Friday, March 31, 2006

医師を輸入する国

 Hospital Doctor(医師向けの無料情報新聞)1月26日号に、外国人医師へのキャリア・アドバイスの欄があり、2004年時点で、NHSに勤める医師の31%がEU以外の外国人だと書いてあった。NHS全体でこの数字だが、ロンドンではその割合はもっと高い印象がある。この1年間で私が仕事をしたチーム5つを見てみても、コンサルタント3人は、アジア系イギリス人 、アイルランド人、ドイツ人、研修医11人のうち、ガーナ人、ナイジェリア人、インド人(3人)、ギリシャ人、キプロス人、チェコ人、白人のイギリス人、白人の南アフリカ人(2人)、と多彩であった。

 この31%という数字はどこからくるのだろうと漠然と考えていた折、日医総研の森宏一郎氏の「医師を輸入するイギリス」というレポートを興味深く読んだ。

 このレポートは2002年10月に書かれているのだが、イギリス厚生省(Department of Health, DoH)の1999年度の統計に基づき、「外国人医師が推定3割」としている。森氏自身がレポートの中で述べておられるように、DoHは「人種(ethnicity)」別のデータしか提供しておらず、必ずしも「出身国」を反映していない。

 「出身国」についてもう少しデータはないものかと思い、少し調べてみた。

 まず「外国出身」の医師の定義であるが、これが一筋縄ではいかない。移民にたいして同化政策を排してきたイギリスでは、移民の二世・三世であっても、「イギリス人」と名乗らず、両親の出身国を名乗る人がいる。(これは、二重国籍が認められているためでもあると思う。)おまけに、国勢調査で用いられる選択肢は、国籍という概念が排除され、 White or White British, Black or Black British, Asian or Asian British, Mixedなどから選ぶようになっている。Mixed raceの割合も多い。したがって、人種から出身国を正確に割り出すのは、まったくもって不可能である。

 おそらく出身国をもっとも正確に反映しているのは、「資格をとった国/地域」であろう。外国で資格を取った医師は、Overseas qualified doctors、または、International Medical Graduates(IMGs)と呼ばれる。イギリス人が国外で資格を取りIMGsとなることもあるし、また反対に、外国人がイギリスの医師資格を取る場合ももちろんあるが、少数派であろう。ただし、「国内」と言った時にイギリスだけを指すのか、EEA/EUの国も含まれるのかをはっきりさせる必要がある。医師の資格に関しては、EEA内で取った資格であれば、自動的に英国の資格と同等と見なされ、区別されない場合もあるからである。

 さて、DoHの2004年9月の調査の数値を少しいじってみた。イングランドのHospital(GPやCommunity Mental Health Serviceを含むNHSトラストを指していると思われる。)に2004年9月30日時点で勤務する医師81,184人のうち、イギリスで医師資格を取ったのが63.1%、EEA(新EU加盟国10カ国とスイスを含む)で資格を取った医師が5.8%、それ以外の国で資格を取った医師が31.1%となっている。森氏のレポートの1999年度のデータでは、イギリスとEEA(拡大前)以外の出身者の割合が26.5%だから、5年間で5%弱増えていることになる。

 人種の内訳を見てみよう。81,184人中、72,770人(89.6%)が、2001年の国勢調査に使われた人種の分類法を使っており、残りの8,414人(10.4%)が1991年分類を使っているので、前者のデータだけを使う。

 グラフからわかるように、国外で資格を取った医師のうち、半数以上がアジア系(南アジア地域、すなわち、インド、パキスタン、バングラディッシュを指す。)である。注目すべきは、国内で資格を取った医師の中にもかなりの割合でアジア系がいることである。ちなみに、アジア系医師20,083人のうち、26.3%の医師が国内組で、残りの73.7%が国外組であった。黒人の医師は、国内全体の医師のうち1.2% しかおらず、やはり国外からの医師中に占める割合が高い。この多くはアフリカ人だと思われる。

 森氏のレポートでは、アジア系の割合が高いことを外国人医師が多いことの傍証に使っているが、上記からもわかるように、それは必ずしも正確ではない。実際、いまや医学生のmajorityは、アジア系イギリス人である。SLaMでは、Guy's, King's & St Thomas' Medical Schoolの3年生が精神科を回っているが、グループにアジア系の学生のいないところはないと言っても過言ではない。これは、アジア系の家庭は教育熱心で、子どもに資格を取れる職業に就くことを期待することを反映しているためだと言われている。

