない会議室で、昼食は、First Step Trustという、職業リハビリテーションの組織が経営しているレストランからのケータリングの立食だった。(レストランの名誉のために付け加えておくが、ここのケータリングは、メニューがいつも同じことをのぞけば、わりとおいしい。)出席者は、代わり映えのしない、知った顔であった。

 アウェイデイのテーマは、21世紀の精神医療サービスにおいて、リハビリテーション精神科は何ができるか、何をするべきかというものだった。リハビリテーションは、急性期病棟のように「どうしても欠かせない」サービスではないため、何かというとサービス削減の対象に名前が挙がる。今年に入ってからの、経費削減、病棟やサービスの閉鎖の流れの中、生き残れるかどうかは、深刻な問題なのである。ミーティングも、終始、ブラック・ジョークが飛びかい、いささか自虐的な雰囲気だった。

 長い1日の中には、有意義な議論もあり、すぐに実行に移せるサービス改革案も挙げられ、それなりに実りもあった。しかしながら、丸1日座っていたので、私の座骨神経痛は悪化した。おまけに、外に出たら、ひどい雨と強風で、ぐったりとした気分はさらに重くなってしまった。

 楽しい日帰り旅行もあれば、そうでないものもあるということである。

Wednesday, May 24, 2006

失敗から学ぼう

 私が会員になっている、Medical Protection Society (MPS)の会報「Casebook(事例集)」が届いた。

 MPSは、イギリスで一番利用者の多い、医療関係者向けの賠償責任機関である。保険会社ではなく、会員から徴収する年会費で運営される、非営利組織である。事例集は年に4回発行される。

 今回掲載されている9例は、さまざまな専門分野に渡り、その内容も、民事訴訟で被告の医師に責任がないと認められたものから、裁判の過程で医師側の過誤が明らかになり、MPSが法廷外での和解に応じ、多額の和解金を支払った例まで、いろいろである。

 事例の概要、訴訟・和解交渉の経過および結果に続き、それぞれの例で「学ぶべき点」が列挙される。「学ぶべき点」は、Good Practice(良質の医療)を提供するためのCode of Practiceの観点から書かれており、「こうすれば(あるいはしなければ)訴訟にならなかった」などという責任回避的な記載は、まったくない。編集長も、事例集は「貴重な教育的役割をもつ」と、はっきり書いている。他の医師の苦い経験から、なぜ過失が起こったのか、どうすれば防ぐことができたか、似たような状況でどうするべきか、等の教訓を引き出し、医療技術および安全性の向上に努めようというわけである。

 MPSは非営利組織で、会費で運営されているわけだから、会員である医師の安全性に対する意識が高まり、医療事故が減少すれば、賠償等の支出も減り、会の経済的体質も向上するのであるから、「教育的効果」はさらにあがる。(こんなことはどこにも書いていないが、相互扶助的な意味からも、必要な感覚であると思う。)

 医師が人間である以上、医療事故は起こりうるものである。事故に至らないものの、ヒヤリとするニアミスも入れれば、医療現場では稀ならず起こっているはずである。起こそうと思って事故を起こす医師はおらず、細心の注意を払っても、どこかでミスは生じる。哀しいかな、ニアミスに気がついて、心臓が止まるような思いをすることは、ほかのどのような経験や立派な志にも増して、急速かつ長期的に、学習意欲や安全に対する意識を向上させるように思う。失敗を通して、医師は成長するのである。

 医療事故を予防するための体系的なシステムを作ろうとする動きは、世界各国で徐々に進んでいると聞く。イギリスでは、2000年6月に発表された、「An Organisation with a Memory(記憶をもつ組織)」と題する報告書で、NHSの医療事故に対する透明性を高め、医療事故情報を収集・分析し、安全性の向上ならびに事故の予防をはかるための組織を早急につくるよう、提言された。これを受けて、2001年7月に、イングランドとウェールズで全国患者安全機構(National Patient Safety Agency、NPSA)が設立された。医療従事者は、NPSAの事故報告ページから、匿名で、患者の安全に関わる事故を報告できる。

 NPSAの活動と並行して、医師の卒後教育の新カリキュラムでは、患者の安全管理・事故予防の教育が組み込まれ、研修医に、医療事故を隠さず報告するよう奨励している。この一環として、昨年秋に刊行された小冊子がなかなか興味深い。

 「医療事故(Medical error)」は、イングランドの医学会の重鎮14人による、医療事故・ニアミス体験集である。14人ひとりひとりの、研修医の頃、またはコンサルタントになってからの失敗が、率直に語られている。(ほんとうはもっと大変な失敗もしてるでしょ、と突っ込みたくなる人もいるけれど。)

 「症例検討(Case studies)」では、研修医の関与した医療事故とその転帰を挙げ、なぜ事故が起こったのか、同様の事故を防ぐために何が必要なのかについて、シニアの医師の意見が述べられている。

 医療事故が起こるのは、残念なことである。被害を受ける患者やその家族の側にとってみれば、たまったものではない。しかし、事故が起こりうるものであり、いったん起こってしまったとしたら、失敗から最大限の教訓を得るしかない。失敗からも学べなければ、さらに悲劇である。

