Monday, November 27, 2006

ケンブリッジ

 昨日、初めてケンブリッジを訪れた。ロンドンに6年半も住んでいるというのに、これまで行ったことがなかった。

 ふらっと電車に乗って、ロンドンから日帰りで出かけるのにちょうどよい距離。ぶらぶらと街の中を歩いて、ケンブリッジ大学のあちこちのカレッジをのぞいて、マーケットをひやかすだけの、なんてことない日曜だったけれど、なんとも心地よく楽しかった。

 たまたまAdvent(降臨節)にぶつかっていて、教会が閉まっていたり、特別行事で入れなかったりしたのは残念だった。キングス・カレッジの聖歌隊を聴こうと張り切っていたのに、こちらも、降臨節の特別コンサートのリハーサルのために、通常の日曜のコンサートはキャンセルされ、教会の中にも入れなかった。重ね重ね、残念。

 お天気には恵まれたのだけれど、とにかく寒くて、ボートに乗っての川下りもおあずけ。春になってもう少し暖かくなったら、あらためて来なくてはと思った。

 街の中を歩いていて気がついたこと。観光客も含めて、とにかく白人が多い。みんな、ポッシュ(上品)な英語を話している。ロンドンにいるとしょっちゅう見かけるような、病的な肥満の人がまったくいない。反対に、明らかに摂食障害の若い女の子がちらほらと目についた。見てくれがなかなかいい若い男性が目に入る確率は、気のせいなのか事実なのかはともかく、ロンドンより高かったように思う。なかなかの目の保養であった。残念ながら女性にまでは目がいかなかったので、女性の見てくれがいいのかどうかは、不明である。

 明らかな路上生活者と思わしき人は、たった1人見かけただけ。普段私が仕事をしているランベス区と比べると、まったく別の国のようである。(ケンブリッジでもオックスフォードでも、アルコールや薬物、精神疾患等の問題がある人のための宿泊施設は、わざわざ市の中心から離れたところに作っているという話を、イギリス人の同僚から聞いた。)

 2001年の国勢調査によると、ケンブリッジ・シティ(ケンブリッジ大学のある市)の人口は約10.9万人で、白人が89.5%を占める。ケンブリッジ大学の学生を入れてもこの数である。ちなみに、ランベス区の人口は26.6万人で、白人の割合が62.5%である。おまけで調べてみると、ブリクストンの中心部では、白人の割合は57.3%まで下がる。

 構成人口にこれだけ差があって、かたやケンブリッジ大学を抱える市、かたやブリクストンとその近辺の物騒な地域を含む区。住民の教育・資格のレベルにもかなり差があるのだろうと思ったら、そうでもない。資格をまったくとっていない人(日本で言えば高校卒業の資格がない人)がランベス区で20.1%、ケンブリッジ・シティで16.2%。レベル4または5(教師や医療職などの専門職、シニア・レベルの管理職)の割合がともに41%程度。ブリクストンのデータはランベス区のデータとほぼ同じであった。(この分類では、ケンブリッジ大学の教授と資格を取ったばかりの専門技術者が同じカテゴリーに入ってしまうのだが、これ以上細かく分けても実利上の利益はあまりないのであろう。)

 また、ケンブリッジは自転車が多い。休日でも多いと感じたので、平日はもっと多いのであろう。しかし、みんな、のんびりと自転車をこいでいる。ロンドンの街中にいるような、aggressiveでcompetitiveなサイクリストは見かけなかった。ロンドンの大きな通りを自転車で走っていると、常に緊張を強いられるし、いつの間にか攻撃的な気分になってくる。(1ヶ月自転車に乗って、私もすでにタクシーやバスの運転手と競争するようになった。)ケンブリッジのサイクリストが穏やかなのは、単に交通量の違いによるせいなのか、それとも、ストレスの総量が少ないせいなのか、知りたいところである。

 そのようなことをつらつらと考えながら、そぞろ歩きを楽しんだ。

 ケンブリッジのお土産とクリスマス・ショッピングを兼ねて、National Trustのお店で、キュートなトナカイを、マーケットでは、小さなクリスマス・ツリーを買った。