 もうひとつ、General Medical Council(GMC)に新しく登録した医師数の変化をみると、最近の動向がわかる。GMCの2004/5年の年次報告によると、2004年に新しく登録した医師12,760人のうち、英国出身者は全体の37%に過ぎず、44%は国外で資格を取った医師なのである。また、2004年のEU拡大に伴い、EEA出身の医師の登録数がぐんと上昇した。

 それでは、どのようにしてイギリスは医師を「輸入」しているのだろう。旧植民地の国では、初等教育から高等教育まで、母国語ではなく英語でおこなっているところが多い。したがって、それらの国の出身者は、英語で仕事をすることにまったく問題がない。イギリスの労働市場も、外国人に対して門戸を開放しており、これは、医師登録についても例外ではない。一定水準に達していて、英語の試験International English Language Testing System (IELTS)やProfessional and Linguistic Assessment Board (PLAB)にパスすれば、GMCに登録し、医師として仕事ができる。さらに、移民法が医師を「輸入」するために有利にできている。労働査証をとるのには、その人の専門分野が「shortage occupation list(人が足りない職業分野のリスト)」である場合、ひじょうに有利になるのだが、多くのGPやコンサルタントの分野がHealthcare Shortage Occupationsのリストに載っている。また、高度技術者移住プログラム(Highly Skilled Migrant Programme, HSMP)では、その人の資格や技術の水準によって点数が決まっていて、65点以上を取ると査証がもらえる仕組みになっている。GPの資格とこれまでの職歴があれば、ほぼ自動的に必要なポイントを取得できるようにできていて、仕事の当てがなくても、入国してから仕事を探すことが可能である。ほかにも、研修医は通常の労働査証を必ずしも取らなくてもいいし、英語の試験やClinical Attachment(医療・研修システムに慣れるための、研修前の見学)を目的に入国する医師の場合、査証なしにヴィジターとして一定期間滞在できるようになっている。

 次に、イギリスに来る側の事情もある。門戸が開放されており、条件のいいポストがあれば、募集に応じる人間が出るのは当然である。たとえば、90年代のイギリスの医療システムがお粗末だったとはいえ、これはサービスがうまく機能していなかっただけで、医療そのものや医師の卒後研修の水準は高かった。また、給与水準も、アメリカやドイツ、フランスよりは低かったとはいえ、いくつかのヨーロッパの国や、南アジア、アフリカ諸国よりもずっと高かった。当時、スペインやイタリア、ギリシャでは、医学部卒業者の数が医師のポストの数を大幅に上回り、医学部を卒業しても医師としての研修ができないという状況であった。インドやアフリカでは、医療レベルの地域格差が大きく、きちんとした研修ポストは少なく、それを得るのは至難の業だった。彼らにとって、イギリスに来て、研修をし、専門医の資格を取るほうが、母国で研修先を探すよりもずっと手っ取り早く、経済的にも楽なのである。南欧の医者の流入に続いて、インドやアフリカから、そして最近では東欧からの医師がイギリスに入ってきている。

 この傾向は今後も強まるのであろうか。おそらく、アジア系の医師がイギリス人口に占めるアジア系人口の比率よりも高い状況は変わらない、あるいはさらに増加する可能性はある。東欧からの医師の割合は、引き続き増えるであろう。しかし、それ以外の国で資格を取った医師の割合が今の調子で増加していくことはないと予想される。

 理由のひとつには、イギリス内の医学部の学生の増加がある。DoHの報告書"Medical schools: delivering the doctors of the future"によると、1997年、医師不足の解消のために、政府はイングランドで医学部の定員数を2005年に一学年の定員を57%増やす計画を立てた。既存の医学部の定員を増やし、医学部を4つ新設した。予定よりも2年も早く、2003年秋には、予定の5,894名を超える、6,030人が医学部に入学した。 また、インドやアフリカからの研修医予備軍を多数受け入れたために、今度は研修医のポストが足りなくなってきた。とくに都市部でその傾向が強く、ロンドンではSHO(Senior House Officer、初期研修医)のポストの倍率が15倍にも上るという。

 さらに、研修システムの改革もおこなわれ、2005年8月から、Foundation Year(卒後、いくつかの科をローテーションする基本研修。)が1年から2年に延長された。そのため、より多くの研修施設が必要になるが、卒業予定数に対して、研修ポストや施設が追いつかず、今後、医学部を卒業しても職に就けない人が出てくるのではないかと言われている。

