Tuesday, December 26, 2006

おいしいクリスマス

 早いもので、クリスマスの4連休も今日で終わりである。連日、お昼頃に起き、だらだらと本を読み、ちょっと散歩して、夜はDVDを見て2時過ぎに寝るという、のんびりとした日々だった。

 今年のクリスマス、私にとって画期的だったのは、4日続けて料理したことである。料理(だけでなく、家事一般)とはあまり縁のない私にとって、これは偉業である。

 イギリス料理がまずいのは有名である。外国人が集まると必ずと言っていいほど、イギリス料理がいかにまずいかという話になる。しかし実は、イギリス人の料理への関心はひじょうに高い。両方の手でも数えきれないほどのセレブ・シェフがいて、本屋には料理の本が山ほど並び、料理関係のテレビ番組も多い。「ちゃんとした味覚がないくせに、料理番組だけは山ほどあるのはおかしな話だ」と言ったのは、料理上手な知り合いのドイツ人だった。

 そんなイギリス人。それぞれお気に入りのシェフや料理評論家がいるようで、どこのキッチンにも、かならず数冊はレシピ本が並んでいる。私の知り合いのキッチンでよく見るのは、Nigel Slaterの「Real Fast Food」や「The 30-minute Cook」である。

 Nigel Slaterは、セレブ・シェフではなくFood Writerで、Observer Magazineの料理コラムを10年以上も担当している。ベストセラーになった「Real Fast Food」や「The 30-minute Cook」には、簡単に短時間で作れるレシピが詰まっている。いわゆる「伝統的な」イギリス料理だけでなく、ハーブや香辛料を使った、地中海風、アラブ風、インド風のレシピもが多い。

 イギリス人よりさらに料理が下手で、手間をかけるのが嫌いな私は、まともなキッチンがついた今のフラットに引っ越したとき、さっそく、Nigel Slaterの本を3冊買った。(Real Fast FoodThe 30-minute CookThe Kitchen Diaries

 これが、なかなかよろしいのである。なにしろ、面倒な下ごしらえがいらない。手際が悪いので、全部が30分以内とはいかないものの、1時間はかからずに、ちゃんと食べられるものができる。

 引っ越して数ヶ月の間は、けっこうはまって、そこそこ自炊していた。そのうちに忙しさにかまけて、またもとの外食生活に逆戻りしてしまったが。

 そしてクリスマス休暇。ふと、4日ともちゃんと家で作ろうと思い立った。名付けて、「おいしいクリスマス・プロジェクト」。

 さっそく、4日分のレシピを選んだ。

  • Pork and Pears(Real Fast Foodより)
  • The 30-minute Roast Chicken(The 30-minute Cookより)
  • Grilled Lamb with Onions and Spices(The 30-minute Cookより)
  • Pork Chops with Herb Butter(The Kitchen Diariesより)
 便利なことに、イギリスのスーパー・マーケットでは、何種類かのグリーンをあわせたReady-to-Eatのサラダが手に入る。また、オーブンで10分焼くだけのバゲットもある。(イギリスのパンは信じられないほどにまずいが、焼きたてだと、まあまあ食べられる。)メインを作り、焼きたてのバゲットとサラダを並べて、立派にクリスマス・ディナーとなった。

 DVDを見ながらのデザートは、Sainsbury'sの「Taste the difference」シリーズのヨーグルト(このシリーズのバニラやルバーブはおいしい。)や、Marks & Spencerのクレーム・キャラメルとアップル・クランブル。ちゃんと選べば、イギリスでもおいしいものは食べられるものである。

 ぎっしり詰まっていた冷蔵庫も、かなり空っぽになってきた。明日からは、食べきれなかったチキンや、まだまだたくさんあるポテトなどで、残り物生活である。

Friday, December 22, 2006

クリスマス休暇前夜

 明日からクリスマスの4連休になる。

 イギリスでは、23日まではどこも通常営業、24日のクリスマス・イブは早じまい、25日のクリスマスと26日のボクシング・デーがバンク・ホリデー(国民の休日)になる。今年は23日が土曜日にあたるため、4連休になるというわけだ。

 先週までの2週間は、クリスマス・ショッピングに出かける人で、街はどこもひどい混雑だった。恐ろしくて、オックスフォード通りには足を向けなかった。職場では、次から次へといろいろな問題が目の前に現れて、気ぜわしいし気は休まらないしで、なんとなくつんつんとしていた。