Monday, May 22, 2006

NHS苦情処理制度

 今年2月の、福島県立大野病院の産婦人科医が逮捕された事件については、精神科医である日本の友人たちから、遅まきながら、4月になって初めて教えてもらった。(私は福島県出身です。)

 私は産婦人科医ではないし、現在日本で臨床に携わっていないので、手に入れられる情報は、主にインターネット上の医療情報やニュース、個人・グループのブログや掲示板を通してのものである。様々な立場からの情報・意見を目にしたが、手に入る情報をみるかぎり、なぜ、この件が刑事事件として取り上げられることになったのか、まったく理解できない。日本産科婦人科学会をはじめ、声明を出している関係機関が何度も繰り返している、医師たちが抱いている危機感を、私も共感する。

 公判前整理手続きが適用され、9月にも初公判が開かれる見通しであると聞く。裁判を通じて、当事者である医師の名誉が回復されることを期待する。また、ご本人・ご家族ともに、この大変な時期を、精神的・経済的なサポートが得られ、乗り越えられるよう願う。

 さらに、もう一方の当事者である、今回の件で亡くなられた女性のご家族と、残されたお子さんに、心から哀悼の意を捧げる。今回の逮捕・起訴により、事件の報道や反応が、当事者(警察・検察も含む)の予想を超えて広がったことに、当惑されていることと想像する。また、医師が抗議の声を上げていることによって、医療に対する不信の念をさらに深めることになっているかもしれない。度重なる報道によって、残された家族は、つらい喪失体験を何度も追体験せざるをえないであろう。医師たちが声を上げた理由をわかりやすく、中立的に説明できる人が側にいて、必要な精神的サポートも受けられるよう、願わずにはいられない。

 さて、前置きが長くなってしまったが、大野病院事件に関する一連の日本の報道を追いかけていて、イギリスではどのように医療に関する苦情(complaints)を解決するのだろう、と興味がわいたので、調べてみた。

 イングランドのNational Health Service(NHS、国営医療機構)を通した医療サービスにおいて、患者が満足できない場合、また、医療事故(医療過誤も含む)を疑った場合、「The National Health Service (Complaints) Regulations 2004」という制度に基づいて、苦情申し立て、解決を図ることができる。これは、「NHS complaints procedure(NHS苦情手続き)」とよばれる、2004年7月に始まった制度で、患者からの苦情をいくつかの異なる機関が調査・処理するよう定められている。(制度は2004年以降段階的に導入され、2006年に一部改良される予定である。)

 患者側にとって身近にある相談窓口は、NHSのPatient Advice and Liaison Service (PALS、患者への助言・協力サービス) である。PALS自体は「NHSお客様係」のようなもので、苦情処理のための機関ではないが、苦情の内容や種類によっては、もっとも早く助言・解決が得られる可能性がある。

 苦情申し立ての一番初めの窓口は、Independent Complaints Advocacy Services(ICAS、独立苦情擁護・代弁サービス)である。ICASは2003年9月に設立された、NHSに対する苦情を処理するための、独立した機関である。患者またはその代理人(介護者または弁護士等)は、医療サービスを受けたNHSのある地域のICASに苦情を申し立てることができる。ICASのサービスそのものは、Department of Health(保健省)が、実績のある(アドボカシーなどの)サービス提供団体と直接契約し、それらの団体を通じて提供される。(現在契約を請け負っているのは、Carers Federation、Citizens Advice、POhWER、South East Advocacy Projectsといった団体である。)イングランドを11の地域に分け、それぞれの地域にICAS地域事務所を置き「地域での問題解決(Local Resolution)」を目指す。苦情処理の方法については、苦情の対象(家庭医、病院、薬局等)や種類・内容によって、細かい指針が定められている。

 ICASの結論に満足できない場合、「地域での問題解決」は断念され、患者は、次に、当該のNHS機関(一次ケアの医療機関またはNHSトラスト)の責任者(トラストのチーフ・エグゼクティブ等)に直接苦情を申し立てることができる。NHS機関側は、苦情を受け取ってから20日以内に、苦情に対する初期回答をする義務がある。苦情の内容によっては、その後、NHS機関内で調査を進め、解決を図る場合もある。

 この回答・処理で問題が解決されない場合、患者は、保健サービス委員会(Healthcare Commission)に独立調査会(Independent Review)を開くよう、請求できる。保健サービス委員会は、保健医療サービス(NHSだけでなく、プライベート・セクターの医療機関も含む)を独立して監査するための機関であり、イングランド内に6つの事務所がある。苦情申し立てに対し、初期調査(Initial Review)をおこない、必要があると認められれば、独立調査会を開いたり、苦情の処理によりふさわしい機関(GMC、Health Service Ombusman等)に調査を依頼し、結論を出す。

 保健サービス委員会の結論に満足できない場合、苦情処理の最終の場は、保健サービス・オンブズマン(Health Service Ombudsman)である。これは正式には、Parliamentary and Health Service Ombudsman(議会ならびに保健サービス・オンブズマン)といい、(1) 政府ならびに国の機関、(2) NHSによる保健サービス、(3) 刑事事件の被害者、の3つの分野に関する苦情処理をする、独立機関である。(政府からも独立している。)