 これらを受けて、内務省は、今年の4月3日に発効する移民法では、研修目的に入国する医師に対して、Foundation Programmeに参加する場合を除き、これまでのような査証免除の特別待遇は与えないことにした。

 医師の数が増え、イギリス国民が、必要な時に、遅延なく医師の診察を受けられるようになるのは素晴らしいことであるが、読みの甘い政府が、自分たちに都合のいいように、移民法を使って外国人医師で医師数を調節するようなことをするのは、振り回される側にとってはいい迷惑で、気の毒なことだと思う。

 もっとも、研修目的で渡英したインド人やアフリカ人の医師の中には、研修を終え、専門医の資格を取ったら自国へ戻り、プライベートで開業する計画を立てている人も多いと聞く。つまり、イギリスの研修システムの人的・金銭的・設備的資源のおいしいとこどりをするわけである。

 政府と外国人医師。どっちもどっちと言えないこともない。

 私の場合は、日本で研修を受け、資格を取ってからイギリスに来て、コンサルタントとして仕事をしている。つまり、イギリス政府にしてみれば、医学部6年間とその後8年分の研修期間のコストを節約できたわけである。私の教育・研修コストを負担してくれた日本の納税者に申し訳なく思う。反面、イギリス政府にはちょっとは感謝してもらいたいものである。

Saturday, March 25, 2006

NHS madness

 表題は、23日のEvening Standard(ロンドンで唯一の夕刊紙)の一面のヘッドラインである。Royal Free Hospitalで、480人の医療スタッフを削減するいっぽうで、4人の(経営)リスク・マネジャーの募集広告を出していることを皮肉ったものである。4人分の給料164,000ポンドは、ベッド100床の維持費に相当するとか。

 この2週間の間に、イングランド各地のNHSトラストであわせて4,000人以上の人員削減が発表された。会計年度末(イギリスの会計年度は4月5日が締めである。)にむけて、さらに同様の報告が相次ぎ、おそらく人員削減は15,000-20,000人にのぼると予想されている。NHSの相次ぐ人員削減のニュースに対し、BBCは"Flavour of Month"という表題をつけた。

 NHSにまつわる赤字問題や諸々のスキャンダルはなにも目新しいニュースではないのだが、このところ、途切れることなく報道が続いている感がある。

 一連の報道は、3月7日に、NHSのチーフ・エグゼクティブのSir Nigel Crispが54歳で早期引退を表明したニュースから始まった。早期引退は表向きで、実際は、今年度のNHSの大幅赤字の責任をとって、政府が引退の名を借りて辞任に追い込んだというのがもっぱらの説である。ちなみに、赤字の額は、12月の時点で推定6.2億ポンド。年度末までにまだまだ増え、7.5億ポンドに膨らむと予想されている。

 続いて、22日に国会で今年度予算を発表したブラウン財務相は、演説でNHSについて触れなかったことで、「NHSを見捨てた(保守党)」、「NHSの赤字問題を否認している(自由民主党)」と批判を浴びた。看護師の給料を公務員の平均給与よりも2.25%高くするというのが、予算演説における唯一のNHSに関するコメントであったそうである。財務相自身は、批判に対して、この先2年間でのうちに計6億ポンドがNHSにいくことは既に発表済みなのだから重ねて触れる必要はないと弁明している。

 時を前後して、先に述べた、人員削減のニュースがあちこちのトラストから発表された。問題は人員削減の規模で、たとえばUniversity Hospital of North Staffordshire NHS Trustは、1,700万ポンドの赤字をクリアするため、1,000人の人員削減を発表した。これは、7人に1人の職員を減らすことを意味する。

 これらの報道に対して、ブレア首相は、「赤字の総額はNHS全体の予算の数%に過ぎず、それも、ごく一部の NHSトラストのためであり、大多数のトラストは健全な運営をしている。」と、火消しに躍起である。また、ヒューイット保健相は、「NHSはこれまでの(労働党政権下の)9年間で、20万人以上の増員をしてきた。今回の削減は、NHSをより効率よく運営するためのものである。人員削減を発表したトラストや赤字が多いトラストでさえも、サービスの質や、数的目標の達成率は上がっている。」と反論している。

 日本の医療保険のシステムとは異なり、イギリスでは医療費はすべて税金でまかなわれている。各地区ごとに、一次医療を担当するPrimary Care Trust (PCT)と、二次医療担当のHospital Trustや、精神保健を担当するTrustがあり、それぞれの担当する人口や、地域の医療サービスの需要によって、毎年予算が決められ、必要経費がそれぞれのPCTやTrustに支払われる。イギリス国民または欧州連合の市民、および6ヶ月以上居住する外国人は、無料でNHSの医療を受けられる。また、旅行者が急病やけがをした場合、その治療に限って、無料で医療を受けられる。