Thursday, November 23, 2006

Arrogance Pill

 早いもので、コンサルタントのポストの面接を受けた日から1年が経った。

 チームが軌道に乗ってきたのにつれて、私自身も、少しではあるが、自信もついてきた。チームの中では、いっぱしのリーダーのふりができるようになってきた。思いやりのある同僚たちが、なにかにつけて持ち上げてくれるおかげである。

 しかし、チームから外に出ると、その保護もなくなる。他のコンサルタントやマネージャーたちと、議論や交渉をしなくてはならない。時には、丁々発止のやり取りをし、またある時は、にっこり笑いながら、「そっちが妥協するなら私も考えるわ」みたいなことを、婉曲的に言ったりする。これがしんどい。中には嫌な奴もいて、ちょっとやり取りをしただけで、ものすごく疲れる。相手の言葉に不快になり、それに反応した自分に、もっと不愉快になる。

 昨日、ミーティングに出かける前にチームの部屋に顔を出した。登校拒否の子どものように見えたのかもしれない。同僚のJが、「コンサルタントなんだから、憎たらしい態度で、影響力をフルに使わなきゃ」とけしかけてくる。「それができれば苦労しない」と私。するとSが、「Arrogance Pill(直訳すると「タカビー(死語でしょうか)薬」)が必要だね。もう既にコンサルタントで、それだけじゃ足りないんだから、傲慢な(arrogant)コンサルタントにならなきゃね」と言う。

 Arrogance Pill。ものすごく尊大で嫌味で、そのことを苦にもしなくなるような薬。おまけに私の交渉力が上がるなら、喜んで飲んでやろう。

Saturday, November 18, 2006

ベッドがない

 先週末、私の患者の1人が急に具合が悪くなった。この半年来、何度か軽い症状再燃をきたし、その度に、Home Treatment Team(HTT)に2-3週間訪問治療してもらって乗り切ってきた。先々週末がGuy Forks Nightで、近所で夜通し花火が上げられていたためにまったく眠れず、一気に悪化したらしい。

 今回もなんとか乗り切れないかと様子を見ていたのだが、木曜日になって事態が一転深刻になてしまった。彼女が自身の加害妄想のために警察に行ったあとで、ほぼ丸1日行方不明になってしまった。幸い、翌日彼女はホームに戻り(彼女は24時間職員が常駐する施設に暮らしている)、少し落ち着いたのだが、本人が同意したこともあり、任意による入院治療は避けられないという結論に至った。

 で、週が明けた月曜日。ベッド・マネージャーに電話をして入院の依頼をした。「女性のベッドはすでに5人待機しているので、彼女は待機リストの6番目になる。」

 ランベス区SLaMでは、地域のチームが入院が必要と判断した場合、まずHTTと一緒に患者を診察し、HTTの介入でも入院が回避できないという判断をして初めて、ベッド・マネージャーに連絡して入院を依頼する。

 ランベス区SLaMには、急性期用の病棟が6棟ある。男性専用2、女性専用1、男女混合1、早期介入用1、精神科救急用(PICU)1である。入院は各病棟持ち回りで受け入れる。ランベス区SLaMが対象とするのは区民26万人なので、人口1万人あたり精神科急性期ベッド4.3床の計算になる。(ちなみに、ランベス区は、ロンドンの中でもエスニック・マイノリティや貧困層の割合が高い区のひとつで、精神科治療を要する患者の割合はイングランドの平均よりもずっと高い。)

 入院経路としては、今回のように地域のチームが任意入院、または、精神保健法に基づいた強制入院を依頼するケースに加えて、警察官に保護されて精神保健法のSection 136に基づいた診察を経て入院になるケース、刑務所で受刑中あるいは釈放時に治療が必要なために移送されてくるケース等がある。これら全部を、ベッド・マネージャーが一元的に管理する。

 入院が本当に緊急の場合、待機リストの順番を飛ばして入院させることもある。緊急の場合、どうしてもベッドが用意できなければ、SLaMの他の区のベッドに空きがあればそれを借りる。それでも対応できない場合、プライベートの精神科病院のベッドを「買う」ことになる。

 さて、私の患者は月曜日に入院待機リストに載った。チームのスタッフは、連日、本人の状態をチェックし、ホームのスタッフが対応できるか確認するとともに、ベッド・マネージャーに待機リストの状況をしつこく聞いていた。時節柄か、具合が悪い患者が多く、ベッドはまったく空かず、待機リストはいっこうに動かない。