 保健サービス・オンブズマンは、苦情を調査し、もし苦情が事実であれば、それを正すための勧告を出す権限を有する。勧告に法的拘束力はないものの、大抵の場合、NHS側は勧告が出ればそれに従うそうである。また、必要と認められれば、医療機関側に「非を認め、患者に謝罪する」よう勧告することもできる。

 このように、「NHS苦情手続き」は、司法の手を介さずに、患者側・NHS側ともに法的費用を抑え、迅速に問題を解決するためのものである。NHSの公費負担による医療サービスのみを対象にしており、NHSに所属する医師から受けた私費医療に対する苦情は受けつけない。また、患者が、民事裁判を起こしている(または準備している)場合、この制度が使えないこともある。

 苦情の内容が、医師個人の臨床行為や、医師としての資質に起因する場合、上記のNHSに対する苦情と同時または別個に、医師評議会(General Medical Council、GMC)に、医師に対する苦情として申し立てることもできる。GMCは、医師法(Medical Act 1983)に基づき、医師の資格審査・登録を管理している団体である。

 GMCは、苦情を受けると、まず担当の調査官が調査し、必要と判断されれば、医師ならびに一般人(司法関係者や医学以外の分野の専門家)を委員(panelists)とする適性評価委員会(Fit to Practice Panel)を招集し、医師に対する処分を決める。処分は、研修や再教育を命じるものから、資格停止・資格剥奪まで様々である。医師の適性を評価する過程において、医療行為が過誤であったかどうかの判断をする場合もあり得る。しかし、患者への賠償問題には関与せず、これは民事事件として、法廷内外での交渉が必要となる。また、過誤があったと認定しても、GMCは医師に対して、患者への説明・謝罪を命じることはできない。

 医師個人の臨床行為に関しては、その資格認定から登録、懲戒まで、GMCが一括して管理しているため、臨床行為に関する過失・過誤が疑われるケースは、まず、GMCにおける調査が警察による調査に優先されるようである。GMCの調査過程で、刑事事件としての調査が必要と考えられる場合は、GMCの処分決定後に、GMCから警察に告発する形がとられる。

 例外は、医師の処置や裁量を超える明らかな刑事犯罪が疑われる場合で、たとえば、Dr Harold Shipmanの連続殺人事件などである。この場合、GMCは、警察の調査や裁判が終わるまで、関与しない。ちなみに、Dr Shipmanの場合は、有罪が確定し、刑務所に収監された時点で、彼の医師登録はまだ有効であった。

 また、刑事事件で有罪になったからと言って、即資格停止・剥奪にはならず、適性評価委員会を通して、個々に処分内容が決定される。

 以上、イギリスのNHSおよびGMCにおける苦情処理制度を概観してみた。恥ずかしながら、今回こうして調べてみるまで、このような制度があることなど、ほとんど知らなかった。制度が存在することと、それがきちんと機能していることは、まったく別問題であるが、少なくとも、苦情処理のシステムが作られていて、各機関の役割と裁量の範囲が明記されていることは、患者側、医療側双方にとって、いいことだと思う。

 最後に、「日本の医療事故の現状と課題」(国立国会図書館・調査と情報 Issue Brief 433号)という小論文が、日本ならびに諸外国(アメリカ・イギリス・ドイツ)の医療事故に対する現状と制度、課題について簡単にまとめてあり、わかりやすい。

Sunday, May 14, 2006

National Health Service

 National Health Service (NHS、国営医療機構)は、1948年に創設された、貧富の差(医療費を払えるかどうか)に関わらず、そのニーズに応じて、万人が公平に医療ケアへアクセスできる医療制度である。その費用はすべて税金でまかなわれている。

 1948年以前は、慈善団体やヴォランティア団体が運営する病院はあったが、利用者は医療費を払わなければならなかった。低賃金で働く労働者は無料で医療を受けられたが、彼らの家族または、少しでも生活水準の高い労働者には、無料の医療サービスは適用されなかった。無料といっても、あとから払い戻しをする場合もあり、受診時は費用を自分で負担しなくてはならず、その費用が用意できなければ、結局病院にはかかれなかった。

 慈善家や社会改革家が、無料で医療サービスを提供することがなかったわけではない。有名なのはWilliam Marsdenという外科医で、彼は1828年にLondon General Instituteion for the Gratuitous Cure of Malignant Diseases(1844年にRoyal Free Hospitalと名前を変えた。)という施設を作り、貧しい人々を対象に、治療や薬を無料で提供するサービスを始めた。費用は、遺産、寄付、義援金などでまかなわれた。しかし、無料の医療サービスを求める患者があふれ、1920年には破産の危機に追い込まれ、以降、他の病院と同様に、患者に治療費を請求せざるをえなくなった。

 公立の病院はあったが、主に周産期、感染症、精神疾患や精神遅滞、高齢者のための医療サービスを提供していたようである。

 そんな状況のもと、1948年7月5日、NHSが産声をあげた。病院での医療サービス、家庭医(医師、薬剤師、眼鏡技師、歯科医師を含む)による医療サービス、地域での医療サービスをひとつの組織のもとに統合し、すべて無料で公平に提供するという、画期的な制度であった。