 1997年に労働党が政権を握った時、イギリスの医療レベルはヨーロッパの中で最低であった。医療スタッフは不足し、賃金は安く、士気は低下していた。サービス面では、長い待機時間(Waiting list、診療または治療を受けるまでの待ち時間)が年々さらに長くなっていた。ブレア政権は、NHS 10-Year Reform Programmeの名のもと、毎年7%ずつ増加する、記録的な額の予算を組んだ。ちなみに、1996/1997年度の支出は330億ポンドであったものが、2007/2008年度には920億ポンドにのぼる予定である。そして、スタッフや施設の拡充を図るいっぽうで、数的目標(専門医にかかるまでの待機時間12ヶ月未満、GPに電話をしてからの待機時間72時間以内、救急外来で受付をしてから診察を受けるまでの時間が4時間以内、などの具体的な数字)を掲げて、それを達成できないトラストは予算を削減する、というアメとムチ式の姿勢で、NHSの立て直しに取り組んできた。スタッフがNHSから民間に流れるのを防ぐために、給与水準も大幅に引き上げた。

 これらの結果、統計的には、NHSの医療・サービス水準は向上した。待機時間は劇的に減少した。(専門医の診察を受けるのに1年半以上待たなければいけなかったのが、3ヶ月「しか」待たなくなったとか、GPに電話をしてから見てもらうのに3日「しか」かからなくなったのを向上と呼ぶのであれば、だが。)コンサルタントの給与は、以前はヨーロッパの中でも最も低かったのに、今では、先進国の水準に並んだ。

 しかし、実態としては、GPは見かけ上の待機時間を短くするために、72時間先までの予約のみしか受け付けないとか、救急外来で、患者を救急隊から引き継ぐのを先延ばしにして、待機時間を短くするなどの操作がおこなわれていると聞く。スタッフの定着率も相変わらず悪い。

 高騰する給与が結果としてNHSの赤字を増やし、今度は人員削減をしなくてはいけなくなったのは、皮肉である。一連の人員削減は、定員を埋めるための派遣スタッフの雇用をとりやめ、そのポストを「なかったことにする」という形をとるらしい。ほかにも、看護師を減らして看護補助職員を増やしたり、医師のかわりに、看護師が主体のサービスを増やしたりすることで、さらなる人件費削減をはかっている。

 政府もトラストも、フィナンシャル・マネージャーや経済コンサルタントを雇って、なんとかNHSの経営状況を立て直そうとしてきたにもかかわらず、赤字は減るどころか、増えるいっぽうである。シンク・タンクKing's Fundの調査によると、人件費やサービスの拡大だけでは、この赤字を説明できないとされている。出所がわからないまま、赤字はさらに膨らみ続けている。

 さて、当のイギリス人たちはこの状況をどう考えているのだろうか。湯水のように税金をつぎ込んでこの有様なのだから、NHSの仕組みそのものに問題があるのではないかと考え始めてもいいようなものなのだが、なにせ、イギリス人が世界に誇る医療費完全無料というシステム。民有化、民間との協力などというのは選択肢にはまったくなさそうである。もっとも、これほど税金をつぎ込んでいるんだから、「無料」ではないし、「ただ」ほど高いものはないとも言うではないか。

Tuesday, March 21, 2006

引っ越し顛末記(未完)と机記念日

 今日は机記念日である。私のオフィスにようやく机を置くことができた記念日である。

 今年の1月23日(月曜日)に、Lambeth 10-Year Reviewによる組織大編成があった。職員は、前の週の金曜日まで編成前のチームで仕事をし、週があけて月曜日には、新しいチームに出勤した。この改革で、5つあった地域(locality)チームが3つになり、いくつか新しいチームができた。新しいチームは、消滅してしまったチームのオフィスに入ることになっていた。

 私のいるPAMSも新しいチームのひとつである。オフィス争奪戦の末、PAMSは、消滅した北東(North East, NE)チームのオフィスに入ることになった。築10年ちょっとの2階建てのpurpose-builtの建物である。NEチームがいなくなったあと、いらなくなったオフィス家具を廃棄し、場所をとる机の変わりにベンチを取り付け、建物内のクリーニングをして、1-2週間後に引っ越す予定であった。

