Saturday, April 29, 2006

半隠居祝

 今日は久しぶりに二日酔いである。ゆうべ、遅くまで飲んでいたせいだ。

 ゆうべは、ソーシャル・ワーカーTの「semi-retirement party(半隠居祝)」だった。Tは、40代後半(たぶん)の男性ソーシャル・ワーカーで、ランベス区で22年働いてきて、今は、南西チームのAssessment & Treatment Teamにいる。5月からは、週に2.5日のパートタイムで働くことになるので、彼自身と、ソーシャル・ワーカー仲間たちから、ほぼ同時に、「フルタイムからの引退」を祝う飲み会が提案された。

 Tは、同僚からの信頼も厚い、優秀なソーシャル・ワーカーである。製薬会社がスポンサーになるチームの飲み会には、「非倫理的だ」と、頑として出席せず、Mental Health Act Assessmentのための医師を、患者への態度の善し悪しによって選り好みするという、信念の人でもある。

 Tとは、一度だけ一緒に仕事をしたことがある。私が前のチームで仕事をしていたとき、病欠だった彼のチームのコンサルタントのピンチヒッターで、緊急の家庭訪問に行った。患者は60代の女性で、教科書に出てくるような典型的な躁症状を、丸ごとセットで示していた。未治療の躁エピソードで、患者はほとんど寝ておらず、重度の身体疾患のある、ほとんど動けない夫が、きちんと世話も受けられないまま、彼女の傍らに横たわっていた。家には7匹の猫がいて、彼女が躁状態になってから招き入れたホームレスが2人、同居していた。臨床的にも、社会福祉の面でも深刻な状況だったが、患者は底抜けに明るく、楽しそうで、Tも私も、何度も思わず笑わってずしまうような、おかしな診察だった。これは、その後もTと顔を会わすたびに話題にのぼる、忘れられない、興味深い事例となった。

 この家庭訪問、予定外で、私にしてみれば、他に医者がいないからとTに泣きつかれ、びっしりのスケジュールのなか、なんとか時間をやりくりしたのだった。Tもそれを知っていて、恩に感じてくれているのか、その後もことあるごとに、私に褒め言葉をくれる。

 飲み会は盛会で、5時半頃から、会場のパブに人が集まり始め、いくつかのテーブルにわかれて、ひたすらみんな、飲んで、しゃべって、笑った。(ちなみに、イギリスの飲み会の常で、人はみな、ひたすら飲むだけで、食べるものと言えば、ポテトチップスやナッツくらいである。)

 8時過ぎになって、ようやくTと話すことができた。5月から彼は、ソーシャル・ワーカーとして仕事をした残りの週2日半を、ゲシュタルト療法のプラクティスに使うそうである。ゲシュタルト療法ではそんなに稼げないので、家のローンが払えなくなるかもしれないなどと言いながら、笑っていた。もう、毎日仕事のことでストレスを感じるのは十分だ、これからは、歩いていて、道端の薔薇の香りに気がつけるような生活をしたい、このままこの仕事を続ければ、燃え尽きてしまうかもしれないから、ちょうどいい時なんだ、と言っていた。もしうまくいかなかったら、またフルタイムに戻るという選択肢もあるし、とさらに笑った。

 他のソーシャル・ワーカーに教えてもらったのだが、ランベス区では、勤務時間について、かなり、融通が利く。Tのように、週2-3日のパートタイムで働くこともできるし、フルタイムの週35時間分を、週5日ではなく4日に振り分けて働くこともできる。有給休暇をすべて学校の休暇期間にまわし、子供が学校に通っている期間のみフルタイムで働き、休暇中はいっさい働かない、そのかわり有給休暇はなく、休んだ場合は給料からその分差し引かれる、という制度もある。

 チームの立場からすると、誰かがパートタイムにうつれば、チーム全体としての人員は減る。減った分がすぐに補充されるのは稀だし、だからといって、チームとしての仕事の全体量が減るわけではない。では、どうなるかというと、チームとしてできる範囲ではカバーするが、カバーしきれない時はしきれないので、しかたがないのである。仕事に優先順位をつけて、優先順位の低い仕事は、後回しにされるだけである。

 誰も、他人の選択についてとやかく言わない。粛々として、そういうものと受け止め、自分に与えられた仕事だけに励む。そして、人が足りなかろうと、誰もが、きちんと有給休暇を消化する。また、風邪のひきかけであっても、病休をとることも忘れない。

こんな環境の中、30日の年休と、10日の研究休暇が保証されているというのに、チームが立ち上がったばかりだから心配で休めない、などとほざきながら、もう5月になるというのにまだ1日も休んでいない私は、みんなに「ちゃんと休暇を取らなきゃだめ」と叱られるはめになるのだ。

 それでも、ほんのちょっとだけ無理をして他人の分の仕事をして、興味深い経験ができて、そのあとも、ことあるごとに褒め言葉をもらえるというのは、悪い話ではないと、私は思っている。まだ1年しか働いていないのだし。

 ともあれ、 Tの半隠居生活が、ハッピーなものになるよう、心から祈る。

Wednesday, April 26, 2006

分数?