 それが、今週に入ったとたん、がらっと変わった。街は込んでいるものの、殺気立った感じは消えた。週の頭から、地元の人はぼちぼち帰省し始め、通りには観光客のほうが目立つようになった。(霧でキャンセルが続出した空港では、きっと殺気立っていたと思う。)

 仕事は、かなりの人が休暇を取っているため、メールのやり取りも少ないし、なにしろ、仕事にならない。患者さんたちも静かで、急を要することもない。ひとりだけ少し具合の悪い人がいたのだが、私が何かするまでもなく、落ち着いてしまった。

 先週までの慌ただしさが、クリスマス前の駆け込み操業のせいだと気がついたのは、今週に入ってから。わかっていたらもう少し気分が楽だったのに、と苦々しく思うのもいつものことである。この時期のイギリスは、日本の年末年始の休暇の前に似ている。年末が2週間前倒しになったようなものである。

 今日は、午後から仕事に行った。こういうことに限っては、うちのチーム・リーダーはやけに気が利くので、チームに残っているメンバーを午前組と午後組に分けて、9時に出てきた人は2時に上がり、午後出てきた人が5時まで留守番することにさっさと決めてしまった。医者は今週は1人しかいないので、私は勝手に午後組に入った。(どうせ何かあれば、携帯電話で呼ばれるのだし。)

 ぽかっと空いた午前中を有効に使うべく、私はスーパーに買い出しに行った。明日と明後日は店は開いているが、品薄になっているかもしれない。25日は、レストランはおろか、スーパーもほとんど閉まる。(おまけに、バスも地下鉄も止まる。)4日分の食材とデザートと飲み物を買い、入るだけナップ・サックに押し込んで、残りは手に持って、予想外の重さに、よたよたしながら帰宅した。

 仕事に出ても、昨日よりさらに仕事がない。先延ばしにしていた手紙を書きあげた後は、いくつかメールを書いたり調べものをしたりしただけ。午後組の数人は、Merry Christmas!と言いながら、4時55分にさっさと引き揚げた。

 帰り道のトラファルガー広場には、ノルウェーから贈られたクリスマス・ツリーがどんと構えている。写真の正面左手がナショナル・ギャラリー。右手奥がSt Martin-in-the-Field教会。ツリーの反対側では、St Giles教会のコーラス隊がクリスマス・キャロルを歌っていた。

 我が家のクリスマス・ツリーも飾りつけをした。先日、ケンブリッジのマーケットで買ったもの。高さが25センチしかないが、クリスマス・ツリーにはかわりない。

 さあ、これから4日間、読書とDVD鑑賞に明け暮れることにする。

Wednesday, December 20, 2006

採血屋さん

 日本の医療現場で当たり前なことがイギリスでは当たり前でないという経験はよくある。「採血専門家(phlebotomist、フレボトミスト)」もそのひとつである。

 イギリスの一般看護業務には筋肉注射は含まれているが、静脈穿刺(venepuncture)や静脈注射・留置(cannulation)といった、血管を穿刺する施術は、専門の講習を修了した人のみがおこなうことができる。

 反対に、講習さえ受けていれば、医療職の資格がなくても採血専門の医療補助技術者として仕事をすることができる。これがフレボトミストである。

 フレボトミスト協会(National Association of Phlebotomists)によると、GCSE(General Certificate of Secondary Education、中等教育修了資格)を2科目以上パスしていることに加えて、社会人としての基本的条件やコミュニケーション・スキル、手先の器用さがあれば、フレボトミストのコースを受講できる。

 実際、精神科の外来では、医療事務や医療秘書の人たちがフレボトミストとして仕事をしている。精神科の外来で陪席を始めた頃は、「フレボトミスト」なるものの存在を知らず、採血のオーダーを出したら、タイプ仕事をしていた秘書さんがいきなり立ち上がって採血の準備を始めたので、面食らったおぼえがある。

 すでに看護師の資格を持っている場合、venepunctureの1日講習を受ける。午前中に血管走行の解剖、器具の扱い方や滅菌操作、感染予防についての講義を受ける。午後は、病院の血液検査部で実際の患者さんに採血させてもらって練習する。受講証書を受け取れば、晴れて、採血の仕事ができるようになる。