 しかし、開始早々、NHSは大きくつまずく。初めての試みのため、実際のコストの予測が難しかったことに加え、組織が大きいために管理コストが膨らんだ。さらに、医療技術の進歩と新しい薬物療法の導入、国民の期待と需要の増加のために、実際のコストは予測を大きく上回った。

 開始の翌年には、処方料を導入することが決められ、1952年、1シリング(=5ペンス)の処方料と、1ポンドの歯科治療費が導入された。(処方料はその後もずっと有料で、現在は1アイテムにつき6.4ポンドである。歯科治療費も完全無料ではなく、一部負担する必要がある。)

 NHSは、イギリスの4つの地域(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)により、運営のしかたが多少違う(らしいが、どのように違うのかはよく知らない)。イングランドのNHSがどのように機能しているのか、ホームページに載っている図をもとに、簡単に説明しよう。

 NHSの医療サービスは、Primary care(一次ケア、円の青い部分)とSecondary care(二次ケア、円の赤い部分)から成る。

 一次ケアは、専門医の知識・技術を必要としない、一般の病気やけがに対する治療、予防医学、患者教育などが、主に家庭医(General Practitioner, GP)を通じて提供される。居住する住所によって登録できる家庭医が決められており、1人の家庭医にしか登録できない。登録するとNHS登録カードなるものが発行され、医療に関するすべての個人情報はその家庭医のもとに保存される。イギリスならびにEU加盟国の市民は無条件で登録する権利がある。また、6ヶ月以上の正規の滞在査証をもつ外国人も、登録する資格がある。外国人旅行者は登録できない。

 NHS Directは、24時間アクセス可能な、電話による情報提供または医療相談のサービスである。NHS Walk-in Centreでは、登録・予約が不要で、比較的軽度の病気やけがに対する処置が受けられる。ともに医師はおらず、看護師が主体のサービスである。

 二次ケアは、より専門的な医療サービスである。通常、いろいろな専門科のある病院(NHSトラスト)を通じて提供される。また、病院や地域による精神保健、学習障害や高齢者を対象にした医療サービスもある。患者が直接二次ケアに行くことはできず、家庭医からの紹介が必要である。Accident and Emergencey (A&E)における救急医療も二次ケアに含まれる。急な病気・けがの場合、家庭医の紹介は不要で、直接A&Eに行ってもいいし、救急車を呼んでもいい。外国人旅行者の急病やけがの場合は、A&E経由で、その病気やけがの治療に関してのみ、無料で治療を受けることができる。

 NHSがどのように医療サービスを提供するかという、国レベルでの政策をたてるのは、Department of Health(保健省)である。1998年以降、NHS Reform Programme(NHS改革プラン)のもと、重点分野や、数的・質的目標(待機時間の減少など)を設定し、予算配分を決定している。

 これらの政策は、イングランド各地域にある28のStrategic Health Authorities(SHA、戦略的保健機構)が、中央政府や保健大臣にかわって、担当地域のPCT(下記)や二次ケアの提供者が、地域のニーズに基づき、どのようなサービスを提供するかという「戦略的」政策をたて、PCTに指示し、その成果をモニター・評価する。いってみれば、保健省とPCTの橋渡し役である。

 さらに小さく分けられた地域ごとの医療サービスの種類や量を決定し、管理するのは、Primary Care Trust(PCT、一次ケアトラスト)である。イングランド全域に300以上のPCTがあり、約80%のNHS予算がPCTによって管理されている。PCTは、担当地域の医療・社会福祉のニーズを評価し、そのニーズに見合うサービスを提供する役目をになう。一次ケアはPCTが直接管理・運営している。二次ケアに関しては、PCTは二次ケアを提供するトラスト(提供者、provider)と契約を結び、サービスを「購入」する(購買者、purchaser)。ニーズの変化に応じて契約を毎年見直すことにより、PCTは二次ケアのサービス内容や財政を間接的に管理している。

 以上が、ブレア政権で「改革」された、NHSの現在の概要である。さらに詳しく知りたい方は、NHSイングランドのホームページの「About the NHS - How the NHS Works」に、各項目ごとの解説があるので、そちらをどうぞ。変化のペースが早いので、1年後にはまた少し変わっているかもしれない。

 NHSの、創設から現在までの歩みについては、NHSのホームページに、1948年以降10年単位でまとめてある。簡潔にまとまっているが、労働党が政権を握った1997年以降の記述については、自画自賛の感があるので、多少斜に構えて読んだほうがいいと思う。

 また、日医総研の森宏一郎氏が、これらの情報をもとにさらに肉付けし「NHSの歴史」と題して、日本語でのエッセイを書かれていて、ひじょうにわかりやすい。

Monday, May 08, 2006

Metroは天下のまわりもの

 私は地下鉄とバスを使って通勤している。自宅から職場まで、約30分ほどかかる。地下鉄に乗っている時間は20分弱なので、読書をするにはやや短い。バスと違って、景色を眺めるわけにもいかず、中途半端な時間である。

