Sunday, September 23, 2007

休暇最後の日

 2週間の休暇も今日が最後である。明日からのことを考えて、朝からなんとなく落ち着かない。

 こちらのコンサルタントは、1年目は、年間32日の有給休暇(5年勤続すると少し増える)と、3年間で30日の研究休暇がある。年平均で8週間になる。私の職場では、有休は最大5日までしか翌年に持ち越しできないので、年間、最低でも27日(5週間ちょっと)の休暇があることになる。日本の「常識」から考えると想像もつかないのであるが、休暇があるということは、当然、全部使い切るということを意味する。

 休暇の前は、「Have a lovely holiday!」と言って、笑顔で送り出してもらえる。休暇と大事な会議が重なっても、「休暇中だから悪いけど出られない」と言うだけでおしまいである。休暇を取るのは当然の権利なので、誰も文句を言ったりしない。(そのかわり、参加者全員の予定を合わせるのがものすごく大変になったりする。)

 職業倫理や習慣の違いと言ってしまえばそれまでだが、他の習慣同様、日本式が抜けきれないと、休暇をとるのも簡単ではない。去年は、休暇なんてなければいいと思うほど、休暇を取るのに苦労した。私は新米コンサルタント、チームは立ち上がったばかりということもあり、すべてが気掛かりで、なかなか休む気になれなかった。

 おまけに、実際休暇の日程を考え始めると、6週間も休むのはなかなか大変なのだ。会議はともかく、学会や研修会などの予定が入っていると、そこは休みを入れたくない。留守中、カバーをしてくれるコンサルタントの都合にも合わせなければならない。コンサルタントは、たいてい2人1組となり、お互いに研究日や休暇中のカバーをし合っている。2人のうちどちらかが残らなければいけないわけで、それが1人6週間ずつとなると、調整するのも簡単ではない。

 結局、去年は、初めて休みを取ったのが8月。その後もじたばたした挙げ句、3月の最後になって、駆け込みで休暇を使って、ようやく6週間の休暇をとった。(前年から5日持ち越していたので、また5日持ち越しになっている。)

 昨年度のappraisalでは、なかなか休暇を取れないとぽろっとこぼした。するとappraiserに、休暇をとらないならそれでもいいが、権利なんだからきっちり休むべきである、従業員に休暇をとらせないとトラストが訴えられてもおかしくないほどの、当然の権利なのだ、というようなことを言われた。そう、休暇は、イギリスでは労働者の権利なのである。(日本でも、法律上はそうなのだろうけれど・・・。)

 実際には、私が職場にいてもいなくても、世の中は同じようにまわっている。私が休暇でいなくても、大勢にはあまり影響ない。もし、コンサルタントが必要なことがあれば、同僚のMが呼ばれて、きちんと対応してくれるはずである。彼がいない時に、私が呼ばれるように。

 去年の秋、休暇から戻ってみて、留守中にまったく問題がなかったことを聞いて、ほっとしたと同時に、やや、寂しくなった。自分がいなくても誰も困らないというのは、気兼ねなく休む口実になるいっぽうで、エゴを傷つけるものなのだ。

 明日のメインの仕事は、たまったメールのチェックと、留守中に起こったことを把握すること。最悪の場合は、トラブル・シューティングに時間を取られるかもしれない。

 休暇を遠慮なく取れるのは嬉しいことだが、休暇最後の日の落ち着かない気分と、休暇明けの片付け作業だけは、いつになっても苦手である。

Saturday, September 22, 2007

ロンドン育ち

 ニースにいる間、髪の毛がバサバサになってしまった。毎日使っているシャンプーとコンディショナーをわざわざ持っていったのにもかかわらず、である。それが、ロンドンにもどり最初のシャワーを浴びるなり、もと通りに落ち着いたので、ほっとした反面、いささか複雑な気分になった。私の髪はすっかりロンドンの水になじんで、ロンドンっ子になってしまったらしい。

 髪と肌の状態は、その土地の水によって、すぐに変わる。ロンドンに来たばかりの年は、髪はバサバサ、肌はカサカサと、大変なことになった。日本でも使ったことのあるメーカーの製品を買ってみたのだが、乾燥はひどくなるばかり。いくつか違う製品を使ってみて、半年近くたってようやく体に合うものを見つけたと思ったのも束の間、冬になったらまた悪化して、顔が乾燥して白い粉を吹く始末であった。結局、髪と肌が落ち着いて、とりあえず満足できる製品に出会うまで、約1年かかった。

 それから7年あまり。いろいろな製品に浮気をした挙げ句、オイル分がやや多めの敏感肌・いたんだ髪用の製品に落ち着いた。今回のニースは例外で、ヨーロッパを旅行しても、あまり困ることはなかったように思う。

 ロンドンっ子になりきってしまった私の髪や肌も、日本に戻ると、日本製のシャンプーや洗顔料を使って1回か2回、日本の水で洗うだけで、つるつる、さらさらの状態に戻る。いくら工夫してみても、ロンドンでは(というよりも、日本の外では)この状態はとうてい望めない。

 日本で2年ほど過ごしたことのあるイギリス人の知り合いは、反対に、日本にいる間は、髪の毛が頭にぺったり張りつくようになって困ったと言っていた。

 ロンドン育ちとはいえ、私の髪はやっぱり日本生まれなのである。

Friday, September 14, 2007

バカンス

 少し遅めの夏休みをとって、南仏のニースに行ってきた。

 私は、旅行すると、忙しくあちこち見て回ってしまい、休暇中にさらに疲れてしまうという悪い癖がある。そこで今回は、「何もしない休暇」をテーマに、とにかくだらだらしてリラックスすることに挑戦することにした。ニースは5年前に一度行ったことがあるので多少の土地勘もあり、あまり見るものもなく、天気がよくて食べ物もおいしく、みんながだらだらしているので、うってつけである。

