One year on
あれから1年が経った。
昨年の7月7日、私は国際神経心理学会のため、ダブリンにいた。前日の夜の飛行機で着き、トリニティ・カレッジの学生寮に泊まっていた。シングルベッドと机とユニット・バスしかない、小さな部屋だった。
7日は、午後に口頭発表があったので、午前中は部屋にこもり、スライドの手直しや発表の練習をして過ごした。部屋には当然テレビも新聞もなく、テロのニュースなど、まったく知らなかった。
お昼近くになってようやく、学会場のホテルに出かけた。ホテルの入り口のすぐ右手に、大きなパブ・レストランがあり、大小さまざまのスクリーンがたくさんあった。何やら騒がしく、人が集まっているのに誘われて入ってみると、全部のスクリーンで、ケーブルTVのスカイ・ニュースを流していた。まだ事件の全貌が明らかになる前で、ニュースも断片的で、ロンドンの数カ所で爆発があったこと以外、よくわからなかった。
ロンドンの友人に携帯から電話をかけると、すぐにつながった。いくつかの地下鉄とバスでほぼ同時刻に爆発があり、テロによるものらしいが、情報が錯綜しており、爆発の数も場所もはっきりしないと言う。
この時点で、私は、大変なことに思いいたった。日本にいる両親に、ダブリンに来ることを伝えていない!ほんの数日のことだし、ロンドンからダブリンなんて国内旅行に毛の生えたようなものなので、出発前の忙しさにかまけて、連絡するのを忘れていたのだ。
あわてて携帯から直接国際電話をした。母は、夜7時のニュースで一報を知り、携帯がつながらないと聞き、私あてに無事かどうかを尋ねるメールを送り、コンピュータの前で返事が来るのをいまかいまかと待っていたという。なんて親不孝な娘だろう。
ダブリンにいる間、私はいささか興奮気味で、また、無事にイギリスに入国できるかどうか、心配したりもしていた。しかし、学会に来ていたロンドンからの知り合いたちはみな、普段とあまり変わらず、たぶん大丈夫だよ、と落ち着いていた。
実際、3日後の7月10日にロンドンのガトウィック空港に着いたときは、セキュリティも普段どおりで、何の問題もなく入国できた。電車も地下鉄もバスも、爆発のために不通になった一部区間をのぞいて通常に運行されていて、いささか気が抜けた。
幸いなことに、私の直接の知り合いは、誰も爆発に巻き込まれなかった。しかし、知り合いの知り合いまで範囲を広げると、巻き込まれて亡くなった人や、重傷をおって後遺症が残った人がいる。
「We are not afraid」のもと、ロンドンはすぐに平常心を取り戻し、少なくとも一般市民のレベルでは、パニックはいっさい起こらなかった。イスラム教の信者に対する嫌がらせは、初めの時期に多少増えたものの、以後は、テロリストとイスラム教信者とは別という姿勢は守られている。(もっとも、普段からいろいろな組み合わせの人種間の緊張による衝突は絶えないのであるが。)公共の交通機関を使うのを控えた人もいたが、私も含め、ほとんどの人が、前と変わらず地下鉄やバスを利用していた。
この、ロンドン市民たちの冷静さは、外国人である私にとっては、かなり不思議に映り、イギリスはIRAなどでテロには慣れているからかしらなどと、思ったりした。タブロイド紙は、センセーショナルな写真を使った特集を繰り返したが、しばらくすると、いつの間にか消えていった。知り合いの日本料理屋の店主は、日本の雑誌のほうがよっぽどテロ関連の情報にあふれていると言っていた。
それでも、それまで潜在的な危機感でしかなかったテロの脅威は、はっきりと目に見えるものになった。1年前と比べると、街をパトロールする警察官の数が驚くほどに増えた。そんなに宣伝はされないものの、セキュリティ・アラームは準危険域くらいのレベル2に時々上がるらしい。警察は時に過剰反応し、テロとはまったく無関係のブラジル人を間違って射殺したりした。私の身近なところでは、レベル2のせいで警察官がセキュリティに手を取られるらしく(あるいは、警察のいいわけなのかもしれないが)、強制入院のための訪問診察(Mental Health Act Assessment)のために警察官を派遣してもらうのが以前より難しくなっており、警察が直前にドタキャンをして、診察を中止せざるをえないことが時々あるようになった。
たまたま今年も、私は7月2日から学会のためにロンドンを離れており、7日の夜に帰国して、ヒースロー空港から自宅まで、地下鉄に乗った。
地下鉄は、いつもとかわらず、雑多な人種や外見、さまざまな言葉を話す人が乗っていた。レスター・スクエアに着くと、おしゃれをしてパーティや観劇に繰り出した人で、混み合っていた。いつもとかわらないロンドンの金曜の夜の風景である。
私は家に着いて、インターネットでニュース記事を読み、いくつかの1周年に関する記事に胸が熱くなったり、涙がこぼれそうになったりしながら、私なりに追悼の意を表した。
1周年の記念日は、哀しみに包まれながらも、平和なうちに過ぎていった。ロンドンは、テロになんか負けない。さらにメトロポリタン都市になり、しなやかに、たくましく、前進していくのである。
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