義務を忘れたジャーナリストたち
完全に乗り遅れてしまったが、遅まきながら私も、産経新聞社に8月31日付けの社説「妊婦たらい回し また義務忘れた医師たち」に関して、新聞社に抗議メールを送った。まったくひねりも何もないストレートな抗議文しか書けないのはお恥ずかしいかぎりだが、抗議の声はひとつでも多いほうがいいでしょうということで、お許しいただきたい。
あちこちのブログのコメント欄を見るかぎり、かなりの数の抗議メールが届いているはずだが、それらが日の目を見る可能性はあるのだろうか。紙の媒体に投書をした方はいらっしゃるのだろうか。
以前「対話するマスコミ1」という記事に書いたが、イギリスの新聞は、Web版に直接コメントを書き込める。新聞社に批判的なコメントでも、新聞社側に握りつぶされることなく、一般の読者の目に触れることになる。初めはWeb版だけの小さな記事であっても、読者からの反応が多くなると、Web版での見出しが上になったり 、紙媒体、あるいは日曜版に掲載されたりする。
日本の新聞報道のように、新聞社側が一方的な記事の垂れ流しを続け、記事の内容に検証を迫る方法が脆弱な状況が、いつまでも放置されていいはずがない。
以下、私の抗議メールを載せておく。
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産経新聞社論説委員室御中
貴社の8月31日付けの主張「妊婦たらい回し また義務忘れた医師たち」を拝読し、その内容に強く疑問を感じました。
「義務忘れた医師」とありますが、貴社は、救急隊から問い合わせのあった病院が、患者を受け入れなかったことを指して、医師が義務を果たさなかったと指弾されているのでしょうか。報道によれば、患者を受け入れられなかった9病院は、当直医が患者の処置中であったり満床であるといった、受け入れられる体制が整えられないことを理由に挙げています。治療環境が不十分であっても、とりあえず患者を受け入れるべきだったというのであれば、病棟・救急で働いていた医師たちに対して、無責任きわまりない、間違った非難です。医師個人または病院のキャパシティを超えてまで患者を引き受けることこそ、医師の義務を果たさないことになります。
また、「たらい回し」という言葉の使い方も、不適切です。たらい回しというのは、みずからの責任を果たすことなく、他に仕事を押し付けるという意味だと思います。病院が、正当な理由をもとに患者を受け入れないと返答することは、たらい回しにはあたりません。日本語を使うプロであるジャーナリストが「たらい回し」の意味を誤って使ったとすれば、嘆かわしいことです。意味を十分理解した上であえて使ったとすれば、事実誤認をしたか、あるいは、あえて事実を歪曲して伝えようとしているのかと、考えざるを得ません。
論説中にもあるように、今回の一件は、日本の医療、とくに産科・小児科をめぐる医療環境に「抜本的対策」が必要であることを示すひとつの例です。そのために一番必要とされているのは、周産期医療のネットワークの整備、医師不足対策などといった、行政の責任ある行動です。また、国民ひとりひとりが、医療制度を適切に利用するよう心がけることも必要です。個々の事例によっては、医師の責任が問われることも出てくるでしょう。しかし、今回の件に関しては、行政側・利用者側の責任についての問題点はあげられるものの、医師の責任・義務が疑問視されるような事情はまったく見られないと思われます。全体像をきちんと描写することなく、不幸な一例を即座に医師の責任に結びつけるという論説は、「社説」として世に出すには、お粗末だと言わざるを得ません。
この一件は、第一報とその後の報道との間に、何度も事実関係が訂正されたようです。「たらい回し」をしたと報道された病院のひとつである奈良県立医大病院が、当日の産婦人科の当直日誌を公開するなど、初期報道に反応して、新たな事実も出てきています。貴社がそれらの事実を再検証された上で、論説の内容について再度吟味され、訂正されるよう望みます。それが、公器である新聞社、その顔である社説を担当する論説委員の義務であろうと考えます。
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