Wednesday, May 30, 2007

日本語訛り考–英語の発音5

 発音クラスのstage 1を始めたばかりの頃は、発音を訓練すれば、日本語訛り(ここでは「アクセント」の意味で使う)がなくなるのではないかという淡い期待を抱いていた。

 しかし、私のそんな期待は、すぐに砕かれた。発音はそんな簡単に矯正できない。それに、発音そのものは、訛り/アクセントのごく一部でしかない。「訛り」のなかには、発音だけでなく、文章の強弱や抑揚なども含まれる。

 それから5年あまり。今、日本語訛りのない、native speakerと同じような「きちんとした発音」で話したいかと聞かれたら、「相手に理解してもらえるよう、正確な発音に近づくように努力は続けるけれど、native speakerのように話せるようになるのが目標ではない」と答える。

 だいたい、「標準発音」など、もはやあまり存在価値がない。前にも書いたように、イギリスでは、生まれ育った環境で習得したアクセントを尊重する傾向が、どんどん強まっている。最近もっとも好ましいと受け取られるアクセントは、標準アクセントではなく、スコットランド訛りだそうである。

 また、英語が国際公用語の地位を動かぬものにした今、さまざまなアクセントの英語が話されており、外国人が英語を話す以上、アクセントはあるものだという認識が、誰にでもある。いい例が、インド人やアフリカ人、西インド諸島の人たちのアクセントである。彼らの英語には強いアクセントがあるが、慣れると、そのアクセントを聞き分けることができるようになる。(インド人は、出身地により、英語のアクセントも違う。私も、インド南部と中央部のアクセントの違いは、多少聞き分けられる。)

 ある友人は、観光でオーストラリアに行った際、オーストラリア人が彼の日本語英語を、びっくりするくらい「わかってくれる」ことに驚いたと言っていた。アメリカ人やイギリス人はわかってくれなかったと。オーストラリア人は、日本人の観光客と触れる機会が多い上、日本語の文法を知っている人が多いため、ジャパングリッシュが理解できるのではないかというのが、彼の解釈であった。

 そう、日本人は、「native speakerのように」などという無駄な幻想を捨て、日本語訛りの英語を堂々と話すべきだと思う。日本語訛りの英語がちまたにあふれ、その特徴が他の人たちに「認識」されれば、相手のほうがそれに合わせて聞き分けてくれるようになるからである。

 ただし、ひとつだけ、心がけたほうがいいことがある。日本語を話す時と同じような、小さな声で抑揚なく英語を話すと、まず、まったく通じないのだ。

 日本人のみなさん。相手をまっすぐ見て、大きな声で、顔の表情や身振りを豊かに、堂々と日本語訛りの英語を使いましょう。恥ずかしいと思うのはほんの一瞬で、すぐに慣れるのは、私が保証します。そして、しばらく続けると、必ず通じます。

Monday, May 28, 2007

やっと半分–英語の発音4

 発音クラスも5回目のレッスンが終わり、ちょうど半分が過ぎた。

 ここまで2回、クラスメートの前でプレゼンテーションをした。テーマに沿った文章を選び、みんなの前で話すのである。真っ先に手を上げてプレゼンテーションをしてしまう人もいれば、私のように、自信がなくてぐずぐずしているうちに最後のほうになってしまい、かえって緊張が高まってしまうような人もいる。

 ひとりがプレゼンテーションすると、講師とクラスメートが評価する。文章の強弱や抑揚、単語の強弱、個々の母音や子音の発音などが評価の対象になる。お互いに発音で苦労しているので、それなりに相手を気遣った言い回しをするが、それでもコメントはかなりシビアである。

 初めのテーマは新聞記事だった。私はGuardian紙から、南極への観光船がその環境に与える影響について報告した記事を選んだ。といっても記事が長かったので、初めの5パラグラフのみ。

 評価はまあまあ。流暢でほとんどの発音が正しかったが、話すのが早すぎる上、声が小さくて聞き取りにくかったという。とほほ。

 私はもともと、日本語で話すと、ひじょうに早口である。おもしろいことに、英語で話しても同じように早口になる。ただ、英語の語彙が豊富ではないし、文法も怪しかったりするので、話す早さに実際の英語がついてこなくて、しょっちゅういらいらする。

 「ゆっくりと響きのある声で話す」というのは、かねてからの努力目標であった。「"Consultant's voice"で話したいの?」などと、うちのチーム・リーダーに時々からかわれるのだが、男性コンサルタントが、回診の時など、よく響く深い声でゆったりと話すというのが、Consultant's voiceのステレオタイプのイメージである。時代遅れの保守派が口にしそうなステレオタイプに組みするつもりはまったくない。しかし、ステレオタイプにもいくらかの真理はあるだろうし、耳に優しいというのは、見た目が大事というのと同じように、やはり無視できないと思う。そんなわけで、ゆったりと説得力のある声で話したいとかねがね思いながらも、まったく果たせずにいた。

 わかっていたとはいえ、実際にクラス全体からいっせいに指摘され、いささかへこんでしまった。

 気を取り直して2つ目は、ジョーク。LaughLabというウェブサイトで見つけた、イギリス人がもっとも笑えるとして投票したジョークを選んで、プレゼンテーションした。

 「ゆっくりと大きな声で」と肝に銘じながら練習したおかげで、結果は、前回よりはずっとうまくできたし、オチではちゃんと笑ってもらえ、評価も上々だった。

 今後の課題は、もっと抑揚をはっきりつけること。

 日本語は、スタッカートのように音が細切れに聞こえるが、文章全体はひじょうに単調である。いっぽう英語は、音と音が切れ目なく続くように聞こえ、文章の抑揚がはげしい。この差は大きく、頭ではわかっていても、実際にできるようになるには、ものすごく時間がかかる。

