Saturday, August 26, 2006

Caldicott Guardian

 カルディコット・ガーディアン(Caldicott Guardian)は、読んで字のごとく、守護者である。たいそうなものを守っているような名前であるが、そのとおり。カルディコット・ガーディアンが守っているのは、個人情報である。

 先日、悪質な連続女性暴行・家宅侵入・窃盗の捜査にからんで、スコットランド・ヤードから、私の患者についての問い合わせを受けた。この捜査、れっきとした作戦名がついた、スコットランド・ヤード始まって以来の大規模な捜査である。1998年に作戦が始まって以来、DNAスクリーニングを駆使し、すでに2万人以上を調査したそうだが、まだ犯人は捕まっていない。私の患者の身体的特徴の一部が、たまたま犯人のものと合致していたため、捜査線上にのったらしい。(患者の名誉のために付け加えれば、彼が犯人である可能性は、万にひとつもない。)

 1990年代に入り、NHSにITが導入され、Eメールが連絡の手段になり、電子カルテが導入されるにつれて、個人情報保護に対する危機感が募った。1996年、「患者の個人情報の保護と使用(The protection & use of patient information)」という政府の指針が公布され、NHSも、この交付を現場で徹底する必要に迫られた。

 そこで、Oxford大学Somervilleカレッジの学長であり、精神科医・精神療法家であるDame Fiona Caldicottを委員長とする専門委員会が発足した。これは、カルディコット委員会と呼ばれ、患者個人が同定できる情報に関して、患者の医療ケア、医学研究、その他の用途において、どのように個人情報を保護するか、また、どのような目的のためなら個人情報の秘匿原則を侵害することが正当化できるか、について、検討された。

 1997年、委員会は、16の勧告からなるカルディコット報告を発表した。さらに、個人情報保護・開示に関する6原則を作成した。6原則の簡略版は、覚えやすいように、委員長の名前を取って、FIONA Cの文字で始まるようになっている。(これは、単なる親切心や遊び心か、はたまた、後世に名を残そうという名誉欲や権勢欲によるものか・・・。)

  • Formal justification of purpose(目的が公正なものである)
  • Information transferred only when absolutely necessary(絶対必要な場合に限る)
  • Only the minimum required(最小限必要なものにとどめる)
  • Need to know access controls(アクセスを規制する必要がある)
  • All to understand their responsibilities(全員が責任を自覚する)
  • Comply with and understand the law(法律を理解し遵守する)
 勧告3で、すべての医療保健機関は、患者の個人情報保護のため、シニア・スタッフ(医療関係者が望ましい)を監視責任者として任命するよう推奨されている。これがカルディコット・ガーディアンである。カルディコット・ガーディアンは、患者の個人情報保護・開示に関する助言をし、トラストの内規を作る等の役割を担う。

 カルディコット報告以降、情報保護や本人同意に関して、いくつもの法律が改訂・制定された。(Data Protection Act 1998、Human Rights Act 1998、Public Interest Disclosure Act 1998、Audit Commission Act 1998、Terrorism Act 2000、Health and Social Care Act 2001 Section 60、Investigatory Powers Act 2000/2005、Freedom of Information Act 2000)法律の変更にともない、NHS内でも、ITを含む情報管理制度(Information Governance)の整備が進み、カルディコット・ガーディアンの役割と責任範囲も広がった。

 SLaMには、個人情報の扱いに関しては、秘匿情報に関する内規(Confidentiality Policy)と情報管理に関する内規(Information Governance Policy)がある。

 Confidentiality Policyには、情報開示先と開示目的、本人の同意の有無によって、3つのフロー・チャートがあり、それぞれのフローに従って対応することになっている。たいていの個人情報開示は、医療倫理の常識内で判断可能で、専用の依頼・報告用紙も常備されている。

 初めに触れた、私が関わった情報開示の要請に関しては、やや事情が複雑だった。

 スコットランド・ヤードは、初めにトラストの利用者対応窓口に問い合わせをした。窓口担当者が、私が患者の担当医であることを調べ、私に連絡してきた。詳しい要請内容を知るため、私が直接スコットランド・ヤードの担当者に連絡を取ろうとしているところで、SLaMのカルディコット・ガーディアンであるDr Hからストップがかかった。