 下の3つの数字、どういう意味かおわかりになるだろうか。

  1/7
  1/52
  1/12
 それぞれ、1日、1週、1ヶ月の簡略表記である。カルテの記録や、処方箋の処方期間などに、頻繁に用いられる。

 1週間や1ヶ月は、分母が1年の週数、月数なので、わかりやすい。しかし、1日の分母がなぜ365ではないのだろう、とちゃちゃを入れたくなる。1週間は7日で、曜日の数は7しかないし、3桁よりも1桁の数字のほうが早く書けて、見やすいからなのだろうと、私は勝手に解釈している。

 この表記法、一見なんてことなく使いこなせそうに見えるが、意識せずに読んだり書いたりできるようになるのに、数ヶ月かかった。いったん慣れると便利である。

Friday, April 21, 2006

実力行使

 臨界点はある夜突然やってきた。昨夜、布団の中でなかなか寝つけずにいたとき、突然、もうこれ以上我慢できないという気持ちが、ほんとうに唐突にわき起こったのだ。

 私のオフィスのことである。2月27日に今のチームベースに引っ越してから2ヶ月もたとうというのに、私のオフィスはいまだに片付いていなかった。いくつかのこわれた本棚や机は運び出してもらったが、いまだに6つのファイルキャビネットが、入り口と私の机の間に壁のように立ちふさがっていた。また、カルテの入った段ボールの箱が約20箱、入り口に積んであった。電気のスイッチのすぐ上の、天井からの水漏れはいまだにそのままで、オフィスの電気は使えない。

 もちろん、2ヶ月間、私が何もせずにいたわけではない。チームが担当する患者のカルテは、全部自分たちで片付けた。チームのマネージャーや、リハビリ部門のマネージャーに、何度も修理や家具の移動を頼んだ。カルテの箱の責任者のマネージャーCにも、やんわりと、なんとかしてほしいと申し入れた。みんな、申し訳なさそうな顔をしたり、慰め合ったりはするものの、それで終わりで、なんの解決にもならなかった。

 本来、オフィスやチーム・ルームのある建物全体を管理するのは、Centre Coordinatorと呼ばれる人の役目なのだが、うちの建物にはまだこのポストがない。そのため、秘書さんたちを管理・指導するビジネスマネージャーVが、当面、この役を担うはずだった。ところが、彼女はどこで何をしているやら、ちっとも顔を見せず、たまに顔を出すと、仲のいい秘書さんとおしゃべりしているだけであった。一度、水漏れの修理の手配を頼んだら、私が自分で担当者にメールを送るようにいわれ、それ以来、あきれて頼むこともやめてしまっていた。彼女の上司には、苦情を申し立ててはおいたが。

 問題は、私の親切心にもあった。カルテの箱は、私や私のチームには何の関係もない。カルテをすべて電子化するための最初の段階として、臨時の職員が、患者名とカルテの種類・数を照合し、記録する作業をしている。部屋もコンピュータもないまま、あいているコンピュータを求めて、あちこちの部屋で仕事をしていた彼を見かねて、私が「1週間ほどのつもりで」救いの手を差し伸べてしまったのがはじまりであった。本来ならば、マネージャーCが、彼のためのデスクやコンピュータ、箱の保存場所を手配するべきなのだが、いったん保存場所を確保したら、ちっとも動かない。

 ともあれ、もう2ヶ月経った。このオフィスには、もう、我慢できない。このままでは、出勤拒否症になってしまう。自分で解決するしかない。

 今朝、職場に着くなり、私は実力行使に出た。まず、6つのファイルキャビネットのうち4つを、同僚に手伝ってもらって、部屋の外に運び出した。私のオフィスは2階にあって、とても下まで運べないので、しかたなく、階段に一番近い、秘書室の前に置いた。建物の安全責任者が見たら渋い顔をするだろうけと、幸か不幸か、この建物にはまだ安全責任者もいないし、建物の安全評価もされていないのだから、大丈夫。(だいたい、安全責任者がいたら、オフィスの水漏れをそのままにはしておかないだろう。)

 カルテの箱は、改装したあとで、新しいマネージャーのオフィスになる予定の部屋に全部移した。この部屋は、持ち主が決まっているとはいえ、改装しないかぎり物置同然の部屋なので、いまさら箱が多少増えても、たいした影響はない。

 いらないものを全部出して、残った家具を移動し、ようやく私のオフィスは、まだまだ殺風景ながらも、オフィスらしくなった。もやもやしていた気分も、嘘のように晴れた。

 一息ついた後、「今日、私のオフィスを少し片付けました。不要の家具は秘書室の前に置いて、カルテの箱は使われていない部屋に移しました。当面、誰の仕事にも影響しないと思います。」というメールを、関係するすべての人あてに送った。

