Sunday, August 31, 2008

無罪確定にふと思ったこと

 福島県立大野病院の裁判、加藤先生の無罪確定を聞き、心からほっとした。2年6ヶ月もの長い期間を乗り越えられた加藤先生と、先生を直接・間接に支えるネットワークを作り上げ、支え続けた人たちに、心からの賛辞を送りたい。

 いっぽうで、亡くなられた患者さんの家族の方たちにとっては、この判決がclosureのステップのひとつになるといいと思う。残された方たちが、患者さんの死を受けとめ乗り越えていくために不可欠な、時間と静かな環境が得られるよう、心から祈る。

 判決要旨は、私にはひじょうにまっとうなものに思えた。本来そうあるべきものが、そのとおりに認定されたということをありがたく思う状況に、複雑な思いがする。刑事の対象となるはずのない件が訴追されたわけで、判決でようやく針が振り出しに戻っただけである。ここからどこへ向かうのか、決めるのは医師ではないと思う。

 誰も口にしないので、あえて書くが、この裁判にどれくらいの税金が投入されたのだろうか。コスト意識が高い国に長く住んでいると、視点が少し変わってしまうらしい。似たようなことがイギリスで起こったとしたら、メディアはまちがいなく費用を明らかにすると思う。

 お金の話をするなんて・・・と眉をひそめる向きもあろうが、私は、費用の検討もされてしかるべきであると思う。とくに、訴追をした検察側が自らの主張を立証することすらできなかった裁判に、多額の税金が使われのだから。

Monday, August 18, 2008

医療事故と警察の介入

 某所で話題になった「Guidelines for the NHS: In support of the Memorandum of Understanding - Investigating patient safety incidents involving unexpected death or serious untoward harm」であるが、私の印象としては、この協定および指針が発行された背景には、NHSに対する信頼回復のため、関係機関との連携を改善し、監視機能(お上による調査も含めて)を透明化・迅速化させようとする意図があるように思える。こういった動きは、NHSに限らず、イギリスのすべての公的機関で現在進行中である。また、組織として、サービスの対象となる人や雇用者たちに対するHealth & Safetyを守る責任(日本語では「安全衛生推進」というようです)が明確に定められたため、組織の責任を明確にするためには警察や他機関とのリエゾンが必要になるという事情もある。あるいは反対に、組織が、自身の責任を限定するために、警察による調査を要求するという面もあり得る。

 したがって、文書そのものは、必要があったら警察を呼びましょうと促しているわけで、警察の介入が減るとは思えない。むしろ、増えるのではないだろうか。

 さらに、NHSがIncident Coordination Group(ICG)を編成・運営するように定められているものの、警察やHealth & Safety ExecutiveがICGを設置するように要求することもできるため、必ずしも警察介入のルートが「統一」されるわけではない。NHSから直接警察に介入を要請することもできるし、ほかにも、患者やその家族が「苦情(complaint)」の形で警察に申し立てるルート、監察医から警察に連絡されるルート等、いろいろ考えられる。

 刑事訴追について調べていて一番わかりにくかったのは、医療事故が起こった時に、どの時点で、どのように警察が介入するのかという点であった。臨床部長を長く務めた同僚や、仕事でたまたま一緒になった民事専門の弁護士(barrister)などにも聞いてみたのだが、誰も知らない。残念ながら、刑事専門のbarristerにお目にかかる機会など、ない。

 そこで窮余の策として、Medical Protection Societyのhelp lineに電話して、legal consultantに聞いてみた。実際の事例があるわけではないのに、なんでそんなことを知りたいのだと不思議そうだったが、日本では最近いろいろと議論があってと説明したら、きちんと対応してくれた。結局、上記にも書いたように、決まったルートがあるわけではなく、事例ごとに異なるということがわかっただけであったが。

 そこで、もうひとつ、気にかかってきたことを聞いてみた。「いろいろなルートで警察が介入する可能性があるなら、医師は、自分の診療行為が刑事訴追の対象にならないか、心配しなくていいのだろうか。」返ってきた答えは、「警察の介入は、あくまで調査・捜査が目的で、刑事訴追に直結するわけではない。故殺罪の訴追対象になるのは、過失がgrossでrecklessであるという条件を満たすケースだけで、ひじょうに稀である。」ということだった。

