Sunday, August 17, 2008

医療過誤と刑事訴追の是非

 以前のエントリーで述べたように、90年代に入ってから、gross negligence manslaughter(重大過失による故殺罪)により医師が起訴される例が増加している。この傾向に対し、Jon Holbrookというbarrister(法廷弁護士)がThe criminalisation of fatal medical mistakes (BMJ 2003;327:1118-1119)と題するeditorialをBMJに掲載し、重大な懸念を表明した。2003年11月のことである。

 この中でHolbrookは、刑事訴追の増加は、社会全体の医療過誤に対する意識の変化が根底にあると述べている。いかなる事故であっても「罪のない(innocent)事故」はあり得ず、必ず「責任者」がいるはずであるという不寛容(intolerant)である。また、訴訟そのものの増加にも触れている。

 Holbrookが例に挙げているのは、2001年にNottinghamで起きた医療過誤事件である。Nottingham Queen Mary Hospitalのspecialist registrar(後期研修医)であったDr Mulhemは、18歳のWayne Jowettに誤って抗がん剤のvincristineを脊髄に注入するようにsenior house officer(中期研修医)のDr Mortonに指示した。Dr MortonはDr Mulhemに2度確認した上で、指示に従い脊注した。その結果、Wayneは重篤な状態に陥り、1ヶ月後に亡くなった。Dr Mulhemは罪を認め、8ヶ月の禁固刑を言い渡されたが、すでに勾留された期間を相殺され、判決後釈放された。

 このeditorialに対して多くのreponseがつき、興味深い議論が繰り広げられた。多くはHolbrookの論調に同意し、明らかな医療過誤による死亡事例であっても、当事者の医師を刑事で処罰することに疑問を呈している。また、刑事罰は将来の医療過誤の防止効果はないと指摘している。

 似たような論調は、もっと最近のアメリカの事例に対する反応にもみられた。2006年7月に、WisconsinのSt Mary's Hospitalの産科看護師Julie Thaoが、麻酔薬のbupivacaineを誤って静注し、16歳の妊婦Jasmine Gantが亡くなったケースである。静注に至るまでにはいくつものプロトコール違反があり、Thaoの行為はat-risk behaviorで、責められるべきであることは疑いのないところである。

 しかし、Wisconsinの地区検事が彼女をneglectとgreat bodily harmで起訴したことで、blog界隈でこの件に関する議論がわき起こった。Dr Wachterも、過誤に対する専門職業人としての処罰(免許停止または剥奪、解雇等)は当然であるが、刑事訴追に対しては疑義を呈している。結果として、Thaoが2件のmisdemeanorに関して争わない姿勢を示したため、neglectとgreat bodily harmによる起訴は取り下げられた。

 強調しておきたいのは、ここで取りあげたケースは、近年日本で刑事罰の是非について議論されているケースとはまったく異なることである。Dr Mulhemの事例もThao看護師の事例も、日本の医療者は明らかな「医療過誤」と表現するであろうし、現在進行中の問題の前には、おそらく議論の対象にならないのではないだろうか。そういった「過誤」事例であっても、個々の医療者を刑事訴追しても何の解決にならないのではないかと、英米では専門家たちが議論しているのである。

2 comments:

Anonymous said...

 ご無沙汰しております。日本では2年半前に行われた福島県大野病院の産科医の逮捕をきっかけに、産科医療が一気に縮小してしまいました。
 幸い、八月二十日の刑事判決では無罪となりましたが、産科医療の再生・復活の道のりはまだ見えてきません。
 今後もまたよろしくお願いします。
by:skyteam

Nozomi said...

skyteam先生

こちらこそご無沙汰しております。
8月20日の判決の内容や、それを受けてのマスコミの報道に対して思うところがあり、次のエントリーを書く準備をしているのですが、なにせ筆が遅くて。今週末は連休なので、なんとか書きあげたいと思っています。(タンゴもあるのですが・・・。)