 そんな朝の通勤の友は、「Metro」である。これは、月曜から金曜まで発行されるフリーペーパーで、ロンドンでは地下鉄の駅に置いてある。

 Metroは、1999年にまずロンドンで創刊された。20分で読めるほどの新聞ということでデザインされており、タブロイド・サイズで、折り目のところはホチキスで閉じられている。創刊後、発行部数・発行都市ともに拡大し、今では、イギリスとアイルランドの12都市であわせて100万部を超える発行部数を誇り、実際の読者数は170万人と言われる。これは、日曜版をのぞく新聞発行部数で、The Sun、Daily Mail、Daily Mirrorに次いで4位である。(Wikipediaより。)

 フリーペーパーとはいえ、国内ニュースに加えて、国際ニュースや地方のニュースもカバーしている。エンターテイメント(芸術・映画・シアター)の情報はとくに充実している。映画評に関しては、私は、日刊紙の中では Metroが一番信頼できると思っている。

 困ったことに、私が使っている地下鉄の入り口には、Metro専用ラックが置かれていない。そのため、Metroを手に入れるのは、地下鉄に乗ってからになる。電車がホームに入ってくる時に、Metroが捨ててある座席がある車両を注意深く選ばなくてはならない。

 ロンドンでは、人が読んで捨てていった新聞を拾って読むのは、別に恥ずかしいことではない。とくに、Metroの場合は、そうである。(だからこそ、読者数が発行部数の1.7倍になるのだと思う。)よって、Metroを車内で手に入れようと考えている人は他にもいるので、競争が生じることもある。恥ずかしくはないとはいえ、電車のドアが開くなり、Metroめざしてダッシュするのはさすがに気が引ける。周りの人の様子を横目で見て、さりげない風をよそおいながらも、抜け目なく、窓際や座席に置いてあるMetroを手に取り、席に着かなくてはならない。

 8時半前後に電車に乗ると、山ほどMetroが捨ててあり、不自由しないのだが、それより早かったり、遅かったりすると、供給量が減り、Metroを読めないこともある。朝の通勤は、Metroが手に入ることが条件付けになっているため、たまたま手に入らないと、約20分間、気分が落ち着かないまま、電車に乗っているはめになる。

 Metroに関して、いつも不思議に思うことがふたつある。

 Metroは、Associated Newspapersという会社が発行しているのだが、この会社は、Daily Mail(日刊のタブロイド紙)とEvening Standard(ロンドンの夕刊紙)も発行している。ひとつの会社が3つも新聞を発行していて、それぞれ足を引っ張って売り上げに影響しないのだろうか。

 もう一点は、朝の地下鉄に山ほど放置されるMetroは誰が片付けるのだろうかという疑問である。もちろん、地下鉄の清掃の人なのだろうけど、Associated Newspapersは、この清掃に何らかの費用負担をしているのだろうか。それとも、Transport for London(ロンドンの地下鉄を管理している団体)が、ロンドン市民に20分とはいえ活字に触れる機会を作ってくれてありがとう、とか、Metroを読んでいる間は乗客がとりあえず静かにしているから助かる、などという理由で、逆にAssociated Newspapersに感謝しているのだろうか。

 まあ、私の小さな疑問など、毎日ちゃんとMetroが読めさえすればどうでもいいのだけれど。ちなみに、私は、週に1回くらいは、他の新聞を買って読んでいる。日系のフリーペーパー(日本語で書いてあり、日本のニュースも読めるフリーペーパーが4つある。)も、手に入る時は必ず読んでいる。

Sunday, May 07, 2006

Prefix & Suffix

 イギリスで手紙や書類を見ていると、人の名前のあとに、たくさん、訳の分からない略語がくっついているのを目にすることがある。また、人の名前の前にはタイトルがついている。たとえば、こういうふうになる。

  Dr David Beckham, BSc(Hons), MB BS, MSc, PhD
  Prof Sir Elton John, MB BCh, MD
 前につく(prefix)のは、タイトルで、Mr、Mrs、Ms、Miss、Dr、Profなどである。イギリスは爵位制度があるため、時にSirもある。Sirのついている人は、他のタイトル(ProfやDr)のあとにSirをつける。

 余談であるが、イギリスではアメリカほどMsは普及していない。いまだに、MissとMrsしか選べない場合がある。ヨーロッパ大陸ではさらにこの傾向は顕著で、Msって何?と聞かれたことが何度もある。

 内科系の医師はDrを使うが、外科系はMr、Mrs、Missを使う。(Msは見たことがない。)ある看護師が、せっかくドクターになるために研修して、またミスターに戻るなんて、と笑っていたことがある。

 私自身は、仕事と直接関係しない部分では、Drと呼ばれなくても気にならないので、普段はとくに聞かれないかぎりMsを選んでいた。(MissとMrsしかないほうがよっぽど腹が立つ。)そのため、私のところに届く文書はMsとDrとが混在している。ところが、先日、Ms Akanuma宛の文書ではDr Akanumaの身分証明ができないという、ばかばかしい「事件」がおこり、それ以来Drで通すことにした。