 今回の件は、情報開示先が医療保健機関ではなくスコットランド・ヤードであり、目的が公衆の保護で、捜査の性格上、本人には同意を得ることはおろか、開示することそのものも伝えないという意味で、フローチャート中では特例になる。そのため、Dr Hが初めから関わったわけである。

 私にストップをかけた後、Dr Hがスコットランド・ヤードに、情報保護法(Data Protection Act)に基づき、書面での開示要請を要求した。要請の手紙がDr Hに届いた時点で、私とDr Hが電話で話し合い、開示要請に応じることに合意した。次いで、Dr Hから、情報保護法に基づき、個人情報開示を許可するという手紙を受け取り、私から、スコットランド・ヤードにあてて、書面で回答した。トラスト内規に従って、情報管理委員長(Information Governance Manager)である、Dr Gにも報告した。

 これらすべてを、電子カルテにきちんと記載したことは言うまでもない。

Friday, August 18, 2006

医師登録証明書

 今日、General Medical Council (GMC) から、年間登録証明書(Annual Registration Certificate)が届いた。これがあれば、この先1年、また医師として仕事ができる。と言えば聞こえはいいが、登録料290ポンドの領収書でもある。

 GMCに登録しているかぎり、65歳の誕生日まで、この年間登録料を払い続けることになる。65歳以降は、登録料は免除になる。これは、定年の65歳以降は医師賠償保険の加入基準が厳しくなり、臨床を続ける人がものすごく少なくなるためである。また、医師の年収が19,700ポンド以下の場合は、登録料が半額免除になる。

 いずれにしても、イギリスで医者として仕事をするのは、いろいろと物入りなのである。

 この証明書には、A4サイズのポスターが同封されていた。「医師の義務(The Duties of a Doctor)」のポスターである。少し長くなるが、全訳してみる。(原文はGMCのウェブサイトに載っています。)


「GMCに登録している医師の義務」

 患者は自分たちの生命や福祉について、医師を信頼することができなければいけない。その信頼を正当なものとするために、医師は高い臨床およびケアの水準を維持し、人命に対する尊敬を示す義務がある。

 とりわけ、医師たちは

  • 患者のケアを第一に考えなければいけない。
  • どの患者にも、礼儀正しく思いやりをもって接しなければならない。
  • 患者の尊厳とプライヴァシーを尊重しなければならない。
  • 患者の訴えを聞き、彼らの意見を尊重しなくてはいけない。
  • 患者が理解できるような方法で、情報を提供しなくればならない。
  • 患者には、自らのケアを決めるにあたり、十分に関わる権利があることを尊重しなければならない。
  • 医師は最新の専門知識と技術を保たなければならない。
  • 医師自身の専門技量の限界を認識しなければならない。
  • 正直かつ誠実であらなければならない。
  • 個人の秘匿情報を尊重し保護しなければならない。
  • 医師の個人としての信念が、患者の治療に不利益となるようなことが絶対にあってはならない。
  • もし医師自身あるいは同僚が臨床にふさわしくないと思われる場合、患者がリスクにさらされることがないよう、迅速に行動しなければならない。
  • 医師としての立場を悪用することを避けなければならない。
  • 患者のために最善となるよう、同僚と協力して働かなくてはならない。
 これらすべての点において、医師は、患者や同僚を不等に差別することがあってはならない。そして、医師は、常に、自身の行為を弁明できるような心構えがなくてはならない。


 この14項目の義務、医師の責務全般に渡っている。一部は精神論に聞こえなくもないのだが、GMCのFit To Practice Panel(FPP、医師適性評価委員会)で、適性審査の判断基準として機能している。

