無罪確定にふと思ったこと
福島県立大野病院の裁判、加藤先生の無罪確定を聞き、心からほっとした。2年6ヶ月もの長い期間を乗り越えられた加藤先生と、先生を直接・間接に支えるネットワークを作り上げ、支え続けた人たちに、心からの賛辞を送りたい。
いっぽうで、亡くなられた患者さんの家族の方たちにとっては、この判決がclosureのステップのひとつになるといいと思う。残された方たちが、患者さんの死を受けとめ乗り越えていくために不可欠な、時間と静かな環境が得られるよう、心から祈る。
判決要旨は、私にはひじょうにまっとうなものに思えた。本来そうあるべきものが、そのとおりに認定されたということをありがたく思う状況に、複雑な思いがする。刑事の対象となるはずのない件が訴追されたわけで、判決でようやく針が振り出しに戻っただけである。ここからどこへ向かうのか、決めるのは医師ではないと思う。
誰も口にしないので、あえて書くが、この裁判にどれくらいの税金が投入されたのだろうか。コスト意識が高い国に長く住んでいると、視点が少し変わってしまうらしい。似たようなことがイギリスで起こったとしたら、メディアはまちがいなく費用を明らかにすると思う。
お金の話をするなんて・・・と眉をひそめる向きもあろうが、私は、費用の検討もされてしかるべきであると思う。とくに、訴追をした検察側が自らの主張を立証することすらできなかった裁判に、多額の税金が使われのだから。