 結果は、100%何もしなかったわけではなかったが、私にしてはまずまず及第点のだらだら度であった。

 珍しくておいしかったのは、ズッキーニの花の天ぷら。マーケットでは、花のついたままのズッキーニ(Courgette Trompette、トランペット種というらしい)が、あちこちのストールで売られていた。黄色がとても華やかできれいだった。

 また、どこにでもローカル・ルールというのは存在するものだが、ニースのお約束をふたつ発見した。ワインはロゼ。食事のスターター(イタリアンのオリーブのようなもの)は、丸ごとのトマト。そこそこいいレストランに行くと、あらかじめ、テーブルにトマトがどんと置いてある。プチトマトだったり、普通の大きなトマトだったり。オーダーをすませると、食事はこのトマトから始まるのだ。

Sunday, September 02, 2007

麻酔科医賛歌

 Amateur Transplantsが、6月のライブのDVDを発売した。

 Amateur Transplantsは、2人の研修医(Dr Adam Kay & Dr Suman Biswas)からなるグループ。2005年に「Fitness to Practice」というアルバムを発表している。その中のLondon Undergroundという作品は、当時頻繁に行われていたロンドンの地下鉄のストライキを皮肉った歌で、ネット上で評判になった。

 これは、Anaesthetists Hymnという歌。(Dr Biswasは麻酔科医である。)

 ライブの一部はYouTubeで見ることができる。受け取り方によってはものすごく不適切な歌詞が多いので、ダークなユーモアの好きな方だけにお薦め。

 私は、彼らがいつか「Psychiatrists Hymn」を歌ってくれるよう、心密かに祈っている。

Saturday, September 01, 2007

義務を忘れたジャーナリストたち

 完全に乗り遅れてしまったが、遅まきながら私も、産経新聞社に8月31日付けの社説「妊婦たらい回し また義務忘れた医師たち」に関して、新聞社に抗議メールを送った。まったくひねりも何もないストレートな抗議文しか書けないのはお恥ずかしいかぎりだが、抗議の声はひとつでも多いほうがいいでしょうということで、お許しいただきたい。

 あちこちのブログのコメント欄を見るかぎり、かなりの数の抗議メールが届いているはずだが、それらが日の目を見る可能性はあるのだろうか。紙の媒体に投書をした方はいらっしゃるのだろうか。

 以前「対話するマスコミ1」という記事に書いたが、イギリスの新聞は、Web版に直接コメントを書き込める。新聞社に批判的なコメントでも、新聞社側に握りつぶされることなく、一般の読者の目に触れることになる。初めはWeb版だけの小さな記事であっても、読者からの反応が多くなると、Web版での見出しが上になったり 、紙媒体、あるいは日曜版に掲載されたりする。

 日本の新聞報道のように、新聞社側が一方的な記事の垂れ流しを続け、記事の内容に検証を迫る方法が脆弱な状況が、いつまでも放置されていいはずがない。

 以下、私の抗議メールを載せておく。

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産経新聞社論説委員室御中

 貴社の8月31日付けの主張「妊婦たらい回し また義務忘れた医師たち」を拝読し、その内容に強く疑問を感じました。

 「義務忘れた医師」とありますが、貴社は、救急隊から問い合わせのあった病院が、患者を受け入れなかったことを指して、医師が義務を果たさなかったと指弾されているのでしょうか。報道によれば、患者を受け入れられなかった9病院は、当直医が患者の処置中であったり満床であるといった、受け入れられる体制が整えられないことを理由に挙げています。治療環境が不十分であっても、とりあえず患者を受け入れるべきだったというのであれば、病棟・救急で働いていた医師たちに対して、無責任きわまりない、間違った非難です。医師個人または病院のキャパシティを超えてまで患者を引き受けることこそ、医師の義務を果たさないことになります。

 また、「たらい回し」という言葉の使い方も、不適切です。たらい回しというのは、みずからの責任を果たすことなく、他に仕事を押し付けるという意味だと思います。病院が、正当な理由をもとに患者を受け入れないと返答することは、たらい回しにはあたりません。日本語を使うプロであるジャーナリストが「たらい回し」の意味を誤って使ったとすれば、嘆かわしいことです。意味を十分理解した上であえて使ったとすれば、事実誤認をしたか、あるいは、あえて事実を歪曲して伝えようとしているのかと、考えざるを得ません。

 論説中にもあるように、今回の一件は、日本の医療、とくに産科・小児科をめぐる医療環境に「抜本的対策」が必要であることを示すひとつの例です。そのために一番必要とされているのは、周産期医療のネットワークの整備、医師不足対策などといった、行政の責任ある行動です。また、国民ひとりひとりが、医療制度を適切に利用するよう心がけることも必要です。個々の事例によっては、医師の責任が問われることも出てくるでしょう。しかし、今回の件に関しては、行政側・利用者側の責任についての問題点はあげられるものの、医師の責任・義務が疑問視されるような事情はまったく見られないと思われます。全体像をきちんと描写することなく、不幸な一例を即座に医師の責任に結びつけるという論説は、「社説」として世に出すには、お粗末だと言わざるを得ません。

 この一件は、第一報とその後の報道との間に、何度も事実関係が訂正されたようです。「たらい回し」をしたと報道された病院のひとつである奈良県立医大病院が、当日の産婦人科の当直日誌を公開するなど、初期報道に反応して、新たな事実も出てきています。貴社がそれらの事実を再検証された上で、論説の内容について再度吟味され、訂正されるよう望みます。それが、公器である新聞社、その顔である社説を担当する論説委員の義務であろうと考えます。