 中でも一番精神論的なのは「正直かつ誠実」の項目だと思うのだが、これもFPPによく出てくる。

 たとえば、Dr Nのケース。マレーシア出身の男性で、イギリスの医学部を卒業後、イギリスで研修をしていた。研修医のポストに応募するにあたり、彼は、履歴書で成績を実際よりもずっとよかったように偽造した。業績も偽り、他人の論文を自分のものとして引用したり、添付の別刷りPDFを改竄し、自分の名前を入れたりした。このように、改竄の内容や方法が悪質なうえ、履歴書の改竄が発覚しそうになった際に嘘を並べたたこと、その後も偽造した履歴書を使い続けたこと、上司に事情を聞かれた際に、ことの重要さへの洞察が甘く、反省の色がなかったことも委員会で証言された。これらは、職業上の違法行為(Professional misconduct)にあたるとされ、「職業人として不適切(unprofessional)」で「誤解を誘導(misleading)」し、かつ「不正直(dishonest)」であると判断された。

 とくに、手口の悪質さや洞察・反省のなさから、Dr Nの「不正直さ」が医師の義務に反すると強調されている。Dr Nは、履歴書の改竄は、なかなかポストがとれず、精神的に追いつめられた上でのことだと弁明したが、これに対して委員会は、「ストレスがあるから不正直になるというのであれば、医師としての今後のキャリアの上で、ストレスにさらされた場合、同様の不正直な行為を繰り返す危険が高い。」と断じている。結果として、Dr Nの名前はGMC登録から抹消された。

 ポスターが同封されてきたということは、これをオフィスに貼って、毎日眺めて、医師としての心構えを忘れないようにしなさいってことなんだろうか。それとも、少なくとも年に一度くらいはおさらいしてね、ということかしら。

Sunday, August 13, 2006

オン・コールその3−初オン・コール顛末記

 当初のオン・コール予定表では、私の初めてのオン・コールは11月の予定だった。しかし、リハビリテーション部門の同僚のTが、急遽旅行の予定が入ったとかで、交替した。Tの都合で交替したので、Tが交換台に連絡してくれた。(オン・コール予定表と各自の連絡先は、交換台が把握している。)

 臨床部長のAに、初めてのオン・コールの前には一度連絡するように言われていたので、10日ほど前にメールを送り、何か気をつけることがあるかどうか聞いてみたところ、「普通はものすごく静かで、オン・コールのSHOが出てこないという時くらいしか呼ばれない」という、そっけない返事が返ってきた。SHOが出てこないってどういう意味かしら、とやや引っかかるものを感じたが、「ものすごく静か」というところが印象に残ったせいか、それ以外はすぐに忘れてしまった。

 7月11日月曜日、オン・コールの週が始まった。月曜の夜は、ベッドの脇に携帯電話が手の届く範囲にあるのを何度も確認してから電気を消した。火曜の夜は、多少不安を感じながらも、映画を見に行ったのだが(!?)、通路側の席をとり、消音にした携帯電話を握りしめながら映画を見ていた。

 でも、電話は来ない。

 水曜日の朝。SHOからではなく、Tから電話が来た。「オン・コール交替したよね。」

 なんと、前日の夜、Tがオペラに行く途中に電話があったという。Tが連絡したにもかかわらず、交換台の不備で、当直表は変更されていなかったという。どうりで私の電話が鳴らないわけである。幸い、電話の内容はたいした用事ではなく、Tは無事にオペラを聴くことができたのだが、ちょっと気の毒だった。

 丸2日間、得をしてしまったのだが、気分を新たに、水曜日からオン・コール本番。ひきつづき、漠然とした不安と緊張を感じながら過ごしていたが、電話は来ない。

 金曜の夕方5時15分。オフィスでそろそろ帰ろうかと片付けをはじめたところに携帯が鳴った。St Thomas'病院の日勤のDuty SHOからで、「オン・コールのコンサルタントと話したい」という。どこかにオン・コール表があるんだろうから、名前で呼んでほしいとふと思ったが、そんなことは口にせず、用件を尋ねると、Extended HourのSHOが来ないという。聞けば、偶然が重なって、St Thomas’病院のExtended hourを担当するSHOが、同じ日にLambeth病院の夜勤をしなくてはいけなくなってしまった。交替できる人を探したものの結局どうにもならず、そのSHOが両方とも掛けもちをすることになった。昼間に電話で確認したときは、大丈夫と言っていたにもかかわらず、まだ現れない。自分は用事があって、あと15分ほどしか待てない。オン・コールのSpRの携帯電話にもつながらないという。