 医療事務の人たちがフレボトミストを兼ねていることが多い背景には、手当の問題がある。フレボトミストとして仕事をすれば、秘書さんたちはその分収入が増える。いっぽう、看護師が採血する場合、下手をすると仕事が増えるだけで給料に反映されない可能性があり、看護師は講習を受けたがらないという。

 さて、地域精神保健サービスの患者の場合、基本的に、抗精神病薬の処方も含め、医学的検査や管理は家庭医が担当しているので、私たちが採血をしなければいけない場面はほとんどない。唯一の例外は、クロザピンのモニターのための定期採血である。家庭医が採血を担当している患者もいるが、ほとんどの場合、地域精神保健サービスのクロザピン・クリニックが採血をしている。

 どこのチームも、最低1人、採血ができる看護師をチームに確保しており、彼らがクリニックを運営している。チームによっては、派遣会社から週に半日だけフレボトミストに来てもらっていたところもあったが、最近の経費削減のもと、これもなかなか難しくなっている。

 うちのチームは、チーム発足の直前になってようやく、採血ができる看護師Cを説き伏せた。Cが毎週クロザピン・クリニックを運営しており、彼女が休暇の場合は、スタッフ・グレードの医師Hがカバーしてきた。

 ところが、1ヶ月前、Cが体調を崩した。2週間で復帰できるはずだったのだが、長引いてしまい、さらに2週間病欠を延長するという診断書が届いた。

 スタッフ・グレードのHが、文句もいわずによくカバーしてくれたのだが、運悪く、今週は彼女が休暇でいない。さて困った。採血できる人がいない。派遣会社やSLaMのナースバンクは、あてにできないし。

 チーム・リーダーと頭をひねった挙げ句、リハビリテーションの同僚のコンサルタントから研修医を1人借りてきて、ことなきを得た。

 なぜ私が採血をしなかったかって? コンサルタントが身体診察や採血等の最前線の業務をするかどうかは、それぞれのコンサルタントやチームによって温度差がある。前のチームにいたときは、前任者が何でもやる人だったので、後を引き継いだ私も、緊急の血液検査に何度も駆り出された。今のチームは誰も、コンサルタントを使おうという発想はないらしい。採血役を自分から買って出てもよかったのだが、クリニックに来る面々を見ると、これで駆血帯を巻けるのだろうかと思うほどの腕の持ち主が時々いるので、自分の採血技術を過大評価するべきではないと、自制した。

 本音を言えば、あてにされなくて、ちょっとばかり淋しかったのだが。

 下の写真は、うちのクリニック・ルームの「採血椅子」である。患者はこの椅子に座り、肘掛けに腕をのせ、リラックスした状態で採血してもらう。ほんとうにリラックスできるかどうかは、試したことがないのでわからない。

Friday, December 15, 2006

ベッドの不公平配分

 先日来、ベッドが空くのを待っていた患者Dは、2週間待って、ようやく女子急性期病棟に入院できた。

 この数ヶ月、よくなったり悪くなったりの繰り返しで、何度か入院も考慮した。しかしその度に持ちなおし、入院しなくてもと思い直した矢先にまた悪くなるというのが、彼女の最近のパターンだった。このパターンを繰り返しながら、全体的にはどんどん悪くなってきている。一般的な治療ではうまく症状がコントロールできないのがはっきりしてきたため、クロザピンをできるだけ早く始める必要があると考えていた。しかし、施設にいたままでは、彼女も、入所している施設のスタッフも、薬を変更・調整する間のやや不安定な時期をとても乗り切れないだろうと思われ、本人が入院に同意したこともあり、クロザピン導入のための入院を決めた。つまり、入院しないと薬の調整は始められないというわけだ。

 Dが2週間待っていた間、ベッドがまったく回転していなかったわけではない。やむを得ず入院が長期化する患者を含めても、平均在院日数が3週間なので、当然、ベッドは回転している。しかし、緊急に強制入院が必要な患者や、救急外来から緊急転送される患者がしょっちゅう出てくる。このようなケースが、本人に入院の意思があり、地域にサポートする精神保健医療チームがあるDのようなケースを次々と飛び越えて、空いたベッドにおさまっていく。

