Sunday, February 18, 2007

医療崩壊先進国より

 これは「新小児科医のつぶやき」のYosyan氏の2.18企画に賛同した記事です。

 

 我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します。

 

 福島事件(または福島県立大野病院の医師逮捕事件)については、「ある産婦人科のひとりごと」に詳しい経過のまとめがあります。

 地球の反対側の「医療崩壊先進国」より、福島事件とその後の経過に注目しています。この事件を機に、日本国民ひとりひとりが今後の日本の医療のあり方を真剣に考え、よいものに発展させていくことができるよう、心から願っています。

 

 

 私は「医療崩壊」はもはや必至だと思っている。むしろ、日本の医師たちはよくここまでがんばってきたものだと、感心している。医師が労働基準法を遵守し、教育・研修に対する時間や対価を要求すれば、現行の制度は成り立つわけがないのだから。

 医療サービスを評価する上で、よく、3つの基準が取りあげられる。Effectiveness(効果)、Efficiency(効率)、Equity(公正・公平)の3Eである。これは順に、質、コスト、アクセスで測ることができる。日本の場合、この3Eは、第4因子ともいえる「医師の自己犠牲」による補正が必要だと思う。この第4因子はいわば患者と医師の紳士協定で、患者は医師を尊敬し、その尊敬に見合うべく、医師は自分の時間を削って働き、研鑽してきたのである。紳士協定であるから、どちらかが協定を破れば成り立たない。また、関係者以外(この場合は厚労省や政府であろうか)が協定をあてにするのもまずい。どちらが先に協定を破ったのかはともかくとして、もう第4因子に頼ってもらっては困るという医師の声明が「逃散現象」なのだと、私は理解している。

 医師たちがか細い声を上げ、このままでは医療は立ち行かなります、壊れる前に対策を考えてくださいと言っていた時期はあった。残念ながらその声は届いてほしいところに届かず、崩壊の連鎖は始まってしまった。

 翻って、こちらイギリス。医療崩壊の例としていつも取りあげられるイギリスである。サッチャー政権下でコストを抑制された結果、National Health Service(NHS)が機能不全に陥った。ブレア政権はNHS改革プランの名のもと、予算を大幅に増額して改革を進めているが、いったん崩壊した制度を再建するのは時間がかかる、というのが、日本で一般に宣伝されているストーリーである。取りあげられるのが2001-2002年頃のデータばかりで、NHS改革がその後どうなっているのか、きちんと追跡している記事が少ないのは残念である。

 実際、政府は1998年より10年間、NHS予算を毎年7%ずつ増やし、相次ぐ制度改革を続けている。しかし、NHS改革はうまくいっていない。サービス改善の指標である数値目標の達成度が好ましくないにも関わらず、NHSの赤字は膨らんでいる。このままいくと、10年計画の最終年にあたる2007/2008年度以降、年間の予算増が他の分野同様の3%程度にもどった場合、NHSは存続できなくなる。そのため、それまでの拡大路線から一転して、昨年より、財政引き締めにむかっている。

 大幅な予算増にも関わらずNHS改革が苦戦しているのは、サッチャー政権の負の遺産によるものだけではなく、ブレア政権で新たにもちあがった問題による面もある。ブレア政権が導入したNational Service FrameworkやClinical Governanceにより、標準化されたサービスを遂行しその水準を維持するためには、スタッフを増やし、研修や教育に時間もお金もかけなければならない。Payment by Resultという新しい診療報酬制度は、一次ケア・トラストの財政を直撃し、一部の二次ケア・トラストの財政を逼迫させた。EU Working Time Directive(EWTD、EU労働時間に関する指令)を遵守するため、研修医の長時間労働に頼れなくなり、研修医を増員し、宿直制を導入せざるをえなくなった。医療機器の拡充やシステムの電子化にももちろんお金がかかる。患者は、より高額の最先端医療をNHSでカバーするよう要求し、サービス向上や選択肢の増加を望んでいる。