 次回のテーマは「描写や事実」を書いた文章。これから少し練習しなくては。

Sunday, May 27, 2007

Judicial Reviewの結果

 Remedy UK vs 保健相のJudicial Reviewの判決が、23日に出された。

 Medical Training Application System(MTAS)のReview Groupの修正案(応募者全員が第1志望ポストの面接を受けることができる)の違法性を問うたJudicial Reviewの判決は、Remedy UKの敗訴であった。

 ラウンド1の結果がもうじき発表されることになっており、時間的な制約があることから、Remedy UKは控訴しない方針であり、判決は確定した。

 結果はRemedy UKの全面敗訴であったものの、裁判官は判決の中で、保健相が、MTASを準備不足のまま拙速に導入し、結果として大混乱を引き起こしたことを指摘し、違法ではないからといって、研修医たちにとって不公平でないわけではないと言っている。法の限界を暗に認めたわけだ。

 保健相のPatricia Hewittは、Judicial Reviewでは勝訴したものの、裁判の始まる前日にMTASを棚上げすることを決め、判決の翌日には、ラウンド2ではこれまでに準備されていたポストに加えて、新たに200のポストを加えることを発表するなど、それまでの強気の方針を変換せざるを得なくなっている。

 Remedy UKは、判決後の声明の中で、これまでの多方面からのサポートに感謝すると同時に、これからも医師のサポート組織としての活動を続けていくと宣言しており、場合によっては「組合」として機能することを示唆している。

 Remedy UKの動きは、BMAにとっては脅威に違いない。BMAはこれまで、「唯一」の医師の組合として存在してきた。しかし、MMC / MTASをめぐる不手際で、BMAに対する医師の信頼は、かつてないほど地に墜ちつつある。とくに、研修医のBMAへの不信感は強まるばかりである。今回のJudicial Reviewと、BMAの前議長のMr James Johnsonの新聞への投書は、何百、何千ものBMA会員の退会を引き起こしたと聞く。

 2つ目の医師組合。別に悪いことではあるまい。医師全体がひとつの組合のもと、団結行動できればそれにこしたことはないが、医師といってもいろいろあり、それぞれの利害が必ずしも一致せず、調整がうまくいかないことも少なくない。BMAがそれをうまく采配する機能を果たしてない昨今、新たな組合が登場し、競合が生ずれば、少なくともBMAの自浄作用を期待できるかもしれない。もちろん、両刃の剣であることは間違いないが。

 BMAが気がつかなければいけないのは、医師たちが、自分たちの声が届いている、自分たちの代表が自分たちの利益のために活動していると感じたからこそ、Remedy UKがここまで支持を得たということである。メディアの使い方も、BMAよりもずっとうまい。ウェブサイトはBMAのサイトよりずっと洗練されているし、プレス・リリースも、医師たちの共感を得られる内容である。

 研修医4人とそのうち1人の妻の5人で立ち上げた小さなグループが、仲間の支持を集めながら大きくなり、今ではスポンサー付きのロビー団体になった。自分たちに必要な利益保護団体がなければ作ってしまうというのは、さすが労働運動の国イギリスであろうか。

 この先Remedy UKがどのように発展していくのか、それとも支持を失ってしまうのか。MMC / MTASの推移ともども、見守っていきたい。

Saturday, May 26, 2007

祝100本目!

 これが100本目のエントリーである。早いもので、初めてのエントリーから1年と3ヶ月弱。ようやく100本目までたどり着いた。

 このブログ自体をセットアップしたのは、実は、そのさらに約1年前にさかのぼる。イギリスで初めて臨床の仕事を始めるにあたり、日々の出来事を記録しておきたいというのが動機だった。

 しかし、現実は甘くなかった。日常業務に慣れるのに精一杯で、とてもブログまで手が回らなかった。そもそも「日記をつける」ということにこれまで一度も成功したことのない私。続かなかった。

 それから約1年。私が仕事にも慣れ、コンサルタントになったことは、大きな変化であったが、それ以上に、日本でもイギリスでも、医師を取り巻く状況がものすごいスピードで変化し始めた。ブログの機能も、単なる記録としての場から、ネットワーキング、議論の場へと進化した。私も、及ばずながら、自分の知りうる範囲で、イギリスの医療について、イギリスで日本人が医療者として働くということについて、外の世界に向けて発信していきたいと思うようになった。また、外の人に向けて書くということで、自分自身が勉強せざるを得ない状況に追い込むことができるという利点もあった。動機が少し変化したら、不思議なことに、書き続けられるようになった。

 そんな折におこった福島大野病院事件。地球の反対側にいた私にとっても、考えさせられることが多かった。前後して、「日本の医療崩壊」が仮定の話でなくなる中で、よく「イギリスの医療崩壊」がとりあげられることに気がついた。多くの医師がブログや医師専用のウェブサイトで議論を繰り広げ、「このままではイギリスのようになってしまう」、「イギリスのようになるのは避けなければ」等々の言葉が見られるようになった。

 ひとつには、近藤克則先生の本の影響が強いのだろう。イギリスの現況と対比させながら、政府の医療費抑制政策に、きちんとしたデータをもとに反論を試みた立派な本であり、ひじょうによく書かれているが、なにせ2002-3年の情報が中心である。NHSで5年という時間は、ふた昔前に等しい。それからもいろいろなことが起こっているが、誰も追いかけようとせず、限られた、古い情報をもとに話をしている。

 もうひとつのネタ元は、インターネット上のNHSに関する悪評であろう。探せば山ほどある。しかし、ほとんどが、NHSで大変な思いをした人たちの主観的な描写であり、それらを全般化するのは無理がある。