 そうしたら、すぐに、ビジネスマネージャーVと、マネージャーCから返事がきた。Vは、月曜日に様子を見に来るそうである。キャビネットが不要ならば、移動の手配も考えると言っていた。Cは、たぶんあと2週間くらいで、臨時職員の作業が終わるだろう、自分は、どうせあと2週間なんだから、箱は廊下に置いておけばいいと言っていたんだ、などと言い訳していた。もし、作業が終わる前に改装工事が始まったら、箱の保存場所を探すのは彼の役目である。

 私の実力行使は、それ以外の人たちからは賞賛された。私の同僚は、私のオフィスがようやく落ち着いたことを喜んでくれた。とくに彼らは、普段からビジネスマネージャーVの無責任さを不快に思っているので、私がキャビネットで、「彼女の」秘書室の入り口と、その前に置いてある「彼女の」棚を塞いだことに、拍手喝采していた。(自己弁護するなら、私は他に置き場所がないからそうしただけで、決してわざとしたわけではないのだが。)

 誰も、他の人の部屋に物を勝手に動かしたり、廊下にキャビネットを放置したなどと言って、私を責めたりしなかった。あるマネージャーからは、我慢しすぎだ、もっと早くそうするべきだったのにと言われた。後ろ指さされるのを覚悟での実力行使であったが、みんなに賞賛されて、やや気合い抜けした。

 無責任さが「英国式」であると言うわけではない。イギリスにだって、ちゃんと責任を持って仕事をしている人たちはいるし、「困った時にはお互い様」という感覚もある。ちょっと親切が倍になって返ってくることも、もちろんある。ただ、一般的に、こちらの人は日本人ほど他人の目を気にしないので、無責任な人が無責任なままでのさばっていられる、という面は大いにある。そんな人でも、いったんことが自分の身に及べば、何かせざるを得なくなる。相手がどちらのタイプか見極めて、無責任な人の場合は、親切は徒になるだけ、実力行使が唯一の解決手段と心得ることが、精神衛生上よさそうである。

Wednesday, April 19, 2006

クロザピン

 PAMSは、今週からようやく自前のクロザピン・クリニックとデポ・クリニックを始めた。チームが立ち上がった1月23日から約3ヶ月。これまでは、クロザピン・クリニックは、他のチームのクリニックに丸ごとおまかせしており、デポ・クリニックは、南西チームに間借りして、PAMSの看護師が出張してクリニックを開いていた。PAMSの引っ越し騒ぎはまだ収拾がつかず、クリニック用の部屋ははまだ改装されていないのだが、自分たちで壁に固定された棚を外し、掃除をして、とりあえず患者さんが入っても大丈夫な部屋にして、クリニックを始めた。それまで他のチームに間借りして、肩身の狭い思いをしていた看護師たちは、とても嬉しそうであった。

 地域精神医療チームと、精神科病院の外来の多くは、看護師が中心になってクロザピン・クリニックを運営している。クロザピンは、「No blood, no tablets(血液検査の結果がなければ薬は出せない)」の方針で処方・調剤がおこなわれているため、クリニックは、定期的な血液検査、患者のモニター、処方・調剤を効率的に、もれなくおこなうためのシステムの一部である。

 クロザピンは非定型抗精神病薬のひとつで、治療抵抗性統合失調症とパーキンソン病に伴う精神病状態にかぎって使用が認められている。イギリスでは1990年に臨床使用が認可され、ノヴァルティス社がクロザリルの商品名で発売している。

 ヨーロッパでクロザピンが初めて導入されたのは1975年であったが、副作用の無顆粒球症と二次性感染のために死亡例が続き、使用が中止された。しかし、1980年代後半になって、クロザピンが治療抵抗性統合失調症に有効であることが報告され(Kane et al, 1998)、また、定期的な血球数のモニター下で使用すれば、無顆粒球症の頻度を抑制できることもわかり、市場に再導入された。

 2002年6月に発表されたNational Institute for Clinical Excellence (NICE)による「統合失調症治療における非定型抗精神病薬に関する指針」によると、2種類の抗精神病薬(うち1種類は非定型抗精神病薬)をそれぞれ6-8週間、十分量で用いて治療しても有意な治療効果がみられない場合、治療抵抗性統合失調症(Treatment Resistant Schizophrenia, TRS)と定義し、その場合、できるだけ早期にクロザピンを導入するよう提言している。この提言は、2006年1月に改訂されたNICEの「統合失調症の治療およびマネジメントの総合的指針」でも、ほぼそのまま用いられている。

 イギリスでのクロザリルのシステムをざっと紹介しよう。

 クロザリルを使うためには、病院または地域精神保健医療チーム(Centre)、処方する医師(prescribing medical officer)および調剤する薬剤師(dispensing pharmacist)が、ノヴァルティス社の運営するClozapine Patient Monitoring Service (CPMS)に登録されている必要がある。この場合の医師は精神科コンサルタント、薬剤師は、病院内の薬局に勤務する薬剤師である。家庭医や地域の薬局は、クロザリルを長期服用している患者で、血液検査が4週間隔であり、精神症状が落ち着いている場合にかぎって、精神科コンサルタントとの合意の上で処方・調剤できるが、例外的なようである。