 Guidelineにもあるが、gross negligence manslaughterはfour-stage test(the Adomako test)を満たす必要がある。

  1. The existence of a duty of care to the deceased
  2. A breach of that duty of care
  3. Causing the death of the victim
  4. Whether that duty should be characterised as gross negligence and therefore a crime

 MPSのlegal consultantの話では、4番目の"gross"と"therefore a crime"という点が鍵となるような印象を受けた。

 翻って日本では、関係機関(とくにメディア)との間で、「duty of care」の定義の擦り合わせから始めなければいけないような気がする。

 Guidelineの中で私が一番感心したのは、media対応(Handling communications)についてきちんと明記されているところである。これこそ、日本の関連機関がまず参考にするべきことだと思うのだが。

Sunday, August 17, 2008

医療過誤と刑事訴追の是非

 以前のエントリーで述べたように、90年代に入ってから、gross negligence manslaughter(重大過失による故殺罪)により医師が起訴される例が増加している。この傾向に対し、Jon Holbrookというbarrister(法廷弁護士)がThe criminalisation of fatal medical mistakes (BMJ 2003;327:1118-1119)と題するeditorialをBMJに掲載し、重大な懸念を表明した。2003年11月のことである。

 この中でHolbrookは、刑事訴追の増加は、社会全体の医療過誤に対する意識の変化が根底にあると述べている。いかなる事故であっても「罪のない(innocent)事故」はあり得ず、必ず「責任者」がいるはずであるという不寛容(intolerant)である。また、訴訟そのものの増加にも触れている。

 Holbrookが例に挙げているのは、2001年にNottinghamで起きた医療過誤事件である。Nottingham Queen Mary Hospitalのspecialist registrar(後期研修医)であったDr Mulhemは、18歳のWayne Jowettに誤って抗がん剤のvincristineを脊髄に注入するようにsenior house officer(中期研修医)のDr Mortonに指示した。Dr MortonはDr Mulhemに2度確認した上で、指示に従い脊注した。その結果、Wayneは重篤な状態に陥り、1ヶ月後に亡くなった。Dr Mulhemは罪を認め、8ヶ月の禁固刑を言い渡されたが、すでに勾留された期間を相殺され、判決後釈放された。

 このeditorialに対して多くのreponseがつき、興味深い議論が繰り広げられた。多くはHolbrookの論調に同意し、明らかな医療過誤による死亡事例であっても、当事者の医師を刑事で処罰することに疑問を呈している。また、刑事罰は将来の医療過誤の防止効果はないと指摘している。

 似たような論調は、もっと最近のアメリカの事例に対する反応にもみられた。2006年7月に、WisconsinのSt Mary's Hospitalの産科看護師Julie Thaoが、麻酔薬のbupivacaineを誤って静注し、16歳の妊婦Jasmine Gantが亡くなったケースである。静注に至るまでにはいくつものプロトコール違反があり、Thaoの行為はat-risk behaviorで、責められるべきであることは疑いのないところである。

 しかし、Wisconsinの地区検事が彼女をneglectとgreat bodily harmで起訴したことで、blog界隈でこの件に関する議論がわき起こった。Dr Wachterも、過誤に対する専門職業人としての処罰(免許停止または剥奪、解雇等)は当然であるが、刑事訴追に対しては疑義を呈している。結果として、Thaoが2件のmisdemeanorに関して争わない姿勢を示したため、neglectとgreat bodily harmによる起訴は取り下げられた。

 強調しておきたいのは、ここで取りあげたケースは、近年日本で刑事罰の是非について議論されているケースとはまったく異なることである。Dr Mulhemの事例もThao看護師の事例も、日本の医療者は明らかな「医療過誤」と表現するであろうし、現在進行中の問題の前には、おそらく議論の対象にならないのではないだろうか。そういった「過誤」事例であっても、個々の医療者を刑事訴追しても何の解決にならないのではないかと、英米では専門家たちが議論しているのである。