 ふいに、Aからのメールを思い出した。SHOが出てこないってこういうことなのか、と気がついたが、今さら遅い。出てこなかったら どうするかは聞いていなかった。

 数秒で最初のショックから回復し、言葉を探す。わからなければ聞くしかない。「こんなの初めてなんだけど(オン・コール自体初めてだから、当然なんだけどね。)、こんなとき、普段はどうしてるの?」と尋ねると、「臨時でカバーしてくれる人を探すか、医師派遣会社に連絡して誰かよこしてもらうか、オン・コールのコンサルタントが決めます。」あっそう。また言葉に詰まる。気の利くことに、SHOのほうが「誰か残っているかみてみましょうか。」と助け舟を出してくれ、そうしてもらうことにして、いったん電話を切った。

 頭の中はパニック状態で、最悪の事態が頭をよぎる。派遣会社に連絡するたって、連絡先知らないし。

 問題が大きくなる前に情報収集したほうがよさそうと判断し、迷わずAに電話する。「SHOの携帯と自宅に電話した?交換台が連絡先を持っているはずだから、あなた自身で電話してみて。それでつかまらなかったら、誰か残ってもいいという人を見つけて、その分の残業代を払うことにするから。もしかしたら(SHOは)移動の最中で、地下鉄の中で携帯がつながらないだけかもしれない。」と、なんだかのんびりした返事が返ってきた。

 Aとの電話が終わりかけの頃、私の携帯電話がまた鳴った。さきほどのSHO。「当のSHOがやっと到着しました!」やれやれ、一件落着。

 この電話が私の初めてのオン・コールでの唯一の仕事だった。

 コンサルタントのオン・コール手当は、週約400ポンドほどである。いっぽう、通常の頻度でオン・コールをすると、SHOもSpRも、基本給が40%増しになる。そのため、3-4年目のSpRのほうが1年目のコンサルタントの給料よりも高いという、逆転現象がおこるそうである。こんなに静かなんだから、文句もいえないか。

Saturday, August 12, 2006

オン・コールその2−9時・5時の医者

 オン・コールその1の続きである。

 日勤・夜勤帯とも、SHO、SpR、コンサルタントがそれぞれ1人ずつ、オン・コールとして名を連ねている。呼び出しの順序としては、まずSHOが呼ばれ、SHOの手に余る場合、SpRが呼ばれ、さらに必要であればコンサルタントに連絡がいく。

 日勤帯の場合は、基本的にどの病棟やチームにも必ず医師(休暇中の場合は代理)がいるため、Duty SHOがSHOの代理や雑務をする以外、SpRやコンサルタントのオン・コールが呼ばれることはほとんどない。

 夜勤帯と週末は、オン・コールの医師が担当するのは、主に2つの病院(St Thomas’病院とLambeth病院)の病棟での仕事である。St Thomas’病院の救急外来にはリエゾン精神科看護師室(Psychiatry Liaison Nurse -PLN- Office)があり、看護師が24時間常駐している。地域精神保健チームの患者や家族からの問い合わせ等や、救急外来で精神科の関与が必要とされる患者は、まず看護師が対応する。

 それ以外のすべての業務(2つの病院の精神科病棟とSt Thomas'病院の一般科のリエゾン)は、SHOが最初の窓口になる。たとえば、緊急入院があったり、予定入院でも、患者が病棟に到着するのが17時以降になれば、入院受けも指示出しも、Duty SHOの仕事である。地域精神保健チームや救急外来のケースでも、PLN Officeの看護師の判断によっては、SHOにまわされることがある。

 多くはないが、夜間・週末に強制入院の有無を判断するための診察(Mental Health Act Assessment)が必要になる場合がある。SHOはSection 12(2) approval(日本の精神保健指定医のような資格。これがないと、強制入院等の診察ができない。)を持っていないため、必然的に、SpRが呼び出されることになる。