 ベッドの配分は公平じゃないと、愚痴のひとつもこぼしたくなるような気分でいた矢先、皮肉なことに、私自身が別の患者の緊急入院を勧めることになった。

 Fは、境界型人格障害の男性。女性問題の破綻をきっかけに、飲酒量が増え、自傷行為や脅迫的な言動が増えていた。今回は、ためていた抗うつ薬をまとめて飲んだと施設のスタッフに自己申告し、救急車で総合病院の救急外来に運ばれた。

 自殺企図や大量服薬等の患者が救急外来に運ばれると、精神科の当番・宿直の医者が診察する。今回は夜間だったため、宿直のSenior House Officer(SHO)が診察し、「うつ病の重度抑うつ状態、自殺企図・既遂に至る危険が高い」と診断し、緊急入院が必要という判断を下し、転院の依頼がなされた。

 これまでのFの自傷行為の経過から、入院は、危機を一時的に回避するのみで、長期的には治療的効果はないことは、チーム内、病棟のコンサルタント、施設の職員とも確認しあっていた。そのため、今回の救急受診に至る前のいくつかの事件の際、入院はまったく考慮されなかった。

 また、Fを何度か診ている私のチームのスタッフ・グレードの精神科医が大量服薬の2日前にFを診察しており、まったく抑うつ症状はなかった。反対に、重度の抑うつ状態で緊急入院が必要と判断したSHOは、Fにそれ以前に会ったこともなく、手元にカルテのない状況での1回きりの診察により判断を下している。

 これらの矛盾する情報を手に、転送依頼を受けたベッド・マネジメント チームは判断に迷い、私に意見を求めてきた。

 私もチームも9割方、Fのいつもの自傷行為と同様、数日すればおさまり、その間、再度自傷行為に及んだり、他害行為に及ぶ可能性は少ないと考えていた。また、最後の診察からたった2日で急に重症の抑うつ状態をきたしたという可能性は、ひじょうに低いと思われた。

 しかし、残りの10%で、万が一という不安もあった。自傷行為の間隔が短くなっておりエスカレートしていること、ふだんなら酒に酔った状態でしか出てこない脅迫的言動が、素面の状態であったこと、脅迫的言動の対象が施設の他の入居者におよんでいること等、リスク因子がいくつかあり、偶発的に事件・事故につながることがないともかぎらない。おまけに、 SHOが「重度の抑うつ状態」と言い切ってしまった。実際に患者を診ていない私たちが「そんなことはない」とSHOの診断を切って捨てるには、なかなか勇気がいる。おまけに、今は金曜日の午後。

 入院を待っている患者が多数おり、Fが割り込むことで、入院が先延ばしになる人が出てくる。しかし、本人との治療契約がうまく機能していないなか、今の施設やチームの状況で、ましてや週末を目前にして、この10%のリスクを管理できるかどうかを考えた末、このリスクはとれないと判断し、危機介入のための短期入院を勧めた。

 治療のためのベッドがなかなか確保できない一方で、危機介入のために、「治療的ではない」と承知しながらも、ベッドを使わざるをえない。結論を出した後も、なんとなくすっきりしない気分が続いた。

 (患者さんの個人情報は、脚色してあります。)

Monday, December 11, 2006

Nitin Sawhney

 昨日は久しぶりにJazz Cafeに行った。去年のRay Barrettoのライブ以来である。(彼は今年亡くなったので、最後のUKライブだった。)

 Nitin Sawhney(ニティン・ソーニー)のアコースティック・ライブの最終日。6日間連続のライブが全部売り切れという人気だった。

 ご存じない方のために、紹介しよう。Nitin Sawhneyというのは、イギリス系アジア人のプロデューサー/アーティスト/DJ/作曲家。クラシック・ピアノ、ジャズ・ピアノ、フラメンコ・ギターの名手でもある。彼の作品は、ワールド・テクノ・ジャズ・ヒップポップ等、多岐にわたり、ひとつの分野に当てはめることができない。最近では、クラシック音楽の作曲にも手を出している。(公式サイトはこちら。英語版Wikipediaはこちら。)

 アーティトであると同時に、アクティヴィストとして、多文化尊重、移民、貧困等、さまざまな面で発言をしている。歌詞にはこれらの政治的なメッセージが込められたものも多く、大きなハコでのコンサートでは、メッセージ性の強いテーマの画像がバックのスクリーンに映し出される。