 これらの問題の多くは、医療崩壊の問題を抜きにしても、日本や他の国の抱える問題と重なるものが多い。医学が学問として発展し、治療法が進化していくなか、それらにまつわる倫理的問題がでてくる。社会が成熟するにつれ、患者の意識も高まる。そのいっぽうで、税金や医療保険の額は無制限ではない。これらを解決するためには、どこかで折り合いをつけなくてはならず、その国の歴史や習慣、国民性を抜きにしては解決策は見いだせない。

 イギリス国民は大勢として、万人が平等にアクセスできるNHSを維持することを望んでいる。医療費や人員、医療サービスの質や量は、ようやくヨーロッパの平均に追いついた程度なので、下げられない。スタッフの給与水準や労働条件も、同様の理由で維持するしかない。この枠組みの中でなんとかNHSを維持するべく、イギリス政府は四苦八苦している。

 さて、日本に戻る。問題が山積しているいま、医療制度の崩壊は、変化へのいい機会なのかもしれない。これまでの相次ぐ応急処置では対処しきれないところまで来ているのだから、残るは、大手術しかない。

 日本の医療制度の崩壊が避けられないと仮定すれば、崩壊した後に何を構築するか、考える必要がある。国民が自分たちの医療制度で何を譲れないか、そして、その結果として何を妥協してあきらめるかを決めなければならない。core valueの決定である。これは国民により決められなければならないので、医師が口を挟む余地はない。しかし、core valueを決定するための手助けやガイドはできると思う。とくに、3Eすべてを同時に手にすることはできないことを、しっかり理解してもらわなければならない。そしていったんcore valueが決まったら、政府がそれを実現できる制度を作るために、専門家として医師の助言をあおぐようになるのが理想的だと思う。

 先の長い話のように見えるが、案外その時はもうそこまで来ているのかもしれない。この2.18企画がこの道のりの一部となるよう、願う。

Sunday, February 04, 2007

評価の季節

 年度末が近づいてきた。イギリスの年度は日本同様、4月から翌年3月までが1年である。

 この1週間、年度末の勤務評価(appraisal)と、新年度の勤務内容の設定(job planning)の準備に追われている。

 job planningとは、各コンサルタントの業務の範囲と内容、それらを勤務時間内にどのように割り振るかを決め、年間の仕事の達成目標をたてる作業である。

 appraisalでは、医療サービスやキャリア発展に関して、各コンサルタントが設定した目標を達成できたか、医師として成長しているかを評価し、さらに進歩するためにどのようなサポートが必要かなどを評価者と一緒に振り返り、翌年度にむけた自己発展のための計画をたてる作業である。

 この2つは独立したプロセスだが、重なっていたり相互に関連する部分も多い。情報や結果をお互いに提供しあいながら、ひと続きのサイクルとして運営されるのが望ましいとされている。実際にどのようなスケジュールで運営するかについては、それぞれのNHSトラストに一任されている。ランベス区SLaMの場合、両方とも2月下旬から3月にかけておこなわれる。どちらを先にするかは、人によりいろいろのようである。

 job planningは、臨床部長とコンサルタントが1対1でおこなう。ここで臨床部長は雇用者を代表しているため、Department of Health等の発表している「よい医療のための水準」と照らし合わせて、コンサルタントが良質な医療サービスを無駄なく提供しているかを中心に評価される。年度目標を達成できない場合、昇給を止められる可能性がある。

 いっぽうappraisalは、appraisalの評価者になるためのトレーニングを受けた医師とコンサルタントが1対1でおこなう。ランベス区SLaMでは、評価者は、比較的経験が長い同僚のコンサルタントである。コンサルタント個人の職業人・医師としてのキャリア形成や成長に主点がおかれるため、job planningに比べると、よりsupportiveかつcreativeである。appraisalは、General Medical Council(GMC)のrevalidation(医師登録の更新)に直結している。appraisalで満足する評価が得られない場合、医師登録の更新を拒否される可能性がある。

 とまあ、知ったかぶりをして書いているのだが、実のところ、全部、付け焼き刃の知識である。先々週、臨床部長のJから、job planningとappraisalの予約枠を知らせるメールが届くまで、2つの違いもろくに理解していなかった。ミーティングが現実のものとなって初めて、あわてて調べ始めたというわけだ。

