Wednesday, April 19, 2006

クロザピン

 PAMSは、今週からようやく自前のクロザピン・クリニックとデポ・クリニックを始めた。チームが立ち上がった1月23日から約3ヶ月。これまでは、クロザピン・クリニックは、他のチームのクリニックに丸ごとおまかせしており、デポ・クリニックは、南西チームに間借りして、PAMSの看護師が出張してクリニックを開いていた。PAMSの引っ越し騒ぎはまだ収拾がつかず、クリニック用の部屋ははまだ改装されていないのだが、自分たちで壁に固定された棚を外し、掃除をして、とりあえず患者さんが入っても大丈夫な部屋にして、クリニックを始めた。それまで他のチームに間借りして、肩身の狭い思いをしていた看護師たちは、とても嬉しそうであった。

 地域精神医療チームと、精神科病院の外来の多くは、看護師が中心になってクロザピン・クリニックを運営している。クロザピンは、「No blood, no tablets(血液検査の結果がなければ薬は出せない)」の方針で処方・調剤がおこなわれているため、クリニックは、定期的な血液検査、患者のモニター、処方・調剤を効率的に、もれなくおこなうためのシステムの一部である。

 クロザピンは非定型抗精神病薬のひとつで、治療抵抗性統合失調症とパーキンソン病に伴う精神病状態にかぎって使用が認められている。イギリスでは1990年に臨床使用が認可され、ノヴァルティス社がクロザリルの商品名で発売している。

 ヨーロッパでクロザピンが初めて導入されたのは1975年であったが、副作用の無顆粒球症と二次性感染のために死亡例が続き、使用が中止された。しかし、1980年代後半になって、クロザピンが治療抵抗性統合失調症に有効であることが報告され(Kane et al, 1998)、また、定期的な血球数のモニター下で使用すれば、無顆粒球症の頻度を抑制できることもわかり、市場に再導入された。

 2002年6月に発表されたNational Institute for Clinical Excellence (NICE)による「統合失調症治療における非定型抗精神病薬に関する指針」によると、2種類の抗精神病薬(うち1種類は非定型抗精神病薬)をそれぞれ6-8週間、十分量で用いて治療しても有意な治療効果がみられない場合、治療抵抗性統合失調症(Treatment Resistant Schizophrenia, TRS)と定義し、その場合、できるだけ早期にクロザピンを導入するよう提言している。この提言は、2006年1月に改訂されたNICEの「統合失調症の治療およびマネジメントの総合的指針」でも、ほぼそのまま用いられている。

 イギリスでのクロザリルのシステムをざっと紹介しよう。

 クロザリルを使うためには、病院または地域精神保健医療チーム(Centre)、処方する医師(prescribing medical officer)および調剤する薬剤師(dispensing pharmacist)が、ノヴァルティス社の運営するClozapine Patient Monitoring Service (CPMS)に登録されている必要がある。この場合の医師は精神科コンサルタント、薬剤師は、病院内の薬局に勤務する薬剤師である。家庭医や地域の薬局は、クロザリルを長期服用している患者で、血液検査が4週間隔であり、精神症状が落ち着いている場合にかぎって、精神科コンサルタントとの合意の上で処方・調剤できるが、例外的なようである。

 治療抵抗性統合失調症の患者で、服薬および血液検査のスケジュールを遵守できる場合、クロザピンによる治療を考慮する。

 まず、患者の血液検査をおこなう。必須項目は、分画を含めた血球数だけである。白血球数 >3.5 x 109/Lまたは顆粒球数 >2.0 x 109/Lであれば「green」、白血球数 <3.0 x 109/Lまたは顆粒球数 <1.5 x 109/Lであれば「red」、その間が「amber」である。血球数がgreen領域にないかぎり、クロザピンを開始できない。

 血球数以外のベースライン検査としては、肝機能、脂質、血糖値、HbA1c、および、体重、血圧、心電図をチェックするよう奨められている。

 血液検査がgreenであった場合、患者をCPMSに登録する。すぐにCMPS登録番号が割り振られ、患者のクロザリル・フォルダー(赤いので、red folderと呼ばれている。)が送られてくる。red folderの中には、血液検査の検体に用いる、患者の名前と登録番号、バーコードのついたシールや、患者や医療者への情報パンフレット、血液検査の結果を保存する台紙などが入っている。このファイルは、通常クリニックルームに保管される。

