Saturday, April 01, 2006

1周年

 2005年4月1日にSt Thomas' Hospitalのリエゾン精神科で仕事を始めてから、今日で丸1年経った。

 この1年間は私にとって激動の年だった。危うく失業しそうになり、SLaM Lambeth Directorateの臨床部長に「仕事したいんですけど」とe-mailを送ったのが2005年2月。資格の上では、すでにGeneral Medical Councilに専門医登録していたので、コンサルタントとして働けたわけだが、なにせ、それまでのイギリスでの臨床経験といったら、てんかん外来とメモリー・クリニックに、それぞれ週1回ずつ出ていただけ。Mental Health Act(日本の精神保健福祉法にあたる法律。)も知らず、地域精神医療の知識も経験もない。そんな人間を雇うわけはない。

 ところが、臨床部長のAnneは、私に仕事をくれた。それが、冒頭のリエゾン精神科のスタッフ・グレードの仕事であった。リエゾン精神科のコンサルタントのポストはしばらく空席で、ローカム(正職員が決まるまでのつなぎのポスト。)のコンサルタントがつないでいた。3月に正規のコンサルタントの面接があり、あろうことか、その時ローカムとしてすでに4ヶ月も仕事をしていたコンサルタントが選に漏れてしまった。彼にしてみれば当然面白くない。面接の1週間後に、さっさと新しいポストを見つけて、辞めてしまった。選任された新しいコンサルタントは、彼の現在の職場の都合上、2ヶ月先まで着任できない。そこで、Anneは、当時のSpecialist Registrar (SpR, シニアの研修医)をローカム・コンサルタントに格上げし、私をローカムのSpRにもってきて、その場をしのぐことにしたのだ。

 事情がどうであれ、私はありがたくその仕事をもらった。これは、初めての臨床の仕事としては、ひじょうに恵まれた条件だった。まず、私はずっとSt Thomas' Hospitalで研究の仕事をしていたので、ある程度の「土地勘」があった。地域精神医療ではなく病院内での仕事なので、日本でやってきたことをそのまま応用できた。また、同僚も、これが私の初めての仕事だと知っていたので、親切に一から教えてくれた。

 6月、私はLambeth South East Sector Teamに移った。そのチームのSpRが、予定より3ヶ月早くSpRローテーションを抜けたために、穴埋めが必要になったからであった。これは、私の初めての地域精神医療の仕事となった。幸いなことに、そのチームは、その後私が移った他のチームと違い、6-7年もずっと同じチームで仕事をしている、経験のあるコンサルタントが核になり、きちんと運営されていた。仕事の内容も、23床の男子急性期閉鎖病棟での仕事が週に2セッション、外来が3セッション、チームと一緒の仕事が4セッションと、地域医療と病棟と両方の経験が得られる、一粒で二度おいしいポストだった。コンサルタントから、毎週1時間、1対1で指導も受けられた。

 9月に入り、私は先のことを真剣に考えるようになっていた。少し仕事に慣れたこともあり、そろそろステップ・アップも視野に入れなければと思っていた。また、ランベスの正規のコンサルタントのポストはほとんど埋まり、この先数年間は、ランベスでポストを得るのは難しくなりそうだった。最後に残っていたのがPAMS(Placement Assessment & Management Team)のコンサルタントのポスト。もうコンサルタントとして働けるという自信と、まだ未熟であるという不安とが半々だったが、半ば見切り発車的に、私は、PAMSのコンサルタントに応募することに決めた。

 9月の半ばに私がコンサルタントになりたいと言った時、Anneはちょっと驚いたようだった。予定よりも早いと思ったのだろう。また、彼女の都合としては、9月の予定だった組織改編が12月にずれこみ、その先3ヶ月間、現行のサービスを続けなければならず、スタッフ・グレードやSpRの穴埋め役として、私を当てにしていたようなので、ちょっと困ったようであった。しかしそこは、政治家の彼女のこと。どこをどういじったのかわからないが、10月の1ヶ月だけ次のチームでスタッフ・グレードとして仕事をしたあと、組織改編までの間、ローカム・コンサルタントとして仕事ができるように手配してくれた。