 さて、話がややこしくなるのは、名前のあとの略語(suffix)である。なかには、これでもかというように、それまで取得したすべての資格の略語をくっつける人がいるのだ。私が今まで見た中で一番たくさんついていたのは、7つである。だいたい、そんなにたくさんついていても、門外漢には、どれが何の資格の略語なのかちんぷんかんぷんで、ありがたくもなにもない。

 Wikipediaの「Academic degree」には、6項目、90あまりの学位の略語が出ている。これ以外にも、diplomaなどもあるので、実際には100以上あるのだろう。

 日本にいる頃読んだ英文の書き方の参考書には、prefixかsuffixかどちらか一方を書き、両方一緒に記載するものではないと書いてあったのだが、これはアメリカ式で、イギリス式でないのはまちがいない。

 一番高位の資格だけ書けばいいだろうにと思うのだが、お金と時間をかけてとった資格なのだろうから、そうもいかないのだろうか。

 GMC(General Medical Council)のホームページでは、登録している医師の卒業大学、GMC登録年次、登録の詳細を、オンラインで検索できる。私の学位は、「Igakushi(医学士)」と登録されている。実際は、私の医学部の卒業証書には「学位記」と一番上に書いてあり、文中に「医学の学位を授与する」とあるだけで、医学士の言葉はどこにもでてこない。GMCに登録している他の日本人医師のDegreeも医学士だったので、おそらく、GMCの手元にある、日本の厚生省の公式書類かなにかに、そのように記載されているのだろうと想像している。

 しかし、Igakushiと名前のあとにくっつけても、こちらの人には意味不明なので、私はMB BSを使っている。これは、内科系および外科系両方の医学を修めました、という資格(Medical Bachelor degree)の表記方法の「ひとつ」である。

 それでは、内科系または外科系の片方の学位しかとれない場合があるのかというと、あるのである。University of Southamptonでは、Bachelor of Medicine (BM)の学位が授与される。

 「ひとつ」と書いたのは、他にも異なる表記方法があるからである。医学部(内科系および外科系)卒業の学位は(Medica Bachelor degree)は、ラテン語では、「Medicinæ Baccleureus, Chirugiæ Baccleureus」または「Baccalaureus in Medicina et in Chirurgia」といい、前者がMB ChB、後者がMB BChirと略される。英語では「Bachelor of Medicine, Bachelor of Surgery」で、略語はBM BSとなる。ラテン語と英語が混合され、BM BChとかMB BSと表記されることもある。大学によって表記方法が異なるようである。

 同じ資格なのに表記法が違うと混乱するから統一したら、などというのは、アメリカ的、日本的な考え方で、イギリスではおそらく通用しないのだろう。

 私の英文の卒業証明書には、「Doctor of Medicine」とあるのだが、イギリスでは、Doctor of Medicine(MD)というのは、医療従事者が、主に臨床医学の分野の研究で得る学位であるため、私はあえて使っていない。

 アメリカでは、Doctor of Medicine (MD)が医学部卒業の資格である。これは、アメリカの医学部は、他の4年制学部を卒業しないと入学資格がない、大学院にあたるためである。一般に、イギリスのMB BSがアメリカのMDと同等であるという説明されることが多いが、これは必ずしも正しくないと思う。

 いずれにせよ、フル・コースの場合、私は、prefixひとつ、suffix2つとなるのだが、よっぽど偉そうに見せたり、かっこつけなければならない場合を除き、名前の前にDrをつけるだけですませている。

Saturday, May 06, 2006

Membership

 昨日は、私のチームのスタッフ・グレードの精神科医であるHの、王立精神科学会の会員資格(Membership of the Royal College of Psychiatrists, MRCPsyc)の授与式だった。昨年の秋の会員資格試験(membership examination)に合格した数百人が出席し、数人の学会役員などからのスピーチに続いて、学会の偉い人からひとりひとり会員証を渡され、写真を撮り、そのあと、合格者がいくつかのグループに分かれてさらに集合写真を撮ったそうである。

 Royal College of Psychiatrists (RCPsych)は、イギリスおよびアイルランドの精神科医を対象とした学会である。前身であるAssociation of Medical Officers of Asylums and Hospitals for the Insane(なんという名前!)は1841年に創設され、Medico Psychological Associationと名前を変えた後、1926年に王室の認可を受け、Royal Medico Psychological Associationとなり、1971年より現在の名称となっている。

 RCPsychは、会員資格試験を運営し、研修病院の監査・承認をするほか、精神科医の生涯学習(continuing professional development, CPD)のためのさまざまな活動を企画・運営したり、学会や講演会を開いたりしている。一般への精神保健・精神疾患に関する啓蒙活動もしている。British Journal of Psychiatry、Psychiatric Bulletin、Advances in Psychiatric Treatmentは学会が発行している雑誌で、それ以外にもいろいろな出版物を発行している(そうである)。