 金曜日のお昼過ぎ。ベッド・マネージャーと話をした。「女性専用の病棟がまったく入院を受けられない。今日のコンサルタントの回診が終わったら何人か退院できると思うが、6人は入院できない。」というわけで、私の患者はまだ入院できず、ベッドが空くのを待っている。

 リエゾン精神科や急性期病棟で仕事をしていた頃、よく、チーム・リーダーがベッド・マネージャーと電話でベッドを巡ってやりあっているのを目撃した。なんとかしてベッドを回転させようとするマネジメント側と、無理して入院あるいは退院させた場合に生じるリスクを背負わなければならない臨床側の攻防である。

 ベッド・マネジャーは、週に1-2度、ベッド状況のデータを、マネージャーやコンサルタント宛にメールで送ってくる。

 先週のある1日のベッド状況を見てみよう。

 急性期113床のうち、入院可能なのはPICUの1床のみで、あとは全部埋まっている。それどころか、実際に入院リストに載っている患者は実際のベッド数の130%超。これは、許可を得ずに病院を離れ戻ってこない人(AWOL、Absense without leave)が数人と、退院を前にした試験外泊をしている人がかなりいるためである。外泊中の人のベッドをあけっ放しにしておくような贅沢は許されないということだ。外泊期間も含めて、平均入院期間は約3週間となっている。

 他の区のベッドを借りて入院している女性患者2人。自宅で入院を待っている患者が男性2人、女性4人。精神保健法による診察が予定されていて、診察後強制入院になる可能性がひじょうに高い患者が男性4人、女性1人。

 これは、ごくごく普通のベッド状況である。こんな綱渡りをしながらも、地域のチームと、HTT、Assertive Outreach Serviceなどを使いながら、患者の治療と危機管理をおこなっているのだから、たいしたものである。

 精神科病床34万床を抱える日本で研修を受けた私にとっては、当初は驚きの連続であった。(さすがに、もう驚かなくなったが。)こちらのシステムがたくさん問題を抱えているのは否定しないが、こうした状況で仕事をしていると、とくに危機管理や医療経済の面で勉強になることが多い。

 ベッドを待っている私の患者が、週末をなんとか乗り切ってくれることを祈っている。

Saturday, November 04, 2006

スマップ−その2

 SMAPと命名されたデータベースができるまでの経緯を、少し書いておこうと思う。

 私のチームPAMS(Placement Assessment and Management Service)は、ランベス区の一次ケア・トラスト、SLaMと社会福祉事務所が、「施設」に関する諸々の問題を改善するために、予算を割いて「コミッション(委託)」したサービスである。どこもかしこも財政難、経費削減のご時世、新しく立ち上げたチームにきちんと機能してもらわなければ、投資した甲斐がないと思うのは、コミッショナーとしては当然のことであろう。PAMSの「仕事ぶり」は、厳しい監視のもとにある(ことになっている)。

 と、導入はかっこいいのであるが、PAMS発足時、その「監視」を「誰」が「どのように」していくのか、なんの具体的な計画もなく、計画を立てられる人もいなかった。チームには「Information Support Assistant(ISA)」という職名のスタッフが1人いて、社会福祉事務所のBuisiness UnitのマネージャーVがスーパーバイズしている。しかし、ISAといっても特殊な技術があるわけではなく、Microsoft WordやExcelが基本レベルで使える程度である。

 さかのぼること今年の3月、関係者が一同に集まって、「PAMS Tracker Meeting」なるものを開いた。PAMSのPerformance(仕事ぶり)を追いかけるので、「Tracker(追跡者)」である。しょうもなかった会議での議論は省くが、その席で、私が中心になって、財政面・臨床面両方のデータを管理して、月例レポートを作成するためのデータベースを作ることに決まった。社会福祉事務所のIT部門のDに手伝ってもらえるという見込みもあった。Dは社会福祉事務所の他のデータベースを立ち上げ維持しているので、快く引き受けてくれるだろうという読みであった。

 4月初旬、Dに会い、こういうものを作りたいと相談した。Dは、「ボスと話してみるけど、たぶん、自分の6月のスケジュールに組み込めると思う」という返事をくれた。

 ところが、間の悪いことに、同じ頃、社会福祉事務所では、各チームごとのデータベースを作ることは今後一切まかりならぬというお達しが出ていたのである。この10月からFrameworkという電子システムを全部署に導入するためである。