 こういったお約束ごとは、いまだに苦手である。イギリスの制度に途中から飛び入りしたのがつい2年前で、制度そのものがどういう風に回っているのか、まだ完全には理解していないためである。同僚たちは親切でいつも助けてくれるのだが、いかんせん、ここで育った彼らにとっては、私が何を知っていて何を知らないのかは理解できないようで、結局、自分でインターネットで情報を収集し、速成学習をしてそのギャップを埋めるという作業がどうしても避けられない。

 ともあれ、去年の4月頭、当時の臨床部長のAに言われるまま、job planning meetingをした。まぬけなことに、その時はてっきり、私が着任したばかりだからjob planning meetingをするのだと思っていた。まだチームが発足してから日も浅く、チームの運営方針もはっきりしなかったので、これはいい機会とばかり、予定の45分を大幅に越えて、1時間半ほども、チームをどういう方向に向けていきたいかという話し合いをさせてもらった。

 さらにまぬけなことに、目標を達成できないと最悪の場合、昇給が取り消しになることなど知らなかったので、張り切って、やや無謀な目標を4点も設定してしまった。

 2003年10月以降にコンサルタントになった場合、NHSの新給与体系表が使われる。これは、1から20までのグレードがあり、原則的には毎年1段階ずつ上がっていく。しかし、1、2、3、4、9、14、19年目の終了時の昇給は自動的ではなく、job planning review meetingの結果によっては、給料据え置きもあり得る。そう、私の前には、1年目の終わりのjob planningとappraisalが待っているのである。

 今年1年、よく働いたし、チームもよくやってるし、いささか無謀な目標もほぼクリアした。しかし、それを臨床部長や同僚にきちんと論理的に説明し、理解を得て、さらに次の目標を設定しなければいけない。なんといっても、昇給がかかっている。(それだけじゃないけれど。)先週から、試験前の学生よろしく勉強を始めたのも、無理もないでしょ。

 さて、コンサルタントの評価にはもうひとつ、 Continuing Personal Development(CPD)というものもある。いわゆる生涯教育のようなもので、精神科医の場合、Royal College of Psychiatristsに登録し、毎年評価のレポートを提出すると、CollegeがCPDの証明書を発行してくれる。以前はCollegeがCPDの内容を評価していたのだが、現在は、peer groupと呼ばれる、コンサルタント数人で作るグループで年に数回ミーティングをし、学習計画やその実践状況を相互に評価しあう仕組みになっている。グループは、キャリアの方向性に共通点があり相互に研鑽しあうことができ、年齢・経験に幅があるメンバーから構成されるのが望ましいとされている。

 私の参加しているpeer groupは、経験の長いコンサルタント3人と、私より数ヶ月先輩の若手コンサルタントと私の5人からなる。共通点は、みな臨床だけでなくアカデミックな面にも関心があり、リハビリテーションやリエゾン精神科など、一般精神科以外にキャリアの中心をおくメンバーである。

 こちらも、2月中にミーティングが予定されていて、私は、前回のミーティングで承認を得た「学習計画」を清書して、「これまでの成果」のレポートを書かなければならない。

 この3つは、NHSのコンサルタントの義務である。書類仕事は苦手だしミーティングはもっと苦手なので、これらが全部終わるまでは、気が重い日々が続きそうである。

Saturday, February 03, 2007

24

 TVドラマ24のシーズン6が始まった。(以下、通常のテレビや新聞での予告以上のネタバレはありませんので、ご心配なく。)

 ご存じない方のために簡単に説明すると、24はtwenty-fourと読む。シーズン1はアメリカのFoxテレビで2001年に始まった。イギリスでは数ヶ月遅れてBBCで放映され、徐々に人気が高まった。シーズン3からは、SkyOneが放映している。

 主人公は、Kiefer Sutherlandが演じる、CTU(Counter Terrorist Unit–テロ対策のための架空の連邦機関)ロサンジェルス支局の捜査官ジャック・バウアー。アメリカの危機(要人の暗殺や、生物兵器や核兵器によるテロ)にまつわる出来事の始まりから24時間後に解決するまでを、1話で1時間ずつ同時進行方式に、24話かけて描いていく。ちなみに、Sutherlandは24の成功により、忘れ去られた「元俳優」から「スター俳優」に一気に復活した。

 私はシーズン1の途中から見始め、はまってしまった。シーズン1の最終話の日は、友人ら7人で集まり、鑑賞会をして盛り上がった。シーズン3とシーズン4はあまりいい出来ではなかったので、私の24熱もやや落ち着いたが、シーズン5がこれまでで最高の出来で、24中毒は一気に再燃した。

 そして、お待ちかねのシーズン6。まだ最初の3話しか見ていないが、滑り出しは上々である。

 毎週1話ずつなので24週間の長丁場になるが、最近のシリーズではいくつかのエピソードを連続して流すこともあるため、実際は24週よりも少し短い。アメリカで1月14日と15日に、2夜連続で2話ずつ放映し、16日に、最初の4話全部と第5話のさわりだけを含むDVDが発売される予定だった。しかし、あろうことか、1週間前に内容がリークし大騒ぎになった。

 1話の中でも何度も話が急展開し、先の予想がつかないジェット・コースター・ドラマ(古い?)という売りなので、内容のリークにはひじょうに気を遣っているらしい。関係者は内容を絶対に漏らさないという契約書にサインし、台本には通し番号がつき、誰がどの台本を持っているか、厳重に管理されているという。それでなぜリークかと思うのだが、ニュースに取りあげてもらうため、内部から意図的にリークしたという説も半ば冗談ながら、あるようである。

 さて、イギリスでは、アメリカから1週間遅れて21日から始まった。その翌日、クリエイターの1人のJoel Surnowの「恐怖を運んでいる(We're trafficking in fear)」と題するインタヴュー記事がガーディアン紙に載った。(これはMediaGuardianの記事なので、登録しないと全文は読めないかもしれません。登録は無料です。)

 今回のシリーズでは、世界の別の場所で現実に起こっているテロリズムがアメリカに上陸したという設定になっている。ホワイトハウスやCTUがこのテロとどのように闘っていくかというのが、今回のテーマである(と思う)。必然的に、アメリカが批判を受けている、racial profilingも取りあげられている。

 アメリカで最初の4話が放映された後、Fox以外のテレビ局は一斉に、シリーズ6がテロの脅威を煽っていると、批判的な論調で報道した。

 表面的に見れば、なんといっても放映しているのがFoxだから、テロの危機を必要以上に強調し、9.11後のホワイトハウスの方針に同調し、テロとの闘いの名の下の人権蹂躙の正当化をサポートしているととらえられないこともない。

 しかし、実際にドラマを見ていると、ホワイトハウスのスタッフには、racial profilingを正当化するグループと、それに反論する人間を登場させている。大統領は、その場その場でこの2つの間を揺れ動き、悩みに悩む。アメリカ合衆国大統領がテロリストと交渉するの?と思うような場面もある。なかなか複雑で、「タカ派寄り」とひとくくりにはとてもできない。

 Joel Surnowも、製作陣は右派から左派までさまざまな信条を持つ人たちの集まりで、特定の政治的グループを代表するものにはなりようがないと言っている。これまでのシリーズを見るかぎりそのとおりで、Foxにしては偏向せずによくやっていると私は、むしろ、感心している。一貫して流れているテーマは、アメリカ人が立場に関わらずに共有する「愛国心」や「ヒロイズム」だけで、それ以外は「是々非々」で対応しているように、私には見える。

 それになんといっても、これはTVドラマである。Surnow自身も、24が恐怖を利用していることは認めているが、同時に、「怖くなかったら、(24は)ここまで成功していない。それに、しょせんこれはTVドラマである。」と言っている。そんなことをいちいち突っ込んでいたら、ジェームス・ボンドやゴルゴ13はどうするのだろうか。

 外野の議論はさておき、シーズン6はこの先どう進んでいくのだろうか。上記のインタヴューによると、第4話が放映された時点で、19話の台本を執筆中だったが、結末がどうなるかまだわからないという。Sutherlandはすでにシーズン8まで契約をしているので、少なくとも、今回のシリーズと次のシリーズでは、ジャックは死なないことはわかっている。それでも、毎回緊張し、手に汗を握りながら見ることになりそうだ。