 MRCPsychというのは、いってみれば「精神科専門医になるための前期精神科研修修了証明」とほぼ同義語である。会員試験は二段階に分かれ、一次試験(Part 1)と二次試験(Part 2)があり、それぞれ年に2回行われる。Part 1は、精神科前期研修を12ヶ月間修了した時点で、Part 2は、Part 1に合格し、かつ、前期研修を30ヶ月間修了した時点で受験資格が与えられる。最近の合格率は、Part 1・Part 2とも、複数受験者の合格を含めて、50%程度だと聞いている。会員になって初めて「精神科医」と名乗れるようになり、後期研修のSpecialist Registrarのポストに応募することができるようになる。

 さて、私の場合、日本での研修・臨床歴がイギリスの後期研修修了と同等にあたるとみなされて、こちらでの研修なしで精神科専門医となったため、MRCPsychの試験は受けていない。よって、RCPsychの会員ではない。会員でないと、仕事に支障が出るほどではないものの、時に不便なことがある。たとえば、コンサルタントは CPDの活動を記録するために学会の運営するCPDシステムに登録するよう求められているが、会員の場合、無料で学会の電子CPDシステムに登録できるのに、非会員は年間150ポンド払わなければいけない。また、会員でないと参加できない学会や研究会がいくつかある。

 学会費は高いけれど、ことあるごとに入会するよう勧められるので、会員になるのもやむなしかと思い、RCPsychに入る方法があるかどうか調べてみた。

 まず、正規の会員はもちろん試験を受けなければいけないので、無理である。

 ほかに、Affiliateship(あえて訳せば、準会員となるのだろうか。)とInternational Associate(国際会員)がある。Affiliateshipは、MRCPsychは持っていないが、イギリスまたはアイルランドで、精神科研修医やコンサルタント以外のポスト(Staff GradeやAssociate Specialistなど)についている精神科医が対象である。International Associateは、MRCPsychは持っていないが、5年以上の精神科経験があり、精神科専門医の資格を持つ、イギリスまたはアイルランド以外に住む精神科医が対象になる。

 私は、MRCPsychは持っていないが、精神科専門医資格を持ち、イギリスに住んでいて、コンサルタントのポストについているので、どちらにも該当しない。つまり、どうやっても学会には入れてもらえないのである。

 私のように、学会に適当な会員資格がないために入れない精神科医は年々増えているようである。たとえば、EU加盟国出身者は、自国での研修が自動的に認められるため、イギリスまたはアイルランドに行ってSpecialist Registrarまたはコンサルタントになれば、結果として私と同じような立場になる。

 この問題に対処すべく、学会では、外国で研修したためにMRCPsychを持っていないSpecialist Registrarまたはコンサルタントを対象とした、新しい会員資格をつくる準備をしているようである。新しい資格の仮称はAssociate Member of the Royal College of Psychiatrsits (AMRCPsych)という。

 ちなみに、このMRCPsych、登録料が141ポンド、年会費が334ポンドである。AMRCPsychも、年会費は同じになる予定である。税金の控除対象になるとはいえ、高い!

Thursday, May 04, 2006

PAMSその弐

 私のいるチームPAMS(Placement Assessment & Management Service)は、今年の1月に、ランベス区の精神保健医療サービスの組織改編(Lambeth 10-Year Review)によって生まれた新しいサービスである。

 昨日のInterface Meeting(月に1度、ランベス区の成人精神保健医療部門のコンサルタント、シニア・マネージャーたちが集まり、成人精神保健と他の分野ー司法精神医学等ーとのinterfaceについて話しあうミーティング。)は、成人精神保健とリハビリテーション精神医療のinterfaceについてがテーマだった。リハビリテーション部門に与えられた時間が90分。私も、「Placement Assessment & Management Service: The First 3 months」と題し、チームの概略と、3ヶ月の間にわかったこと、今後の課題について、20分ほど話した。

 約2ヶ月前に「PAMSその壱」を書いたときは、チームがフル稼働する前で、なにもかもが手探りの状態だったので、チームの実際の役割について、私自身もよくわからなかった。今回、トークのために突っ込んで考えざるをえなくなり、頭の中が少し整理されてきた。

 そんなわけで、PAMSその弐では、PAMSが発足するまでに至る歴史に触れることにする。

 成人の地域精神保健には大きく分けて医療ケア(clinical care)と社会福祉ケア(social care)がある。社会福祉ケアは、ベネフィット(公的扶助)や、利用者のニーズに応じた入居施設(レジデンシャル・ケアやナーシング・ホームなど)の選定・費用負担を含む。従来、医療ケアは、一次医療は家庭医が、二次医療は地域精神保健医療チームが担ってきた。いっぽう、社会福祉ケアは、社会福祉事務所内の成人精神保健部門が担当してきた。地域精神保健医療チームには、医師と看護師、作業療法士といった、医療従事者しかおらず、社会福祉事務所の成人精神保健部門は別にオフィスを構え、必要に応じて協力する体制をとっていた。

 しかし、精神保健では、医療と社会福祉は複雑に関連しており、時に線引きをすることが難しい。たとえば、慢性の精神疾患の患者で、疾患の経過または後遺症として日常生活機能が低下し、地域で単独で暮らすのが難しくなることがある。レジデンシャル・ケア施設に入所し、治療と社会福祉ケアを受けることになるが、どこまでが医療単独の問題で、どこからが社会福祉単独の問題なのかは、はっきりしない。