 生Nitinはこれが4回目。個人的には、電気の使用量がとっても多いコンサートよりも、アコースティックのほうがお気に入りである。(アコースティックとはいっても、2年前の、オーケストラと一緒のコンサートはいまいちだった。)

 クリスマス・デコレーションと、正面の壁の「STFU (Shut the fxxx up) during the performance. (演奏中はお静かに)」の指示の前の舞台に、Nitinの他に固定メンバーが5人。短い曲の紹介をはさむだけで、3人の女性ヴォーカルが次々と入れ替わりながら、ライブはさくさくっと続いていく。途中、Natacha Atlas(アラブ系女性歌手の中ではたぶん一番有名な人)も出てきて、豪華である。

 今回は政治的なメッセージはなしかと思ったら、そこはNitinのこと、「Immigrant(移民)」という歌の紹介の際、「数日前、トニー・ブレアが、イギリスのマイノリティの人たちは、(イギリス社会の人種的)統合のためにもっと責任を持つべきだ言っていたが、この曲は、人間の相違を賞賛する歌です。」とぶったのが、唯一のメッセージだった。もちろん、ときにものすごく重い歌詞を除いてだが。

 この手のアクティヴィティは、こちらでは珍しくない。私自身、自分の政治信条的立場をはっきりさせているし、しっかりと発言もするほうである。しかし、あまりにみえみえのメッセージは、疲れるなと思うこともある。

 政治的なものと叙情的なもの、欧米的メロディと、ラテン、アラビック、アジアの曲が、一見無秩序に織り交ぜられて、英語にベンガル語、ポルトガル語、スペイン語、アラビア語が混ざって歌われる。ときに静かに、ときに熱狂して聴いている観客は、アジア系と、白人(イギリス人も他のヨーロッパ人もいる)が約半々。それ以外の人(アフロ・カリビアン等)が少々。全員が、それぞれのお気に入りの曲に盛り上がる。こういうコンサートそのものが、メッセージを発信しているのではないかというのは、ちょっと理想的すぎるであろうか。

 iTunes StoreでNitin Sawhneyで検索すると、音楽のカテゴリーが、エレクトリック・ワールド・ロックとまちまちになっているのが、なんだかおかしい。政治的なメッセージが嫌いな向きも大丈夫。歌詞は、いろいろな言葉が混ざっていて理解できないものも多いので、音楽だけを心ゆくまで堪能できる。興味のある方は、一度ご試聴あれ。

Sunday, December 03, 2006

カッコウする

 私のいるチームPAMS(Placement Assessment and Management Service)の前身であるPAMT(Placement Assessment and Monitoring Team)が、いったんGPに返した患者Nが出戻ってきた。

 PAMTもPAMSも、対象とする患者は、24時間スタッフが常駐する施設の入居者であることが受け入れ条件のひとつとなっている。担当する患者がサポート・レベルの低い施設に移った場合、3-6ヶ月間様子をみて、新しい環境でやっていけると判断した時点で、地域の精神保健医療チームやGP等、適切なチームにケアの責任を移す。

 Nは60歳代半ばの男性で、10年以上も施設に暮らしていた。若い頃、精神疾患の診断で治療を受けたことがある、長いこと未治療にもかかわらず、症状の増悪もなかった。(なんで精神疾患の「既往」しかない人が、精神疾患をもつ患者を専門とした施設に入所したのかは、また別の問題なので、ここでは触れない。)

 55歳になると、高齢者向けのExtra-care shelter schemeへ申請する資格ができる。このスキームでは、住人たちは各自が独立したフラットに住む。1つの建物あたりのフラットの数は様々だが、共用の食堂とラウンジがあり、管理人が常駐する。1日に1度調理した食事が提供され、必要に応じて、日常生活上の援助(入浴の介助や部屋の掃除)も受けられる。

 Nは運よくこのスキームに受け入れられ、晴れて、自分のフラットを借りることができた。転居後も何の問題もなく、本人も大満足で、PAMSが発足する前にPAMTからGPに卒業していった。

 それから1年ちょっと。以前担当者だったSがふと思い立って、管理人に様子うかがいの電話をした。あろうことか、あまりお行儀のよろしくない人たちが出入りしていて、他の住人から苦情が出ているという。このままではNはフラットの借用権を失うかもしれない。また、ものすごく若い女性の友人がよく出入りしているとも言われた。