 治療抵抗性統合失調症の患者で、服薬および血液検査のスケジュールを遵守できる場合、クロザピンによる治療を考慮する。

 まず、患者の血液検査をおこなう。必須項目は、分画を含めた血球数だけである。白血球数 >3.5 x 109/Lまたは顆粒球数 >2.0 x 109/Lであれば「green」、白血球数 <3.0 x 109/Lまたは顆粒球数 <1.5 x 109/Lであれば「red」、その間が「amber」である。血球数がgreen領域にないかぎり、クロザピンを開始できない。

 血球数以外のベースライン検査としては、肝機能、脂質、血糖値、HbA1c、および、体重、血圧、心電図をチェックするよう奨められている。

 血液検査がgreenであった場合、患者をCPMSに登録する。すぐにCMPS登録番号が割り振られ、患者のクロザリル・フォルダー(赤いので、red folderと呼ばれている。)が送られてくる。red folderの中には、血液検査の検体に用いる、患者の名前と登録番号、バーコードのついたシールや、患者や医療者への情報パンフレット、血液検査の結果を保存する台紙などが入っている。このファイルは、通常クリニックルームに保管される。

 患者を登録し、greenの血液検査の日から10日以内に治療を開始しなくてはいけない。治療初期量(12.5mg/日)から治療維持量(平均450mg/日)まで増量するのに、通常3-4週間かかる。この間、1日2回の観察(血圧、全身状態)をしながら増量する必要がある。ランベス区では、外来患者の場合、Home Treatment Teamが毎日患者を訪問し、維持量に達するまでの間、服薬を指導し、観察をおこなう。

 なんらかの事情で48時間以上服薬間隔があいた場合、維持量をそのまま再開することはできず、初期量にもどって、徐々に維持量まで増量しなければならない。

 治療開始後18週間は、毎週1回の血球数測定が義務づけられている。CPMSが採血用キットを送ってくれるので、チューブに1本採血するだけである。。採血したチューブは、キットに含まれているプラスティックのボトルに入れ、パッド入りの紙の封筒に入れて封をした上で、プラスチックの封筒に入れて、そのまま郵便ポストに投函するだけである。

 通常、発送した翌日にはCPMSに検体が届き、すぐに検査にまわされる。結果は当該の薬局に通知され、greenの場合は問題なく、次回分のクロザピンが最長4週間分まで許可される。amberの場合、処方・調剤は続けられるが、血球数がgreen領域に戻るまで、週2回の血液検査が必要である。redの場合は、即、服薬の中止が必要となる。クロザリル服用中にredとなった患者は、Central Non Re-challenge Database (CNRD)に登録され、以後、二度とクロザリルを服用することはできない。

 維持量に達し、血液検査がずっとgreenであれば、18週以後は、血液検査の頻度は2週に1度に減り、52週以降は4週に1度になる。

 血液検査の結果が予定日を過ぎてもCPMSに届かないと、CPMSから「○日まで(猶予期間は患者の血液検査の頻度によって異なる。)に血液検査の結果が届かないかぎり、クロザリルを提供できない。」という通知が、担当の精神科コンサルタントと薬局にFaxで届く。この期限以内にCPMSに検査結果が届かないと、患者は「クロザリル禁止(Clozaril Prohibited)」に分類され、クロザリルの供給が中止される。

 このように、とにかく血液検査のスケジュールを守らなくてはいけないので、患者が予定の検査日に来てくれないと、医療スタッフは、なんとか検査をしなければ、と躍起になることになる。患者の家や施設まで押し掛けていって血液検査をすることも珍しくない。

 クロザピンは日本では未発売である。15年以上も前(私が医者になる前です。)に治験がおこなわれたが、無顆粒球症による死亡例を受けて、打ち切られたと聞いている。ノヴァルティス・ファーマのホームページには、現在も「申請中」とある。(治験申請中なのか、承認申請中なのか、わかりません。)また、日本臨床精神神経薬理学会のクロザピン検討委員会が、クロザピンの早期導入に向けて、厚生労働省に働きかけているそうである。

 家庭医制度がなく、患者に医師や医療の場の選択権のある日本の医療保険制度のもと、どのように担当医師と調剤薬局を固定し、併用薬も合わせてモニターするかという点は、クリアしなくてはいけないであろう。

 さらに、患者情報および検査・調剤状況を一括管理するためのシステムの構築が必須であろう。おそらくノヴァルティス・ファーマがイギリスのCPMSやアメリカのClozaril National Registry (CNR)のようなデータベースをつくることになるのであろう。