 SLaMでも、すでに電子カルテを導入していて、以前から、チームごとのデータベースはいっさいサポートしないという方針が出されていた。

 IT部門からサポートしてもらうという計画は、露と消えた。

 私がこうして壁にぶつかっている頃、何のデータもあがってこないことに業を煮やしたボスのAは、財政面のデータだけでもと、マネージャーVにデータを集めるように指示した。当然、私は反対した。財政面のデータだけコミッショナーが見たら、経費削減を果たしていないというネガティブな面ばかり取りあげられて、臨床面でどれだけ改善しているかとか、PAMSだけで解決できない問題が山積しているという、別の側面を無視される恐れがある。それではデータを出す意味がない。

 私の反対もむなしく、VはExcelでデータシートを作り、チームのメンバーに送り、毎月記入して提出するように要請した。しかし、メンバーからの反応は鈍い。誰も書類仕事なんかしているほど暇ではないし、仮に暇であったとしてもやりたくない。本来の患者に関する仕事に関係のない書類仕事が必要なときは、私が毎日嫌がらせすれすれのレベルで発破をかけてデータを集めて回っていることを、Vは知らなかったのだろう。それに、私がVの仕事を快く思っていないのもチームの面々は知っており、彼らの非協力ぶりに拍車をかけたようだった。(職権乱用かって? これがマネジメント技術というものです。)

 そうこうしているうちに、7月になってしまった。何の打開策もないまま時間が過ぎていく。「コミッショナー」の思惑とはまったく別の次元で、私もリハビリテーション精神医学的興味とチームの発展のために、臨床データを取りたいと思っていた。そこで、私は自分でデータベースを書くことにした。

 数年前、前のボスのデータ集めのために、Accessを使って小さなデータベースを立ち上げたことがあったので、まったくの素人ではなかった。途中、ファイルが丸ごとネットワーク・ドライブから消えて行方不明になるという事故にも見舞われたが、1ヶ月半ほどかけて、大体の形ができあがった。

 この時点で、再度「PAMS Tracker Meeting」があり、私のデータベースを紹介した。必要なデータがすぐに取り出せるというところが魅力的だったのか、このデータベースはめでたく、唯一の「PAMS Tracker」用データベースに格上げされた。Vのデータシートは、ゴミ箱行きとなった。

 その後、少しずつチューン・アップをし、だんだん完成に近づいていった。(なんたって、私はフル・タイムの精神科コンサルタントで、プログラマーではないので、データベースばかりに関わっているわけにはいかない。)そして昨日の午後、ようやく、もうこれでいいかな、というところまで完成し、命名に至ったわけである。

 さて、今後の目標は、データ集めをこつこつと続けることと、データの範囲をさらに広げていくことである。チームの同僚たちが顔をしかめるのが、目に見えるようだ。

Friday, November 03, 2006

スマップ−その1

 あのスマップではない。PAMS(Placement Assesement and Management Service)のデータベースの名前である。

 7月から、Microsoft Accessを使ってチーム用のデータベースを作っていたのだが、今日ようやく、本体が完成した。これまでは、プロジェクトの名前として「PAMS Tracker」とか「PAMS database」と呼んでいたのだが、やはり、もっとキャッチーな名前(社会福祉事務所のボスのAの言葉であって、私が言ったのではない。)をつけたかった。チームやサービスからプロジェクトまで、なんでもかんでも聞こえのいい略語を使うのが、ここでのお作法らしいから。

 Move-on(異なる施設への移動)やPerformance(仕事ぶり)に関係するから、「MAP」というのをひねり出した。「Move-on And Performance」である。その前にTrackerやDatabaseをつけて、「tMAP(ティー・マップ)」とか「dMAP(ディー・マップ)」はどうだろうか。どちらもなんだか冴えない。うーん。

 その時、ふと気がついた。PAMSは反対から読むとSMAPである。なんでこれまで気がつかなかったのだろう。よし、これでいこう。Sは、えーい、Systemでいいかな。「System for Move-on And Performance」、略してSMAP。「裏PAMS(reverse PAMSと訳していいのかしら?)」である。

 というわけで、来週からSMAPは本格稼働する。

Wednesday, November 01, 2006

50番目

 South London & Maudsley NHS Trust (SLaM)は、本日から、 South London & Maudsley NHS Foundation Trustになった。50番目のFoundation Trust(ファウンデーション・トラスト)だそうである。