 SはさっそくNを訪ねていった。久しぶりにSに会い、Nは喜び、一人暮らしの大変さ、孤独さをひとくさりこぼした。またNは、以前にいた施設のときに知り合った「友人」Dに借金をしており、そのことがまだ片付いていないと言う。借金は、主に大麻の購入代金だったようだ。Dが借金の取り立てに訪ねてくるかどうかについては、Nは言葉を濁してあまり話したがらなかった。

 しばらくして、またSが訪ねてみると、前回とはうってかわって、Nは何も問題がないと言うばかり。しかし、以前あったはずの家財道具の一部が消えている。冷蔵庫は空っぽ。部屋で何かを食べた形跡もない。

 管理人によれば、あいかわらず人の出入りは多く、今度は前とは違う若い女性が出入りしているそうである。

 何が起こっているのかはっきりしないものの、どうも怪しい。確実によからぬことが進行しているというのが、チームの印象であった。(Nの話は、一部変更してあります。)

 そんな折、ガーディアン紙に「邪悪の巣(Den of iniquity)」という記事が載った。

 近年、内務省、警察、地方自治体は、協力して、違法薬物取り締まりを強化している。とくに、クラスA薬物であるコカインやヘロイン売買の前線基地を徹底的につぶしにかかっている。これら売買拠点は、crack den(結晶状コカイン、crack cocainからきている)と呼ばれる。ロンドンのハックニー区では、2004年に14のcrack densを閉鎖に追い込んだそうである。

 売人たちはこれまで、空き家を不法占拠して売買拠点を作ってきた。ここにきて、売人たちは方針を変え、公営住宅のフラットの住人に近づき仲良くなることによって(befriending)、彼らのフラットを乗っ取り、新たなcrack denを作っている。「カッコウする(cuckooing、言うまでもないが、カッコウの托卵から来ている)」のである。高齢者や精神疾患を持つ人のような、弱者(vulnerable adults)が狙われている。

 ランベス区を含めた南東ロンドンを基盤とする、ホームレスのための慈善団体Teames Reachによると、毎年、1000人のクライアント(元ホームレスで、Teams Reachを通して公営住宅に入居した人)のうち30人が、こういった「カッコウ作戦」の標的になるという。

 都会で知り合いも親戚もなく、1人で暮らすのは大変である。精神疾患や薬物問題を抱える人は、仕事を続けることも難しいことが多い。日中行くところもすることもなく、孤独で時間を持て余している。売人たちは、こうしたところにつけこむ。

 フラットを手にすることは簡単ではない。たいていの人は、簡易住宅等に住みながら長い期間待った後、ようやく順番が回ってきて、フラットに入居できる。

 しかし、「カッコウ作戦」にいったん組み込まれると、本人が知らないうちにフラットはcrack denと化す。その過程で、金・女・薬のいずれかで、ディーラーたちは本人に借りを作らせ、本人が利用されていると気がついても逃げられないようにしておく。本人は自分のフラットのコントロールを失い、家財道具は勝手に売りさばかれる。社会福祉事務所が介入しようとしても、売人たちが「友人」と名乗り、本人がそれを確認すれば、なかなか介入しづらい。フラットが完全に乗っ取られ、本人は追い出されてホームレスに逆戻りしているケースもあるという。

 フラットがcrack denであることが住宅公社に見つかったり、警察の捜査が入ると、売人の一部は逮捕されるかもしれないが、根幹は残り、次の標的に移動するだけである。いっぽうで、本人はフラットの借用権を失い、また簡易住宅にもどる羽目になる。もっと悪ければ、「自分の意志でホームレスになった(intentionally homeless)」と判断され、簡易住宅にさえ入れない可能性すらある。

 Nのケースも、この状態に近いのではないかという気がする。さっそく、ランベス区のInter-agency Adult Protection(弱い立場にある成人を人権侵害から保護するための制度)の担当者に報告した。

 イングランドで最大の数の施設入所者を抱えるランベス区は、なんとかして入所者数を減らそうと躍起になっている。PAMSは、そのためのチームである。しかし、私たちが担当しているのは、このような「弱者」である。よりサポートの低い施設に移すのはいいが、移した後どうやってフォローしていくのかというのが、新たな問題である。