 NHSはこの10年間、めまぐるしいほどの変化を経験してきた。ブレア政権が多額の税金を投入して試みたNHS改革は、あまりうまくいっていない。これは、日本のネット上にあふれているような、「サッチャー政権による医療費抑制によりいったん崩壊した制度は、なかなか改善しない」などという一文で簡単に説明できるものではない。原則無料のNHS制度へのイギリス国民の強い愛着、イギリス社会の構造的な問題(手厚い福祉、労働倫理、移民問題)、ヨーロッパ全体に強い労働衛生や権利意識の問題(European Working Time Directiveによる医師の勤務時間の制限)、政府が率先して進めている「New way of working(新しい働き方)」によりひきおこされている、職種間の軋轢、拙速・無節操な計画にもとづく相次ぐ「改革」によるスタッフの疲弊・無力感など、数えきれないほどの理由がある。また、それらにも増して、日々進歩する医療そのものにより引き起こされる問題(先進医療の要する人的・経済的コスト、医療倫理)が大きく影響していることを忘れるべきではない。

 そんな中でも、イギリスの医学教育、卒後教育のレベルは、あいかわらず高い水準を保っている。また、イギリス人(またはイギリスのシステムの中で働く人たち)の創造性(純粋な創造性だけでなく、いろいろな制限の中でやむなく創造的にならざるを得ない部分も含む)は、時に斬新なサービスを生む。

 こういった多様性のある善悪両面が「イギリスの医療崩壊」のひとことで説明されることを、常々残念に思ってきた。

 サッチャー政権のもとで加速したイギリスの医療制度の疲弊は、ある部分、日本の医療制度が今まさに経験していることと重なる。つまり、イギリスのここ10-20年間の歴史や現行の医療現場を知ることは、10年後の日本の医療制度を模索する上で、いい意味でも、反面教師という意味でも、またとないお手本になるはずである。

 浅はかにも、すぐに個人を同定されてしまうようなブログのアドレスにしてしまったので、自己規制が働き、これまで、わりとお行儀のいい記事を書いてきたように思う。ふだん毒舌でならす私としては、いささか物足りないと思っているのだが、なかなか、普段感じていることを記事の内容に反映できないでいる。世の中の動きがあまりに速く、私の頭の回転と筆の速さがついていかないせいでもある。

 そんなことをつらつら考えながら、200本目は、もう少し過激に、かつ建設的な記事になるよう、心がけたいと思う。

 ちなみに、うちの母は、律儀にも、たまにこのブログをチェックして、メールで感想を送ってくれる。目に見える読者が今のところ彼女だけなので、母親相手に書いている気がしないでもない。

 もし他に読んでくださっている方がいたら、ぜひ、コメントを残していってください。感想でも、イギリスの医療制度についての質問でも、記事に関するリクエストでも、何でもかまいません。どうぞよろしくお願いします。母には、会社の入社式についてくる過保護な母親に見えるから、コメントだけは残さないでくれるよう、頼んであります。

Sunday, May 20, 2007

さらなる辞任劇

 British Medical Association(BMA)のChairmanのMr James Johnsonが辞任した。辞任のきっかけになったのは、3月17日付けのTimes紙に掲載された手紙である。

 この手紙は、Mr Johnsonと、Academy of Medical Royal CollegesのトップのDame Carol Blackとの連名で出された。その中で彼らは、MTAS Review Groupの勧告案が「(修正しうる)最高の案」であるとした上で、Chief Medical Officer(CMO、政府のメディカル・アドバイザーで、国の医療や医学教育の方針を決める立場にある)の提唱する研修制度の改革を、引き続きサポートしていくとしている。

 これには、掲載直後より次々にコメントがついた。(さきほどTimesOnlineを見た時は512のコメントがついていた。)いずれも(といっても全部を読んだわけではないけれど)現場の医師からの反論で、Mr JohnsonとDame Blackの意見は医師の声を代弁していないと言っている。

 BMAスコットランド支部のコンサルタント部会も、この手紙の内容は部会の意見に反しているとする声明を出した。

 これに先立ち、水曜と木曜には、Remedy UKが起こしたJudicial Reviewがおこなわれた。関係者として意見を述べる機会を得たBMAは、Review Groupと政府を擁護する立場に立ち、Remedy UKの方針を批判した。研修医の多くはRemedy UKをサポートしており、BMAの態度は彼らの怒りを呼んだ。

 その直後にこの手紙である。ネット上の情報によると、この2つの「事件」により、BMAには何百もの会員からの退会の申し込みが相次いでいるという。

 これらの声に押され、Mr Johnsonは20日の夜、辞任を表明した。辞任の手紙の中で彼は、「Times紙の手紙は、BMAの幹部に相談せずに(独断で)発表した」ことを認めている。

 BMAは医師の労働組合的な組織であることになっている。しかし、コンサルタントとGPの利益擁護はするが、それ以外の医師たち(研修医や非研修ポストの医師たち)の立場はあまり鑑みないと言われてきた。ここ数年は、政府の顔色ばかりうかがっていて「誰のための組合か」と言われている。

 MTASが問題化した際も、研修医部会のChairがReview Groupに参加したものの、途中でReview Groupの案に反対して退出し、その後議論に復帰したと思ったら、今度は、研修医の総意を反映しない修正案に合意したりし、組合としての役割を果たしているとは言いがたい。実際、先日のイングランドの研修医部会の会合では、研修医部会の Chairに対する不信任案が提出された。(これは否決された。)

 MMC / MTASは、全員がハッピーになれる解決案を出すのが難しい問題であるのは間違いない。しかし、医師を「代表する」機関の代表がお上のほうばかり見て、現場の意見をすくい上げることができないのであれば、その機関の存在意味は、ない。このようなトップを抱える組合しか持てないところに、英国の医師たちの不幸の原因の一部がある。

 いっぽうで、既存の団体が役に立たなければ、新しいものを作って活動しようという機運はある。現場の医師たち、とくに研修医たちは、CambridgeのProf Morris率いるグループと、研修医が立ち上げたRemedy UKというグループを、彼らの声を代弁する団体ととらえている。Prof Morrisのグループは、Remedy UKの 3月の街頭デモの少し前、シニアの医師としては初めて、研修医たちをサポートする声明を公に発表した。その後も、インターネットでおこなった、医師を対象としたMTAS / MMCに関するアンケート調査の結果をTimes紙に発表したり、あちこちの医学雑誌にMTASを批判する声明を出している。