 Foundation Trustは、2003年に Health and Social Care (Community Health and Standards) Act 2003のもとに創設された、新しいタイプのNHSトラストを指す。政府のNHS改革の一部で、当初、急性期病院トラストから始まり、2005年から精神保健トラストも申請できるようになった。

 申請するかしないか、あるいはできるかできないかは、各トラスト次第である。財政、クリニカル・ガバナンス(臨床面における統治)、医療サービス等の項目ごとに設けられた基準を満たすと、申請する資格が得られる。申請は、Monitorという、Foundation Trustの管理のためだけに設けられた独立組織によって審査され、Foundation Trustにめでたく認定されると、普通のNHSトラストと異なり、政府のコントロールを受けずに、独自に経営ができることになる。認定後もMonitorが運営状況を定期的にモニターし、一定の基準を満たさないと、認定を取り消されることもあり得る。

 「政府のコントロール」について、もう少し具体的に説明しよう。従前のNHSトラストの場合、たとえばランベス区SLaMの運営費は、ランベス区一次ケア・トラスト(Primary Care Trust、PCT)がSLaMのサービスを「購入」した代金が大部分を占め、これを使って、ランベス区の地域住民のための精神保健医療サービスを担当してきた。PCTがサービスの購入者であるため、SLaMのサービスの内容について、PCTの発言権は小さくなかった。また、ほぼ独占状態であるため、PCTの財政事情がSLaMの予算に直結してしまう。2006/7年度の経費削減がいい例である。ランベス区PCTには、その上のStrategic Health Authorities(SHA、戦略的保健機構)、さらに保健省の計画のもとに予算が配分されるため、直接的ではないにせよ、SLaMの運営は政府のコントロール下にあった。(NHSの仕組みについでは、こちらにまとめてあります。)

 Foundation Trustになると、トラストが主体的に財政計画を立て、サービスを運営できる。Founduation TrustとなってもNHSの一部なので、地元に医療サービスを提供するのが一番の仕事だが、サービスの質・量・内容に関して、地元のPCTと「Activity based contract(サービス内容に基づいた契約)」を結ぶことができる。また、地元以外のPCTと別個に契約してサービスを提供することも可能になる。

 これだけ見てみると、格上げされて、普通のトラストにはない「自由」を与えられたように見えなくもない。ところが実際は、もし運営がうまくいかなくなった場合、これまでのように政府の救済は期待できない。ちょっと聞こえのいい名前を餌に、これまでと同等あるいはそれ以下の運営費を与えられ、多大な「自己責任」を要求されているにすぎないというシニカルな見方もある。

 SLaMのチーフ・エグゼクティブのStewart Bellは、早い時期からFoundation Trustを意識した活動をしていた。トラストを成す4つの区のうち、予算規模が大きい2つの区(ランベスとサザック)が大幅な経費削減をしなくてはいけないこの時期に、初心貫徹でFoundation Trust認定にまでこぎ着けたわけで、その政治的手腕を賞賛する向きもある。

 現場の反応はといえば、様子眺めというのが一番近い状況だろう。Foundation Trustの運営には、サービス利用者やその家族、職員、チャリティ団体や患者団体等の「地元の人たち」が参加する。これを「メンバー」といい、メンバーは選挙で選んだ代表者を運営会議に送り込む。「地元密着」、「いろいろな背景を持つ人たちの参加」を強調するには、メンバーが多いにこしたことはない。これまでに約2,500人のメンバーが集まったが、エグゼクティブたちの再三の呼びかけにも関わらず、4,000人超のSLaM職員のうち、これまでにメンバーになったのは400人程度という。エグゼクティブたちと現場との距離を表しているのかもしれない。

 さて、Foundation Trustは「優良トラスト」の代名詞なのだろうか。これまでに、173の急性期病院トラストのうち47トラスト、74の精神保健トラストのうち5トラストが認定を受けている。この調子だと、そのうちに全部がFoundation Trustになってしまうではないか。そうしたら、政府は次の新しい名前と仕組みをひねり出して、差別化を図るのだろうか。もっとも、その頃どの政党が政党にいて、どんな「NHS改革」を打ち出しているかわからないけれど。