 SHOもSpRも研修医なので、必要に応じて上級医の助言・指導を得る権利があり、また、指導を求めたり報告する義務がある。

 臨床行為に関するオン・コールとは別に、管理業務のオン・コールもある。医師に関する管理業務はすべてコンサルタントの責任で、SpRやSHOが関わることはない。

 幸いなことに、コンサルタントの管理業務には、ベッドの管理は含まれない。たとえば、夜中に一般の救急外来に来た患者が精神科病棟に緊急入院の必要があると判断されたとしても、ベッドを探すのはコンサルタントの仕事ではない。ベッド・マネジメント・チームのオン・コール担当者の仕事である。

 このオン・コール体制、仕事を始めた頃はひじょうに戸惑った。5時になったら、仕事が残っていてもDuty SHOに引き継いで帰るなんて、日本で仕事をしていた頃は考えられなかった。

 去年の春、リエゾン精神科で仕事を始めてまもなくの頃、ロンドンに仕事のために滞在中に精神病状態になった外国人の患者を担当した。指示出しや記録、外国の家族との連絡等に手間取り、7時過ぎまでかかってようやく全部仕事が終わった。やれやれと帰る途中、病院の出口で、肝心の患者さんが、セキュリティ2人に左右を挟まれて、外から病棟に誘導されるところに出くわした。離院しようとしたらしい。指示の出し直しかと思い、とぼとぼとPLN Officeに行ったら、宿直のSHOと看護師さん両方に、あとは任せてさっさと帰りなさい、と追い出されてしまった。

 すっかりこちらのシステムに慣れた今となっては、これも思い出話である。

Friday, August 11, 2006

オン・コールその1−SHOシフト制

 ヘルシンキから戻って次の週は、コンサルタントになって初めてのオン・コールだった。コンサルタントになる前は、スタッフ・グレードだったためにオン・コールはなかったから、正確に言えば、イギリスでの初めてのオン・コールだった。

 ランベス区SLaMのコンサルタントのオン・コールは、フル・タイムの場合、1年間で計2週間(1週間のオン・コールを2回)あり、年に1度、オン・コール予定表が作られる。予定表といっても、フル・タイム・コンサルタント16人とパート・タイム用のダミー数人の名前を機械的に並べ、1週間ごとに順番に割り振っていっただけである。(パート・タイムの週は、勤務時間に応じて、12人のパート・タイムコンサルタントに日単位で割りあてられる。)なにせ1年分を一度に作るので、個人の希望を聞いたりはしない。3月に、7月からの1年分の予定表が臨床部長の秘書から送られてきただけである。都合が悪ければ、各自交渉して変更することになっている。

 コンサルタントとは別に、研修医のオン・コールもある。

 Senior House Officer(SHO、中期研修医)の場合、日勤(Duty)と宿直(Night Duty)の2交代シフト制をとる。2つの病院(St Thomas’病院とLambeth病院)に各勤務帯1人ずつDuty SHO(単に「Duty」と呼ばれる。)がいる。Dutyは専用ポケベル(Duty Bleep)を携帯し、呼ばれたらすぐに対応しなくてはならない。

 日勤DutyのSHOは、通常の業務のかたわら、欠勤している他のSHOの代理や、臨時処方書きや採血等の雑務を一手に引き受ける。日勤は9時から17時までである。17時から夜勤帯の始まる21時までの4時間は「延長時間(Extended Hour)」と呼ばれ、Duty以外のSHOが4時間残業する。そして、21時から翌朝9時までを、宿直のSHOが引き継ぐ。宿直SHOは、宿直入り前と明け後の日勤帯は、休みになる。

 Specialist Registrar(SpR、後期研修医)のオン・コールは、朝9時から翌朝9時までの日単位である。日中は通常勤務、夜は自宅待機となる。

 コンサルタントもSpR同様、待機体制をとるが、週単位でまわしている。

 以前は、日本の当直システムのように、SHOも、宿直に入る前と宿直あけの日も、通常業務をこなしていた。しかし、2004年8月、EU Working Time Directive(EWTD、EU労働時間に関する指令)が研修医にも適用されて以降、今のようなシフト制になった。EWTDにより、週の勤務時間が58時間以内と規定され、宿直がある場合、1日に平均8時間以上勤務することが禁止されたためである。

