Friday, April 21, 2006

実力行使

 臨界点はある夜突然やってきた。昨夜、布団の中でなかなか寝つけずにいたとき、突然、もうこれ以上我慢できないという気持ちが、ほんとうに唐突にわき起こったのだ。

 私のオフィスのことである。2月27日に今のチームベースに引っ越してから2ヶ月もたとうというのに、私のオフィスはいまだに片付いていなかった。いくつかのこわれた本棚や机は運び出してもらったが、いまだに6つのファイルキャビネットが、入り口と私の机の間に壁のように立ちふさがっていた。また、カルテの入った段ボールの箱が約20箱、入り口に積んであった。電気のスイッチのすぐ上の、天井からの水漏れはいまだにそのままで、オフィスの電気は使えない。

 もちろん、2ヶ月間、私が何もせずにいたわけではない。チームが担当する患者のカルテは、全部自分たちで片付けた。チームのマネージャーや、リハビリ部門のマネージャーに、何度も修理や家具の移動を頼んだ。カルテの箱の責任者のマネージャーCにも、やんわりと、なんとかしてほしいと申し入れた。みんな、申し訳なさそうな顔をしたり、慰め合ったりはするものの、それで終わりで、なんの解決にもならなかった。

 本来、オフィスやチーム・ルームのある建物全体を管理するのは、Centre Coordinatorと呼ばれる人の役目なのだが、うちの建物にはまだこのポストがない。そのため、秘書さんたちを管理・指導するビジネスマネージャーVが、当面、この役を担うはずだった。ところが、彼女はどこで何をしているやら、ちっとも顔を見せず、たまに顔を出すと、仲のいい秘書さんとおしゃべりしているだけであった。一度、水漏れの修理の手配を頼んだら、私が自分で担当者にメールを送るようにいわれ、それ以来、あきれて頼むこともやめてしまっていた。彼女の上司には、苦情を申し立ててはおいたが。

 問題は、私の親切心にもあった。カルテの箱は、私や私のチームには何の関係もない。カルテをすべて電子化するための最初の段階として、臨時の職員が、患者名とカルテの種類・数を照合し、記録する作業をしている。部屋もコンピュータもないまま、あいているコンピュータを求めて、あちこちの部屋で仕事をしていた彼を見かねて、私が「1週間ほどのつもりで」救いの手を差し伸べてしまったのがはじまりであった。本来ならば、マネージャーCが、彼のためのデスクやコンピュータ、箱の保存場所を手配するべきなのだが、いったん保存場所を確保したら、ちっとも動かない。

 ともあれ、もう2ヶ月経った。このオフィスには、もう、我慢できない。このままでは、出勤拒否症になってしまう。自分で解決するしかない。

 今朝、職場に着くなり、私は実力行使に出た。まず、6つのファイルキャビネットのうち4つを、同僚に手伝ってもらって、部屋の外に運び出した。私のオフィスは2階にあって、とても下まで運べないので、しかたなく、階段に一番近い、秘書室の前に置いた。建物の安全責任者が見たら渋い顔をするだろうけと、幸か不幸か、この建物にはまだ安全責任者もいないし、建物の安全評価もされていないのだから、大丈夫。(だいたい、安全責任者がいたら、オフィスの水漏れをそのままにはしておかないだろう。)

 カルテの箱は、改装したあとで、新しいマネージャーのオフィスになる予定の部屋に全部移した。この部屋は、持ち主が決まっているとはいえ、改装しないかぎり物置同然の部屋なので、いまさら箱が多少増えても、たいした影響はない。

 いらないものを全部出して、残った家具を移動し、ようやく私のオフィスは、まだまだ殺風景ながらも、オフィスらしくなった。もやもやしていた気分も、嘘のように晴れた。

 一息ついた後、「今日、私のオフィスを少し片付けました。不要の家具は秘書室の前に置いて、カルテの箱は使われていない部屋に移しました。当面、誰の仕事にも影響しないと思います。」というメールを、関係するすべての人あてに送った。

 そうしたら、すぐに、ビジネスマネージャーVと、マネージャーCから返事がきた。Vは、月曜日に様子を見に来るそうである。キャビネットが不要ならば、移動の手配も考えると言っていた。Cは、たぶんあと2週間くらいで、臨時職員の作業が終わるだろう、自分は、どうせあと2週間なんだから、箱は廊下に置いておけばいいと言っていたんだ、などと言い訳していた。もし、作業が終わる前に改装工事が始まったら、箱の保存場所を探すのは彼の役目である。

 私の実力行使は、それ以外の人たちからは賞賛された。私の同僚は、私のオフィスがようやく落ち着いたことを喜んでくれた。とくに彼らは、普段からビジネスマネージャーVの無責任さを不快に思っているので、私がキャビネットで、「彼女の」秘書室の入り口と、その前に置いてある「彼女の」棚を塞いだことに、拍手喝采していた。(自己弁護するなら、私は他に置き場所がないからそうしただけで、決してわざとしたわけではないのだが。)

 誰も、他の人の部屋に物を勝手に動かしたり、廊下にキャビネットを放置したなどと言って、私を責めたりしなかった。あるマネージャーからは、我慢しすぎだ、もっと早くそうするべきだったのにと言われた。後ろ指さされるのを覚悟での実力行使であったが、みんなに賞賛されて、やや気合い抜けした。

 無責任さが「英国式」であると言うわけではない。イギリスにだって、ちゃんと責任を持って仕事をしている人たちはいるし、「困った時にはお互い様」という感覚もある。ちょっと親切が倍になって返ってくることも、もちろんある。ただ、一般的に、こちらの人は日本人ほど他人の目を気にしないので、無責任な人が無責任なままでのさばっていられる、という面は大いにある。そんな人でも、いったんことが自分の身に及べば、何かせざるを得なくなる。相手がどちらのタイプか見極めて、無責任な人の場合は、親切は徒になるだけ、実力行使が唯一の解決手段と心得ることが、精神衛生上よさそうである。

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