Monday, August 27, 2007

夏の終わりのフロスト

 この週末は、月曜日がバンクホリデーのため、3連休だった。

 日本やヨーロッパ大陸の猛暑をよそに、イギリスでは冷夏であった。(夏と呼ぶのもおこがましいほど寒かった。)記録的な量の雨が降った7月が過ぎ、8月の頭にようやく晴れた日が続くようになったものの、それも2週間ともたず、どんよりとした曇りか雨模様の毎日に逆戻りした。ところが、連休を前に、突然天気が回復した。おかげで3日間、おそらく今年最後になる晴天を楽しみながら、読書三昧の贅沢な週末を過ごした。

 読んでいたのは、Rodney D Wingfieldのフロスト警部シリーズの第4作Hard Frost。イギリスの田舎町Dentonの警察署を舞台に、フロスト警部が、次々におこる難事件・珍事件を解決していくお話である。フロストは、いつもよれよれのレインコートを来て、えび茶色の襟巻きをした、中年の警部。いくつもの事件の捜査が同時進行していくなか、フロストは論理よりも勘に頼りながら捜査をしていく。勘が外れて大失敗したり、事件解決のためにルールをちょっとねじ曲げたりしながらも、泥縄式に、全部の事件が最後には解決してしまう。下品なスケベおやじで、悲惨な殺人事件の捜査中に、不謹慎な笑えないジョークを飛ばし、1人で大笑いする。自分の保身にしか興味のない嫌味なマレット署長に、たびたび小言を言われながらも、表でも裏でも署長を茶化したりこきおろしたりする。反面、弱い立場にある人にはお目こぼしをしたりして、憎めないキャラクターである。

 Wingfieldは、もともとラジオ作家であった。小説家としては寡作で、長編は、第1作のFrost at Christmas(クリスマスのフロスト)が1984年にカナダで出版されて以来(イギリスでの出版は1989年)、A Touch of Frost(フロスト日和)(1990)、Night Frost(夜のフロスト)(1992)、Hard Frost(1995)、Winter Frost(1999)と、5作しか発表していない。そのうち3冊が邦訳されている。いずれも、秋・冬のDentonを舞台としたフロスト警部ものである。

 私は犯罪小説・ミステリーと呼ばれるカテゴリーの本が大好きで、お気に入りの作家の新作は、ペーパーバックが出るとすぐに読んでいる。フロスト警部シリーズはお気に入りのひとつなのだが、なぜか、邦訳された3冊しか読んでいなかった。日本で読み始めた英米のシリーズ物はほとんどすべて、原書に切り替えて読み続けているので、なぜこれだけ漏れてしまったのか、謎である。最新作が発表されたのが私が渡英する前だったからなのかもしれない。

 ともあれ、フロスト警部との再会したのは、South Bankを散歩中に、National Film Theatre前の古本市。冷やかしのつもりで眺めていたら、Winter Frostが私を呼んでいたのである。かくして、順序は逆になったが、4・5作目を無事に読み終えた。

 前の3冊は翻訳だったし、ずいぶん前に読んだので、単純に比較はできないが、以前よりも2倍も3倍も楽しめた。ストーリーのおもしろさに加えて、私自身がイギリスに住んでいることで、フロスト警部をはじめとする、さまざまなランクの警察官たちのキャラクターや行動が、よりリアルなものと感じられたからであろう。マレット署長が、署員の残業代等のコストを気にするくだりなど、NHSでの経費削減が思い出されて、爆笑した。フロスト警部の下品なジョークも、英語で読むと、その毒がひときわ輝く。

 作者のWingfieldは、残念なことに、今年の7月31日に79歳で亡くなった。2002年に前立腺がんと診断されたのと同じ頃より、シリーズ第6作にあたるKilling Frostを書き始めたのだという。新作は来年の4月に出版予定である。今から待ち遠しい。

Saturday, August 11, 2007

SLaMと私のD-Day

 さて、8月1日のD-Dayから10日がたった。MTAS/MMC関連の話はまったく聞こえてこなくなり、肩すかしを食ったような気分である。各NHS Trustの事前の準備がよかったせいなのか、それとも、嵐の前の静けさか。

 SLaMでももちろん、contingency planを整えた。SLaM全体に割り当てられた研修医のうち、約3分の1が、これまでにSLaMで仕事をしたことがある(つまり、システムについての知識がある)研修医だった。そこでまず、これらの研修医たちを、4つの区に偏りがないように配分し、残りのポストを、SLaMでの経験がまったくない研修医(および、精神科の経験がまったくない研修医)に、やはり、4つの区でバランスがとれるように割り振った。10前後のポストがまだ埋まっていないのだが、これらは、7月末までSLaMで研修して、ラウンド1でポストがとれなかった研修医たちに、3ヶ月間のlocumポストとしてまわされた。

 ランベス区SLaMでは、30人の研修医(3人のlocumを含む)のうち、12人がSLaMでの経験があった。10人は、精神科の経験がない。残りは、何らかの経験はあるが、少なくともSLaMのシステムを知らない研修医たちであった。

 一番の問題は、時間外の当直業務である。昨年までは、研修医のローテートして間もない時期は、SLaMでの経験があり、年次が上の研修医を優先的に当直に組み込んでいた。しかし、今回は、なにせ数が数なので、経験の有無を考慮して宿直表を組むなどという悠長なことはできなかった。

 そこで、臨床部長のJは、SLaMや精神科での経験をまったく無視して当直表を組み、オン・コールのコンサルタントが、普段よりも積極的に研修医をサポートするという方法をとることにした。(積極的にといっても、とりあえずextended daysと夜勤帯の開始時に当直医に電話を入れて様子を確認し、いつでも電話するように念を押し、電話が来たら即座に顔を出す程度であるが。)

 また、contingency planとして、臨床部長Jはもともと、8月1日の夜は、みずから病院に泊まり、万が一に備える予定を立てていた。ところが、8月1日の宿直にあたった研修医は、ロンドンから遠く離れた地域から移ってくる人で、7月最後の週末になってもまだ、ロンドンで住むところが決まっておらず、途方に暮れていた。そこで、Jは8月1日には、病院に泊まるだけでなく、研修医のかわりに宿直業務も引き受けることになった。

 そして、8月1日が来た。研修医たちは全員、無事に、8月1日に顔を出したらしい。新しい研修医たちはinduction(勤務開始にあたっての説明会)のために丸一日缶詰で、病棟からも地域のチームからも、研修医が一斉に消えた。かわりに、後期研修医とコンサルタントたちが、普段なら中期研修医のする仕事をした。どの研修医がどのチームに行くのかは、8月2日まで明らかにならず、コンサルタントたちはやきもきさせられたが、とりあえず、サービスはきちんとまわっていた。

 Jは、宿直に備え、ILS(Immediate Life Support)の1日研修も受けたので、不安もなく(!)、十数年ぶりの宿直をそれなりに楽しんだらしい。

 オン・コールのコンサルタントはどうだったかというと、先週のオン・コールだったRは、7月中に一度電話を受けたが、新しい研修医たちが来てからは、コールはなかったという。

 そして、今週のオン・コールは私である!精神科の経験のない研修医があたっているときだけ、勤務時間の初め頃に電話を入れて、いつでも遠慮なくコールしてね、と念を押したのだが、これまでのところ、一度もコールがない。

 静かなのはいいことだが、これだけ静かだと、少し気味が悪くなってくる。きちんと準備して、緊張しているうちは大丈夫ということだろうか。

 それにしても、精神科の宿直が初めてだという研修医が、「初めてなので不安ですけど、『Maudsley Prescribing Guideline』を持っていますから、なんとかやってみます」などと、多少不安げな声で言うのを聞いていて、殊勝だなあと思ったり(仕事なんだから当然なのだが)、自分が初めて当直した時の緊張を思い出したりして、ほんわかした気分になった。まあ、呼ばれていないから、優しい気分でいられるだけなのだろうが。

Friday, August 03, 2007

そしてD-Day

 ついに、8月1日のD-Dayがやってきた。15,000人の研修医たちが一斉に新しいポストに移る日である。(これまでの経過はこちら、またはMMC/MTASラベルからをどうぞ。)

 Telegraph紙がD-Dayを前に、RemedyUKと共同で、全国のNHS Trustsを対象に調査をした。100を超えるNHS Trustsから回答があったという。ほとんどすべてのトラストが、研修医の一斉異動による影響に備え、contingency planを用意したという。また、4分の3のトラストで外来(の一部)を、90%のトラストで(緊急でない)手術の一部をキャンセルした。混乱を避けるため、コンサルタントの夏期休暇を一部制限したトラストもあるという。

 BMAも、これまでに明らかになった問題点をリストアップしている。

 Deanery単位で、8割強のポストの合格者名が全部出そろったのが6月下旬。それから、Deanery内の研修ローテーションごとに研修医が割り振られ、さらにトラスト・病院ごとの最終的な割り振りが決まったのが7月半ば過ぎだった。これと並行して、空いているポストのための第2ラウンドの募集・選考が超特急でおこなわれ、1,000以上のポストが7月の後半の3週間の間に決まったらしい。滑り込みでなんとか90%を超える研修ポストが埋まったようだが、D-Dayを直前にしても、どの病院で研修するのか知らされていない研修医が多数いたという。

 暗闇の中にずっと置かれていたのは、コンサルタントたちも同じである。8月から研修医が本当に来るのか、来るとしたらどのレベルの研修医が来るのか、ほとんど情報が来ない。これはとくに外科系では大問題で、割り当てられる研修医たちの研修歴や技能のレベルをまったく知らされていない状況で、手術の予定を立てろというのが無理というものである。外来や手術のキャンセルは、そのためである。

 お粗末な話はまだ続く。NHSに勤務するすべての医師は、勤務開始の前に、CRB(Criminal Records Bureau)のEnhanced levelのチェック(犯罪歴のチェック)をクリアすることが義務づけられている。ところが、TimesOnlineによると、選考結果が出たのが6月の終わりだったため、時間的にCRBチェックが間に合わず、一部の研修医は、CRBチェックなしで仕事を始めることになりそうだという。その多くが外国人医師である。

 7月に起きた、ロンドン・スコットランドでのテロ・テロ未遂事件に絡んで、ブラウン首相が外国人医師へのチェックを厳しくすると宣言したのは、つい最近のことである。その記憶も新しいなか、CRBチェックが間に合わないが、人手不足のため、CRBチェックを待っている余裕はないから、チェックなしで仕事をさせる、などという現場の状況が報道されてしまっては、首相の面目丸つぶれである。(もっとも、事件に関連して逮捕された人たちの中には、すでにCRBチェックを経てからNHSで仕事をしていた医師もいたので、CRBチェックの有効性そのものが疑わしいのであるが。)

 こんな状況で、8月1日がやって来て、静かに過ぎていった。いまのところ、D-Dayに関連した大きなニュースは聞こえてこない。あらかじめサービスを縮小したのが奏効したのだろうか。