 私と同世代のある精神科医は、SHOの時に金曜の夜から月曜の朝までDutyが続くことが時々あり、週明けには疲労と睡眠不足で頭がまったく働かなり、視界が黄色くなった(!?)と言っていた。心身の健康のためには、当然、今の制度のほうがずっと好ましい。

 しかし、問題もある。シフト制のため、平日にSHOが病棟にいない状況が生じ、病棟運営に支障を来すようになった。また、個々のSHOの勤務時間が減った反面、日勤Dutyの仕事量が増え、本来の研修にしわ寄せが出るようにもなった。さらに、Dutyの仕事は応急処置・つなぎの仕事で、その後のフォロー・アップに関わることはない。こうしたつなぎ仕事をするために、本来の研修のための時間が減るのは物足りない、と不満を漏らすSHOもいる。

 ランベス区SLaMでは、病棟運営への影響を最小限に留め、日勤Dutyの負担を減らし、SHOが本来の研修に割く時間を増やすため、Float Locum SHO(あえて訳すと「漂流している非常勤SHO」)と呼ばれる医師を数人雇っている。彼らは、一応病棟やチームに所属しているものの、日勤帯にSHOがいない病棟やチームがあると随時応援に行く。ほとんどが外国から来た医師で、イギリスの研修システムにもぐりこむための第一段階として利用している。

 British Medical Association(BMA、英国医師会)は、今のところ、シフト制を使ってEWTDを遵守する方針でいる。しかし、今後、研修制度の変更とともに、オン・コール制度も変わっていくかもしれない。

Sunday, August 06, 2006

熱波と生産性

 このところ、すっかり怠惰な生活を送っている。

 7月半ばの熱波は2週間ちょっと続いた。毎日暑く、真夜中にならないと耐えうるレベルまで気温が下がらなかった。私の部屋は、夕方以降はフラットの中で一番暑くなるので、やや涼しいキッチン兼食堂に避難する時間が日に日に長くなり、机やコンピュータに向かう時間が減ってしまった。

 熱波第2週目になると、暑さと睡眠不足と上がりに上がった不快指数のため、とてもフラットの中にはいられず、2日続けて映画のレイトーショーに行って涼をとった。

 で、8月に入ったら、今度は寒いのである。空はどんよりと曇っており、時々雨が降る。気温も急激に下がり、半袖では朝夕寒くていられないほどである。この極端な温度差に体はついていけず、熱波で蓄積された疲労も重なり、何となく体調が優れない。さらに、熱波で崩れた生活のリズムは、なかなか元に戻らない。

 ビジネス・経済のリサーチ機関のCentre for Economics and Business Research (CEBR)によると、気温が30度を超えると生産性が約3分の1下がるそうである。一番暑かった7月第3週は、1日あたりの経済的損失が1億6800万ポンド(約340億円)と推定されている。直接的な損失が1億5400万ポンド、交通の乱れや、遅刻によるための損失が390万ポンドだとか(でも、このままでは計算が合わない!)。また、産業衛生の専門機関であるActive Health Partners(AHP)によると、7月19日(観測史上における7月の最高気温を記録した日)は、欠勤のため、イギリス経済は1億1900万ポンドの損失を出したという。(これらの数字はあちこちのニュースでとりあげられていたのだが、CEBRやAHPのウェブサイトにはニュース・ソースが載っていない。孫引きになるが、Personneltoday.comを引用しておく。)

 いろいろな事象の影響をこのように数字や金額で評価するのは、英国のお家芸であるが、金額を示されても、はっきりいって、あっ、そう、なのである。せいぜい、金額が大きいから影響が大きいのね、と思う程度である。

 けれど、ここ3週間の私自身の活動性の低下を振り返ると、熱波の最中の生産性の低下だけに注目するのは、影響評価として不完全なような気もする。それとも、こんなバテバテの怠け者になっているのは、基礎体力のない私だけなのだろうか。