Wednesday, May 24, 2006

失敗から学ぼう

 私が会員になっている、Medical Protection Society (MPS)の会報「Casebook(事例集)」が届いた。

 MPSは、イギリスで一番利用者の多い、医療関係者向けの賠償責任機関である。保険会社ではなく、会員から徴収する年会費で運営される、非営利組織である。事例集は年に4回発行される。

 今回掲載されている9例は、さまざまな専門分野に渡り、その内容も、民事訴訟で被告の医師に責任がないと認められたものから、裁判の過程で医師側の過誤が明らかになり、MPSが法廷外での和解に応じ、多額の和解金を支払った例まで、いろいろである。

 事例の概要、訴訟・和解交渉の経過および結果に続き、それぞれの例で「学ぶべき点」が列挙される。「学ぶべき点」は、Good Practice(良質の医療)を提供するためのCode of Practiceの観点から書かれており、「こうすれば(あるいはしなければ)訴訟にならなかった」などという責任回避的な記載は、まったくない。編集長も、事例集は「貴重な教育的役割をもつ」と、はっきり書いている。他の医師の苦い経験から、なぜ過失が起こったのか、どうすれば防ぐことができたか、似たような状況でどうするべきか、等の教訓を引き出し、医療技術および安全性の向上に努めようというわけである。

 MPSは非営利組織で、会費で運営されているわけだから、会員である医師の安全性に対する意識が高まり、医療事故が減少すれば、賠償等の支出も減り、会の経済的体質も向上するのであるから、「教育的効果」はさらにあがる。(こんなことはどこにも書いていないが、相互扶助的な意味からも、必要な感覚であると思う。)

 医師が人間である以上、医療事故は起こりうるものである。事故に至らないものの、ヒヤリとするニアミスも入れれば、医療現場では稀ならず起こっているはずである。起こそうと思って事故を起こす医師はおらず、細心の注意を払っても、どこかでミスは生じる。哀しいかな、ニアミスに気がついて、心臓が止まるような思いをすることは、ほかのどのような経験や立派な志にも増して、急速かつ長期的に、学習意欲や安全に対する意識を向上させるように思う。失敗を通して、医師は成長するのである。

 医療事故を予防するための体系的なシステムを作ろうとする動きは、世界各国で徐々に進んでいると聞く。イギリスでは、2000年6月に発表された、「An Organisation with a Memory(記憶をもつ組織)」と題する報告書で、NHSの医療事故に対する透明性を高め、医療事故情報を収集・分析し、安全性の向上ならびに事故の予防をはかるための組織を早急につくるよう、提言された。これを受けて、2001年7月に、イングランドとウェールズで全国患者安全機構(National Patient Safety Agency、NPSA)が設立された。医療従事者は、NPSAの事故報告ページから、匿名で、患者の安全に関わる事故を報告できる。

 NPSAの活動と並行して、医師の卒後教育の新カリキュラムでは、患者の安全管理・事故予防の教育が組み込まれ、研修医に、医療事故を隠さず報告するよう奨励している。この一環として、昨年秋に刊行された小冊子がなかなか興味深い。

 「医療事故(Medical error)」は、イングランドの医学会の重鎮14人による、医療事故・ニアミス体験集である。14人ひとりひとりの、研修医の頃、またはコンサルタントになってからの失敗が、率直に語られている。(ほんとうはもっと大変な失敗もしてるでしょ、と突っ込みたくなる人もいるけれど。)

 「症例検討(Case studies)」では、研修医の関与した医療事故とその転帰を挙げ、なぜ事故が起こったのか、同様の事故を防ぐために何が必要なのかについて、シニアの医師の意見が述べられている。

 医療事故が起こるのは、残念なことである。被害を受ける患者やその家族の側にとってみれば、たまったものではない。しかし、事故が起こりうるものであり、いったん起こってしまったとしたら、失敗から最大限の教訓を得るしかない。失敗からも学べなければ、さらに悲劇である。

No comments: