さて、前回の「経費削減その1」の続き。
ランベスSLaMの一般成人精神科には、次のようなサービスがある。(司法精神医学サービスを除く。)
- 一般急性期病棟:5棟(男性専用1、女性専用1、混合2、隔離1:総ベッド数64床)
- LEO(Lambeth Early Onset,)病棟:1棟 (男女混合:18床)
- リハビリテーション病棟:4棟(男子専用1、男女混合3:46床)
- Dove House:1棟(女性のみ:6床)
- HTT(Home Treatment Team):2チーム
- AOS(Assertive Outreach Service):1チーム
- A&T(Assessment & Treatment Team):3チーム
- R&S(Recovery & Support Team):3チーム
- SRT(Specialist Rehabilitation Team):1チーム
- PAMS(Placement Assessment & Management Service):1チーム
- 精神科コンサルタントによる外来
LEO:発症早期(2年以内)の患者を対象としたサービス
Dove House:女性専用の治療共同体型入院施設
HTT:intensiveな訪問治療(1日に1-3回の訪問)
AOS:治療に乗ってくれない患者のための「突撃」訪問治療
A&T:早期かつ短期間(12ヶ月以内)の精神科的問題に対応する
R&S:慢性期にあり長期的サポートが必要な患者を担当する
SRT:A&TやR&Sの担当する患者にリハビリテーション・プログラムを提供する
PAMS:滞在型施設にいる患者を担当する(
私のいるチーム)
今回のサービス削減第一弾の最終案は、次のようなものである。
- 女性専用の治療共同体型入院施設のDove Houseを閉鎖し(6床減)、かわりに女性専用のデイ・センターをオープンする
- 南と北の2チームあるHTTをランベス区全体を担当するひとつのチームにし、現在の1チーム分のスタッフで運営する(つまり、区全体ではサービス半減になる)
- リハビリテーション入院施設のひとつを閉鎖する(13床減)
上記の3つの案は、突貫工事のようなサービス再編成(削減)なので、ランベスSLaMのシステム全体に急激な影響を与えないようなサービスが選択されている。
ランベスSLaMでは、常に入院ベッドが足りないので、他のサービスの見直しとセットでなければ急性期病棟は減らせない。地域精神保健医療チーム(A&TとR&S)は、一次医療の家庭医から二次医療にあたる精神保健医療サービスへの窓口であり、担当している患者のニーズもさまざまなので、簡単に再編成はできない。また、ちょこっと手直ししたくらいでは大幅な経費削減は望めないので、これまた手つかずである。AOS、LEO、SRTとPAMSは、他のチームとは多少毛色が違い、チームとしてやや特殊な技能が要求されているため、すぐには手をつけられない。
というわけで、この案は、経済的課題(200万ポンド削減)を果たすため、臨床的課題(必要な精神保健サービスを提供し、患者および社会へのリスクを抑制する)への犠牲を最小限に抑えるという、綱渡りのような攻防の末に作られたものである。
しかし、話は、そう簡単ではない。なぜなら、経済的・臨床的課題に加え、さらに政治的課題も考慮しなければならないからである。ずっと遡れば、ここ10年間のNHS改革は、ブレア政権の政治的動機に牽引されたものである。
「経済的」にみれば、たとえば、Dove Houseを閉鎖してしまえば、スタッフの数も減らせるし、建物も売却またはリースでき、経費を削減できる。「臨床的」にみれば、デイ・センターが入院施設のかわりになるはずがないし、だいたい、女性専用のデイ・センターがどれだけ有効な治療を提供できるのか、検証すらされていない。しかし、女性専用の治療施設は、国の医療サービス指針上(「政治的」に)必要なため、なくすことはできない。そこで、病棟を閉鎖し、デイ・センターを開くという、折衷案に落ち着いた。
HTTに関しては、2チームよりも1チームにしたほうが「経済的に」安上がりである。しかし、ランベス区は広いので、ひとつのチームでは、「臨床的」に満足できる訪問治療を、区全域に効率的に提供することはできない。それならば、一部の地域に限ったサービスをするか、いっそのこと、非効率的なチームなどなくしてしまうという方法もあるのだが、国の医療サービス指針上、HTTがあることが「政治的」に好ましいと規定されているので、非効率的で不十分なサービスであっても、ないよりはましということで、サービスを半減して1チームを存続させることになった。
リハビリのベッド数は46床から33床に減り、13人の患者の退院先を探さなければならない。彼らは慢性・亜急性の精神疾患に加えて生活技能レベルの低下があるためにリハビリ病棟に入院していたのであり、退院してすぐにアパートで一人暮らし、というわけにはいかない。サポートのある滞在型施設に移るのが望ましいが、ランベス区はすでにイングランドで最多のレジデンシャル・ケア入居者数を誇って(?)おり、これは、精神障害者の自立を促すという「政治的」課題に反するため、問題視されている。また、滞在型施設にかかる支出額も、ランベス区はイングランドで一番であり、こちらも、今回のランベスSLaMの経費削減とは別の方向からの「経済的」圧力がかかっている。リハビリ病棟の全入院患者と、滞在型施設の全入居者の臨床評価をしなおし、移せる患者をところてん式に自立型施設に移してなんとか空床を作り、順送りに患者を転院させていくしかないであろう。この場合、「臨床的」な評価は、あくまで相対的なものとなる。
また、リハビリ病棟とDove Houseのベッドが減ったので、急性期病棟からリハビリ病棟へ早期転院することが難しくなり、急性期病棟の滞在日数が延びることが予想される。しかし、平均滞在日数が延びるのは「政治的」に好ましくない上、コストがかかり「経済的」にも問題である。退院が滞れば、入院もできない。「臨床的」には、病床数が減ったからといって、入院が必要な人が減るわけではないから、具合が悪くなっても入院できない、あるいは入院を待たなければならない人が出てくる。入院できなければ、治療開始が遅れて、病状がさらに悪化する可能性がある。自殺・他害・事故等のリスクが高まることは当然考えられる。地域で治療するための切り札であるHTTは、スタッフが半減して、現在の受け入れ患者数を維持することすらできなくなるのだから、入院を待つ患者まで担当することは到底できない。しかし、入院待ちの間、または、早すぎる退院のために事故が起これば、「政治的」に大問題になり、当然「臨床」サイドの責任も問われることになるだろう。
この削減案は、政治的動機によって主導され、経済的理由のために待ったなしの導入を余儀なくされた。しかし、あちらを立てればこちらが立たずで、政治的課題と経済的課題を同時に解決するのは不可能である。そこに臨床的課題が加われば、さらに複雑になり、3つの軸は相矛盾しあう。(もっとも、臨床的事情はまったく無視されているのだが。)どれかひとつを解決しようとすれば、他の2つの課題は達成できない。いずれの課題も、解決するのが絶対条件だというのに。
いったい、どれが最優先されるんだろうか。臨床的課題でないことは、明らかである。
このような、政府による相矛盾する課題設定というのは、なにもNHSにかぎったことではない。
先日、Craig Sweeneyという前科のある小児性愛者が、3歳の女の子を誘拐して性的暴行を働いた罪で終身刑を宣告されたが、罪状認否で罪を認めたため、最短5年で仮釈放される可能性があると報道された。また、終身刑を宣告されたものの、6年以内に仮釈放になっている例が、2000年以降でも53人にのぼることが明らかになった。犯罪行為の深刻さに対して刑罰が軽すぎるという世論が起こり、ブレア首相は「(内務省改革の一環として)刑事罰の見直し案を、国会が夏期休会に入る前までに早急に作成する」と宣言した。
これに対し、前主任刑務所監査官(ex-chief inspector of prisons)のLord Ramsbothamは、「正直に言って、ブレア首相には口を閉じてほしい」とコメントした。「ブレア首相は最近、次から次へ、あれもやるこれもやると言っている。首相は内務省改革に関して、犯罪者をもっと迅速に逮捕し、より長い懲役刑を与え、刑務所の混雑を緩和する、という3つの優先事項を掲げているが、これらは相矛盾する(mutually conflicting)。」「相次ぐ政策変更は、問題を解決するよりも、新たに問題をこしらえるばかりだ。」
哀しいかな、「ブレアよ、現場で何が起こっているのか(あるいは、これから何が起こるのか)、考えて発言せよ!」と言ってくれるような医学関係者は、まだ出ていない。