 ところが、仕事を初めて2日目。チームリーダーと一緒にその建物を見学に行った私は、愕然とした。使えそうなものから壊れかけているものまで、オフィス家具は放置され、書類が散乱し、コンピューターやディスプレイがあちこちに積んであった。業者が入るのだからすぐに片付くだろうという私の予想は、あまりにもnaiveであった。結局引っ越しは、2月27日にずれ込んだ。

 その間、私たちは、旧PAMTのオフィスのあった社会福祉事務所に間借りしていた。私は、チームリーダーが気を遣って用意してくれた、チームの部屋に隣接した小さな部屋をオフィスとしてもらった。にわか仕立てのオフィスなので、コンピューターは小さなコンピュータ・デスクの上に置かれていた。しかし、これは社会福祉事務所のものなので、SLaMのサーバーにはつながっておらず、電子カルテも仕事用のE-mailも使えない。チームリーダーが、彼女のユーザー・ネームとパスワードを使わせてくれた。その部屋は小さくて暗かったので、ほとんどの時間、私はチームの部屋で過ごしていた。

 そして待ちに待った引っ越しの日。大きなトラック2台と、6人の運搬担当の人たちが来て、荷物の積み込みは順調に終わった。

 ところが、引っ越し先の建物の片付けが終わっていなかったのである。しかたなく、不要な家具を待合室に運び出し、持ってきた家具類をあいているスペースに押し込んだ。搬入が終わった建物は、惨憺たるものだった。広い待合室には家具が山積みされ、それでもまだ不要なものが廊下とオフィスを塞いでいた。私のオフィスは、私とパート・タイムの臨床心理士しか使わないので比較的スペースに余裕があったため、物置と化した。

 この状態は、10日近く続いた。実際、 建物の作業安全評価にきた作業療法士が、「とても仕事のできる環境ではない」とお墨付きをくれた。待合室に家具が積んであって、安全上の懸念があるので、患者を建物内に入れてはいけないとも言われた。

 さらにもっと悪いことに、ITサポートが予定を何度もすっぽかして、いつになってもコンピューターがサーバーにつながらず、私たちのチームはさながら陸の孤島にいるような状況だった。

 2週目の半ばに、ようやく業者が待合室と廊下のがらくたを片付けてくれた。しかし、チームの部屋にとりあえず搬入してある家具を正規の位置に動かすのは彼らの契約に入っておらず、ファイルの棚やキャビネットは、使えるものも、捨てる予定のものも、搬入した時の状態のままで置かれている。

 2週目の終わりに、ようやく社会福祉事務所のITサポートとSLaMのITサポートが来てくれた。ところが今度は、誰がコンピュータの維持費を負担するかで社会福祉事務所とSLaMが綱引きをし始め、せっかく来てくれたITサポートは、2台のコンピュータをサーバーにつないだだけで、帰ってしまった。

 3週目の終わりになって、維持費の問題はようやく決着がつき、金曜日に、6台がサーバーにつながった。しかし担当者が今週は休暇でいないので、残りのコンピュータがいつつながるのかはわからない。

 というわけで、引っ越し後の後片付けはいまだに終わっていない。

 チームの名誉のために付け加えておくが、こんな環境の中でも、チームの面々はちゃんと仕事をしている。むしろ、大変で、腹が立つ状況だからこそ、お互いに愚痴をこぼし合いながらも、なんとか仕事を進めて、前向きな気分に転換しようとしているように見える。

 ところで私の机である。社会福祉事務所の倉庫に置いてあった大きなコーナー・デスクをもらってきたのだが、なんと、六角ねじが2つ足りず、いくら倉庫を探してもねじは見つからず、組み立てられずにいた。しかたなく、また、余っていたコンピュータ・デスクにコンピュータを載せ、これまた余っていた椅子を作業台に、悪い姿勢で仕事をする日が続いた。

 ところが、今日出勤したら、部屋の真ん中にコーナー・デスクが組み立ててあった。昨日、受付のLeeがようやく時間を見つけて組み立ててくれたのだ。ねじをどうしたのかと聞いたら、「6本しかないけどたぶん大丈夫、倒れることはないよ。」との返事。いささか不安ながら、倒れた時はその時だと思いなおし、机を移動させ、コンピュータを移した。ようやく机の上で仕事ができるようになった。というわけで、今日は机記念日なのである。

 もっとも、椅子に座ると、入り口近くに並んだ、4段のスチール製ファイリング・キャビネット6台が見える。まるで、バリケードを組んで、その中に立てこもって仕事をしているようである。