 くだんのMr JohnsonとDame Blackの手紙は、14日付けのTimes紙に載った、Prof Morrisのグループの手紙に対する反論でもあった。Prof Morrisらは、現在進行中の研修医の選考を中断し、新制度への移行を遅らせるなど、いくつかの修正案を提案している。推測だが、Mr JohnsonとDame Blackは、Remedy UKやProf Morrisのグループの動きを牽制し、自分たちが、自分たちがChairをつとめる「組織」の名の下に、大多数の医師の声を代弁していることを示したかったのだと思われる。

 前回、前々回の記事に続くが、インターネットや携帯電話により、情報の動きが桁違いに速くなっている。使いようによっては、ネットワークを形成し、意見を集約したり、機動的に動くのも可能になる。今回の一件では、Mr Johnsonは、新興勢力からの圧力をはねのけようと、メディアを使って反論を試みた。しかし、彼の「虚実」は、誰もが見ている前であっという間に明らかになった。みずから振り上げた刀の犠牲になったのである。

 もっとも、辞任する潔さが残っているだけ、まだましだと言えるかもしれない。MTAS問題に関わるビッグ・ネームの辞任は、彼で3人目。次は誰だろうか。

Thursday, May 17, 2007

対話するマスコミ2

 先週のObserver紙で、コラムニストのJasper Gerardが、前の週の自身のコラムの内容について謝罪した。

 謝罪することになったのは「Frankly, doctor, your bedside manner stinks(はっきり言って、先生、あなたのベッドサイドのマナーは最低です)」と題したコラム。この中で、Gerard氏は、BBCのQuestion Timeでの、ある研修医の言動についてとりあげた。

 Question Timeというのは、毎回政治家や活動家などをパネルに迎え、事前に受けつけた質問や会場からの質問にパネリストが答える形の討論番組である。

 この日は保健相のPatricia Hewittが出演しており、研修医の選考を巡るごたごたについての質問が彼女に集中していた。

 MTAS問題は保健相の責任問題、ひいては引責辞任に値しないのかと質問に対し、Hewittが、これは辞任するような問題ではないと返答している最中のことである。(英語がわからなくても、何が起こっているのかは一目瞭然です。年配の男性が司会のDavid Dimblebie、女性が保健相のPatricia Hewitt、若い男性が研修医Dr Phil Smithです。)

 Dr SmithがHewittにむかって「自分も含め、研修医たちは怒っている。(中略)Patricia、今すぐ辞任すべきだ!」と叫んだのである。

 コラムニストのGerard氏は、この発言を礼儀知らずと切って捨て、Dr Smithの医師としての資質を疑う人格攻撃のようなコメントをした。その上、MTASに対する研修医たちの抵抗を、研修医の雇用問題に単純化し、「医学教育を受けたからといって希望するポストへの雇用が保証されると勘違いしている」研修医を批判した。

 Observer紙のコラムニストが、TVに映ったほんの数分の姿だけを元にして、追加取材もなく、一個人の職業人としての資質に対するコメントを、数十万人の読者が目にするコラムに書くというお粗末さは言語道断だが、MTAS問題を、背景を知ることなく、単に雇用問題にすり替えるのも、大問題である。

 当然のことながら、このコラムにはたくさんコメントがついた。ほとんどが、Gerard氏の記事に対する反論であった。中には感情的なものやGerard氏の人格攻撃になってしまっているコメントもあったが、ほとんどは、きちんと反論しているコメントであった。

 そして次の週、Gerard氏は自身のコラムの中で、MTASによる選考の不公平さ、問題の大きさをきちんと把握することなく記事を書いたことに対し、謝罪した。彼は、記事にコメントをつけた人たちとのメールによるやりとりにより、問題への理解が深まり、自分の意思で自分の過ちを認めて謝罪する(編集者や弁護士に勧められたからではなく!)と書いている。

 対話する場はある。わかりあえることもある。そして、そのことを報告する場も、ちゃんとある。

対話するマスコミ1

 海外にいる私にとって、日本の情報を得るための主な情報源は、インターネットのニュースや個人のブログなどである。多少改善されてきた感はあるものの、マスコミ、とくに大手の新聞の医療問題に対する報道姿勢には、嘆きを超えて、呆れることが多い。

 新しい「事件」が起こったとき、初期報道が常に、医師=悪者の構図でなされる。その後の経過の中で初期報道が事実を伝えていなかったとしても、それを検証・訂正する姿勢がまったくない。マスコミは「真実を伝える」という、本来の役割を放棄してしまっているとしか思えない。

 イギリスのマスコミを礼賛するつもりはない。しかし、新聞やTVが一斉に同じ方向を向いた報道をしないこと、マスコミが自身に対する批判や意見を受け止めるための公開の場を提供していることは、賞賛してもいいと思う。

 Guardian紙のオンライン・サイトには「Comment is free」というサイトがあり、Guardian紙とObserver紙(日曜版)のほとんどの署名記事にここからアクセスでき、読者がコメントを投稿できる。Times紙のWeb版TimesOnlineでは、署名記事だけでなく、一般の記事にもコメントを投稿できる。いずれも、事前に登録した読者に限定されている(登録は無料)が、登録してあるかぎり、編集者のチェックなしに投稿できる。コメントの内容については読者の良識にまかされおり、本当にひどいもののみ編集者によって消去され、投稿した人の登録が取り消されるようである。

 日本の掲示板やブログでは、新聞記事を転載し、その記事に関する意見をエントリーし、コメント欄を通じて討論がおこなわれる。基本的な討論の方法はThe GuardianやTimesOnlineと同じだが、肝心なのは、討論がマスコミの土俵でおこなわれるのか、別の場所でおこなわれるのかの違いである。

 討論がブログ上でおこなわれている場合、そこにアクセスした人しか、討論を目にすることはない。それ以外の多くの人たちは、そのような討論がおこなわれていることすら知らない。

