National Health Service
National Health Service (NHS、国営医療機構)は、1948年に創設された、貧富の差(医療費を払えるかどうか)に関わらず、そのニーズに応じて、万人が公平に医療ケアへアクセスできる医療制度である。その費用はすべて税金でまかなわれている。
1948年以前は、慈善団体やヴォランティア団体が運営する病院はあったが、利用者は医療費を払わなければならなかった。低賃金で働く労働者は無料で医療を受けられたが、彼らの家族または、少しでも生活水準の高い労働者には、無料の医療サービスは適用されなかった。無料といっても、あとから払い戻しをする場合もあり、受診時は費用を自分で負担しなくてはならず、その費用が用意できなければ、結局病院にはかかれなかった。
慈善家や社会改革家が、無料で医療サービスを提供することがなかったわけではない。有名なのはWilliam Marsdenという外科医で、彼は1828年にLondon General Instituteion for the Gratuitous Cure of Malignant Diseases(1844年にRoyal Free Hospitalと名前を変えた。)という施設を作り、貧しい人々を対象に、治療や薬を無料で提供するサービスを始めた。費用は、遺産、寄付、義援金などでまかなわれた。しかし、無料の医療サービスを求める患者があふれ、1920年には破産の危機に追い込まれ、以降、他の病院と同様に、患者に治療費を請求せざるをえなくなった。
公立の病院はあったが、主に周産期、感染症、精神疾患や精神遅滞、高齢者のための医療サービスを提供していたようである。
そんな状況のもと、1948年7月5日、NHSが産声をあげた。病院での医療サービス、家庭医(医師、薬剤師、眼鏡技師、歯科医師を含む)による医療サービス、地域での医療サービスをひとつの組織のもとに統合し、すべて無料で公平に提供するという、画期的な制度であった。
しかし、開始早々、NHSは大きくつまずく。初めての試みのため、実際のコストの予測が難しかったことに加え、組織が大きいために管理コストが膨らんだ。さらに、医療技術の進歩と新しい薬物療法の導入、国民の期待と需要の増加のために、実際のコストは予測を大きく上回った。
開始の翌年には、処方料を導入することが決められ、1952年、1シリング(=5ペンス)の処方料と、1ポンドの歯科治療費が導入された。(処方料はその後もずっと有料で、現在は1アイテムにつき6.4ポンドである。歯科治療費も完全無料ではなく、一部負担する必要がある。)
NHSは、イギリスの4つの地域(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)により、運営のしかたが多少違う(らしいが、どのように違うのかはよく知らない)。イングランドのNHSがどのように機能しているのか、ホームページに載っている図をもとに、簡単に説明しよう。
NHSの医療サービスは、Primary care(一次ケア、円の青い部分)とSecondary care(二次ケア、円の赤い部分)から成る。
一次ケアは、専門医の知識・技術を必要としない、一般の病気やけがに対する治療、予防医学、患者教育などが、主に家庭医(General Practitioner, GP)を通じて提供される。居住する住所によって登録できる家庭医が決められており、1人の家庭医にしか登録できない。登録するとNHS登録カードなるものが発行され、医療に関するすべての個人情報はその家庭医のもとに保存される。イギリスならびにEU加盟国の市民は無条件で登録する権利がある。また、6ヶ月以上の正規の滞在査証をもつ外国人も、登録する資格がある。外国人旅行者は登録できない。
NHS Directは、24時間アクセス可能な、電話による情報提供または医療相談のサービスである。NHS Walk-in Centreでは、登録・予約が不要で、比較的軽度の病気やけがに対する処置が受けられる。ともに医師はおらず、看護師が主体のサービスである。
二次ケアは、より専門的な医療サービスである。通常、いろいろな専門科のある病院(NHSトラスト)を通じて提供される。また、病院や地域による精神保健、学習障害や高齢者を対象にした医療サービスもある。患者が直接二次ケアに行くことはできず、家庭医からの紹介が必要である。Accident and Emergencey (A&E)における救急医療も二次ケアに含まれる。急な病気・けがの場合、家庭医の紹介は不要で、直接A&Eに行ってもいいし、救急車を呼んでもいい。外国人旅行者の急病やけがの場合は、A&E経由で、その病気やけがの治療に関してのみ、無料で治療を受けることができる。
NHSがどのように医療サービスを提供するかという、国レベルでの政策をたてるのは、Department of Health(保健省)である。1998年以降、NHS Reform Programme(NHS改革プラン)のもと、重点分野や、数的・質的目標(待機時間の減少など)を設定し、予算配分を決定している。
これらの政策は、イングランド各地域にある28のStrategic Health Authorities(SHA、戦略的保健機構)が、中央政府や保健大臣にかわって、担当地域のPCT(下記)や二次ケアの提供者が、地域のニーズに基づき、どのようなサービスを提供するかという「戦略的」政策をたて、PCTに指示し、その成果をモニター・評価する。いってみれば、保健省とPCTの橋渡し役である。
さらに小さく分けられた地域ごとの医療サービスの種類や量を決定し、管理するのは、Primary Care Trust(PCT、一次ケアトラスト)である。イングランド全域に300以上のPCTがあり、約80%のNHS予算がPCTによって管理されている。PCTは、担当地域の医療・社会福祉のニーズを評価し、そのニーズに見合うサービスを提供する役目をになう。一次ケアはPCTが直接管理・運営している。二次ケアに関しては、PCTは二次ケアを提供するトラスト(提供者、provider)と契約を結び、サービスを「購入」する(購買者、purchaser)。ニーズの変化に応じて契約を毎年見直すことにより、PCTは二次ケアのサービス内容や財政を間接的に管理している。
以上が、ブレア政権で「改革」された、NHSの現在の概要である。さらに詳しく知りたい方は、NHSイングランドのホームページの「About the NHS - How the NHS Works」に、各項目ごとの解説があるので、そちらをどうぞ。変化のペースが早いので、1年後にはまた少し変わっているかもしれない。
NHSの、創設から現在までの歩みについては、NHSのホームページに、1948年以降10年単位でまとめてある。簡潔にまとまっているが、労働党が政権を握った1997年以降の記述については、自画自賛の感があるので、多少斜に構えて読んだほうがいいと思う。
また、日医総研の森宏一郎氏が、これらの情報をもとにさらに肉付けし「NHSの歴史」と題して、日本語でのエッセイを書かれていて、ひじょうにわかりやすい。
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