 忘れてはいけないのは、クロザピンがものすごく高価であることである。NICEの指針によると、患者1人あたり1年間にかかる平均薬価は、定型抗精神病薬が70ポンド(今日のレートは1ポンド=209円)、クロザピン以外の非定型抗精神病薬が平均1,220ポンド(700-1,900ポンド)、クロザピンが2,990ポンドである。また、血液検査が1回20ポンドなので、初年度は検査だけで最低700ポンドかかる。この薬価をそのまま患者負担に反映させれば、高い薬価および検査費用ゆえに患者がクロザピンによる治療を望まないということも当然予想される。しかし、クロザピンによって治療抵抗性統合失調症の患者が軽快し、より費用のかかる入院治療を受けずにすみ、地域で自立した生活を続けることができれば、高い薬価・検査費用が相殺され、むしろ経済的であるとされる。長期的見地に立って、患者負担を抑える方策が必要と思われる。

 副作用はあるものの、早期発見のシステムはすでに世界各国で確立されているのだから、世界でも有数のすぐれた医療制度を誇る日本でも、さっさと導入すればいいと思うのだが、なかなかそうもいかないのであろうか。

Friday, April 14, 2006

Happy Easter

 今日からイースター(復活祭)の4連休である。太陽を求めて、230万人がイギリスから海外に脱出すると言われている。

 このイースター、毎年時期が異なる。3月21日(キリスト教上の春分点)後の最初の「キリスト教上の」満月(「キリスト教上の」 新月から14日目)のあとの最初の日曜日がイースターと決められている。「キリスト教上(ecclesiastical rules)」と断っているのは、キリスト教上の春分点や満月の定義が、天文学上の定義(astronomical system)と必ずしも一致しないからである。(もっと詳しく知りたい方は、こちらへ。)

 たとえば、1962年の天文学上の満月は3月21日の7時55分(標準時)で、天文学上の春分点の6時間後であった。ところが、キリスト教上の満月は3月20日で、キリスト教上の春分点である3月21日よりも前だった。そのため、イースターは次のキリスト教上の満月(4月18日)の次の日曜日、4月22日であった。

 ともあれ、キリスト教上の定義によれば、イースターは3月21日と4月25日の間の、どこかの日曜日になる。

 イースターの前後は、みんなが休暇を取る。私がロンドンに来た2000年は、イースターが4月23日だった。ロンドンに着いて落ち着く間もなくイースター休暇に入り、事務的な手続きや、仕事の打ち合わせがなかなか思うように進まなかったのを覚えている。また、日曜日や公的な休日は、バスや地下鉄の本数もがたんと減り、ほとんどのデパートやスーパーはお休みで、あまりすることもなく、退屈だった。

 その頃に比べれば、ここ2-3年は、イースターでもバスや地下鉄は週末ダイヤで動いているし、ほとんどのお店もレストランも開いているので、ずっと過ごしやすい。

 幸いなことに今年は、4連休中、お天気もよさそうなので、ハイド・パークに行って、今年のインラインスケート初滑りができそうで、楽しみにしている。

 休みのあとは、仕事が待っている。リハビリテーション部門のコンサルタント6人のうち、4人が休暇で丸々1週間留守なので、私と、もう一人のコンサルタントと2人で、リハビリテーション・サービス全部のカバーをすることになっている。やれやれ。

Thursday, April 13, 2006

コンサルタントは今日も電車に乗って

 私のチーム、PAMS(Placement Assessment and Management Service)は、約170人の患者を担当している。チームの名前からわかるように、全員が「placement(滞在型施設)」で暮らしている。placementには、施設の種類やケアのレベルによって何種類かに分けられるが、PAMSが担当しているのは、病院型の施設で長期の医療ケアを受けている患者と、スタッフが24時間常駐するレジデンシャル施設で社会的ケアを受けている患者である。あまり重くない犯罪歴があり、mediumまたはlow secureの司法病棟にいる患者も、数人いる。

 ランベス区は、このような滞在型施設にいる患者の数がイングランドで一番多い。ランベス区内にも施設はあるものの、数は足りず、区外の施設に頼らざるを得ない。ロンドンは地価も物価も高いため、施設は郊外、あるいはもっと離れた、カントリー・サイドに多くなる。

 170人の担当患者のうち、「ランベス区外」の施設にいる患者が、約70人強を占める。彼らのケアに関わる費用は、施設がどこにあろうと、ランベス区の社会福祉事務所、または、ランベス区をカバーするPrimary Care Trustが払っている(funding provider)。彼らの医療ケアは、入院している病院、または施設のある地域の精神医療チームが担当し、PAMSは、これらの施設や地域の医療チームによるケア、および、施設による社会的ケアが、患者の医学的・社会的ニードを満たしているかをモニターする役目を担っている。

 遠隔地の施設に長期的に滞在してケアを受けなくてはならないような、慢性かつ重度の精神疾患のある患者のケアの場合、、半年に一度、患者に関わる担当者が一同に会し、CPA (Care Programmed Approach) meetingと呼ばれる、患者の治療の進み具合を振り返り、ケア・プランを見直すミーティングを開く必要がある。医療を担当しているチームが主催し、私たちはfunding providerの代表として参加する。

 医療ケアを担当しているのではないため、必ずしも医師が出席する必要はなく、通常は、チーム内の担当者(看護師、ソーシャル・ワーカーまたは作業療法士)が出席することが多い。