 これが新聞のウェブサイトで、記事のすぐ下、同じ画面上で繰り広げられていれば、より多くの人たちが目にすることになる。記事を書いた記者やコラムニストは、反響に対し、対応する相手を選ぶことができなくなる。

 私が普段読んでいる日本の新聞で、読者からのコメントを幅広く受けつけているウェブサイトは、まだ見たことがない。

 医師の世界の閉鎖性や自浄作用のなさを非難し続ける日本のマスコミ。そっくり同じ言葉をお返ししたい。対話する方法は、すでにそこにある。使うかどうかは、あなたたち次第である。

Wednesday, May 16, 2007

MTAS退場

 いろいろと問題続きだったMedical Training Application System(MTAS)だったが、昨日、保健相のPatricia Hewittが、MTASを今後、専門医研修の選考に使わないことを公式に発表した。(MTASについては、3月の「迷走するMMC1-4」と4月の「MTASその後」に詳しく書いてあります。)

 現在、ラウンド1Bと呼ばれる、MTASによる最初の選考に漏れた応募者たちに対する追加の面接が進行中である。これは5月末までに終了し、6月頭に結果の発表、6月中旬までには、合格者の意思の確認が終わり、ラウンド1で募集された研修医のポストがほぼ埋まると見られている。ラウンド2のために研修医の全ポストの20%が用意されており、それらに加えてラウンド1で埋まらなかったポストについては、その後のラウンド2で募集される。今回の発表によると、ラウンド2以降、MTASは用いられず、旧来の履歴書を元にした選考が、各地域ごとにおこなわれることになるそうである。

 MTASの大混乱が明らかになったのが3月初め。3月9日におこなわれた、制度の見直し委員会の最初の会合で、MTASの不備が早々に指摘された。それでも政府は、これらの問題は新しい制度が始まる際にありがちな問題であり、ラウンド2までには改善が可能であるとか、来年以降は大丈夫であるという従来の主張を繰り返していた。

 しかし、4月下旬、セキュリティーの脆弱性のために応募者の個人情報が、部外者に容易に閲覧可能であることが発覚した(それもひとつではなく、2日続けて2件)のは、政府にとっては強烈な打撃になったようである。MTASは即座に閉鎖された。当初は、セキュリティーを強化し、数日のうちにサイトを再開する予定であった。しかし、結局、内部調査を経て、セキュリティーの違反は警察に届けられた。そして、昨日の発表へとつながった。MTASサイトは、各地域のDeaneries(卒後研修の責任機関)のみしかアクセスできないようになっている。

 Patricia Hewittの声明で、MTASは今後は選考のためには使われないが、Deaneriesが選考の経過を「モニター」するために使われることになるとされている。役に立たないシステムを使って何をモニターするのか、そのモニターが信用できるのか、大いに疑問である。これは、多額の税金を投入して立ち上げたシステムを、たった一度使っただけでお蔵入りさせるわけにはいかないという、政府の体面を保つための策であるというのが、新聞のコメント欄やブログによると、おおかたの見方のようである。

 Hewittの声明は、何を今さらという感じである。MTASが役に立たないのは、数ヶ月前からわかっていたことである。もっと言ってしまえば、募集が始まるずっと前から、あちこちから警告されていたのである。まあそれでも、わかりきっていたこととはいえ、政府が公式にそれを認めたというのは、わずかながらの前進と言えないこともない。

 さて、ラウンド1であるが、混乱は続いている。面接に行った研修医たちからは、選考の科や面接時間・場所の取り違えなどの問題が山ほど報告されているらしい。ロンドンの追加面接では、Deaneryが、面接に参加してくれるコンサルタントを集めるのに苦労している。

 さらに、Remedy UKが保健相を相手どり、MTASによるラウンド1の選考の合法性を問う、Judicial Review(裁判官による審問)を起こした。今日と明日の2日間、高等法院で聴聞が開かれる。結果のいかんによっては、今後の成り行きがまったく変わってくる。

研修医の選考に関するJudicial Reviewはこれが2件目である。最初のReviewは、今年の初めにおこなわれた、BAPIO(British Association of Physicians of Indian Origin)が保健相を相手どって起こしたものである。外国人医師の応募をVisaの種類と滞在許可の長さによって制限するという通達の合法性を問うReviewであった。結果は政府側に有利な判断が出たものの、BAPIO側に上訴する権利が与えられたため、政府は、上訴審の判断が出るまで、当初の応募条件を実施するのを保留せざるを得なくなった。このため、外国人医師の今回のラウンドでの応募が可能となり、応募者が政府の予想を大幅に上回る一因になったとみられている。

 このMTAS騒動、まだまだ先行きが不明である。今回のRemedy UKのReviewの結果がどちらに転んだとしても、負けた側が上訴するのは目に見えている。BAPIOの上訴審は10月末に予定されている。新制度が始まる8月に、NHSから一斉に研修医の姿がなくなるという話も、冗談でなくなるかもしれない。

Friday, May 11, 2007

秘書さんはアクトレス

 今日、新しい秘書さんが来た。私の仕事に関する事務業務を主にやってくれる、medical secretary(医療秘書)である。

 うちのトラストSLaM では、すべてのコンサルタントに0.5人分の医療秘書がつくことになっている。コンサルタント2人で1人の秘書ということになる。また、コンサルタントは、個室のオフィスを使えることになっている。これらは、コンサルタントが本来の業務に専念するために必要な、快適な職場環境や事務的補助を提供するという、「新契約制度」に組み込まれている条件を満たすためのものである。

 昨年、今の仕事を始めた直後は、私には秘書がいなかった。産休中だったのである。1ヶ月後、彼女は産休から復帰した。しかし、1週間後、日中に子どもの世話を頼んでいる人の親戚が亡くなり、その人が戻るまでの3週間、子どもの世話をするために3週間の年休を取った。年休が終わる直前、息子が重病にかかっていることがわかり、介護休暇をとった。そして、そのまま続けてストレスによる抑うつ状態で長期の病欠に入ってしまった。そんなこんなで、私専用の秘書さんはずっと不在だった。チームの秘書さんや、リハビリテーション部門の中の他のチームの秘書さんがカバーしてくれたのだが、十分ではなかった。

 秘書や受付などの事務スタッフは、Centre Co-ordinatorと呼ばれる、各建物に配置されている、シニアの事務スタッフが管理する。欠員があれば、臨時職員を手配するのも、Centre Co-ordinatorの仕事である。

 ところが、私と、秘書ポストをシェアするもうひとりのコンサルタントが別の建物で仕事をしているため、このポストは2人のCentre Co-ordinatorの下にあって管理系統が複雑である。その上、1人は産休と育休、もう1人は欠員でどちらも不在という、どうにもならない状況になっており、誰も私の秘書の手配はしてくれなかったのである。

 誰もしてくれなければ自分で強行突破するしかないというのは、NHSで生き抜くための基本である。ようやく重い腰を上げ、私は自分で臨時職員の申し込み用紙を書いて、手配を始めた。

 待つこと2週間。私の都合のいい曜日に来てくれる人が見つかり、さっそく、この金曜から来てもらうことにした。ここまですべて電話連絡のみ。私は彼女の名前しか聞いていなかった。

 そして今日。時間通りに彼女はやって来た。(よかった、来てくれて、と、ほっとした。)若くてきれいで、感じのいい女性である。

 秘書さんの机は、長いこと誰も使っていなかったので、物置と化していた。「悪いけど、机の片付けが最初の仕事になるね」などと言いながら、建物の中を案内したり、大雑把な仕事の内容を伝えたりした。

 で、次の質問。ここに来ない時はどうしてるのか、聞いてみた。「I'm an actress.」なんと、国際映画祭に出品するショート・フィルムの撮影に参加しているという。そう、私の秘書さんは、俳優さんでもあるのだ。

Wednesday, May 09, 2007

発音記号–英語の発音3

 英語は綴りと発音が必ずしも一致しないので、発音をきちんと学習するためには、発音を正しく表記する記号を覚える必要がある。これが発音記号である。そう、辞書を引くと出てくる、あれである。(Dictionary.comより。/で挟まれた赤字が発音記号。)

 stage 2を修了した時点で、International Phonetic Alphabet(IPA)の英語の発音記号をきちんと使えるようになっているはずである(と講師のJが力説していた)。私は、stage 2を終わったばかりの頃は、わりと使いこなせていたような気がするのだが、5年もたったので、忘れてしまっている。これまでの3回のレッスンで少し勘がもどってきたものの、まだまだである。

 それぞれの音(母音も子音も)に、ひとつの発音記号が割り当てられている。diphthong(2音から成る母音)は2つ、triphtohng(3音の母音)は3つの記号を続けて書く。英語のアルファベットと同じものが多いが、中にはアルファベットを逆さまにしたものや、ギリシャ文字に似た記号もある。アルファベットにまったく存在しない、へんてこな記号もある。

 この発音記号、Unicodeでcodingされている。これをコンピュータで簡単に入力する方法がないものかと探してみたら、SIL International(旧the Summer Institute of Linguistics)という機関のNon-Roman Script Initiative(NRSI)という部門が、役に立つツールや情報を提供しているのを発見した。

 IAP-SIL keyboardを使うと、Macのキーボードを使って発音記号を入力できる。Charis SILDoulos SILというフォントは、すべてのIPAの記号をカバーしている。

 さっそく、インストールし、マニュアルをにらみながら使っている。

Monday, May 07, 2007

口に黄金–コンサルタントのお給料のおまけ

 1948年にイギリス政府がNHSを始める際、コンサルタントたちは、国が管理する「無料」の医療制度で働くことに難色を示した。医師がいなければ医療制度は開始できない。そこで、当時の保健相Aneurin Bevanは、コンサルタントたちに高給を保証し、NHSの発足に協力するよう仕向けた。そして、Bevan自身が「(I) stuffed their mouths with gold(口に黄金を詰め込んだ–そして黙らせた)」と言ってのけたという。

 イギリスの医師はお金のためだけに働くのか。おそらく答えはノーである。2002年に新契約制度の初めの案が投票にかけられた時、コンサルタントたちは63%の反対多数で案に合意しなかった。20%の大幅昇給を蹴ったのである。背景には、新契約案により、コンサルタントが、NHSのマネージャーや政治家たちの牛耳る「組織」の一員として取り込まれることへの反感、医療のレベルを維持することよりも政府の到達目標を達成するために使われることへの拒否感、そして、マネージャーや政治家たちへの徹底した不信感があったと言われている。20%の昇給よりも、医師の主体性を維持することを選択したのである。(BMJのeditorialに考察があります。)

 私は2006年1月からコンサルタントとして仕事をしているので、新契約制度のもとで契約を結んでいる。新米なので平均給与には遠く及ばないが、日本の公立病院の勤務医と同じか、やや多い程度の額を得ている。コンサルタントは、Responsible Medical Officer(RMO、責任担当医)として、多大な責任を負う立場である。この責任の重さと、快適と感じる生活を維持できる収入、仕事以外の生活を楽しめるwork-life balanceを天秤にかけて、今の収入は、まあ、妥当なレベルかと思う。

 しかし、給料が旧契約制度並みの25%減だった場合、同じように感じるかどうかは、難しいところである。反対に、とんでもない時間(夜中や早朝)に働かなくてはいけなくなったり、政治家が設定した(量的)達成目標を果たすことを主たる業務と義務づけられたり、マネージャーの提案にノーと言えないような立場に置かれることと引き換えに、25%の昇給を提案されたら、未練なく断ると思う。