 また、組織が分かれていると、連携がとりにくく、必要なケアを提供するのに不必要に時間がかかることがままある。

 そのため、精神保健医療と社会福祉事務所の精神保健部門を統合する動きがおこり、ランベス区でも2001年に、Integrated Mental Health and Social Care Serviceとして統合され、すべての地域精神保健医療チームにソーシャル・ワーカーがチームの一員として配属されるようになった。ランベス区の5つの地域それぞれに、Assessment and Treatment TeamとCase Management Teamの2つのチームがあり、それぞれにチーム・リーダーがいるが、どちらかは看護師出身者で、もう一方はソーシャル・ワーカー出身者とすることも決められた。この結果、社会福祉ケアが地域精神保健医療チームの仕事の一部となり、チームとしてより総合的なケアを提供できるようになった。

 しかし、問題は残った。ランベス区のストレッタム(Streatham)地域には、歴史的に、レジデンシャル・ケア施設が固まっていた。また、ランベス区は、イングランドの中でも、もっとも多いレジデンシャル・ケアの入居者数を抱えていた。しかし、忙しい地域精神保健医療チームの日常業務の中で、施設に入居している患者は、とりあえずケアをする人間がいるという安心感からか、優先されることが少なかった。また、ランベス区内では施設が足りず、区外の施設に頼らざるをえない場合が多い。患者がランベス区外の施設に入居した場合、医療ケアは家庭医または施設のある地域の地域精神保健医療チームに移るが、社会福祉ケアおよび費用負担はランベス区のままである。しかし、物理的な距離のために、患者の変化や、施設のケアの適切さをモニターするのは至難の業であった。

 さらに、レジデンシャル・ケア施設は決して終の住処ではなく、患者の回復やリハビリが進み、日常生活機能が向上したら、よりサポートの低い施設、または、単独での生活に移るのが望ましい。近年のリハビリテーションに対する考え方の変化や、社会福祉ケアにかかる費用負担の増加に伴い、患者に自立を促す動きが強まってきている。より自立度の高い環境へ移ることをmove-onというが、患者個々のmove-onの可能性を評価し、move-onを実現させるには、時間も人的資源も必要で、従来の地域精神保健医療チームにこの役割を担えないことが次第にはっきりしてきた。

 こういった問題を解決するために、2003年に、Streatham Hostel Teamという、レジデンシャル・ケア施設入居者を専門に担当する小さなチームが、南西チームの中に作られた。南西チームのCase Management Teamの看護師が2人兼任し、Specialist Registrarが週に1日、医療面のサポートをした。

 また、社会福祉事務所内に、Palcement Assessment and Monitoring Team (PAMT)というチームが同じく2003年に作られた。これは、ソーシャル・ワーカーと作業療法士からなり、レジデンシャル・ケア施設の監視や、入居者のmove-onを促すためのチームであった。

 折しも、ランベス区のレジデンシャル・ケア施設入居者がひじょうに多いことが、外部の監査機構からも指摘された。また、苦しい財政下、当然ながら、この費用は、社会福祉事務所に大きく負担となっており、コスト削減も火急の目標となった。

 そんな流れの中で、Lambeth 10-Year Reviewを機に、Streatham Hostel TeamとPAMTが合体し、発展する形で、PAMSが作られた。チームはSLaM(South London & Maudsley NHS Trust Lambeth Directorate)の一部であるが、マネージメント体系としては、SLaMのリハビリテーション部門と社会福祉事務所成人精神保健部門の社会福祉ケア部門の両方の管轄下にある。チームの運営予算は多くが社会福祉事務所から出ている(らしいが、本当のところ、よく知らない。)

 PAMSの主な役割は、次のようなものである。

  • レジデンシャル・ケア施設入居者のニーズがきちんと評価され、ニーズに見合った精神医療および社会福祉ケアが受けられるようにすること
  • 施設が、入居者のニーズおよび費用に見合ったサービスを提供しているか(value for money)を監視し、必要であれば改善の手助けをすること
  • 可能であれば、患者がより自立した環境へ移っていくmove-onをサポートすること
 社会福祉事務所が主導して作られたチームであり、コスト削減は、昨年度の予算の時点ですでに織り込み済みだったため、チーム発足前は、PAMSができ次第、患者のケアのレベルが落ちるのではないかとか、施設入居者をすぐに減らす方向に動くのではないかという憶測を呼び、リハビリテーション部門のコンサルタントたちは、憂慮していたそうである。

 また、move-onの言葉ばかり一人歩きし、PAMSが活動を始めれば、PAMSが患者を自立した環境へ移していってくれる、そして結果としてレジデンシャル・ケアにかかる費用を減らすことができるといった、医療・社会福祉両面からの期待も、一部にはあるようである。

 ようやくチームとして機能し始めたばかりだからまだ何とも・・・、などと外交的なコメントを繰り返しているものの、3ヶ月間たってみて、憂慮も期待もやや的外れであるというのが、私の正直な感想である。

 どのように「的外れ」であるかは、昨日のトークで「Current Issues」という副題で触れたので、次回、PAMSその参で書くことにする。