医療崩壊先進国より
これは「新小児科医のつぶやき」のYosyan氏の2.18企画に賛同した記事です。
我々は福島事件で逮捕された産婦人科医師の無罪を信じ支援します。
福島事件(または福島県立大野病院の医師逮捕事件)については、「ある産婦人科のひとりごと」に詳しい経過のまとめがあります。
地球の反対側の「医療崩壊先進国」より、福島事件とその後の経過に注目しています。この事件を機に、日本国民ひとりひとりが今後の日本の医療のあり方を真剣に考え、よいものに発展させていくことができるよう、心から願っています。
私は「医療崩壊」はもはや必至だと思っている。むしろ、日本の医師たちはよくここまでがんばってきたものだと、感心している。医師が労働基準法を遵守し、教育・研修に対する時間や対価を要求すれば、現行の制度は成り立つわけがないのだから。
医療サービスを評価する上で、よく、3つの基準が取りあげられる。Effectiveness(効果)、Efficiency(効率)、Equity(公正・公平)の3Eである。これは順に、質、コスト、アクセスで測ることができる。日本の場合、この3Eは、第4因子ともいえる「医師の自己犠牲」による補正が必要だと思う。この第4因子はいわば患者と医師の紳士協定で、患者は医師を尊敬し、その尊敬に見合うべく、医師は自分の時間を削って働き、研鑽してきたのである。紳士協定であるから、どちらかが協定を破れば成り立たない。また、関係者以外(この場合は厚労省や政府であろうか)が協定をあてにするのもまずい。どちらが先に協定を破ったのかはともかくとして、もう第4因子に頼ってもらっては困るという医師の声明が「逃散現象」なのだと、私は理解している。
医師たちがか細い声を上げ、このままでは医療は立ち行かなります、壊れる前に対策を考えてくださいと言っていた時期はあった。残念ながらその声は届いてほしいところに届かず、崩壊の連鎖は始まってしまった。
翻って、こちらイギリス。医療崩壊の例としていつも取りあげられるイギリスである。サッチャー政権下でコストを抑制された結果、National Health Service(NHS)が機能不全に陥った。ブレア政権はNHS改革プランの名のもと、予算を大幅に増額して改革を進めているが、いったん崩壊した制度を再建するのは時間がかかる、というのが、日本で一般に宣伝されているストーリーである。取りあげられるのが2001-2002年頃のデータばかりで、NHS改革がその後どうなっているのか、きちんと追跡している記事が少ないのは残念である。
実際、政府は1998年より10年間、NHS予算を毎年7%ずつ増やし、相次ぐ制度改革を続けている。しかし、NHS改革はうまくいっていない。サービス改善の指標である数値目標の達成度が好ましくないにも関わらず、NHSの赤字は膨らんでいる。このままいくと、10年計画の最終年にあたる2007/2008年度以降、年間の予算増が他の分野同様の3%程度にもどった場合、NHSは存続できなくなる。そのため、それまでの拡大路線から一転して、昨年より、財政引き締めにむかっている。
大幅な予算増にも関わらずNHS改革が苦戦しているのは、サッチャー政権の負の遺産によるものだけではなく、ブレア政権で新たにもちあがった問題による面もある。ブレア政権が導入したNational Service FrameworkやClinical Governanceにより、標準化されたサービスを遂行しその水準を維持するためには、スタッフを増やし、研修や教育に時間もお金もかけなければならない。Payment by Resultという新しい診療報酬制度は、一次ケア・トラストの財政を直撃し、一部の二次ケア・トラストの財政を逼迫させた。EU Working Time Directive(EWTD、EU労働時間に関する指令)を遵守するため、研修医の長時間労働に頼れなくなり、研修医を増員し、宿直制を導入せざるをえなくなった。医療機器の拡充やシステムの電子化にももちろんお金がかかる。患者は、より高額の最先端医療をNHSでカバーするよう要求し、サービス向上や選択肢の増加を望んでいる。
これらの問題の多くは、医療崩壊の問題を抜きにしても、日本や他の国の抱える問題と重なるものが多い。医学が学問として発展し、治療法が進化していくなか、それらにまつわる倫理的問題がでてくる。社会が成熟するにつれ、患者の意識も高まる。そのいっぽうで、税金や医療保険の額は無制限ではない。これらを解決するためには、どこかで折り合いをつけなくてはならず、その国の歴史や習慣、国民性を抜きにしては解決策は見いだせない。
イギリス国民は大勢として、万人が平等にアクセスできるNHSを維持することを望んでいる。医療費や人員、医療サービスの質や量は、ようやくヨーロッパの平均に追いついた程度なので、下げられない。スタッフの給与水準や労働条件も、同様の理由で維持するしかない。この枠組みの中でなんとかNHSを維持するべく、イギリス政府は四苦八苦している。
さて、日本に戻る。問題が山積しているいま、医療制度の崩壊は、変化へのいい機会なのかもしれない。これまでの相次ぐ応急処置では対処しきれないところまで来ているのだから、残るは、大手術しかない。
日本の医療制度の崩壊が避けられないと仮定すれば、崩壊した後に何を構築するか、考える必要がある。国民が自分たちの医療制度で何を譲れないか、そして、その結果として何を妥協してあきらめるかを決めなければならない。core valueの決定である。これは国民により決められなければならないので、医師が口を挟む余地はない。しかし、core valueを決定するための手助けやガイドはできると思う。とくに、3Eすべてを同時に手にすることはできないことを、しっかり理解してもらわなければならない。そしていったんcore valueが決まったら、政府がそれを実現できる制度を作るために、専門家として医師の助言をあおぐようになるのが理想的だと思う。
先の長い話のように見えるが、案外その時はもうそこまで来ているのかもしれない。この2.18企画がこの道のりの一部となるよう、願う。