 しかし、私は、PAMSの初年度の優先事項として、ランベス区外のすべてのCPA meetingに、担当者と医師1人がペアで出席するという方針をたてた。そのほうが、患者のケアの全体像をつかみ、今後の方針を立てるのに役に立つと考えてのことである。

 医師1人とはいっても、全部で2人しかいない。私以外のスタッフ・グレートの同僚には、ランベス区内にいる患者に関する仕事に時間を割いてほしいので、いきおい、私が遠距離のCPA meetingに行くことが多くなる。3月半ばより、私は毎週1回のペースで、日帰りの小旅行をしている。

 今日は、北イングランドの都市NewcastleからEdinburghの方にある、Morpethという街まで出かけてきた。スタッフ2人が往復7時間かけて、1時間のCPA meetingに参加する。不経済と言えないこともないが、現状の施設の供給事情からすると、いたしかたない。

 そんなわけで、窓からのどかなイングランドの田舎の風景を眺めながら、電車に揺られるのが、私の仕事の一部となっている。

Wednesday, April 12, 2006

SLaM、おまえもか

 3月25日の記事に書いたNHSの人員削減は、4月12日の時点で7000人を超えたそうである。

 ブレア首相は12日に、赤字額の多いNHSトラストのトップを官邸に集め、 Breakfast seminarを開いた。この席でトップたちは、患者を日帰り患者として治療し、午前中のうちに退院させることで患者の滞在費を削減したとか、歩ける患者はストレッチャーに載せずに手術室まで歩いていってもらうことで、ストレッチャーの移動にかかるポーターの人件費を大幅に減らした等の、コスト削減策を披露したと報道されている。

 さて、4月6日より新しい会計年度に入った。今年度は、6年間の予定のNHS改革の5年目で、年率7%程度の予算増額が織り込み済みである。拡充した予算は、6つの重点分野に分配される。

  • 2010年までに、医療の地域格差を10%削減する
  • がん患者に対して、数的目標に沿ってより迅速な治療を提供する
  • 家庭医が紹介してから病院で治療を受けるまでの待機期間を2008年までに18週以下にする
  • MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)感染を毎年減少させる
  • 病院での診療予約に際し、どの患者も最低4つの予約時間の選択肢を与えられる
  • sexual health clinicへのアクセスを改善させる
 これらの重点分野以外は、予算の現状維持はおろか、削減も覚悟しなくてはならない。なかでも、公衆衛生、精神保健医療、社会福祉の分野は、苦労するのではないかと言われている。

 さて、私の所属するSLaMランベス区にも、コスト削減の波がついにやってきた。中長期的なコスト削減策は、これまでにも少しずつ動いていたが、直接ベッドが減らされたり、人員が削減されたりすることはなかった。むしろ逆で、Lambeth 10-Year Reviewの結果、ふたつの新しいチームが導入されていた。

 今日、ジェネラル・マネージャーが、予定されていた入院を数件凍結すると通達した。対象となったのは、女性専用の治療共同体型施設のDove Houseと、入院型リハビリ施設のHopton Roadである。今回の入院凍結の先には、施設のベッド数削減、または施設閉鎖の計画がちらほら透けて見える。

 どちらの施設も、急性期病等のように、なくなってすぐに日々の臨床に支障を来すような病棟ではないが、地域精神医療の治療の場や、治療方法に幅を持たせ、既存の治療システムのギャップを埋める性質の施設である。Dove Houseなど、オープンしてからまだ2年しかたっていない。

 中長期的なコスト削減策も着々と進行中である。SLaMランベス区は、総合病院であるSt Thomas病院の一角をリースして、2つの精神科病棟と、精神科外来を開いている。リース代をカットし、スタッフを効率よく回転させるため、1-2年のうちにこれらの外来・病棟を閉鎖し、精神科のみのランベス病院の敷地内へ移すという計画がある。あるコンサルタントは、半世紀かけてようやく精神科外来・病棟を一般病院に移すことに成功したのに、10年後にまた精神科単科施設に逆戻りする、と嘆いていた。

 医療スタッフの気持ちを逆なでするような話である。

Thursday, April 06, 2006

Doctors for Reform

 4月3日、Doctors for Reformという、NHSに籍を置く医師たちのグループが、「NHSは、現行の税金のみですべて賄う制度では、いずれ維持できなくなる。ドイツやフランスが採用している、社会保険制度も含め、他の財源の導入も検討するべきである。」とする、三大政党(労働党、保守党、自由民主党)あての公開書簡を発表した。

 この公開書簡によると、NHS自体、50年以上も前に作られたもので、近年の医学の急速な進歩と、それに伴うコストの増加には、同様の制度のままでは対応しきれない、進歩に伴い患者の医療に対する期待度も高まるが、現行制度のままでは到底その期待に応えることはできない、と述べている。また、いまやイギリスの医療制度への支出額はヨーロッパの平均支出額を上回ったが、医療レベルはまだまだヨーロッパの「先進国」に遠く及ばないとし、いくつかの例を挙げ、制度の見直しを求めている。