 患者を登録し、greenの血液検査の日から10日以内に治療を開始しなくてはいけない。治療初期量(12.5mg/日)から治療維持量(平均450mg/日)まで増量するのに、通常3-4週間かかる。この間、1日2回の観察(血圧、全身状態)をしながら増量する必要がある。ランベス区では、外来患者の場合、Home Treatment Teamが毎日患者を訪問し、維持量に達するまでの間、服薬を指導し、観察をおこなう。

 なんらかの事情で48時間以上服薬間隔があいた場合、維持量をそのまま再開することはできず、初期量にもどって、徐々に維持量まで増量しなければならない。

 治療開始後18週間は、毎週1回の血球数測定が義務づけられている。CPMSが採血用キットを送ってくれるので、チューブに1本採血するだけである。。採血したチューブは、キットに含まれているプラスティックのボトルに入れ、パッド入りの紙の封筒に入れて封をした上で、プラスチックの封筒に入れて、そのまま郵便ポストに投函するだけである。

 通常、発送した翌日にはCPMSに検体が届き、すぐに検査にまわされる。結果は当該の薬局に通知され、greenの場合は問題なく、次回分のクロザピンが最長4週間分まで許可される。amberの場合、処方・調剤は続けられるが、血球数がgreen領域に戻るまで、週2回の血液検査が必要である。redの場合は、即、服薬の中止が必要となる。クロザリル服用中にredとなった患者は、Central Non Re-challenge Database (CNRD)に登録され、以後、二度とクロザリルを服用することはできない。

 維持量に達し、血液検査がずっとgreenであれば、18週以後は、血液検査の頻度は2週に1度に減り、52週以降は4週に1度になる。

 血液検査の結果が予定日を過ぎてもCPMSに届かないと、CPMSから「○日まで(猶予期間は患者の血液検査の頻度によって異なる。)に血液検査の結果が届かないかぎり、クロザリルを提供できない。」という通知が、担当の精神科コンサルタントと薬局にFaxで届く。この期限以内にCPMSに検査結果が届かないと、患者は「クロザリル禁止(Clozaril Prohibited)」に分類され、クロザリルの供給が中止される。

 このように、とにかく血液検査のスケジュールを守らなくてはいけないので、患者が予定の検査日に来てくれないと、医療スタッフは、なんとか検査をしなければ、と躍起になることになる。患者の家や施設まで押し掛けていって血液検査をすることも珍しくない。

 クロザピンは日本では未発売である。15年以上も前(私が医者になる前です。)に治験がおこなわれたが、無顆粒球症による死亡例を受けて、打ち切られたと聞いている。ノヴァルティス・ファーマのホームページには、現在も「申請中」とある。(治験申請中なのか、承認申請中なのか、わかりません。)また、日本臨床精神神経薬理学会のクロザピン検討委員会が、クロザピンの早期導入に向けて、厚生労働省に働きかけているそうである。

 家庭医制度がなく、患者に医師や医療の場の選択権のある日本の医療保険制度のもと、どのように担当医師と調剤薬局を固定し、併用薬も合わせてモニターするかという点は、クリアしなくてはいけないであろう。

 さらに、患者情報および検査・調剤状況を一括管理するためのシステムの構築が必須であろう。おそらくノヴァルティス・ファーマがイギリスのCPMSやアメリカのClozaril National Registry (CNR)のようなデータベースをつくることになるのであろう。

 忘れてはいけないのは、クロザピンがものすごく高価であることである。NICEの指針によると、患者1人あたり1年間にかかる平均薬価は、定型抗精神病薬が70ポンド(今日のレートは1ポンド=209円)、クロザピン以外の非定型抗精神病薬が平均1,220ポンド(700-1,900ポンド)、クロザピンが2,990ポンドである。また、血液検査が1回20ポンドなので、初年度は検査だけで最低700ポンドかかる。この薬価をそのまま患者負担に反映させれば、高い薬価および検査費用ゆえに患者がクロザピンによる治療を望まないということも当然予想される。しかし、クロザピンによって治療抵抗性統合失調症の患者が軽快し、より費用のかかる入院治療を受けずにすみ、地域で自立した生活を続けることができれば、高い薬価・検査費用が相殺され、むしろ経済的であるとされる。長期的見地に立って、患者負担を抑える方策が必要と思われる。

 副作用はあるものの、早期発見のシステムはすでに世界各国で確立されているのだから、世界でも有数のすぐれた医療制度を誇る日本でも、さっさと導入すればいいと思うのだが、なかなかそうもいかないのであろうか。

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