 10月、Lambeth North East Sector Assessment & Treatment Team(A&T)に移り、1ヶ月働いた。これは本当につなぎの仕事だった。このチームは、Lambeth 10-Year Reviewによる組織改編の結果、消滅する運命だったが、改編が9月から12月に延期されたため、チームそのものも存続していた。おまけに、当初、9月で消滅するはずだったので、それまでのローカム・コンサルタントとの契約も9月までで切れてしまい、10月からは、組織改編後のチームに着任するはずだった、新任のコンサルタントが、組織改編までのつなぎに当てられた。つまり、コンサルタントも、スタッフ・グレードも、チームにとっては新人だったわけである。

 A&Tは、主にGPから精神科への紹介患者をみるのが役割だった。そのため、患者の抱える問題も、不安・抑うつから、統合失調症の初期、薬物依存、不法滞在者の急性不安・精神病反応、犯罪者の偽精神病状態と、実に多彩であった。さらに、チームの担当地域がブリクストン近辺なので、患者やその家族の背景も複雑で、たいていが家族にまつわる問題を抱えていた。チームには、ブリクストンで仕事をして20年にもなる古株の看護師たちがいて、新米の医師が采配を振るう場面はほとんどなく、自分の予約表に組み込まれた患者を診るだけの日が続いた。1ヶ月とわかっていたからなんとか我慢できたようなものである。

 10月31日、私はLambeth North West Sector Case Management Team(CMT)のローカム・コンサルタントになった。この時点では、組織改編は12月5日に予定されていたので、ここも約1ヶ月の予定であった。PAMSのポストの面接は11月半ば。12月以降の予定はまったく立たぬまま、コンサルタントと呼ばれることに気恥ずかしさを感じつつ、仕事を始めた。

 CMTの対象となるのは、慢性期・難治の統合失調症や躁鬱病で、かつ精神疾患以外の社会的問題を抱えている患者たちだった。チーム自体は、やや強迫的なチーム・リーダーのおかげでなんとか機能していたが、数人の「問題のある」スタッフと、はちゃめちゃなライフ・スタイルを送る患者たちのおかげで、私はよく振り回された。いっぽうで、数人のとても優秀なスタッフがいたので、彼らに励まされたり、刺激されたりして、仕事の重圧や12月以降の仕事の不安を抱えながらも、なんとか仕事をこなすことができた。

 その後、組織改編はさらに1月9日に延期され、最終的に1月23日にようやく実施された。面接の結果、コンサルタントのポストを手に入れ、1月1日からは、ローカムから正規の身分に格上げされて、23日にから、晴れて、PAMSのコンサルタントになった。

 振り返ってみると、行き当たりばったりだったとはいえ、今の仕事に就くまでの8ヶ月、実にバランスよく、精神科病棟、急性期および慢性期患者の精神地域医療、一般病院でのリエゾン精神科と、ひととおりの仕事をした。チームを移るたびに、新しいことを速攻で覚えなければならず、イギリスの研修医たちが数年かけて覚えることを、ずっと短期間のうちに、ざっとなぞったようなものである。いってみれば、コンサルタント速成課程を修了したというところであろうか。

 Anneが、去年の2月の時点で、こうなることを念頭においていたとはとても思えないが、機会を与え続けてくれたことに対して、彼女にはとても感謝している。

 コンサルタントは、臨床・管理上の責任が重く、心理的重圧もずっと重い。それでも、このポストに就いてようやく自分のチーム、またはランベスの精神医療の全体像が見えるようになってきた。いまのところ、学習曲線は急な右肩あがりを保っており、スタッフ・グレードとして仕事をしていた時よりも、ずっと興味深く、楽しい。2周年目指して、このまま突っ走りたいものである。

 そういえば、仕事を始めたばかりの頃、日本の某先生から、「会津(私は会津若松市の出身です。)から外国に行って診療に携わるのは、野口英世がメキシコ・ガーナに行って以来ではないか。」と言われたのを思い出した。私も、遠い将来、お札になれるだろうか。

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