 これに対し、ヒューイット厚生大臣はすぐに翌日のガーディアン紙にて反論した。"Our NHS will remain tax-funded"と題した短い手紙の中で、これまでの改革で、医療スタッフの数も増え、待機時間も減り、云々の従来の主張を繰り返し、政府としては現行の税金による制度を変えるつもりはまったくない、と結んでいる。しかし、この反論、公開書簡で批判されている、イギリスの医療レベルの低さに関しては、まったくコメントしていない。また、"…, our tax-funded system, where care is free to all at the point of delivery, remains the envy of much of the world.(我々の、すべての医療を無料で供給する、税金による(NHS)制度は、世界でも依然として羨望の的である。) "という一文には、失礼ながら、笑ってしまった。

 さて、このDoctors for Reformというグループは、約900人のNHSで働く医師から構成され、政党の議員候補者であったり、医学会の役付きであったりという、大物も含まれている。三大政党いずれの支持者も含まれ、各政党の方針には影響されていないと宣言している。BBCによると、Doctors for Reformは中道右派に色付けられているようである。

 彼らの公開書簡は、ガーディアン紙やBBCなどのいくつかのメディアには取り上げられたものの、あまり盛り上がらなかった。政府は、直後に反論したあとは無視を決め込み、他の政党やBritish Medical Associationも、現行の税金による制度を支持するというコメントを出した。

 NHSの制度がお粗末で、イギリス国民が先進国並の医療を受けられないのは、外国人医師、とくにドイツやフランス(そしてもちろん日本!)から来た医師の目には明らかである。ただ、その原因が、税金で運営されているためで、社会保険制度を導入すれは改善できるという主張には、疑問符がつく。

 それでも、このところ、ブレア首相やヒューイット厚相が「マントラ」のように唱える、NHS礼賛や、「故意に選択された」改善例の羅列にはうんざりしてたので、こういった医学会内部からの、異なる視点によって立つ主張は新鮮で、これからどうなっていくのか、興味深い。

Saturday, April 01, 2006

1周年

 2005年4月1日にSt Thomas' Hospitalのリエゾン精神科で仕事を始めてから、今日で丸1年経った。

 この1年間は私にとって激動の年だった。危うく失業しそうになり、SLaM Lambeth Directorateの臨床部長に「仕事したいんですけど」とe-mailを送ったのが2005年2月。資格の上では、すでにGeneral Medical Councilに専門医登録していたので、コンサルタントとして働けたわけだが、なにせ、それまでのイギリスでの臨床経験といったら、てんかん外来とメモリー・クリニックに、それぞれ週1回ずつ出ていただけ。Mental Health Act(日本の精神保健福祉法にあたる法律。)も知らず、地域精神医療の知識も経験もない。そんな人間を雇うわけはない。

 ところが、臨床部長のAnneは、私に仕事をくれた。それが、冒頭のリエゾン精神科のスタッフ・グレードの仕事であった。リエゾン精神科のコンサルタントのポストはしばらく空席で、ローカム(正職員が決まるまでのつなぎのポスト。)のコンサルタントがつないでいた。3月に正規のコンサルタントの面接があり、あろうことか、その時ローカムとしてすでに4ヶ月も仕事をしていたコンサルタントが選に漏れてしまった。彼にしてみれば当然面白くない。面接の1週間後に、さっさと新しいポストを見つけて、辞めてしまった。選任された新しいコンサルタントは、彼の現在の職場の都合上、2ヶ月先まで着任できない。そこで、Anneは、当時のSpecialist Registrar (SpR, シニアの研修医)をローカム・コンサルタントに格上げし、私をローカムのSpRにもってきて、その場をしのぐことにしたのだ。

 事情がどうであれ、私はありがたくその仕事をもらった。これは、初めての臨床の仕事としては、ひじょうに恵まれた条件だった。まず、私はずっとSt Thomas' Hospitalで研究の仕事をしていたので、ある程度の「土地勘」があった。地域精神医療ではなく病院内での仕事なので、日本でやってきたことをそのまま応用できた。また、同僚も、これが私の初めての仕事だと知っていたので、親切に一から教えてくれた。

 6月、私はLambeth South East Sector Teamに移った。そのチームのSpRが、予定より3ヶ月早くSpRローテーションを抜けたために、穴埋めが必要になったからであった。これは、私の初めての地域精神医療の仕事となった。幸いなことに、そのチームは、その後私が移った他のチームと違い、6-7年もずっと同じチームで仕事をしている、経験のあるコンサルタントが核になり、きちんと運営されていた。仕事の内容も、23床の男子急性期閉鎖病棟での仕事が週に2セッション、外来が3セッション、チームと一緒の仕事が4セッションと、地域医療と病棟と両方の経験が得られる、一粒で二度おいしいポストだった。コンサルタントから、毎週1時間、1対1で指導も受けられた。