 翻って、大臣が「医師の勤務実態はたいしたことがない」と言ったどこかの国。かの国で精神科医として働いているある友人は、総額で言えば、私よりも稼いでいる。しかし、馬車馬のごとく働いている彼曰く、「時給換算したら、先生(私)の時給のほうがずっと高い」そうである。彼や、勤勉に働く日本の医師たちが、仕事の内容と責任に見合った給料を要求することができる日は、来るのであろうか。それよりもなによりも、医師にも労働基準法が適応される権利、正当な報酬を要求する権利があると、社会があたりまえに認める日は、くるのだろうか。はるか彼方から、見守っている。

Sunday, May 06, 2007

コンサルタントのお給料

 先日、National Audit Office(NAO、国立監査局)"Pay Modernisation: A new contract for NHS consultants in England"と題する監査レポートを発表した。2003年に合意された、コンサルタントの"new contract(新契約制度)"の支出と、それに伴う変化が本来の目的を果たしているかどうか、検証している。

 コンサルタントの給料の大枠は国レベルで決まっており、それをもとに、各NHSトラストが地域の実情に沿って、コンサルタントと契約を結ぶ。勤務年数によってグレードが上がり、それに伴って基本給が上がる仕組みになっている。

 "old contract(旧契約制度)"と呼ばれる、従前のコンサルタントの契約の大枠は、1948年にNHSが発足した時からほとんど変わっていなかった。コンサルタントは、契約している(はずの)労働時間をはるかに超える超過勤務を強いられていた。また、コンサルタントの給与レベルは他の先進国に比べて低く、コンサルタントの士気の低下、海外への流出、プライベート・プラクティスの増加につながっていたとされている。

 New LabourのNHS改革の一貫として、政府は2000年に、医師の組合(British Medical Association、BMA)との話し合いを開始した。新契約制度は、コンサルタントのworking livesを改善するいっぽうで、NHSの医師に対するコントロールを強化するという目的があった。究極のゴールは、コンサルタントによるNHSサービスの質とアクセスを向上させることであった。

 2002年に政府とBMAが合意に至った新契約制度案は、しかし、コンサルタントによる投票で、イングランドでは賛成37%、反対63%で却下された。(スコットランドとウェールズでは可決された。)2003年に政府とBMAの話し合いは再開され、一部が変更された新契約制度案は、再度の投票で、賛成60.7%で可決され、実施に移された。

 新制度では、コンサルタントの勤務時間・内容が明確に規定されることになった。コンサルタントは、「job plan」と呼ばれる、年間の勤務予定ならびに達成目標、週間勤務予定表を設定し、勤務するNHSトラストと合意しなければならない。目標の達成度はappraisal(勤務査定)を通じて評価され、昇給に影響する。

 基本となる勤務時間は、4時間を1セッション(PA–programmed activities–と呼ばれる)とし、週10セッション。必要に応じて最大2PAの上乗せができる。10PAのうち、最低7.5PAをDirect Clinical Care(臨床業務–書類仕事は含まない)に割かなくてはならない。プライベート・プラクティスは、勤務するNHSトラストの業務に支障をきたさない範囲でおこなえる。しかし、プライベート・プラクティスをおこなうにあたり、まずNHSに自由になる時間を提供する義務がある。緊急以外の時間外やオン・コールの業務は、通常業務とは別に、事前の合意があった場合に限って契約に含まれるかわりに、報酬は通常レート(通常より高いプレミアム・レートではなく)で支払われることになった。

 当時、コンサルタントは週50時間以上働いていると主張していた。しかし、政府は、業務内容をNHSの臨床業務に限れば、実働時間はずっと少ないと見積もっていた。また、わざとwaiting listを長くし、患者をプライベート・プラクティスに誘導しているコンサルタントとか、ゴルフに行くために手術をキャンセルするコンサルタントが少なからずいると、本気で思っていたらしい。(実際にいくらかはいたらしいが。)job planによって実際の仕事の内容を透明にすれば、コンサルタントがNHS業務に割く時間は増え、waiting listは減り、NHSの生産性は向上すると考えた。

 ところが、新契約制度が実施されると、早々に政府の思惑は外れた。当初、政府は新契約制度に伴う新たな支出に対して3年間で5億6500万ポンド(当時のレートで1088億円)を見積もっていたのだが、これでは足りず、1億5000万ポンド(289億円)の追加支出を余儀なくされた。NAOのレポートによると、84%のトラストが、追加支出でもまだ足りず、トラストの予算の中でやりくりせざるを得なかったという。(この予定外の支出が、一昨年、昨年のNHSの大赤字の原因の一部という分析もある。)

 この大規模な支出により、コンサルタントの平均給与は3年間で27%増の109,974ポンド(2657万円)になった(うっそー!ほんとにこれが「平均」?–これは私の独り言です)。

 成果のほどはどうであろうか。プラスの点としては、64%のNHSトラストで、新契約制度により、コンサルタントの仕事のマネジメントが向上したと考えている。コンサルタントの数も3,250人増えた(2005年9月時点で総勢31,990人。しかし、人口比では他の先進国に比べるとまだ少ない)。コンサルタントがプライベート・プラクティスに割く時間はわずかに減少した。

 マイナスの点は、Direct Clinical Careに割く時間が2004年の平均74%から2005年の72.6%に減少した。トラストのマネージャーもコンサルタントも、サービスの向上と新契約制度とは無関係と考えている。待機時間は減少したが、これも、多くののマネージャーやコンサルタントは、新契約制度とは無関係と考えている。

 NAOは、サービスの「生産性」に関しては、まだ時期尚早とし、判断を示していない。

興味深い数字がいくつかあった。新契約制度開始後2年間で、コンサルタントの数は13%増加したが、コンサルタント主体のサービスは4%しか増加していない。また、コンサルタントの勤務時間は、週51.6時間から50.2時間と、わずかに減少した。これらの数字は、コンサルタントの給与以外にもさまざまな要因が関わっている上、分析の仕方によって意味合いがまったく異なってくると思う。

