Saturday, March 10, 2007

Leaving to be a Mum

 私ではない!

 うちのチームで働いているスタッフ・グレードのHが、予定日を1ヶ月後に控え、産休に入った。PAMSで初めての赤ちゃんである。タイトルは、チームから彼女に贈ったカードの文句である。

 Hは南アフリカ出身で30歳代前半。去年の冬にランベス区の施設をメインとするローテーションで精神科中期研修を終え、Royal College of Psychiatristsのメンバーシップ試験に合格した。イギリスで精神科の研修を始める前に、イギリスと南アフリカの両方で、あわせて4年ほど、総合診療の仕事をした経験がある。

 彼女は、実際のグレード以上の知識・能力のある優秀な医師である上に、チームのメンバーの誰とでもうまくやれ、チーム・ワークに徹した仕事ができるという、得がたい存在である。実際、彼女の仕事ぶりを知る同僚のコンサルタントたちからは、よく、うらやましがられる。PAMSの揺籃期に彼女がチームで果たしてくれた役割は、測りきれないほど大きい。

 私は彼女の指導医なので、週に1回のスーパーヴィジョン・セッションをしている。セッションでは、1週間のアセスメントや治療の内容を聞いたり、医療面でチームをどうやってサポートするか、彼女自身の今後のキャリアについて話しあったりする。

 彼女が優秀なのは一緒に仕事を初めてすぐにわかった。優秀な医師はきちんとトレーニングを続けて、コンサルタントになってもらわなければいけない。私には、私自身とチームの利益を諦めてでも、彼女を送り出す責任がある。そんな義務感にかられて、初めの頃は、来年度は後期研修のポストに応募するようにと、ことあるごとに彼女に発破をかけた。彼女自身も、スタッフ・グレードとして1年ほど働いたらSpecialist Registrarのポストに応募すると言っていた。

 夏のある日、スーパーヴィジョンの初めに、彼女は妊娠していることを話してくれた。そして、研修を続けるように(私が)いつも励ましてくれることは感謝しているし、自分自身もいずれは研修のルートに戻る予定だが、今は家族のことを優先したい、と続けた。

 突然だったので一瞬言葉に詰まった。が、そのすぐあとに私の口から出たのは、自分でも予想外の台詞だった。

 医師としてこの先30年以上働くことができる。仮に10年間、家庭を優先して仕事をスローダウンしたとしても、まだそのあと20年以上残っている。志があれば、研修は続けられる。そのための協力は惜しまない。

 こんな台詞は、日本で仕事をしていた時は言えなかったと思う。自分ではまったく意識していなかったが、イギリス生活が長くなるにつれ、いつの間にか私自身の中にしみ込んできたのだろう。

 たしかに、女性は妊娠や出産で職場を離れる期間がある。当然、職場はその間の対応を迫られる。不便も生じる。しかし、ここではそれが誰にとっても当たり前の権利であり、義務なのだという雰囲気がある。

 産休や育休をとるのは女性だけではない。昨年は、ランベス区の男性コンサルタントが2人、2-3週間のpaternity leave(育休)をとった。この間のコンサルタント業務は、同僚たちがカバーした。(そのうちの1人は、私がカバーした。)maternity leave(産休)の場合は、ローカム(非常勤)のコンサルタントをアレンジしてもらえる。これらのローカムのための予算は、各区の臨床部長の裁量に任されている。

 Hのニュースを聞いた頃は、まだこの辺の事情がよくわかっていなかったので、6ヶ月間私1人で仕事をしなくてはならないのだろうかと不安になったが、これは杞憂だった。Hが留守の間は、ローカムのスタッフ・グレードの医師が来てくれる。

 妊娠に限らず、家庭や個人の事情により、スタッフのパフォーマンスが維持できないことはありうる。そのレベルはさまざまで、時には「ちょっとした不便」ではすまないようなこともある。さすがにイギリスでも、こういった不便を声高に糾弾するのははばかられるようで、不満を胸に秘めたままで、チーム全体がその穴埋めに走り回るということもある。

 Hは経過が順調で、産休前の最後の日まで、以前とほとんど変わらないペースで仕事をしていた。チーム・リーダーが、産休に関わることや、妊娠後期の職場の内外でのリスク・アセスメントなど、実務的なことを全部やってくれた。例によって私はあまりに気が利かないので、最近になっても、彼女に具合の悪い患者の診察を頼んで快い返事をもらった後で、大丈夫だろうかとあとから不安になるという、間の抜けたことをしていた。

 たとえば、数週間前、彼女は、看護師のC(彼女も妊娠中)と一緒に、服薬を拒んでいる女性患者の診察と説得に出かけた。患者さんは、思いつくかぎりの罵詈雑言(F-word、C-word等)を、声のかぎりに2人に浴びせ続けたらしい。2人はそれでも、まったく動じず平静を保ち、彼女に叫ばせ続けた。約1時間後、ついに患者さんは根負けし、2人の診察を受けることに同意し、薬を飲んでくれた。

 「1時間のF-wordとC-wordの嵐は、胎教にあまりよくないね」と言って、みんなで大笑いした。

 HもCも、優秀なだけでなく、たくましいし、患者さんとのつきあいが上手である。チームの有力なメンバーである。彼女たちの妊娠にまつわる「不便」など、彼女たちがチームにいるメリットに比べればたいしたことはない、と思わされる。

 最後の日、Hはチームのみんなに、「辞める(leaving)んじゃなくて、秋には戻ってくるから」と言ってまわっていた。予定日は4月10日。ほんとうに楽しみである。

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