 9月に入り、私は先のことを真剣に考えるようになっていた。少し仕事に慣れたこともあり、そろそろステップ・アップも視野に入れなければと思っていた。また、ランベスの正規のコンサルタントのポストはほとんど埋まり、この先数年間は、ランベスでポストを得るのは難しくなりそうだった。最後に残っていたのがPAMS(Placement Assessment & Management Team)のコンサルタントのポスト。もうコンサルタントとして働けるという自信と、まだ未熟であるという不安とが半々だったが、半ば見切り発車的に、私は、PAMSのコンサルタントに応募することに決めた。

 9月の半ばに私がコンサルタントになりたいと言った時、Anneはちょっと驚いたようだった。予定よりも早いと思ったのだろう。また、彼女の都合としては、9月の予定だった組織改編が12月にずれこみ、その先3ヶ月間、現行のサービスを続けなければならず、スタッフ・グレードやSpRの穴埋め役として、私を当てにしていたようなので、ちょっと困ったようであった。しかしそこは、政治家の彼女のこと。どこをどういじったのかわからないが、10月の1ヶ月だけ次のチームでスタッフ・グレードとして仕事をしたあと、組織改編までの間、ローカム・コンサルタントとして仕事ができるように手配してくれた。

 10月、Lambeth North East Sector Assessment & Treatment Team(A&T)に移り、1ヶ月働いた。これは本当につなぎの仕事だった。このチームは、Lambeth 10-Year Reviewによる組織改編の結果、消滅する運命だったが、改編が9月から12月に延期されたため、チームそのものも存続していた。おまけに、当初、9月で消滅するはずだったので、それまでのローカム・コンサルタントとの契約も9月までで切れてしまい、10月からは、組織改編後のチームに着任するはずだった、新任のコンサルタントが、組織改編までのつなぎに当てられた。つまり、コンサルタントも、スタッフ・グレードも、チームにとっては新人だったわけである。

 A&Tは、主にGPから精神科への紹介患者をみるのが役割だった。そのため、患者の抱える問題も、不安・抑うつから、統合失調症の初期、薬物依存、不法滞在者の急性不安・精神病反応、犯罪者の偽精神病状態と、実に多彩であった。さらに、チームの担当地域がブリクストン近辺なので、患者やその家族の背景も複雑で、たいていが家族にまつわる問題を抱えていた。チームには、ブリクストンで仕事をして20年にもなる古株の看護師たちがいて、新米の医師が采配を振るう場面はほとんどなく、自分の予約表に組み込まれた患者を診るだけの日が続いた。1ヶ月とわかっていたからなんとか我慢できたようなものである。

 10月31日、私はLambeth North West Sector Case Management Team(CMT)のローカム・コンサルタントになった。この時点では、組織改編は12月5日に予定されていたので、ここも約1ヶ月の予定であった。PAMSのポストの面接は11月半ば。12月以降の予定はまったく立たぬまま、コンサルタントと呼ばれることに気恥ずかしさを感じつつ、仕事を始めた。

 CMTの対象となるのは、慢性期・難治の統合失調症や躁鬱病で、かつ精神疾患以外の社会的問題を抱えている患者たちだった。チーム自体は、やや強迫的なチーム・リーダーのおかげでなんとか機能していたが、数人の「問題のある」スタッフと、はちゃめちゃなライフ・スタイルを送る患者たちのおかげで、私はよく振り回された。いっぽうで、数人のとても優秀なスタッフがいたので、彼らに励まされたり、刺激されたりして、仕事の重圧や12月以降の仕事の不安を抱えながらも、なんとか仕事をこなすことができた。

 その後、組織改編はさらに1月9日に延期され、最終的に1月23日にようやく実施された。面接の結果、コンサルタントのポストを手に入れ、1月1日からは、ローカムから正規の身分に格上げされて、23日にから、晴れて、PAMSのコンサルタントになった。

 振り返ってみると、行き当たりばったりだったとはいえ、今の仕事に就くまでの8ヶ月、実にバランスよく、精神科病棟、急性期および慢性期患者の精神地域医療、一般病院でのリエゾン精神科と、ひととおりの仕事をした。チームを移るたびに、新しいことを速攻で覚えなければならず、イギリスの研修医たちが数年かけて覚えることを、ずっと短期間のうちに、ざっとなぞったようなものである。いってみれば、コンサルタント速成課程を修了したというところであろうか。

 Anneが、去年の2月の時点で、こうなることを念頭においていたとはとても思えないが、機会を与え続けてくれたことに対して、彼女にはとても感謝している。

 コンサルタントは、臨床・管理上の責任が重く、心理的重圧もずっと重い。それでも、このポストに就いてようやく自分のチーム、またはランベスの精神医療の全体像が見えるようになってきた。いまのところ、学習曲線は急な右肩あがりを保っており、スタッフ・グレードとして仕事をしていた時よりも、ずっと興味深く、楽しい。2周年目指して、このまま突っ走りたいものである。

 そういえば、仕事を始めたばかりの頃、日本の某先生から、「会津(私は会津若松市の出身です。)から外国に行って診療に携わるのは、野口英世がメキシコ・ガーナに行って以来ではないか。」と言われたのを思い出した。私も、遠い将来、お札になれるだろうか。