Sunday, March 19, 2006

Everybody has a beautiful name

 アングロサクソンの慣習なのか、ここではみんな、原則として下の名前で呼び合う。イングランド人の名前には、これまで経験したかぎり、そんなに珍しい名前はまずないから、いったん聞けばだいたい覚えられる。むしろ、名前のバリエーションが少ないので、かえって印象に残らず、PaulなのかJohnなのか、後から思い出せなくなって困ったりする。(余談であるが、私の同僚のリハビリテーション科のコンサルタント・マネージャー6人のうち、Tom、David、Michaelがそれぞれ2人ずついる。)同じイギリス人でも、ウェールズや北アイルランド出身の人は、聞き慣れない名前にあたることがある。

 しかしながら、ロンドンの職場では、同僚はイギリス人であるとは限らない。臨床現場にかぎって言えば、白人のイギリス人はマイノリティーである。となると、当然、名前もいろいろである。とくに、アフリカ人やアジア人(イギリス英語で"Asian"という場合、南アジア、つまり、インド・パキスタン・バングラディッシュを意味する。)の名前は、覚えやすいものから、いくら聞いても覚えられないものまで、いろいろである。

 私の名前は、下の名前が3音節、名字が4音節なので、欧米人はまず正確に発音できない。最初の難関は、下の名前の"o"の連続である。英語が母国語の人には、"Nasome"とか"Nazumy"と聞こえるらしい。つづいて、名字の"a"3つ。まず、一度では復唱できない。お互いに苦笑いするしかない。こちらはもう慣れてしまったので、名前をきちんと聞き取ってほしい時は、はじめにフルネームを名乗ってから、下の名前と名字に分けて、綴りをゆっくり言うことにしている。

 一時期、あまりに、みんなが私の名前を覚えるのに苦労するのを見ていて、英語式のミドル・ネームを作ろうかと思ったことがあった。それを聞いたスペイン人の同僚は、「そんなことをしちゃだめ。闘うんだ!自分もそうしている。」と半分真顔で言った。ちなみに彼の名前はGonzaloという。ロンドンの同じ職場で15年も仕事をしているというのに、いまだにGonzalezなどと言われると、半ばあきれ顔でこぼしていた。

 反対に、あまり気にしない人たちもいる。たとえば、前のボスのMikeや、そのボスのTomは2人ともギリシャ人で、名前はそれぞれMichaelisとCrysostomosというのだが、平気で自分からMikeとかTomとか名乗っている。インド系の、名字・名前とも長い場合は、名字のはじめの2−3音節をとって呼称にしている人が多いようである。中国系の人は、英語名風の名前が別にあるので、まったく困らないようである。

 名前だけでこんなに苦労しているので、チームの同僚であっても、当然、名字までは覚えきれない。何かの用事で名字を伝える必要が出てくると、あわてて名簿を引っ張りだす羽目になる。日本で、名字しか知らず、下の名前が必要になってあわてるのと逆なのである。

Saturday, March 18, 2006

SLaM

 SLaM(South London & Maudsley NHS Trust)は、ロンドン南西部の4つの区(ランベス、サザック、ルイシャム、クロイドン)の精神保健ならびに薬物依存医療、および隣接するベクスリ−、グレニッジ、ブロムリーの薬物依存医療を担当している。各区ごとにGeneral Managerをトップとする組織があり、区内の在住者(もう少し厳密に言うと、区内の家庭医(GP)に登録している人)を対象に、精神保健の二次医療を提供する。[ちなみに、 GPをはじめとする一次医療は、一次医療機構(Primary Care Trust, PCT)が提供する。]区ごとの組織とは別に、National Devisionがあり、こちらは、居住地に制約されず、全国からの紹介患者に対する精神保健領域の専門医療を提供している。

 医療統計からみるSLaMとは、次のようなところである。(データは2004年度年次報告書より抜粋。)

  • 2005年度の予定収入:316万ポンド(6.3億円)。(なぜ翌年度の予定収入かというと、その年の業績によって翌年度の予算が決まるからである。)
  • 診療施設:180ヶ所(3つの精神科病院および2つの一般病院内の精神科外来・病棟を含む)
  • ベッド数:1,043床
  • 職員数:4,500人
  • 対象となる地域人口:約100万人
  • のべ入院患者:年間約5,000人
  • 外来患者数:年間24,281人、ただしCPA(Care Programmed Approach)の対象となる(つまり、中長期的な精神科的治療が必要であると判断され、ケアプランに沿った治療が行われている)患者のみ。
  • 地域精神保健チームへの紹介患者数:年間11,201人
 私は日本では、研修医あるいはヒラの医員としてしか仕事をしたことがないので、マネジメント・レベルでの数字には疎い。また、日英の一般・精神科医療のシステムはまったく異なるので、多少統計を知っていたとしても、比較するのは難しかったと思う。