 これらをもとに、NAOは、新契約制度の交渉に際し、政府はコンサルタントの労働時間に関する十分なエヴィデンスを持っていなかった。そのため、労働実態が過小評価され、政府は新契約制度に必要な予算を正確にはじき出すことができなかったと結論している。

さらにレポートでは、政府が今後新しい政策を検討する際、現在の状況に対する正確な評価に基づき、(新政策の導入に伴う)すべての可能なシナリオについての財務モデルを作成して検証するべきだと提言している。

 政府の見通しの甘さは、コンサルタントの給与に限らず、New Labourのすべての医療政策の失敗(または大赤字)のたびに指摘される。NHS共通のITシステムの導入や、Private Finance Initiative(PFI)と呼ばれる、民間資金を導入した治療センターの設立でも、政府は当初の見積もりを大きく超える支出を余儀なくされ、大幅な支出増に見合った結果はまったく得られていない。

 メディアは、27%の昇給に対し、サービスの向上がわずか4%しかない、という点を強調して報道していた。「コンサルタントが高給をとっているくせに仕事をせずにけしからん」という論調はまったくなかったものの、NAOのレポートで強調されている、政府のplanningへの提言がかすみがちになっているのは、物足りない感がある。

Saturday, May 05, 2007

バンク・ホリデー

 この週末は、6日の月曜がEarly May Bank Holidayのため、3連休になる。

 バンク・ホリデーというのは、日本の「国民の祝日」のようなもので、学校も仕事も休みになる。イングランドには、1年間で合わせて8日しかない。

  • New Year's Day(1月1日)
  • Good Friday(復活祭の金曜日)
  • Easter Monday(Good Friday直後の月曜日)
  • Early May Bank Holiday(5月第1月曜日)
  • Spring Bank Holiday(5月最終月曜日)
  • Summer Bbank Holiday(8月最終月曜日)
  • Christmas Day(12月25日)
  • Boxing Day(12月26日)

 バンク・ホリデーはもともとその名のとおり、銀行(バンク)が休みの日のことである。法的には「休日」ではないのだが、伝統的に、銀行が閉まるとすべてのビジネスが操業できなくなることから、慣習として、国民全体の休日になっているそうである。

 Wikipediaによると、1834年までは、イングランド銀行には年間、33の休日(各聖人の祝日、宗教関連の祝日)があった。しかし、1834年、銀行の休日は、(慣習的にすでに祝日と考えられていた)Good FridayとChristmas Dayと、それ以外の4日の休日に減らされた。1871年、Sir Lubbockにより、Bank Holidays Act 1871という法律が制定され、国民の休日が制度化された。Sir Lubbockはクリケットの熱狂的愛好家であったため、銀行に勤める人たちはクリケットの試合に参加できるよう取りはかるべきであると考え、伝統的に各村の対抗戦がおこなわれる日をバンク・ホリデーに定めたという。(おそらく5月と8月のバンク・ホリデーを指している。)

 現在のバンク・ホリデーは、1971年に制定されたBaking an Financial Dealings Act 1971によって定められている。

 日本では、国民の祝日は15日ある。この話をするたび、イギリス人は「そんなに休めるのか」と驚く。ヨーロッパの他の国に比べて、イギリスの祝日の数が少ないため、もっと祝日を増やそうという動きもあるようである。もっとも、祝日などなくても、休暇や病欠をきちんととるお国柄なので、わざわざ祝日を増やさなくても、必要な休日は取っていると思うのだが。

Thursday, May 03, 2007

標準的発音–英語の発音2

 発音のクラスでは、Received Pronunciation(RP)と呼ばれる、イギリス英語の標準的発音を学習する。

 イギリスは、出身地や出身階級により、発音が違う。独特の発音は「アクセント」と呼ばれる。ちなみに、これは方言(dialect)とは違う。方言は文法や語彙の違いで、アクセントは発音の違いである。

 RPは長いこと、「正しい英語の発音」の地位を保っていた。RPは、地域特有のアクセントのない「標準的発音」であるが、もともとは、ロンドンからイングランド南部に住む、寄宿制の私立学校(public school)で教育を受けた人たちが使うようなアクセントが元になっているとされている。20世紀中頃までは、教育の高さを誇示するためにRPに「矯正」するのが普通だったらしい。また、BBCのアナウンサーたちはみなRPを話していたので、RPはBBC英語とも呼ばれていた。しかし1970年代以降、生来のアクセントを尊重する傾向が強まり、RPは「標準的発音」としての地位を失いつつあると言われている。BBCのアナウンサーも、最近では、強いアクセントで話すアナウンサーが多い。

 さて、このRP。単母音が12(短母音7、長母音5)、2音の母音(diphthong)が8、3音の母音(triphthong)が5ある。日本語には母音が5つしかなく、多少の音の違いに対して許容度が高い。私にとっての「ア(ー)」も、英語では4つもある。(/で挟まれているのが発音記号。太字の記号が「ア」の音を示す。)

 英語の子音は24あり、日本語では使われない音がいくつもある。私が「ル」と日本語で言うと、英語の/l/になったり/r/になったりする。'light'と'right'は違うのだが、カタカナ英語ではどちらも「ライト」である。

 英語の母音は、口唇の開き加減(ほとんど閉じた位置、半閉じ、半開き、大きく開く)と舌の高さ(上、やや上、中央、やや下、下)、舌の前後の位置(前、中央、後ろ)の3つの要素によって規定される。子音の発音には、口唇、歯、歯槽、硬・軟口蓋、口蓋垂(のどちんこ)、舌、声門といった器官が関与し、音によってどの器官をどのように使うかは異なる。これらの器官を正しく使いこなせるよう鍛錬するのが、発音クラスの意図するところである。

 体の筋肉同様、発音器官の筋肉も怠け者で忘れっぽい。常に鍛えておかないとすぐに怠けて、慣れ親しんだ母国語の発音用の筋肉の使い方に戻ってしまう。英語をたくさん話すと、口唇、舌や口のまわりの口輪筋が筋肉痛になるのは、よくあることである。