 もう少し一般的なSLaMのイメージは、平たく言うと次のようになると思う。

 SLaMは、モーズレー病院とベスレム病院という、長い歴史のある精神科病院をもとに、NHSの変遷とともに再編成された組織である。また、モーズレー病院に隣接して、精神科領域の研究では世界でトップクラスの精神保健研究所があるため、世界各国から臨床家や研究者が集まってきて、先駆的な基礎・臨床研究が盛んである。歴史がある組織で、実績もあるので、プライドが高い。しかし、旧い体質をひきずっている部分も多く、組織としては柔軟性に欠け、近代化の流れに追いつけない面もある。

 臨床面では、ブリクストン、カンバーウェル、ペッカムという、ロンドンの中でもEthnic minorityの割合が高く、貧困率・犯罪発生率ともに高い地域をカバーする。このような条件のところは、精神保健上の問題の生じる率も高い。よって、患者は多く、問題は複雑で、臨床家は忙しい。ちなみに、臨床が大変というのは、現在ブリクストンを担当するチームのコンサルタントの、「自分は宇宙(Universe)で一番忙しいコンサルタントだ」という言葉に表されていると思う。私も3ヶ月ブリクストンで仕事をしたことがあるが、昼食を取る時間はおろか、座る暇もないほど忙しかった。精神疾患の診断・治療だけでなく、他の要素(ホームレス、薬物依存、不法滞在、犯罪、崩壊家族等々)があるため、輪をかけて大変になるのである。

 「歴史」と「資源」を売り物にするSLaMであるが、昨今の政府によるNHS評価では、苦戦している。Healthcare Commissionによる星評価では、昨年は3つ星から2つ星へと転落した。また、先日、精神保健NHS Trustのファウンデーション・トラストの第一次申請名簿が発表されたが、それには乗り遅れてしまった。

 この先、SLaMが名誉挽回できるのか、それとも、このままずるずると評価を下げていくのか、私自身、ひじょうに興味深く見守っているところである。

Sunday, March 12, 2006

PAMS その壱

 私の勤めるPlacement Assessment & Management Service(PAMS)は、 SLaM(South London & Maudsley NHS Trust)ランベス区のサービスの一部である。ちなみに、ランベス区のホームページは改装の途中のようで、PAMSは残念ながらまだ載っていない。

 ランベス区では、2003年より、Lambeth 10-Year Reviewのプロジェクト名で、精神保健組織の大幅見直しをおこない、その結果、大改革をおこなうことになった。D-Day(内輪ではDestructive Dayと呼んでいた)は、2005年4月の予定だったが、3回の延期を経て、今年の1月23日にようやく全面的に実施された。(このLambeth 10-Year Reviewについては、いずれ項を改めて書こうと思っている。)

 PAMSはこのLambeth 10-Year Reviewから生まれた新しいサービスである。2003年7月より、PAMSの前身のPAMT(Placement Assessment & Monitoring Team)というチームが社会福祉事務所の管轄下に活動しており、PAMSはこれを発展させたものである。

 精神医療は、社会福祉とは切っても切れない関係にあるが、SLaMでは、1999年までは、精神医療(Mental Health)と社会福祉事務所(Social Services)は別の組織だった。それが段階的に統合され、今は、いちおうお題目としては、(Mental) HealthとSocial Servicesは統合されたことになっている。しかし実態としては、ランベスの場合、まだ予算は別に組まれ、用途によってそれぞれの支出の割合が決められる。区によっては、予算も含めて完全に統合されているところもある。

 PAMTは社会福祉事務所の管轄だったので、チームリーダーの下、4人のソーシャル・ワーカーおよび2人の作業療法士から成っていた。新しいPAMSは、それに加えて、医師2人(コンサルタント1人、スタッフ・グレード1人)、臨床心理士1人(週4セッション)、精神保健看護師(Community Psychiatry Nurse, CPN)3人、ITサポート1人、事務職員1.5人と大所帯になった。予算はHealth(リハビリテーション部門)とSocial Servicesと半分ずつ負担している。

 新チームが活動を開始してから約1ヶ月半。仮オフィスから本来予定されていたオフィスへ、当初の予定より3週間遅れで、2月27日に引っ越した。チームのメンバーも徐々に打ち解けてきて、これからようやく本格的に始動するところである。

Tuesday, March 07, 2006

ブログ開設にあたって

 日本を離れてもうすぐ6年になります。日本の地方の医学部を卒業し、東京で精神科医として研修をしました。精神保健指定医を取得してまもなく、臨床研究を学ぼうと思い、1年の予定で渡英したのが2000年の4月。しばらくロンドンで研究を続けた後、2004年8月にこちらのGeneral Medical Councilに精神科専門医として登録し、本年1月より、精神科コンサルタントとしてロンドン南西部で仕事を始めました。

 私の勤務する南ロンドン&モーズレー国営医療機構(South London & Maudsley NHS Trust)ランベス区には、30人超の精神科コンサルタントがいますが、私のように、自分の出身国とイギリスと両方の国での臨床経験を持つ医師は少数派です。そのせいか、しばしば、日本の一般および精神科医療システムや、精神科臨床そのものについて、イギリスとの相違点などをよく聞かれます。単なる個人的な感想でも満足してもらえることもありますが、さらに突っ込まれて、具体的なデータ等を聞かれると、普段そのようなことを意識していないので、言葉に詰まったりもします。そんなことが重なって、イギリスのシステムと比較しながら、日本のシステムを客観的に、きちんとした知識やデータに基づいて見てみる必要性を感じていました。また、日本で研修中にお世話になった方から、せっかく珍しい経験をしているのだから、イギリスでのことを書き留めておいたらどうかと勧められました。

 そんなこんなで、どうしたものかと考えた末、私の臨床の仕事を通しての経験を、ブログとして発信することにしました。他の人の目に触れることを前提とすることで、主観的になりすぎるのを防ぎ、正確に伝えようと意識するのを期待してのことです。また、三日坊主予防策でもあります。

 あまり肩肘張らず、日常の些細な発見から、イギリスの医療システムのことまで、つれづれに書きつづっていければと思ってます。よろしくお付きあいください。

Monday, March 06, 2006

転職・転居しました

 ご無沙汰しております。ロンドンからです。

 3月に入り、日本ではそろそろ春の訪れを感じる頃ですが、こちらでは先週から気温がぐっと下がり、毎日雪がちらちらと舞っています。例年、4月末頃になってようやく日本の「木の芽どき」のような感じが湧いてくるので、春はもう少し先のようです。

 さて、私のロンドンでの生活も、早いもので、丸6年になろうとしています。昨年4月より、精神科の臨床の仕事を始め、本年1月より、精神科専門医(コンサルタント)の職に就きました。ロンドン南西部の、南ロンドン&モーズレー国営医療機構(South London & Maudsley NHS Trust)ランベス区の、Placement Assessment & Management Service(PAMS)というチームで仕事をしています。これはリハビリテーション部門の一部として新しく設けられたサービスで、ランベス区が担当しているレジデンシャル・ケア施設に滞在する患者の治療・リハビリテーションが主な役割です。中には、ロンドンから遠く離れたドーバーやウェールズの施設にいる人たちもいて、日帰り旅行さながら、1日かけて面接をしに行くこともあります。

 日英間の医療・社会福祉制度や、精神科臨床にまつわる司法制度の違いもさることながら、多民族都市ロンドンゆえの、文化・社会的背景の多様さによって生じる臨床像の違いなど、新たに「発見」することが毎日のようにあります。新米コンサルタントとしては、チーム間、医局内での力動も学ばねばならず、なかなか気が抜けません。それでも、せっかくここで仕事をする機会に恵まれたので、しばらくがんばってみようと思っております。

 また、1月に転居しました。新しい住まいは、繁華街ソーホーの近くで、中華街のすぐ裏です。一昨年の欧州連合拡大後、東欧からの移民が爆発的に増えました。この辺を歩いていると、英語よりも他の外国語を耳にすることのほうが多く、イギリスにいるような気がしません。無国籍地帯のようで、外国人の1人としては、なかなか居心地よく感じています。

 ロンドンは、狂牛病や口蹄疫にも負けず、昨年の地下鉄テロにもくじけずに、とんでもなく高い地下鉄運賃や、いまだに上がり続ける住宅価格、月曜日に多い病休社員等々に嘆きながらも、なかなか元気です。近くにお立ち寄りの際は、ぜひお声をおかけください。